今日も長閑なエストニア城。

その入り口に一人の男が立っていた。


「ここ…だよな」


 I'll miss you



このエストニア城の守備隊長であるセシルは、入り口に立つ人影に気付き近付いていく。
「あの、もしかしてお店を出しに来たんですか?」
その人影は突然声を掛けられたので少し戸惑っていた模様だったが、セシルの姿を認めると、彼女をじっと見つめる。

「あ、あのー?」

何があったのか分からないセシルが不安に思ったのか、口を開く。

「お嬢ちゃん、ここにアップルって女性はいるかい?」
「アップルさんですね!!急いで呼んできますんでちょっと待ってて下さいね」
「いいよ、こっちから・・・ってもういねぇし」

男が何か言おうとする前にセシルは一目散に駆け出していってしまった。あまりの速さに驚くが、セシルの向かった入り口の方に歩みを進めていった。

(懐かしいな・・・)

男は周辺をのんびりと歩いていく。趣こそ違えどその雰囲気はかつて居た場所を彷彿させてしまう。そしてそこに居た彼女のことも・・・
男は再び歩き始めた。

「アップルさんいますか?」

大広間でこれからのことをサロメやシーザー達と話していたアップルは、突然の来訪者に驚く事も無かった。最早、セシルがこうしてやってくることが日常茶飯事となっておりいちいち驚いても居られなかったからだ。

「あら、セシル。どうしたの?そんなに急いで」

走ってきたのだろう、息を切らしているセシルにアップルは水の入ったコップを渡すとセシルは一気に飲み干した。

「あ、アップルさんにお客様です!」
「私に?」
「はい!入り口前でで待っています、急ぎましょう!!」

 有無を言わせずアップルの腕を掴むと、引っ張っていきそうな程の勢いだった。

「あ、セシルさん・・・ちょっと待って!」
「え?」
「それって、どんな人なの?」

アップルの質問によって、セシルの勢いが止まる。セシルはさっきの男の顔を思い出そうとしていた。

「あ、男のひとです。金髪で、背が高くて・・・」

そこまで聞いただけでアップルの脳裏に一人の男が思い起こされた。アップルの表情に迷いが浮かぶのをシーザーは見逃さなかった。

「こっちはちょっと休憩にするから行ってきなよ」

 しかし、シーザーの気遣いとは裏腹にアップルの足は動こうとはしなかった。それでも、セシルはアップルの異変にも気づかず腕を引っ張ろうとしている。それでも、アップルは一歩も動こうとしなかった。いや、進まなかったと言った方が正しいのだろう。

「その必要はないぜ」

突然大広間に現れる男の声。アップルに注がれていた周囲の視線がその男に釘付けになった。

「よう、アップル」
「シーナ!?」

アップルはシーナを見つめたまま、言葉も無く黙ってしまった。




「どうぞ、ごゆっくりして行ってくださいねってトーマス様が言ってました!」
「ありがと、セシルさん」
「いいえ!それも立派な仕事ですから!!」

 そう言うと、セシルはくるりと向きを変えて一目散に駆けていった。
 事情をある程度察しているシーザーの計らいで、応接室にシーナを招き入れるアップル。その間もシーナは一言も喋らなかった。
椅子に座るようにアップルが進めるとようやくシーナが腰を落ち着かせる。

「なかなかいい所だな」
「ええ、紅茶でいいわね」
「ああ」

 慣れた手つきで手早く紅茶の葉をポットに入れ、蒸らし始める。シーナはそんなアップルの手つきをじっと見つめていた。アップルも何故か落ち着かない様子で微かに手が震えているのを気付かれないようにするのが必死だった。
 蒸らした紅茶の葉の匂いが鼻腔に充満し、お湯を注ぐ音だけが沈黙に包まれた空気を震わせていた。

「どうしたの、今はここにいるどころじゃないはずでしょ?」

先に話を切り出したのはアップルからだった。

「まあな」

 現在、トラン共和国は長年大統領を務めてきたレパントが突然の引退を宣言した為、その後継者を選出する為に揉めているのである。大統領制になったとはいえ、長年善政を行ってきたレパント大統領の後継者としてその実子であるシーナを押す者と、それ以外の人間を押す者がおりトランは数派に別れ揺れていた。候補に挙げられているシーナも身の危険を感じることが多くなっていた。
 勿論、本人は大統領職を継ぐ気などさらさら無かった。そんなことをすれば、折角十五年前の戦いで築き上げたトランの制度が水泡に帰してしまうことは明白であり、それでは現在は英雄の名で語られているあの少年の全てが無かったかのようにされるのは本意ではなかったからだ。
 それはレパントもシーナも十二分に理解していた。だから、レパントもシーナに継がせるとは一言も言わなかったし、シーナも継ぐとは言っていなかった。
 そんな時期にこのグラスランドに来ることがどういう意味をもっているのか二人とも重々承知していた。十五年前と違って二人は『大人』になっていたのだから。

