ちいさなオトナとおおきなコドモ
「とりあえず、証人は証言台の前へ」
「うわ、これって本物の裁判みたいですね! みぬき一度あそこで魔術を披露してみたかったんです。何をしましょうか?」
「いや……みぬきちゃん。法廷はショーの舞台じゃないから」
「ああ、それはいいね。僕も一度本物のギターを持って……」
法廷はショーの舞台でもライブ会場でもないから、という法介の突っ込みは綺麗にスルーされる。響也とみぬきは、二人でわいわいと盛り上がっている様子。波長が合うというのはこういうことだろうか、と法介は1人疎外されたかのようにしながら、この隙に逃げ出そうかと考える。しかしその企みは、法介の動向を見抜いたみぬきと、逃げ出そうとした法介を押さえつける響也の見事な連係プレーによって阻止された。この2人が組んでしまえば敵わないというのは、過去に何度か覚えがあるというのに。それでも今だけはこの場から速やかに退場したかった。
「じゃ、お嬢さん。証言してくれるかな」
「はい」
事の発端は、牙琉響也が【成歩堂なんでも事務所】を訪れたことから始まる。最近では響也はこの事務所に顔を出すことも多く、ガリューウェーブのファンであるみぬきは大層喜んでいたが、法介としては不可解なことも多かった。そもそも響也は検事であり、法介は弁護士である。対立する立場にあるというのに、響也は元・弁護士事務所でもあるこの事務所と法介たちの元へ頻繁に訪れていたのだった。響也は来るときに必ずと言って善いほど手土産を持ってくる(主に食品)ので、下手をするとみぬきの給食費すら困るこの事務所としては無下にも出来ない相手なのである。
先日も、同様に事務所を訪れた響也はみぬきから、彼女の父親である成歩堂に恋人がいると言う事実を聞きつけて衝撃を受けた。それは勿論、法介も同様ではあったものの、それが誰なのかは、成歩堂なんでも事務所にきて日の浅い法介では皆目検討もつかない。成歩堂はその性格や立ち振る舞いと同様、交友関係も謎が多いのであった。
成歩堂の恋人が誰なのかを知っているのは、張本人の成歩堂を除いてはこの場にいるみぬきだけである。だとしたら、情報を一番持っているのはみぬきであり、手っ取り早く彼女から聞いてしまおうということになった。何故それが証言やら証人という形で出てくるかと言えば、響也と法介の得意なスタイルであり、証言からどんな人物かを推測してしまおうという響也の提案でもあった。当のみぬきと言えば、響也の提案に面白そうに乗っている。
(この場に成歩堂さんがいなくて良かったよ……)
法介はその場で心の中でダラダラと汗をかいていたのであった。
−証言開始− 〜ママのこと〜
「名前は成歩堂みぬきです! 職業は魔術師。こうみても、もうプロなんですよ!」
「ママって言っても、パパの恋人のことですよね。みぬきは【プリンのママ】って呼んでます」
「いつも美味しいプリンをお土産に持ってくるんです。この間の高菱屋の高級プリンは美味しかったですよ」
「みぬき、プリン大好きです。甘くてとろけちゃいますよね。あ、でもパパはあんまり甘いものは駄目みたいですよ」
みぬきの回想が、恋人よりプリンの方に言っている。確かの先日お裾分けだと頂いた高菱屋の高級プリンはとても美味かった、と法介は思い出した。
「待った! お嬢さんは【いつも美味しいプリンをお土産にもってくる】と言っているね。成歩堂さんの恋人はよくこの事務所にくるのかな?」
いや、尋問は俺の仕事なんですけどと法介が心の中でつっこみを入れる。声に出して言わないのは、そんなことを言っても全部流されてしまうのは確実だからだ。
「そうですねー。プリンは大抵パパが朝帰りした日に冷蔵庫に入ってるんです。みぬきも【プリンのママ】はあまり見たことありません」
みぬきの証言に、響也は腕を組んで何かを考え込んでいる様子だ。
「でも、先日また冷蔵庫にプリンが入っていたんだろう? 僕が御相伴に預かったときにさ」
「ゴショーバン? コショーのことですか?」
「違うよみぬきちゃん。一緒に食べたことだよ」
生来の突っ込み体質はここに来てもまだ顕在らしい。法介はみぬきの勘違いを後ろから正してやる。みぬきはそれに納得したらしく、そうだったんですか! と大きく両手を合わせた。
「前は数ヶ月に一回ぐらいだったんですけど、最近数日おきにまた入っているんですよね。何日かごとに戻ってくるパパと一緒です」
