ビュッテヒュッケ城での日々にエイが慣れてきたこの頃。
今日はヒューゴが用事があるからと、夕食をとりにアンヌの酒場に足を踏み入れた。
大人の娯楽が少ないこの城の唯一の息抜きとも言える場所でもあり、夜になればいつでも人でごった返している。
エイはこの喧騒に怯むことなく、ようやく空いている席を見つけると腰を下ろした。

「いらっしゃい、今日は何にするかい?」
「そうだね、さっき軽くつまんだから今日は簡単にしようかな」
「じゃあ、トラン産のワインにカラヤ特製生春巻き、それに…」

既に何度か通っているエイはすっかりこの酒場の女主人に顔を覚えられていた。エイの方も慣れた様子でメニューからてきぱきと選んでいる。最初の頃など、ワインを頼んでしまったら「ほんとに大丈夫なの?」と何度も聞かれたものだったが、本人の押しに負けて渋々出した物の、酔っ払うこともないところを見せると安したのか、次回から何も言わず酒を出してくれる。
しばし待った後に暖かい夕食がワインと共に出され、エイは口をつけた。

(この雰囲気は何処にいっても変わらないな・・・)


酒を飲む人間の喧騒とざわめきがかつていた場所と重なっていく。人が一日の疲れを酒と共に飲み干し、そしてまた明日生きる為に溜まったものを洗い流す。そんなこの場所は時代を越え、場所を越えて、それでも万国共通なのであろう。しかも、前居た場所はどちらもここと同じ『湖の城』だった。偶然といえばそれまでであろうがその状況が昔を強烈に思い出させていた。
それは場所や雰囲気だけではない、そこに居ある人物を思い出す。

(あの馬鹿・・・一体何をしようとしている!?)

今回、彼がこの城に寄ったのは『真なる炎の紋章』を宿した『炎の英雄』なる人物に会う為。
そしてもう一つ、理由があった。それは・・・

「君が噂のエイくんかい?」


Betrunkener 



「あんた、誰?」

思考が邪魔されて明らかに不機嫌であることを伺わせる表情。しかし、それを邪魔した当の本人はそれに動じることもなく、会話を続ける。

「俺は、ナッシュ、ナッシュ・クロービス。しがないオジサンさ」

その男は口端に軽く笑みを浮かべる。緩くウェーブのかかった綺麗な金髪と緑の瞳が印象的だった。

「俺の名前を知っているという事は、自己紹介は必要ないね」

突然現れた人間に愛想良くする必要はないとばかりに、エイは視線を食事に戻すと、出来たばかりのカラヤ特製の生春巻きを一口かじった。もっとも、相手もそういう態度には慣れっこなのかたじろぎの欠片も見せることなく、『隣、いいかい?』と一声かけてエイの隣に座った。

「アンヌさん、カナカン産ワインあるかい?」
「おや、ナッシュ。とうとう女の尻を追っかけるのを止めて、今度はその少年を口説くつもりかい?」
「う〜ん、実はそうしようかと」

アンヌはそれを聞いて大声で笑いだした。そして、意外な展開に生春巻きを持ったまま固まってしまっているエイの方を見て、そして、彼にだけ聞こえるように小声でこう囁いた。

「気にすることないさ、あれは彼なりの冗談だからね」

それを聞いてエイの強張りが解けた。からかわれたことに気がついて目元を朱に染めると、口端を少しだけ上げる。ナッシュはニヤニヤしながらこちらを見ていることに気がつく。腹の辺りがむかむかしたが、敢えてそれを表に出さず、エイはナッシュに少し顔を近づけた。

「へえ、俺を口説こうって言うのかい?高いよ、俺」
「オジサン、お給料少ないんだからまけてくれよ」
「駄目」

注文の品を捌きながら、アンヌはナッシュとエイの方に視線を向ける。どうやら、最初にエイが固まったときは冗談がキツイと思っていたが、なかなかあの少年もやりとりが上手いことを感じていた。外見に似合わず、かなりの修羅場を乗り越えたような駆け引きの上手さに、これ以上手助けしなくてもいいことを感じると、また注文を捌きにワイン選びに戻った。

「どうしても駄目?」

ナッシュが外見に似合わない可愛い子ブリッコでエイの方を見る。それがあんまり可笑しくてこの冗談にもう少し付き合ってやろうと思った。既に、エイもナッシュもワインの瓶を二瓶ほど空けていた。

「しつこい男は嫌われるよ」
「そんな〜。オジサンお金は無いけど上手いよ」
「嘘付け」

冗談だらけのその会話もそろそろ飽きてきたし、そろそろ退散しようと思ったが中々ナッシュがエイを放そうとしない。酔っ払いの相手も疲れてきたところで、エイは席を立とうとしたその瞬間だった。ナッシュがエイの耳元で囁くように告げる。

