【001 いただきます -THE FIRST-】(アルトネリコ2/ルカ)
何も考えなくて良かったあの頃。
時間を忘れて草原を駆け回り、日が暮れる頃にはお母さんが迎えに来る。レイカちゃんはもう疲れてしまったのか、眠そうにしている。本当にお寝坊さんなんだからと思いながらも、私も眠くなってきて小さな、小さなあくびを一つ。
お母さんの右手は、私。左手はレイカちゃん。
今日の夕ご飯はくくるくだんごのシチュー。
お母さんのシチューは、ぽっかぽっかで、おなかいっぱいになって。
いつものご飯の時もだけど、シチューの時が本当にわくわくする。
お父さんとお母さんとレイカちゃんと、私と。ご飯ってそういうものだと思っていた。
けど、そんな日々は当の昔に忘れた。
今の私には必要ないものだと切り捨てて、記憶の川の底に沈めた。
あんまりに幸せすぎたんだ。そして、その幸せがずっと、ずっと続くのだと無邪気に信じていたんだ。
失くしてしまってから、それが大切だったって気がつくんだ。
「クロア、手伝うことない?」
台所に立つクロアに声をかける。
「い、いや。大丈夫だ」
声が上ずっているのは気のせいだと思う。その後、クロアは少し考えてからお皿の準備をしてくれないと頼んでくれた。クロアが気を使ってくれているのがモロバレだ。けれど、まあそれはクロアなりの優しさだと言うのは分かっているからそれに甘えておこう。
好きな人にご飯を作ってもらうということは贅沢なことだと思う。
クロアの作るご飯は美味しい。何と言うか、あまり凝ったものじゃない普通のご飯なのだけれども。どこか懐かしい味がする。何が、どう懐かしいのかだなんて分からないけれど。言葉にするとそれが一番しっくりくるから、そう言うしかないのだ。
1人で食事をするようになったのはいつからだったろう。
レイカちゃんがいなくなって。お父さんもいなくなって。それからお母さんが私のお母さんじゃないって分かって。いつの間にか私はお母さんを避けるようになっていた。
顔を見るのが嫌だった。一緒に居る時間が嫌だった。クロアが居たときはまだ大丈夫だった。けれど、クロアもパスタリエに行ってしまってからは二人っきりの食事で、何を話していいのか分からなかった。私が話をしなくなって、お母さんも話をしなくなった。言葉を交わすのは必要最低限になった。そんな空気が嫌で、私はいつの間にかお母さんと一緒に食事をするのも避けるようになっていた。
お母さんは食事を作ってくれたが、私は部屋で食べるか時間をずらして食べるようになっていた。セラピの仕事は忙しいときは夕方過ぎまでかかったことがあった。電車がなくなって歩いて帰ることも珍しくなかったから、帰りが遅くなることも度々あった。
どうしても、1人で食べたくない時は空猫のところに行った。空猫や、ノノちゃんたちと食事をしているときは楽しかった。
でも、そんな楽しい時はほんの僅かで。あの頃は殆ど食事というものが楽しいだなんて思っても居なかった。私は多分知っていた、気づいていた、その理由を。だからこそその理由に目を背けて、最初からなかったことにしていた。その方が楽だったから。
一緒に居て、私とお母さんが実の親子じゃないってお母さんから言われてしまったなら。私が何のためにここにいるのか分からなくなるから。セラピの仕事も、クロアをパスタリアに送り出したことも、私の目的も何もかもが意味をなくしてしまうことが怖かった。
レイカを、妹を見つけたならば。私はまたお母さんの子供になることができる。テーブルを囲んで、笑って一緒にご飯を食べることができる。小さかったあの頃のように。
でも、それは結局叶わなかった。そしてこれからも叶うことはない。
「ルカ?」
その一声で我に返る。
目の前でクロアがいた。手をかざして、頭に触れる。
「クロア?」
「どうしたんだ、ボーっとして。具合でも悪いのか?」
クロアの顔が近くなる。久々に間近で見た彼の顔が、私だけを見ているので少し戸惑って、自分が考え事をしていたことにようやく気がついた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してただけだよ」
笑う。今更誤魔化しなんて効かないだろうけど、笑うしかない。クロアはそうか、と数度私の頭を軽く叩く。それから息を一つ吐いて。
「夕飯、できたぞ」
「う、うん」
「そろそろクローシェ様も来るんじゃないか?」
「うん、そうだね」
クロアには見透かされているような気がする。でもクロアは何も言わない。それがクロアの優しさだということに気がついたのはずっと後のこと。私は、急いでテーブルに食器を準備する。鼻腔をくすぐる匂いが、食欲をそそる。今日のメニューは私の大好きなあげパンとくくるくだんごシチューだ。他にも、私の大好きなものばかり並んでいる。
「お邪魔するわ」
「わー、待ってたよ。レイカちゃん」
この上ない絶妙なタイミングでクローシェ様……もとい妹のレイカがやって来る。離れ離れになっていた私の妹。幾つもの出会いを繰り返しやっと出会うことができた。今日は久しぶりにクロアの家に集まることになっており、3人で食事をすることになっていたのだ。
「美味しそうね」
「うん、クロアの料理だから、楽しみだよ」
お腹もすいて、懐かしいシチューの匂いがして、隣にレイカちゃんがいて。お母さんはいないけれどクロアがいて。私が望んでいたあの食卓はもうないけれど、新しい食卓を見つけたよ。だから、私はもう二度と忘れないんだ。
「準備はできたか?」
「うん、ばっちり」
「じゃあ……」
「いただきます」
08/02/11〜09/06/18 WEB拍手掲載
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