「レパントおじ様とアイリーンおば様は元気かしら?」
「ああ、あのクソ親父はピンピンしているぜ。今度おふくろと二人でのシブガキ国の方まで旅行に行くって言ってるぜ」
「ふふ、お元気そうでよかったわ」
「相変わらず、仲睦まじいのね」
「なんていうのやら」

 そう言いながらもシーナの口端のは笑みが浮かんでいた。アップルもそれは同様だった。

レパント大統領とその妻アイリーン。
一時期とは言え、父と母と呼んだ二人の元気そうな姿が脳裏に浮かぶ。あの二人のような夫婦になれたらと憧れていた時期もあった。だけど、それは叶わなかった・・・。


 15年前、デュナン統一戦争と後に呼ばれたあの戦いが終わった後、アップルが以前留学していた師を頼りにハルモニアに再留学することを決意した。一つは、マッシュ先生の伝記を作成するための記録の大半をハルモニアに置いてきた為。そして、今回の戦いで自分の軍師としての未熟さを実感させられた為。
 それから、アップルが離れたもう一つの理由。
 シュウとクラウスの関係に自分が入る隙間がなくなっていたこと。アップルはシュウのことを兄として以上に慕っていた。だから、いつかはずっと一緒にいられるかと甘い期待を抱いていたこともあった。

しかし、彼が選んだのはアップルではなくクラウスだった。

 クラウスの事は嫌いでは無かった、寧ろあの人を嫌いになる人間は滅多にいないだろうと思われるぐらいの人物だったから。
 容姿も、軍師としての才能も、人柄もシュウの隣にいるにあたって相応しいとアップル自身も思っていたから。それでも、諦めきれなくて・・・そんなアップルの迷いを晴らしてくれたのは目の前にいるシーナだった。ぶつかってこいよ、と応援してくれてシュウに返事を貰ったとき、落ち込んでいるのを慰めてくれたのはシーナだった。それから、ハルモニアに向かうときも押しかけのように付いて来た。何度つれなくしても彼は諦めずに、アップルのことを心配してくれた。


あれは、マッシュの伝記がとうとう完成した頃だったろうか。

アップルはは彼のプロポーズを受け入れた。
その頃の私アップルには彼の存在が余りに大きくなっていた。
最初は幸せだった。
彼女は夫を愛していた。
しかし、シーナは事があれば女性に声をかける。
それが不安の始まりだった。
ある日、私用で出かけていたアップルが帰ってきた時見たものは、シーナが他の女性と抱き合って
いる姿だった。その瞬間、アップルの中で何かが弾けた。

「別れてください」

 そう言って簡単な置手紙を残し、アップルはシーナに別れを告げた。
そして、ハルモニアの恩師のツテでシルバーバーグ家の住み込みの家庭教師として職を手に入れ、今こうしてここにいる。
 彼のことを信じていない訳ではなかった。女性好きだが、アップルの前ではそういう素振りは一切しなくなっていたからだ。別れたのは、自分の中にある彼への独占欲が抑えきれなくなったこと。彼・・・いや自分自身が醜い嫉妬の鬼となってしまうのを良しとしなかったからだ。


「アップル?」
「あ、ごめんなさい」

声を掛けられ我に戻る。シーナはそんな彼女を見て変わっていないことを微笑ましく思った。

「で、何?」
「何って、ヨリ戻さねぇ?」
「え・・・?」

突然の提案にアップルは戸惑いを隠せない。その時、アップルの脳裏にあることが思い浮かんだ。

「ちょっと待ってて」

そう言ったきり彼女は部屋を出て一目散に自分の部屋へと向かった。
ドアを閉めることもせず、脳裏から記憶を引っ張り出す。散らかることなどお構いなしで、必死に探していた。

「あった・・・」

それを握り締めると、また駆け出していった。

「お待たせ」

 まだ息が切れていたが、殆ど冷めかけていた紅茶を飲み干し自分を落ち着かせる。
 シーナは何事かと思っていたが口には出さなかった。アップルは一呼吸おくと、口を開いた。

