僕と俺と彼女の午後
冷蔵庫には、何故かプリンは3つ入っていた。
成歩堂さんが、朝帰りのたびに冷蔵庫にプリンが入っているのはこの事務所の慣例となっているのだが。いつもはみぬきちゃんの分だけだったのに、何故か最近いつも1個数が多い。学校から戻ってきたみぬきちゃんにそれとなく聞いてみる。みぬきちゃんは、ちらりと、俺の方を横から見て、口を開く。
「えー、言わなくちゃ駄目ですか?」
予想外の反応に俺はどう返答すればいいのか困惑する。どうもみぬきちゃんは何かを隠しているようだが。困ったなーと左手の上に右肘を乗せて黙った後、「ま、いいか」と小さく呟いた。
「それ、オドロキさんの分です」
「俺の!?」
予想外に出てきた返答に、みぬきちゃんの方が驚く様子を見せる。俺、そんなに変な形相していただろうか。
「オドロキさんの顔はいつも変です」
だからそこで俺の考えを読んだ返答はやめてくれ。しかも真顔で言うのはもっとやめてくれ。
「パパが言うにはですね。今度からオドロキさんにもプリンを支給することになったそうですよ」
その後のみぬきちゃんの説明によると、とりあえず『成歩堂なんでも事務所』の3人目のタレントとなったという設定になっている俺に、「とりあえず給料なんて出す余裕はないからね。まあ、現物支給で、おやつぐらいは出さないとなぁ」という話を成歩堂さんがしたらしく。まあ、みぬきちゃんの言う“プリンのママ”たる成歩堂さんの恋人に交渉したら、俺の分も買ってきてくれたらしいとのこと。そんなことを恋人に頼む成歩堂さんも、成歩堂さんだが。受け入れてくれた成歩堂さんの恋人も奥が深い。今度きちんと会う機会があったらお礼を言わなくてはと、心に決める。
成歩堂なんでも事務所にきたのはいいけれども、一家の稼ぎ頭は15歳の少女の上、給料も出ない。最近、僅かながらにもらえる弁護の依頼料とこれまで僅かとはいえ、貯めてきたなけなしの貯金のみ。それを、切り崩して生活している身の上としては甘味と言う嗜好品は月に数度味わえればいいほうである。元々甘いものは嫌いな方ではないので、食に関してのこういう嬉しいお裾分けは有難いのだ。
まあ、それを最初から言ってくれなかったということにいかさか疑惑は沸きあがるのも確かだが、そんなことを言おうなら「今まで聞かなかったから言わなかっただけですよ」と返されるのがオチだ。そしてもうひとつ疑惑が沸きあがる。
(じゃあ、もう1個は誰の分なんだろう)
その瞬間、事務所のドアが開いて聞き覚えのある声が、耳に入る。
「やあ、オデコ君に、みぬきちゃん」
「が、が、が、牙琉検事!?」
「やだなぁ、僕はガガガ牙琉検事なんかじゃないよ」
何で俺の周りにはこういうつっこみ返しをする人間しか居ないのだろうか。牙琉検事こと、牙琉響也は俺の師であった牙琉霧人の弟で、法廷では俺と対立する検事である。まあ検事というよりは巷で有名らしいロックバンド【ガリューウェーブ】のボーカル兼ギタリストであった訳で、みぬきちゃんは牙琉検事のファンでもある。事務所にやってきた彼を見る目がもうほわほわとしていて、みぬきちゃんの喜びが事務所いっぱいに広がっている。
俺としては、牙琉検事は顔立ちもいいし、天才とも呼ばれているぐらいに腕も立つし、それでいてさわやかで何と言うか男としては面白くない。自分が負けたような、そんな劣等感すら時折感じてしまうのである。
「そんなに見つめるほど、いい男かな?」
「わぁっ!?」
突然視界に広がる牙琉検事の顔。声を掛けられるまで俺は不覚にもここまで近づいていることに気がつかなかった。不意打ちとばかりに声をかけられて、俺は声を上げるしか出来ない。
「オドロキさん、声が大きいです」
「ははは、オデコ君は声が大きいのがとりえなんだからそんなこと言っちゃあいけないよ」
まだ興奮が収まらない俺の横で、何のんきに勝手なこと言ってるんだと思いながら、うっかり先程の失態を思い出す。たまたま牙琉検事の顔が近くにあっただけで何でこう驚くんだ、俺。いや、確かに悔しいぐらいに美形すぎるけれども、仮にも相手は牙流検事だ。
「違いますよー。オドロキさんのとりえは弁護と家事全般もありますって」
「へぇ、家事全般も得意なんだ」
「特にご飯は絶賛ですよー」
「じゃあ今度食べさせてもらおうかな」