みぬきは、パパこと成歩堂が何日かおきに戻ってくることも既に慣れているかのように、あっけらかんと話す。普通この年頃の子を1人置いて恋人のところに泊まりに行くって言うのは親としてありなんだろうか、と思うが同時に、成歩堂親子を普通の親子の定義に当てはめてはいけないと思う。義理の親子なんだけれども、この仲が良いようでいて何処かドライな親子関係というのもありなのだろうか。それとも世間一般の親子というものはこんなものなのだろうかと、法介は考える。両親というものを知らずに育った法介としては、親子というものの一般基準を知らない。だから、それが正しいのかどうか自分の中でも判断できないのであった。
「何考え込んでるんだい、オデコ君」
頭の上にポン、と重量が加わった。視線を上げれば響也が法介の顔を覗き込んでいる。響也は相変わらず、人の目を真っ直ぐに見る男だと法介は思う。それは出会ったあの日から変わらない。
「あ、すみません……俺、ちょっと考え事してまして」
響也はそんな法介にフッと口端を上げて、頭に載せた手を左右に動かした。
「言いたいこと色々あるだろうけど、今はこっちに集中。じゃないと付き合ってくれてお嬢さんにも悪いだろ?」
みぬきちゃんがこっちを向いて笑っている。ああ、彼女は法介の心配など分かってる。分かっているのに分かっていない振りをして、ああやって笑うんだ。下手な感傷で黙っている場合じゃないな、と法介はこの茶番劇の中に加わる。
「さあ、先程の続きといこうか」
「はい!」
みぬきを真ん中のテーブルの前に、響也がソファーの右側、法介が左側とちょうど法廷に立っているときのような配置となる。
「さっき、みぬきちゃんは最近またプリンが冷蔵庫に入っていると言った。それにこの間成歩堂さんは恋人からの電話を受けているのを俺は聞いています。……この2点から推測されるのは、最近また成歩堂さんは恋人に会っているということだ、しかも頻繁に」
「流石オデコ君。しかし、以前はそんなに頻繁ではなかったプリンが、何故最近になって」
「あー、それは【プリンのママ】は普段海外にいるんです。今は日本に戻ってきているんですよ」
新たな証言が追加されていく。成歩堂さんの恋人は普段海外に居るということだ。
「海外?」
「そうです。何でしたっけ。海外のホテイを学びに行くとか」
ホテイ? まさかとは思うが七福神の布袋様を思い出してしまった。あれを学びに海外に行く成歩堂さんの恋人の姿を想像してしまう。向かい側の響也に法介が視線を寄せるも、彼はまた別なことを考えているかのように見えた。
「ふうん。ま、彼の恋人が何を学んでいるかはこのさい関係ない」
「それもそうですね」
後に、それが重要なヒントだということに2人が気がつくのはまた別の話であるが。そのときの彼らにはもっと具体的な情報が欲しかったのである。
「他に、何か情報はないのかい?」
みぬきは楽しんでいるのかいないのか分からないまま、いつものペースで考え始めている。響也と法介の2人は、そんなみぬきの姿を黙ってみているしかない。
「あ、一つ思い出しましたよ!」
「何だい?」
「パパ、その人のこと“ミッチャン”って呼んでました」
ここで名前が出てくるとは思わず、新たな情報に2人の驚きが強く表に表れていた。
海外在住でホテイの研究をしている“ミッチャン”
それがあの成歩堂さんの恋人かということで、僅かながらの手がかりにさらに、何かないか情報を聞き出そうとしたその時だった。
「おっと、それまでだよ」
その声に、法介が慌てて立ち上がった。
「おかえり、パパ」
みぬきがその声に嬉しそうに駆け出していく。勿論その声の主とは、この事務所の元の所長であり話題の中心であった、成歩堂龍一であった。相変わらずダルそうな仕草はいつもと変わらない。
「ただいま、みぬきにオドロキ君。ついでに……」
「成歩堂龍一……」
響也がバツが悪そうに成歩堂に視線をやった。成歩堂も歓迎している様子は微塵にもない。
「僕をフルネームで呼ぶのは止めてくれ。牙琉検事」
心底嫌そうに、成歩堂は響也に向かってそう言った。その真意は誰にも読めないが、何か禍々しいものを響也は感じ背筋に冷たいものが走る。そんな雰囲気とは対照的に、みぬきは成歩堂の側にくっついていた。
「お、おかえりなさい」
人はやましいことをすると言葉が上ずると言うが、今の法介はその例に漏れず。汗をたらたらと流しながら成歩堂の方を向いて声をかける。務めて何もないように明るく振舞う態度とは裏腹に、先程までのことが成歩堂にばれた場合のことを想像して緊張が続いていた。そのせいか左腕の腕輪も強く締め付けているように感じられる。