「実はね、この間エイさんがここに来たんです」
「え?」

突然、予想もしなかった名前が彼女の口から上がる。

「あいつが来たのか!?」
「ええ、ふらっと寄ってまた何処かに行ってしまったけどね」

 二人はそれが彼らしいと笑ったが、シーナはある事を思い出し苦い顔をする。

「なあ、そん時あいつから何か受け取ったか?」
「それって、これの事かしら?」

 そう言ってアップルが取り出した一通の手紙に驚くシーナ。安堵と気まずさが同居したような感じが彼の中にあった。

「中・・・見たのか?」

アップルは首を数度振り返答の代わりにする。

「そっか」
「何で読まないのか聞かないの?」

 こうして、手紙で他人に託したという事自体が、読んでも読まなくてもどちらでも構わないという事だと彼女は判っていてもあえてそれを口にした。
「いや、こうして会えたから・・・いい」

「そう・・・じゃあ、この手紙は要らないのね」

 そう言って手紙を破ろうと指に少し力がこもる。しかし、それ以上指が動かなかった。指先が震えている。シーナの視線も手紙に集中していた。

少しの力加減であっという間に紙くずと化してしまうはずの手紙。

アップルはその手紙にもう一度視線を移すと、指の力を抜いた。その瞬間、シーナが軽い息を吐く。

「いいのか?」
「ここに、ゴミ箱が無かったの」

稚拙な言い訳だとお互いに判っていたけど、それ以上何も言わなかった。

いや、言えなかったのだ。

「帰るわ」
「え?」

 シーナが腰を上げる。アップルもそれ以上彼を引き止める事はできなかった。シーナも本当はこうしてここに来てのんびりしている身分ではない。来ること自体容易では無いのに、それでもアップルに会いにきたのは遠く離れたこの地でも十二分に判っていた。だから、彼の望む返事を返せないことに少しだけ負い目も感じていた。
 折角来てくれたのだから入り口まで送ることにした。それ位はしてもいいと思ったから。
 こうして隣に並んで歩いていると15年前を思い出す。それはあの場所と何処か似ているこの城の雰囲気のせいに違いないと自分を納得させようとしていた。
 このままずっと一緒に歩いていたいと何度思っただろうか。しかし、別れを切り出した自分にもうそんな資格は無かった。


無常にも歩みは進み、入り口に着いてしまった。

「じゃあ」

シーナが別れを切り出したその瞬間だった。

「あの・・・さっきの返事、もう少し待ってくれる?」
「え?」

思いがけない一言に一歩を踏み出そうとしたシーナの足が止まった。

「この、グラスランドでの戦いが終えることができたら・・・そうしたら返事をするわ」
「そうか」

逆光でシーナの顔が見えなかった。

「元気でな」

シーナが『これくらいはいいだろ?』と言って右手を差し出した。アップルも口元を少し綻ばせて自分の右手で彼の右手を握り返した。

「あなたも・・・お元気で」

それだけだった。それで十分だった。

一度も振り返らず歩くシーナの後姿が見えなくなるまで、アップルはその背から視線を外すことはなかった。

「いいのかい、追っかけなくて」

振り向くと、そこにはシーザーが居た。

「いいのよ」

 そう言った横顔は「軍略ならともかく女心についてはあなたはまだまだ未熟よ」と暗に示しているようだった。それでも、彼なりに気を使って言ってくれているのは明白だったが。
 シーザーもそれを察したのか、一つ大きな欠伸をすると向こうに歩いていった。



この戦いが終わり、無事生き延びることが出来たら今度は自分の心ともう一度向き合わなければならない。例え、アップル自身がどんな選択をしようとそれはしなければならないことなのだから。そして己のの心に少しだけ正直になろうと思う。


彼女は、一つ大きく息を吸うと溜まっていた仕事を片付けにまた自室へと向かっていった。


右手には、あの手紙がしっかりと握られたままに。



【後書と書いて言い訳と読むもの】
基本的にはIFシリーズ【memoirs】の後日談となっています。
結局あの手紙には何が書かれていたかは未だに謎のままですが(笑) 実際はもっとドロドロしている
のだろうけど、そこはご勘弁してくださいな。ちなみにシーナの浮気はアップルの誤解という事で。
絶対別れを持ち出したのは彼女のほうかな?なんて思ってます。
アップルの別れた旦那をシーナと設定して書いていますが、後日別人だったらどうしよう。でも、ヒューゴの父親も謎のままだから捏造してもいいだろう(←コラ)
ちなみにシーナに居場所を知らせたのは坊ちゃんです。本当は最後に出すのは坊ちゃんだったのに何故かシーザーになってしまったよ。

P.S.作中でこっそりシュウクラになっていますが本当に男女カップリングではシナプル好きなので、機会があれば2時代の彼らも・・・

2002/10/23 tarasuji

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