ビュッテヒュッケ城での日々にエイが慣れてきたこの頃。 「いらっしゃい、今日は何にするかい?」 既に何度か通っているエイはすっかりこの酒場の女主人に顔を覚えられていた。エイの方も慣れた様子でメニューからてきぱきと選んでいる。最初の頃など、ワインを頼んでしまったら「ほんとに大丈夫なの?」と何度も聞かれたものだったが、本人の押しに負けて渋々出した物の、酔っ払うこともないところを見せると安したのか、次回から何も言わず酒を出してくれる。 (この雰囲気は何処にいっても変わらないな・・・)
(あの馬鹿・・・一体何をしようとしている!?) 今回、彼がこの城に寄ったのは『真なる炎の紋章』を宿した『炎の英雄』なる人物に会う為。 「君が噂のエイくんかい?」
思考が邪魔されて明らかに不機嫌であることを伺わせる表情。しかし、それを邪魔した当の本人はそれに動じることもなく、会話を続ける。 「俺は、ナッシュ、ナッシュ・クロービス。しがないオジサンさ」 その男は口端に軽く笑みを浮かべる。緩くウェーブのかかった綺麗な金髪と緑の瞳が印象的だった。 「俺の名前を知っているという事は、自己紹介は必要ないね」 突然現れた人間に愛想良くする必要はないとばかりに、エイは視線を食事に戻すと、出来たばかりのカラヤ特製の生春巻きを一口かじった。もっとも、相手もそういう態度には慣れっこなのかたじろぎの欠片も見せることなく、『隣、いいかい?』と一声かけてエイの隣に座った。 「アンヌさん、カナカン産ワインあるかい?」 アンヌはそれを聞いて大声で笑いだした。そして、意外な展開に生春巻きを持ったまま固まってしまっているエイの方を見て、そして、彼にだけ聞こえるように小声でこう囁いた。 「気にすることないさ、あれは彼なりの冗談だからね」 それを聞いてエイの強張りが解けた。からかわれたことに気がついて目元を朱に染めると、口端を少しだけ上げる。ナッシュはニヤニヤしながらこちらを見ていることに気がつく。腹の辺りがむかむかしたが、敢えてそれを表に出さず、エイはナッシュに少し顔を近づけた。 「へえ、俺を口説こうって言うのかい?高いよ、俺」 注文の品を捌きながら、アンヌはナッシュとエイの方に視線を向ける。どうやら、最初にエイが固まったときは冗談がキツイと思っていたが、なかなかあの少年もやりとりが上手いことを感じていた。外見に似合わず、かなりの修羅場を乗り越えたような駆け引きの上手さに、これ以上手助けしなくてもいいことを感じると、また注文を捌きにワイン選びに戻った。 「どうしても駄目?」 ナッシュが外見に似合わない可愛い子ブリッコでエイの方を見る。それがあんまり可笑しくてこの冗談にもう少し付き合ってやろうと思った。既に、エイもナッシュもワインの瓶を二瓶ほど空けていた。 「しつこい男は嫌われるよ」 冗談だらけのその会話もそろそろ飽きてきたし、そろそろ退散しようと思ったが中々ナッシュがエイを放そうとしない。酔っ払いの相手も疲れてきたところで、エイは席を立とうとしたその瞬間だった。ナッシュがエイの耳元で囁くように告げる。 「じゃあ、俺と一回試してみないかい・・・≪ソウルイーター≫の持ち主さん?」 予想外の一言に、エイは冷静さを装ったまま目の前の男をじっと見る。唇は硬く結ばれたままで・・・ 「・・・いいよ、試してみるかい?」 聞き耳立てていた周囲の客からどよめきが聞こえたことも、二人は気にせずに会計を払うとその場を立ち去った。 「こんな所でするのかい?」 ナッシュがくるりと振り返り、エイの方に視線を向ける。 「さて、と冗談はここまでにしようか、『トランの英雄』殿?」 ナッシュの顔が先程まで見せた腑抜けたような表情とは一変する。 「流石、ハルモニアの密偵。