「じゃあ、俺と一回試してみないかい・・・≪ソウルイーター≫の持ち主さん?」

予想外の一言に、エイは冷静さを装ったまま目の前の男をじっと見る。唇は硬く結ばれたままで・・・

「・・・いいよ、試してみるかい?」

聞き耳立てていた周囲の客からどよめきが聞こえたことも、二人は気にせずに会計を払うとその場を立ち去った。



ナッシュが先、エイが後になってビュッテヒュッケ城の外れ・・・もう閉まっているレストランの前まで歩く。湖が見えるテラスの近くにくると、ナッシュが足を止めた。

「こんな所でするのかい?」

ナッシュがくるりと振り返り、エイの方に視線を向ける。

「さて、と冗談はここまでにしようか、『トランの英雄』殿?」

ナッシュの顔が先程まで見せた腑抜けたような表情とは一変する。

「流石、ハルモニアの密偵。というべきかな?」

対するエイもナッシュに負けじと表情を一変させた。お互いが、『侮れない相手』として認めた瞬間でもあった。

「ナッシュとか言ったな・・・何処まで俺の事を知っている?」

ナッシュはその余裕とも言える表情に、紋章持ちの人間が共通して備えている特有の感覚を覚えた。紋章を継承して長い年月がたった人間は外見とは裏腹に精神面で老成している人間が多い。
それは諦観ではなく、真の紋章のもたらす不老の定めを受け入れながら、それでも自分の人生を生きるのを諦めようとしない・・・簡単に言えば『腹をくくった』人間なのである。ナッシュは、そんな人間を今まで3人程見てきた。
そして、その性質は目の前のエイにも共通していた。
そういう人間に誤魔化しは効き難い。ナッシュはやれやれと少し大げさな仕草を取ると、一つ大きく背伸びをして、エイに向き直った。

「情報の出所は内緒だ。だが、決して怪しいスジでは無いのは確かさ」

それは真実であったが、それ以上はまだ告げるわけにはいかなかった。まだ
それを告げるには時期が早いからだ。ハルモニアの方で証拠を掴もうとしている『あの方』の為にも。しかし、その配慮は無効だった。それは単純なことから明かされる。

「ナッシュ」
「何だい?」
「ササライ・・・いやササライ殿は元気かい?」


ナッシュの顔が驚きに変わるのには時間がかからなかった。

「知ってたな」
「俺も伊達に20年近く放浪していた訳ではないからな」

エイは門の紋章継承戦争以降トランを離れ、デュナン地方、無名諸国、ハルモニア等さまざまな地方を旅を続けていた。その途中、旅芸人に交じったりして色々な情報を得ていた。

「お前の方こそ、俺に何の用事がある?」
「いや、大した用事ではないんだけどね。以前ササライ様から聞いたことがあるんだ。赤い服で、棍を持った少年がトラン解放の英雄だってね。それに君はデュナン統一戦争時も陰ながら参加していただろう?だから、多分そうじゃないかな〜と思ってカマかけたんだけどね」
「やれやれ、俺はそれに見事に引っ掛かってしまったと言う訳だな」

うかつにも自分も彼の誘導に引っ掛かってしまったのだ、という失態をおかしたのに、この男には仕方が無いという印象がある。

「酔っ払いのオジサンの戯言に付き合わせてしまったな」
「ワイン2本で『酔っ払い』というのか?」

勿論ナッシュがワイン2本で酔っ払うなどという話はエイは信用していなかった。そんな言い訳など何処吹く風である。

「今回ここに来たのは偶然かい?それとも『彼』のことかい?」
「さあね、あんたの想像にお任せするよ」

『彼』という単語で挑発しているつもりなのだろうが、今は自分でも理由が判らないのだからそれに乗るつもりは無かった。しかし、『ハルモニア』の人間である彼がそれを知っているという事は『彼』が佳境に差し迫っていることを示していたのは確かであった。そして、ヒューゴに引き止められたとはいえ、こうしてここに居る理由が自分自身でも明確に掴めていなかったのだから。

「そうかい、判った。俺も君がどうしてここに居るかこれ以上詮索するつもりはない」
「そうか」

ナッシュというこの男は掴み所の無いようでいて、その実真相を的確に突いてくるのだから侮れない人物だった。
ナッシュの方もこれ以上聞いても何も出てこない人間にこれ以上詮索するのは無理だと、経験的にわかった以上、何もいう事はなかった。
これから、どうしようという時に突然、エイが意外なことを口にだした。