「オドロキ君、何か楽しいことでもあった?」
「はい!?」
い、いきなり何を言い出すんだ。と法介は思いながら左右に勢いよく首を振る。成歩堂は突然脈絡の無いことを言うのはいつも通りのことであったが、このタイミングで問いかけられると何というか反応がまともなものは出ない。そんな法介の態度を見ながら何故か成歩堂は口の端を吊り上げて笑った。
「ふうん、まあどうでもいいけどね」
なら聞くなよ、と言いたかったがそれ以上の追求は避けたかったのでこれ以上話がこじれないように、この話を流すしかないと法介は決めた。しかし物事というのは予想通りにはならない。
「お嬢さんを働かせて、自分は恋人とデートかい?」
突然、予想もしなかった言葉が成歩堂に浴びせかけられる。このような発言の主は響也しかいない。法介は驚いて視線を響也へと向けた。響也の視線は真っ直ぐに成歩堂へ向けられているが、成歩堂に動じた様子は微塵にも見られない。
「まあね。何せ僕はヒモだから」
その言葉に、響也の何かが引っかかったらしい。突然立ち上がると声を荒げて成歩堂に指をつきさした。
「それでいいのか、成歩堂龍一。あんたは……」
「人のことはフルネームで呼ぶのは止めてくれと言った筈だ」
成歩堂と響也の間に漂う雰囲気が、触れればはじけそうで法介はどうしたらいいか分からなくなる。響也はよく成歩堂につっかかっているが今までの成歩堂ならのらりくらりと交わしているはずだ。しかし、今の目の前にいる成歩堂と響也の雰囲気はどちらかと言えば、法廷での丁々発止を法介に連想させた。法介はその雰囲気の中で止めるよりも先に2人に魅入ってしまっていた。だから、忘れていたのだ。
「そこまで!!!!」
みぬきと共に現れたボウシくんの勢いに、法介も響也も、成歩堂も目を留めてみぬきの方を見た。
「オドロキさん、何で止めてくれないんですか!?」
「あ、あの、それは」
いきなり、みぬきに大声で怒鳴られて法介は何といっていいか返答に困った。それよりも何故自分に一番最初に矛先が向かってくるのか法介自身も知りたいところである。
「本当にパパもガリューさんもコドモなんだから。みぬきがいなかったら本当にどうするつもりなんですか!!」
この場にいる一番年下はみぬきの筈なのに、15歳の少女に説教をされる成歩堂と響也。言っていることは正当なことなので反論すら出来ず、苦い顔をしてみぬきの怒りの矛先を黙って受け止めている。
「ゴメン、みぬき。パパが悪かった」
「お嬢さん、ゴメンよ。ちょっと熱くなりすぎた」
2人の謝罪に、みぬきはわかればいいんです。という具合にようやくボウシくんをしまい始める。多分怒りは解けたのだろう。
「じゃあ仲直りもしましたし、今日はみんなでやたぶき屋へラーメン食べに行きましょ?」
その提案に、誰もが逆らえるはずが無かった。
「まったく、牙琉検事のせいでラーメン代、俺とワリカンになってしまったじゃないですか」
「ははは、ゴメンよオデコ君。今度はその埋め合わせをするから」
「結構です。あなたの埋め合わせなんてロクなもんじゃないですから」
手厳しいなあ、オデコ君は。と響也は笑いながら隣に居る法介の手を握った。
「ちょ、なに人の手!!」
「いいじゃないか。前の2人だって同じことしてるし」
法介が見ると、成歩堂とみぬきが手をつないで歩いている。あれは親子だから大丈夫であって、夜で誰も見ていないとは言え男同士で手を繋いで歩いているのは正気の沙汰ではない。突然の響也の行動に、手を振り解こうとして法介は必死になっていた。
後ろで2人がそんなことをしている間に、前を歩いている成歩堂が隣を歩くみぬきに問いかけた。
「ところでみぬき、パパが帰ってくるまで3人で楽しそうに何を話していたんだい?」
「それはですね、パパの恋人はどんな人かってことですよ」
「へえ、それは楽しそうだね」
「はい、楽しかったですよ。サイバンみたいで」
「ははは……そうか」
この親子の他愛も無いやりとりを、後ろで並んで歩く法介と響也は知らない。そして、その後に待ち受ける成歩堂の2人へ容赦ない反撃を知る由も無く4人はやたぶき屋へと向かっていったのであった。
07/06/10 tarasuji
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