【007 エプロン -APRON-】(GPM/速舞)



 私が知っている人間の中で彼ほどエプロンが似合う男はいないと考える。

「まーい、もう少しで出来るからね」

 おおよそ、私が知っている男の中で彼ほど私の名をここまで甘くとろけるように呼ぶ男など存在しない。決して女性のような声ではないが、男性にしては少し高めのその声が私は嫌いではない。むしろ心地よいと思ってしまう。



 今、この5121と言う遊撃中心の小隊のプレハブ校舎の、食堂兼調理室で猫柄のエプロンを身に纏いながら南瓜のパイを焼いている目の前の男が。私の名を七つの世界の何処の誰よりも優しく呼ぶこの男が。ひとたび戦場に立てば我の知らぬ青い光を身に纏い、己の両手と機体を幻獣の血に染めて、瞬くその間に敵を―幻獣―を倒していく。

5121小隊のエース、幻獣にとっての死神、青き暴風

見も知らぬ人々から、幾多もの名で呼ばれる戦場の英雄。
その戦う姿は、他の小隊からも噂になっており既に絢爛舞踏勲章も近いと噂されているこの男。



 その男が、今、世界の何処でもなく。
 この小さな、プレハブの片隅で戦場の英雄はぽややんとも呼べる笑みを浮かべて私の為だけに料理をしている。
 いつものように、それぞれが訓練・整備・機体の調整を行い気がつけば日付はとっくに翌日になっている。私とこの男は同じ機体に乗るパートナーだが、いつも一緒にいる訳ではない。一緒に仕事や整備を行うことは確かに必要だが、能力には個人差があり私が行うべきことと、彼が行うべきことは違う。仕事中や、授業中は必要以外に馴れ合いすぎず、さりとて離れすぎず。それが彼と私の間には暗黙の了解となっていた。
 それでも帰りだけは一緒に帰ることを約束し(というか強引に承諾させられたというのが正しい)、待ち合わせた時に不覚にも私の腹が空腹を訴えて音色を上げる。

「あ、これは…」
「こういう時に限って何も持っていないんだから」

 少し恥ずかしさと気まずさが襲ってくるが、彼は一向に構わず鞄の中を探し、それから数秒考えて舞の方を向き直る。

「舞、ちょっとまだ時間いいよね!」
「え?」

 有無を言わせず、彼は私を引っ張り食堂兼調理室に連れて行くと、椅子に私を座らせて冷蔵庫の中を探し出した。

「この間裏マーケットで手に入れた冷凍のパイシートは…うん、あるある。あとは…」

 鞄の中からいつも利用しているエプロンを取り出し、何かを調理し始めている。そういえば、先日中村を通して裏マーケットに何やら頼んでいたのは知っていたが、まさかこんな場面でお目にかかるとは思っていなかった。
 料理の手際はかなり良い、私も現在ヨーコや壬生谷に料理を習っているとは言え、このレベルに追いつくにはどのぐらいの努力が必要なのだろうか。今の実力を考えると道は果てしなく険しいと思われるが、いつかは辿り付けると信じるしかない。
 そのようなことを考えていると、鼻腔をくすぐる甘い匂いが嗅覚から全身を巡らせてくる。その匂いにつられて、忘れようとしていた空腹が更に倍になって襲ってくるのを感じていた。この誘惑に打ち勝つにはミノタウルスやスキュラと戦うよりも難敵ではないかと思われる。

「お待たせ」

 そうこうしている内にパイは焼きあがり、彼は目の前で切り分けると私に寄こした。

「さあ、どうぞ」

 私が一口食べるのを今か今か待っている。見られているので食べづらいが、構わないことにした。彼の一挙一動をいちいち気にしているようでは心臓が持たない、と最近ようやく私の感情は理解し学習したらしい。
 一口食べると、砂糖を使っていないのに甘みと香ばしさが口腔内から染み渡ってくるようで、思わず「美味い」と感想を漏らすと、この南瓜パイよりも更に甘い笑顔で私に微笑んでくる。これはまだ耐性など備わる筈もなく、いつもその笑顔を見るたびに心臓は動機を強く、激しくするのである。

「舞のくれたエプロンを着て作ると、凄く上手くいくような気がする」

 彼は先日私が何かのお返しに買った猫柄のエプロンを身に着けながら立ち上がると、くるりと身を翻して見せる。可愛いと言うよりは、少しシンプルなその柄だが彼にはよく似合っていたと私は思う。それほどまで言われるとあげた方としては何よりも嬉しいが、それを表に出すのは相変わらず苦手だ。だから、言葉だって予想外の方向ばかりに吐き出されてしまう。

「たわけ、エプロン如きで料理が上手くなったなどとは、努力をしているものに対して最大の侮辱だ」
「でも、気分も大事な要素だよ。あ、そうだ。今度は僕が舞にエプロンを買ってあげようか?売店で売っているふりふりの可愛いエプロンが舞には似合いそうだね」

 彼のその言葉に、一瞬、そう本の一瞬だけの嬉しさと、それを打ち消すかのような羞恥心が舞を襲う。そして彼の言うふりふりエプロンの自分を想像してみた…駄目だ、似合わない。目の前にで優しく微笑む戦場の英雄、速水に向かって立ち上がり、拳を振るわせる。


「このうつけ者がーーーー!!!」



04/07/16〜04/10/31 WEB拍手掲載

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