「ところで・・・あんまり、『オジサン』って連呼しないで欲しいね」
「何でだい?」

エイは言っていいものかどうか一瞬躊躇ったが、口を開く。

「自分のと同年代の人間が『オジサン』って何度も言っているのを見ると腹が立つ」
「はぁ?」

一瞬、ナッシュの顔が意味が判らないというように固まった。エイはそんなナッシュの顔が面白かったのかそれとも不服だったのかどちらか判らない。エイはそれを無視して言葉を紡いだ。

「俺がこいつに縛られることがなく、普通の人生を歩んでいたならば・・・俺もアンタととほぼ同じ年なんだよ」

エイが15の時、紋章を引き継いでから4年経過して戦争は終結した。そして、更にデュナン統一戦争まで3年経過し、さらに15年たった今となってはエイはナッシュとほぼ同年代になる。
ナッシュはその意味をようやく理解したと思ったその途端、全身に笑いがこみ上げてくるのが抑えられなかった。腹を抱えて笑い出す。しかし、それがエイには面白くなかったようで表情を消すと、笑い転げるナッシュの方に凄まじい殺気を向けた。

ゲイィィィン!!!

ナッシュの背中にエイの取っておきの蹴りが入る。

「エ、エイ!?一体何をするんだ!!!」

ナッシュが蹴られた背中をさする。背中にはくっきりと足型がついていた。

「このことと、紋章のことを誰かに喋ってみろ、城内中に『お前がホモの美少年好き』という噂を流してやる。そうなったら、お前が追っかけているゼクセンの騎士団長や、城内の女性たち・・・ひいてはハルモニアの連中や、月の紋章のシエラ殿はなんと思うかな?」

ナッシュは有無を言わせず頭を縦に振った。それを見たエイはナッシュを一人置いて自室の方に戻っていった。それを告げた時のエイは悪魔のように見えたとは後のナッシュの胸に深く、それは深く刻まれたそうだ。

「やれやれ、からかい過ぎたかな」

頭をかきながら、ナッシュはエイの背中を見送った。

実はナッシュはエイに会った事があったのである。それは15年も前、ビッキーのテレポートで飛ばされた先に居たあの少年であった。その当時は誰だか全く判らなかったが、後にササライの話を聞いて彼だと思い出したのである。先程までの彼は15年前に出会ったその姿と何の変わりもなく、自分だけが年をとったような奇妙な感覚に襲われていたのもまた事実で。だからこそ、いつも以上にからかってしまった訳であったが。

「オジサンは部屋に戻ってゆっくりと寝ることにしますか」

ナッシュはそうして時折くる背中の痛みを感じながら、自室に向かってゆっくりと歩き始めた。



−翌朝−

『スクープ!N氏、美少年趣味に走る!!』
先日、アンヌの酒場でN氏がE少年を酒場でくどいているのを本紙記者が発見した。
N氏は先日までC嬢を始め女性陣に言い寄ることが多かったが、あまりのふられっぷりにどうやら美少年に矛先を変えたらしい(哀れである)
城内の少年たちは貞操に注意した方が良いと考えられる。…という本誌記者も危ないかもしれない。


こんな記事が城内壁新聞のトップを飾っていた。その後、しばらく誤解が解けるまで城内の少年たちはナッシュの側に近寄らなかった上に一緒にパーティーを組むのも拒否したらしい。

「俺は無実だーーー」

そんな叫びが城内にこだましていた。

【終】

≪後書≫
Betrunkener(ベトルンケナー)[独]:酔っ払い
◆坊ちゃんとナッシュの話です。この辺りから、坊ちゃんがこの城に来たもう一つの理由が見えてきます。坊ちゃんもこのままビュッテヒュッケ城にいる上でやはり「彼」との関わりは避けて通る訳にはいかないだろうことは明白だし、うちの坊ちゃんがどんな行動に出るかは未だに予想していません。ですから、その話を書くとすれば、このシリーズの最後だと思います。
◆年齢の件は別ページでも何度か説明していますが、管理人の内部設定がこうなのであって人によっては坊の年齢はもう少し若いかもう少し年齢が上のはずです。ですので、その点についての追求は無しにしてくださいね(汗)
◆ナッシュと坊ちゃんに関してはもう少し駆け引きのある会話にしたかったのですが、作者が駄目なので中途半端な会話になってしまった(笑)この作品の坊ちゃんは今までのシリーズの坊ちゃんより性格が悪いように思われますが、多分こっちが『地』です。そうでもないと紋章持ちなんてやってられないだろうと思ってしまったので。
ちなみに外伝プレイしていないとわからないネタもありますな(汗)
◆タイトルは本当にそのまんまです(汗)
ちなみにまだまだ書きたい話は沢山あるのですが・・・時間がかかるかもしれませんがお付き合いよろしくお願いしますね。

2002/12/31 tarasuji

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