だから人の目の前で勝手に、約束を取り付けない。そこの二人。と言いたくなるがこの二人に口で勝とうと思うのが間違いなのだということは過去に嫌と言うほど思い知らされている。そもそも俺、弁護士なのにこう立場弱くていいのか、と落ち込みたくなることも。いかん、いかん。こんなところで落ち込んでも居られないんだ、俺は。大丈夫、大丈夫、オドロキホースケは大丈夫です。大きく深呼吸する。それから俺は新たに沸きあがった疑惑を突きつける。
「何で牙琉検事がここにいるんですか!?」
しかし、その疑惑はみぬきちゃんによってあっさりと返される。
「それはみぬきが誘ったからですよ、オドロキさん」
テヘ、と可愛らしくこちらを向くみぬきちゃんに俺は開いた口が塞がらなくなった。もしかして今日の俺の行動は全て空回りなのではなにのだろうか。証言……もとい、説明をみぬきちゃんに頼んだ。
「とりあえず、学校帰りに牙琉さんと事務所の近くで偶然会ったんですよ」
それから、学校帰りのみぬきちゃんと牙琉検事が話をして、会話の流れで今日は美味しいプリンがあるので事務所に寄りませんか? と誘ったところあっさりとOKをもらったので事務所に寄ってもらうことになったのだということだった。
「と、いうことだよ。オデコ君」
と、いうことじゃなくて。仮にも検事がプリンごときでほいほいと弁護士事務所に遊びにこないで欲しいと思う。牙琉検事はお嬢さんの頼みを断るほど僕はワルイ男じゃないんでね。とか言いながらみぬきちゃんと楽しそうに談笑している。
(何だよ、みぬきちゃん相手だとちゃんと話をしているじゃないか)
何故か、牙琉検事は俺と話をするときに限って意味不明の話をしたり、俺をからかったり、何というかまともな会話にならないことが多いからだ。何で、法廷だとあんなに理路整然としながら話をすることだって出来るのに、俺と話をするときはあんなに意味不明なんだろう。このもこんなことを言っていた。
『オデコ君、君は鋭いようでいて、何でこんなに鈍いんだろうね』
『何がですか?』
『さあね。それは君が自分で気がつかなきゃ意味が無いのさ』
本当に、会話ひとつとっても、いつも牙琉検事は意味不明のことを言う。
みぬきちゃんがプリンの準備をして、俺が紅茶を淹れて。悔しいことに牙琉検事はプリンを食べる動作ひとつさえサマになっている。あまりに悔しいので、俺はプリンの味に集中することにした。久々のプリン。しかも高菱屋に入っている高級洋菓子店のプリンであるだけに、そこら辺のスーパーで売っている3個パック100円の代物とは舌触りも香りもなにもかも違う。
「どうですか?」
「ああ、甘すぎずそれでいて濃厚な味わいが口の中でハーモニーを奏でているかのようだよ」
相変わらず牙琉検事の表現は、大袈裟とも言えそうだが、今日に限っては同じ事を俺も言いたい。
「流石、高菱屋のプリンですね」
高菱屋の単語に、牙琉検事が動きを止める。
「失礼だけど、この事務所で高菱屋のプリンを購入する余裕があるとは思えないんだけど」
痛いところだが、それが正論だ。失礼なところをずばりと突きつける牙琉検事らしい問いかけだ。
「お土産ですよ、成歩堂さんからの」
「ママからの、お土産です」
「待った! ママからって、どういうことかなお嬢ちゃん?」
牙琉検事も、或真敷の事件にかかわっていたことからみぬきちゃんの事情はある程度知っている。だからそこに矛盾を突いてきたのだろう。折角混乱の無いようにしようと思っていたのが裏目に出る。しかし、その後更に発言はとんでもない方向へ向かい始めた。
「ママですよ、将来の」
牙琉検事は、その後いつもと変わらないような顔をしていたが俺の左手の腕輪がきゅっ、と締め付けられる。しかし俺はそれを指摘するつもりは微塵も無かった。俺だって最初聞いたときは動揺したのだから、彼も同じなのだろう。そもそも、あの成歩堂さんに恋人が居ること自体、誰にも想像すら出来ないのだ。あんな人と付き合えるのはいったいどんなタイプだろうと思う。本当は、牙琉検事ももっと聞き出したかったのだろうが、みぬきちゃんはああ見えて内緒だからと言って、必要以上のことを話すことはしなかった。
牙琉検事には、折角来てくれたのに、少し悪いことをしたような気がした。だから機会があったらまたこの小さなお茶会に誘ってみようかと、心の隅で考えていた。
07/05/12 tarasuji
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