耳の正月、目の正月
「九ちゃん、帰るぞ」 皆守に声を掛けられて玄関を出る。いつもならそれからまっすぐ寮に帰るのが日常だが、最近の葉佩は常にこの一言が付け加える。 「コウ、先に帰っててくれ」 アロマを吹かしながらそういう皆守は、酔狂な奴だという態度を隠すことなく向ける。対する葉佩もそんな皆守の態度にもう慣れたと言う感じで。足取りも軽く向かう葉佩の後姿を見ながら、皆守はもう一度アロマを吸うと、その背中に向かって呟いた。 「九ちゃんはしつこいからなあ、ま、俺には関係ないが」 皆守がそんなことを言っているとは露とも知らず。葉佩が向かった先は寮とは正反対。学校の北側にある場所だった。 「こんにちはー、千貫さん居ますかー?」
「ねえ、千貫さん」 図々しい話であるが、どうしても今の≪坊ちゃま≫と、千貫の語る≪坊ちゃま≫とのイメージの間に余りにも差異がありすぎるのだ。それを埋めるものとして写真でも見ればそれが少しでも埋まるのではないかと葉佩の中でそう結論がついたのである。 「それはまた・・・」 千貫は少し何かを考えながら、グラスを磨いている。葉佩は自分でも阿呆なことを聞いたなあということは流石に自覚してるらしく、諦めることにしたその矢先。 「よろしいですよ」 席を立ち上がり、千貫の両手を自分の両手で強く握り締める葉佩に店内の視線が集中したのは言うまでも無い。
約束どおり、阿門邸に現れた葉佩に千貫はいつもと同じ柔和な微笑を湛えながら迎え入れる。昨日まで千貫と必死に磨き上げた屋敷は静謐な空気を持って葉佩を迎える。そこには恐らく千貫が焼いているであろう菓子の匂いが漂っている。後で出されるのだろうと思うと楽しみである。 「九龍さん、こちらへどうぞ」 応接間に通されると、テーブルの上には数冊のアルバムが積まれている。これが全部≪坊ちゃま≫の成長記録だとすれば見ごたえがあるだろう。葉佩はソファに腰掛けてアルバムを一冊手に取った。千貫は、そんな葉佩を見てさり気無く微笑を漂わせると、お茶を淹れる為にキッチンへと向かっていった。
葉佩と千貫が仲良く話をしていたことなど露知らず、阿門邸の主、阿門帝等が戻ってきた。応接間に明かりが点いているのを見て、客人が来ているのかと答えると千貫はそうですと答える。誰が来ているのか聞こうとしたが、その瞬間鍋がこぼれそうになったので千貫がキッチンに向かう。阿門は多分両親の客であろうから、挨拶でもしておかねばならぬ、と家長らしい律儀さで応接間に向かえばそこには予想外の客がいた。 「葉佩・・・」 阿門の言葉など、葉佩には聞こえない程に集中している。葉佩が手にしているものは何処か見覚えがあったが、それよりも何よりも予想外の客に驚くしかない。阿門がそれでも何とか葉佩の名前を呼ぶと、ようやく葉佩が阿門を振り向いた。 「よぉ」 葉佩は笑いながら、アルバムを閉じる。そして、阿門は葉佩が手にしているものが何なのかを思い出し眉間に皺を寄せる。 「俺は今日、千貫さんに呼ばれて来たんだ、客なんだぞ」 どれも過去に実施したことがあるだけに、葉佩はぐぅの音も出ない。それでも葉佩には何かあるらしくニヤニヤと笑って手に持っていたものを阿門の目の前にてバン! と広げた。
それを見た瞬間、阿門は敏捷99の葉佩よりも素早く、葉佩の手から持っていたアルバムをひったくると葉佩の届かないところにしまう。葉佩は残念そうにしていたが他のアルバムを物色しようとしていたところも全て取り上げる。 「葉佩、今見たものは全部忘れろ」 可愛いもへったくれもない。あんなもの他人の目に触れようなら身の破滅だと阿門は思う。葉佩はそれでなくても色々な意味で≪要注意≫な男なのだから。多分同い年だろうというのに、頬を膨らませて真剣に見るその素顔に、どう扱っていいのかと困惑する。 「帰れ」 結局、葉佩は千貫の夕食を御代わりまでした挙句、風呂まで入って阿門邸を出て行った。阿門の部屋に泊まりたいという希望は、流石に却下されたものの葉佩は阿門に固く口止めされて寮へと戻っていった。阿門は葉佩が居る間血管が浮き出っぱなしであったとか。流石に阿門も千貫を咎めることは出来ないのであった。
「やっぱ、この幼稚園の時の阿門って可愛いなあ」 流石、≪宝探し屋≫。
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