夜に願う




 多少なりとも光のあった場所から突然、明かりひとつすらない闇へと変わる。その場所へ誰かに連れてこられたのか自分から踏み込んだのかすらすでに分からなくなっていた。どちらにしろ、その闇の中に留まっている訳にもいかず、とりあえず歩き始める。
 しかし、歩けども歩けども光はいっこうに見えず。そうしているうちに体の方から疲労を訴え始める。休んでは進み、休んでは進み。そこからは、俺自身から繰り出される音以外の音すら聞こえない。体が悲鳴をあげ、その次に心が悲鳴を上げてもおかしくない。そんな状況の中でを歩き続けながらふと、これはある意味拷問に近いな、と思った。他人事のように。目的地も、そこに向かう理由も無くただ、前も後ろも見えない場所を歩き続け、自分が歩いている場所が本当に正しい道なのかすらも分からない。疑心は暗鬼を呼び寄せ、いずれは妄執に囚われ自我の崩壊にたどり着くしかない。それは悪趣味としか呼べない代物だった。
 どんなに声を上げても人の気配はもとより生きものの気配は自分ひとりしかない。何所かに誰かがいるはずだ、何処かに光はあるはずと思いながらも、体の疲労に相乗した精神の疲労が増していくばかり。果てには、自身の存在すら疑い、そのまま朽ちていくためだけに歩き続けていく。それはまさしく幽鬼のようでもあり、俺は俺のままなのか、それとも幽鬼の成れの果てなのか。そんなことすら闇に隠されて、見えない。そうして気づくのだ、俺など、自身が存在を疑いさえすれば簡単に崩壊できるのだ。
 その瞬間、ゆっくりと俺が消えていくことに気がついた。体だけではなく、魂の奥底にあった大切な記憶が一つずつ喰われていく。その代わりにゆっくりと何かに侵食されていく。じわじわと、じわじわと。



「うわぁ!!」

 自分の発した声に驚いて目を覚ます。

 目を覚ますと、色彩が視界いっぱいに飛び込んできた。
 その情報に思考が追いつかなくなっている。一呼吸置いて、それから感覚が現実に追いついてきて俺はここがどこなのかを思い出せた。

 
 ああ、夢か。

 
 腕に触れれば、しっとりと汗ばんでいたのに気がつく。それだけ先程の夢が、質感を増して纏わりついていたのだろう。

 
 しかし、闇に落ちる夢とは……。

 
 皮肉すぎるにも程がある。自分の境遇を振り返る。そうしながら、自嘲めいた笑いを浮かべるしかなかった。親友であった筈の友を憎み、愛していたはずの女を傷つけ、竜騎士としての己の誇りすら地に落とした今の俺の状況を的確に表している。戻る場所も無く、かと言って何処へ行けばいいか分からずただ彷徨うばかりの俺。夢は深層心理の表れとも何かで聞いたことがあったが、いくら夢とは言え現実を見せられているかのようで良い心地はしない。

「どうした、カイン?」

 頭の上から声が降ってくる。名を呼ばれたのだ。
 その声に、俺は一人ではなかったこと、隣に居た男のことを思い出した。なんでもない、夢を見ただけだと答えれば隣にいる男はそうか、と淡々とした声色とは裏腹にカインの頭を撫でる。髪の毛に触れるその手が、遠い昔、どこかで覚えている郷愁を呼び覚ます。それと同時に子供扱いされているかのようで気恥ずかしい。よせ、とその手を振り解こうとするものの髪に触れるその手はどかされようとしない。むしろ、髪を梳くようにゆるやかに蠢いた。
「どういうつもりだ?」
「いや、なんとなくな」
「子供扱いはやめてくれ……」
 手を退けようとカインが抵抗すれば、クックッと噛み殺したかのような抑えた笑いに、相手がこの状況を楽しんでいるのが嫌でも伝わってくる。
「何がおかしい」
 面白いからだ、と頭以外の場所に手が触れていく。その手が妙にくすぐったくて、何とか止めさせようとするが上手くいかない。ほんの戯れにもならないこの程度の行為に目くじらを立てることの方が狭小だと感じて、一つ小さなため息をつく。
「夢でうなされる人間を見るのは初めてだからな」
「俺がうなされていたのがそんなに楽しいか、ゴルベーザ」

 ゴルベーザと名を呼び捨てにされたにも係わらず、男はそれを不快に思うこともない。主君と臣下であるという立場にも関わらず、礼儀やそういうものを男は必要としていなかったからだ。
 いっそ、逆に全てをゴルベーザの意のままにした方が扱いやすいのではないかと思ったことも何度もあった。だが、彼はカインに対してそのようには扱わなかった。ただ、時々夜伽として側にいるように命じられるだけであった。体の関係をではなく、彼の話を求める男に対して俺は時々こうして側にいるようになった。今宵もそうしているうちに眠ってしまっていたのだろう。
 ふと、男が俺の方をじっと見ているのに気がつく。
「な、何ですか」
 どんな夢を見たか、と問いかけてきたので俺は先程の夢を説明する。別に隠すことではないと判断したからだ。男はそれを聞くと、先程の俺と同じようにどこか自嘲めいた表情を見せて、クックッと喉を鳴らして笑う。
 何がおかしい、と問えば隣の男は今更と聞くのかとでも言いたげににこう答えた。



「そのような夢、私はずっと見ているよ」



 俺はその言葉の意味を問おうとしたが、ゴルベーザはそれだけを言うともう寝ろとばかりに突然、スリプルをかけてきた。強制的な睡魔が全身を多い、その誘惑に抗えなく体から意識が落ちていく。眠りに落ちる直前に男は何かを言っていたようだが、音として拾っていても意識に残っていない。多分、覚えていてもいなくてもたいしたことは無い言葉だったのかもしれないのだろう。
 ずっと、というのがいつからなのかは分からない。ただ、一度見ただけでも狂気すら呼び起こすあの夢をずっとというのなら、男にとってこの世界とはどのようなものなのだろうか。俺にはわからない、俺はあの男ではないから俺には、わからない。けれど思うのだ。もしも僅かでも男のために願うことが、祈ることが許されるのなら。
 

 

 いつか、彼があの夢から解放されますように。




08/05/27 tarasuji



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