というべきかな?」 対するエイもナッシュに負けじと表情を一変させた。お互いが、『侮れない相手』として認めた瞬間でもあった。 「ナッシュとか言ったな・・・何処まで俺の事を知っている?」 ナッシュはその余裕とも言える表情に、紋章持ちの人間が共通して備えている特有の感覚を覚えた。紋章を継承して長い年月がたった人間は外見とは裏腹に精神面で老成している人間が多い。 「情報の出所は内緒だ。だが、決して怪しいスジでは無いのは確かさ」 それは真実であったが、それ以上はまだ告げるわけにはいかなかった。まだ 「ナッシュ」 「知ってたな」 エイは門の紋章継承戦争以降トランを離れ、デュナン地方、無名諸国、ハルモニア等さまざまな地方を旅を続けていた。その途中、旅芸人に交じったりして色々な情報を得ていた。 「お前の方こそ、俺に何の用事がある?」 うかつにも自分も彼の誘導に引っ掛かってしまったのだ、という失態をおかしたのに、この男には仕方が無いという印象がある。 「酔っ払いのオジサンの戯言に付き合わせてしまったな」 勿論ナッシュがワイン2本で酔っ払うなどという話はエイは信用していなかった。そんな言い訳など何処吹く風である。 「今回ここに来たのは偶然かい?それとも『彼』のことかい?」 『彼』という単語で挑発しているつもりなのだろうが、今は自分でも理由が判らないのだからそれに乗るつもりは無かった。しかし、『ハルモニア』の人間である彼がそれを知っているという事は『彼』が佳境に差し迫っていることを示していたのは確かであった。そして、ヒューゴに引き止められたとはいえ、こうしてここに居る理由が自分自身でも明確に掴めていなかったのだから。 「そうかい、判った。俺も君がどうしてここに居るかこれ以上詮索するつもりはない」 ナッシュというこの男は掴み所の無いようでいて、その実真相を的確に突いてくるのだから侮れない人物だった。 「ところで・・・あんまり、『オジサン』って連呼しないで欲しいね」 エイは言っていいものかどうか一瞬躊躇ったが、口を開く。 「自分のと同年代の人間が『オジサン』って何度も言っているのを見ると腹が立つ」 一瞬、ナッシュの顔が意味が判らないというように固まった。エイはそんなナッシュの顔が面白かったのかそれとも不服だったのかどちらか判らない。エイはそれを無視して言葉を紡いだ。 「俺がこいつに縛られることがなく、普通の人生を歩んでいたならば・・・俺もアンタととほぼ同じ年なんだよ」 エイが15の時、紋章を引き継いでから4年経過して戦争は終結した。そして、更にデュナン統一戦争まで3年経過し、さらに15年たった今となってはエイはナッシュとほぼ同年代になる。 「エ、エイ!?一体何をするんだ!!!」 ナッシュが蹴られた背中をさする。背中にはくっきりと足型がついていた。 「このことと、紋章のことを誰かに喋ってみろ、城内中に『お前がホモの美少年好き』という噂を流してやる。そうなったら、お前が追っかけているゼクセンの騎士団長や、城内の女性たち・・・ひいてはハルモニアの連中や、月の紋章のシエラ殿はなんと思うかな?」 ナッシュは有無を言わせず頭を縦に振った。それを見たエイはナッシュを一人置いて自室の方に戻っていった。それを告げた時のエイは悪魔のように見えたとは後のナッシュの胸に深く、それは深く刻まれたそうだ。 「やれやれ、からかい過ぎたかな」 頭をかきながら、ナッシュはエイの背中を見送った。 「オジサンは部屋に戻ってゆっくりと寝ることにしますか」 ナッシュはそうして時折くる背中の痛みを感じながら、自室に向かってゆっくりと歩き始めた。 「俺は無実だーーー」 そんな叫びが城内にこだましていた。【終】 |
≪後書≫ |