知らぬ故の僥倖 知っているが故に味わう苦悩もあれば、知らずにいる故に幸せなこともあるのだ。 勿論全てがそうとは限らないが、そういうこともあるのはまた確かである。
酒場でいつものように飲んでいたゲド達十二小隊のメンバーの前に現れたのは意外な人物だった。 「・・・どうした?」 「いえ、あの、その・・・聞きたい事があって」 いつものあの勇ましい姿が吹き飛んだように、聞いているこっちがもどかしいぐらいにあやふやな喋り方。 「ゲド、あたし達はちょっと向こうに行ってるよ」 「ああ」 クィーンがジョーカーと共に渋るエースを引っ張って別のテーブルへと移動した。彼女達なりに気を使ってくれたのだろう。こういう時は察しのよい彼女の存在を有難く感じるゲドであった。 「座れ」 「・・・あ、はい」 クリスはゲドの真向かいに腰を下ろす。 「それで・・・聞きたい事とは?」 単刀直入だが、それが一番簡潔であった。エースの様に世間話から入っていくなどという器用な真似は彼には似会 わないし、出来るはずもなかったから。 「ゲド殿は・・・その、父の親友だったのだろう?」 「・・・・・・・」 「父がどういう人物だったか私は殆ど記憶に無いのだ。だから・・・少しでも父について教えてほしい」 クリスの父、ワイアット・ライトフェロー。 今はジンバと名乗っていたが、ゲドにとっては炎の英雄リヒトと同様に大切な親友である。彼は『真なる水の紋章』を娘であるクリスに継承させるとゲドとクリスの眼前で・・・。今でもまだそれは二人にとって鮮明で苦い記憶である。 「少しでもいいのか?」 「ええ、かまいません」 そう言い切った瞳がジンバ、いやワイアットに何処か通じるものがあった。
クリスは知らないが、実は十数年前にゲドはクリスに会っている。 たまたま所用があってビネ・デル・ゼクセを訪れたゲドは、今ではライトフェロー家にいるという友人の噂を聞き懐かしさに会いに行ったのである。 門の前で執事らしき人物に彼に会いたいと告げると、しばし待たされた後に大広間に通される。主人を呼んで来るから少し待って欲しいと言われゲドはソファーにかけた。 「ゲドか?久し振りだな!」 「・・・ワイアット!?」 そこに現れたワイアットは背に赤子を背負い・・・いやそれはまだいい。その上あひるちゃん柄のエプロンを着けたままの格好で現れた。あまりの変貌ぶりに驚くゲドを横目にワイアットは何も気にする様子も無く、ドカッと自分もソファーに座り込んだ。 「ワイアット・・・その子は?」 ゲドのその一言を待っていたかのように、ワイアットはよくぞ聞いてくれましたと表情を一変させる。 「俺の娘だ、名前はクリス。どうだい、可愛いだろ〜将来は絶対母親似の美人になるに違いない!!」 そんな事まで聞いてない、と言いたげなゲドだが黙っている事にした。背中から下ろしたクリスを腕にしっかりと抱くと、ジンバがクリスの頬に触れる。腕の中の赤子は気持ちがいいのか笑みを見せていた。 「あ〜クリスちゃ〜ん。可愛いでしゅね〜」 赤子は尚も笑い続けている。ワイアットはアイスクリームが溶けきったかのようにデレデレとしている。本人はいいのだが、傍目に見ているゲドとしては何て言っていいか困惑している。 「ゲド、見ろ。この愛らしい微笑み。薔薇色のほほ、小さい指先。綺麗な銀色の髪。大きくなったらアンナに瓜二つの美人になるぞ!・・・ああ、アンナ何故こんな可愛いクリスを残して何故・・・」 ワイアットは妻がクリスを産んだ後産褥熱で亡くなった事を伝える。ゲドも何と言ってよいか分からず沈黙した。 「ところで・・・何だ。その格好は・・・?」 その瞬間、しまったという表情でワイアットが立ち上がる。 「すまん、ゲド!ちょっと待っていてくれ。直ぐに戻ってくるから!!あ、クリスちょっと見ていてくれ」 そう言ってクリスを腕に抱かせるとワイアットは一目散に部屋を出ていった。一人・・・いや二人で残され呆然とするゲド。第一、赤子など抱いたことが無いのだからどうやって抱けば良いか分からず四苦八苦することになった。それでも、何とか格好をつけると腕の中の赤子と目が会った・・・かのようだった。 (赤子もいいものだな) 「ク〜リスちゃ〜ん。ミルクでちゅよ〜」 ワイアットがスキップを踏んで現れる。勿論、あひるちゃん柄のエプロンはそのままで。 「あ、ゲド!何で二人でほのぼのしてるんだよ。俺も混ぜろ!」 押し付けていったのは自分じゃないか、という反論は飲み込んでおくことにした。ワイアットはクリスを自分の左腕に抱くと、丁度良く温まったミルクを飲ませていく。 「慣れたものだな」 「ああ、アンナが逝ってしまってから途方にくれたが、じいさんと館の皆のおかげでなんとかな。育児がこんなに楽しいとは思ってもいなかった」 ワイアットは数十年前のハルモニアとの戦い最中でも子供に好かれていた事を思い出す。ゲドは怖がられて滅多に近寄ってこなかったが。 「ああ、ミルクを飲んでいる姿も何て可愛いんだ!!」 そう言ってクリスの頬にちゅ〜までする。可愛いが、ワイアットのこれは行きすぎではないかと思うのだが・・・。 「クリスは絶対嫁になんかやらん!・・・もしやるとしても俺よりも強い男にやる!!」 それはかなり厳しい話である。ワイアットは今は娘を溺愛しているが、数十年前から『炎の運び手』の中でもかなりの実力を持っていた。しかも今はゼクセン騎士団団長を務めその強さはシックスクランでも有名である。しかも右手には『真なる水の紋章』を宿している身なれば、彼より強い男など一体何人いるのだろうか?少なくともこの辺の人間ではかなり厳しい条件になるだろう。 「さて、今日はず〜っとクリスが如何に可愛いかお前に聞かせてやろう!」 「何!?」 その後、山の様なクリスの絵姿だの話など、一晩中延々と聞かされるゲドだった。
「ゲド殿・・・有難う御座います」 少し、吹っ切れたような顔でクリスは礼を言うとその場を立ち去ろうとした。ゲドの脳裏に抱いた時の記憶がよぎった。それがゲド自身にも予想外の言葉を吐き出させたのである。 「・・・ゼクセの屋敷のワイアットの部屋を探してみろ」 「・・・え?」 ゲドはそれっきり黙ってしまった。クリスはその言葉をリフレインし、ゲドに頭を下げる。そして、その場を立ち去った。 あの時の娘があそこまで成長したとは・・・まるでクリスが自分の娘であるかの様な錯覚に一瞬襲われる。しかし、それも悪くないと思ってしまう自分がそこにいることをゲドは自覚していた。 「ワイアットに・・・乾杯だ」
【後書と書いて良い訳と読む】 02/09/03up |