今日も長閑なエストニア城。 その入り口に一人の男が立っていた。
「あ、あのー?」 何があったのか分からないセシルが不安に思ったのか、口を開く。 「お嬢ちゃん、ここにアップルって女性はいるかい?」 男が何か言おうとする前にセシルは一目散に駆け出していってしまった。あまりの速さに驚くが、セシルの向かった入り口の方に歩みを進めていった。 (懐かしいな・・・) 男は周辺をのんびりと歩いていく。趣こそ違えどその雰囲気はかつて居た場所を彷彿させてしまう。そしてそこに居た彼女のことも・・・ 「アップルさんいますか?」 大広間でこれからのことをサロメやシーザー達と話していたアップルは、突然の来訪者に驚く事も無かった。最早、セシルがこうしてやってくることが日常茶飯事となっておりいちいち驚いても居られなかったからだ。 「あら、セシル。どうしたの?そんなに急いで」 走ってきたのだろう、息を切らしているセシルにアップルは水の入ったコップを渡すとセシルは一気に飲み干した。 「あ、アップルさんにお客様です!」 有無を言わせずアップルの腕を掴むと、引っ張っていきそうな程の勢いだった。 「あ、セシルさん・・・ちょっと待って!」 アップルの質問によって、セシルの勢いが止まる。セシルはさっきの男の顔を思い出そうとしていた。 「あ、男のひとです。金髪で、背が高くて・・・」 そこまで聞いただけでアップルの脳裏に一人の男が思い起こされた。アップルの表情に迷いが浮かぶのをシーザーは見逃さなかった。 「こっちはちょっと休憩にするから行ってきなよ」 しかし、シーザーの気遣いとは裏腹にアップルの足は動こうとはしなかった。それでも、セシルはアップルの異変にも気づかず腕を引っ張ろうとしている。それでも、アップルは一歩も動こうとしなかった。いや、進まなかったと言った方が正しいのだろう。 「その必要はないぜ」 突然大広間に現れる男の声。アップルに注がれていた周囲の視線がその男に釘付けになった。 「よう、アップル」 アップルはシーナを見つめたまま、言葉も無く黙ってしまった。
そう言うと、セシルはくるりと向きを変えて一目散に駆けていった。 「なかなかいい所だな」 慣れた手つきで手早く紅茶の葉をポットに入れ、蒸らし始める。シーナはそんなアップルの手つきをじっと見つめていた。アップルも何故か落ち着かない様子で微かに手が震えているのを気付かれないようにするのが必死だった。 「どうしたの、今はここにいるどころじゃないはずでしょ?」 先に話を切り出したのはアップルからだった。 「まあな」 現在、トラン共和国は長年大統領を務めてきたレパントが突然の引退を宣言した為、その後継者を選出する為に揉めているのである。大統領制になったとはいえ、長年善政を行ってきたレパント大統領の後継者としてその実子であるシーナを押す者と、それ以外の人間を押す者がおりトランは数派に別れ揺れていた。候補に挙げられているシーナも身の危険を感じることが多くなっていた。 「レパントおじ様とアイリーンおば様は元気かしら?」 そう言いながらもシーナの口端のは笑みが浮かんでいた。アップルもそれは同様だった。 レパント大統領とその妻アイリーン。
しかし、彼が選んだのはアップルではなくクラウスだった。 クラウスの事は嫌いでは無かった、寧ろあの人を嫌いになる人間は滅多にいないだろうと思われるぐらいの人物だったから。
アップルはは彼のプロポーズを受け入れた。 「別れてください」 そう言って簡単な置手紙を残し、アップルはシーナに別れを告げた。
声を掛けられ我に戻る。シーナはそんな彼女を見て変わっていないことを微笑ましく思った。 「で、何?」 突然の提案にアップルは戸惑いを隠せない。その時、アップルの脳裏にあることが思い浮かんだ。 「ちょっと待ってて」 そう言ったきり彼女は部屋を出て一目散に自分の部屋へと向かった。 「あった・・・」 それを握り締めると、また駆け出していった。 「お待たせ」 まだ息が切れていたが、殆ど冷めかけていた紅茶を飲み干し自分を落ち着かせる。 「実はね、この間エイさんがここに来たんです」 突然、予想もしなかった名前が彼女の口から上がる。 「あいつが来たのか!?」 二人はそれが彼らしいと笑ったが、シーナはある事を思い出し苦い顔をする。 「なあ、そん時あいつから何か受け取ったか?」 そう言ってアップルが取り出した一通の手紙に驚くシーナ。安堵と気まずさが同居したような感じが彼の中にあった。 「中・・・見たのか?」 アップルは首を数度振り返答の代わりにする。 「そっか」 こうして、手紙で他人に託したという事自体が、読んでも読まなくてもどちらでも構わないという事だと彼女は判っていてもあえてそれを口にした。 「そう・・・じゃあ、この手紙は要らないのね」 そう言って手紙を破ろうと指に少し力がこもる。しかし、それ以上指が動かなかった。指先が震えている。シーナの視線も手紙に集中していた。 少しの力加減であっという間に紙くずと化してしまうはずの手紙。 アップルはその手紙にもう一度視線を移すと、指の力を抜いた。その瞬間、シーナが軽い息を吐く。 「いいのか?」 稚拙な言い訳だとお互いに判っていたけど、それ以上何も言わなかった。 「帰るわ」 シーナが腰を上げる。アップルもそれ以上彼を引き止める事はできなかった。シーナも本当はこうしてここに来てのんびりしている身分ではない。来ること自体容易では無いのに、それでもアップルに会いにきたのは遠く離れたこの地でも十二分に判っていた。だから、彼の望む返事を返せないことに少しだけ負い目も感じていた。
「じゃあ」 シーナが別れを切り出したその瞬間だった。 「あの・・・さっきの返事、もう少し待ってくれる?」 思いがけない一言に一歩を踏み出そうとしたシーナの足が止まった。 「この、グラスランドでの戦いが終えることができたら・・・そうしたら返事をするわ」 逆光でシーナの顔が見えなかった。 「元気でな」 シーナが『これくらいはいいだろ?』と言って右手を差し出した。アップルも口元を少し綻ばせて自分の右手で彼の右手を握り返した。 「あなたも・・・お元気で」 それだけだった。それで十分だった。 一度も振り返らず歩くシーナの後姿が見えなくなるまで、アップルはその背から視線を外すことはなかった。 振り向くと、そこにはシーザーが居た。 「いいのよ」 そう言った横顔は「軍略ならともかく女心についてはあなたはまだまだ未熟よ」と暗に示しているようだった。それでも、彼なりに気を使って言ってくれているのは明白だったが。
【後書と書いて言い訳と読むもの】 基本的にはIFシリーズ【memoirs】の後日談となっています。 結局あの手紙には何が書かれていたかは未だに謎のままですが(笑) 実際はもっとドロドロしている のだろうけど、そこはご勘弁してくださいな。ちなみにシーナの浮気はアップルの誤解という事で。 絶対別れを持ち出したのは彼女のほうかな?なんて思ってます。 アップルの別れた旦那をシーナと設定して書いていますが、後日別人だったらどうしよう。でも、ヒューゴの父親も謎のままだから捏造してもいいだろう(←コラ) ちなみにシーナに居場所を知らせたのは坊ちゃんです。本当は最後に出すのは坊ちゃんだったのに何故かシーザーになってしまったよ。 P.S.作中でこっそりシュウクラになっていますが本当に男女カップリングではシナプル好きなので、機会があれば2時代の彼らも・・・ 2002/10/23 tarasuji |