耳の正月、目の正月



 葉佩九龍の最近の日常は、昼は学校に通い夜は遺跡探索である。その日常に、最近もう一つ新たな寄り道の場所が付け加えられている。

「九ちゃん、帰るぞ」

 皆守に声を掛けられて玄関を出る。いつもならそれからまっすぐ寮に帰るのが日常だが、最近の葉佩は常にこの一言が付け加える。

「コウ、先に帰っててくれ」
「また、【あそこ】に寄るのか?」
「ああ」
「物好きなこった」

 アロマを吹かしながらそういう皆守は、酔狂な奴だという態度を隠すことなく向ける。対する葉佩もそんな皆守の態度にもう慣れたと言う感じで。足取りも軽く向かう葉佩の後姿を見ながら、皆守はもう一度アロマを吸うと、その背中に向かって呟いた。

「九ちゃんはしつこいからなあ、ま、俺には関係ないが」

 皆守がそんなことを言っているとは露とも知らず。葉佩が向かった先は寮とは正反対。学校の北側にある場所だった。

「こんにちはー、千貫さん居ますかー?」
「おや、これは九龍さん。ようこそ」




 葉佩が向かった場所は、天香學園の中で唯一の個人宅。阿門帝等の屋敷である。とあることから葉佩は千貫厳十郎が執事として使えている阿門邸にここ最近、学校帰りに通うようになった。最初夜会の時は、その広さに驚いたものだが、この数日通ううちに阿門邸の見取り図を書ける程度には把握出来ているのではないかと思われる。
 勿論、葉佩の狙いは阿門邸のマッピングをする訳ではなく。本来の目的は別にあった。先日、千貫から屋敷の掃除を頼まれて以来、阿門邸に通うようになっていたが先日ようやく手伝いも終わったのである。しかし、葉佩が阿門邸に通ってくるは相変わらずである。その目的は別のところにあった。
 千貫は、夜は阿門家の執事をしつつ、バー≪九龍≫のマスターも勤めている。葉佩は學園の中にあるそのバーの常連と化し、千貫が手すきの時に出されるミルクを飲みながら、千貫が語る坊ちゃま話を聞くのが最近の楽しみの一つでもある。暑い夏の日に産まれた日の出来事から始まって、病弱な時代の坊ちゃま、子供の頃の話など様々に熱弁を振るう千貫さんを見ると微笑ましく思う葉佩である。そして、話を聞いているうちに葉佩はある希望を千貫に告げてみたのである。

「ねえ、千貫さん」
「はい、九龍さん」
「千貫さんの坊ちゃまの子供時代の写真が見てみたいなあ」

 図々しい話であるが、どうしても今の≪坊ちゃま≫と、千貫の語る≪坊ちゃま≫とのイメージの間に余りにも差異がありすぎるのだ。それを埋めるものとして写真でも見ればそれが少しでも埋まるのではないかと葉佩の中でそう結論がついたのである。

「それはまた・・・」
「変なこと言ってすいません、駄目ですよね」

 千貫は少し何かを考えながら、グラスを磨いている。葉佩は自分でも阿呆なことを聞いたなあということは流石に自覚してるらしく、諦めることにしたその矢先。

「よろしいですよ」
「え!?」
「明日にでもおいで下さい。それまでに用意しておきますから」
「いいの! うわー、ありがとう!!」

 席を立ち上がり、千貫の両手を自分の両手で強く握り締める葉佩に店内の視線が集中したのは言うまでも無い。




 話は、最初に戻る。

 約束どおり、阿門邸に現れた葉佩に千貫はいつもと同じ柔和な微笑を湛えながら迎え入れる。昨日まで千貫と必死に磨き上げた屋敷は静謐な空気を持って葉佩を迎える。そこには恐らく千貫が焼いているであろう菓子の匂いが漂っている。後で出されるのだろうと思うと楽しみである。

「九龍さん、こちらへどうぞ」

 応接間に通されると、テーブルの上には数冊のアルバムが積まれている。これが全部≪坊ちゃま≫の成長記録だとすれば見ごたえがあるだろう。葉佩はソファに腰掛けてアルバムを一冊手に取った。千貫は、そんな葉佩を見てさり気無く微笑を漂わせると、お茶を淹れる為にキッチンへと向かっていった。
 普段は飲まないようなフレーバーの紅茶を飲み、千貫手作りのスコーンを頬張りながら千貫の話を聞きながらアルバムを見ていく。その中にはバーで聞いた時以上に沢山の≪坊ちゃま≫にまつわる色々なエピソードを聞きながら時におかしく、時に感心しながら話は進んでいく。
 楽しい話というものは時を加速させる効果がある。日が暮れる前に阿門邸に来た筈の葉佩だったが外を見ればすっかり夕日も落ち辺りは闇が覆ってくる。千貫はまだ話し足りないようであるが、時間も時間なので夕食を御馳走しましょうと誘いを受け葉佩はそれを快諾する。千貫は少し時間がかかりますがゆっくりお待ち下さいと言われ葉佩はアルバムを見直していた。




「厳十郎、只今戻ったぞ」
「お帰りなさい、坊ちゃま」

 葉佩と千貫が仲良く話をしていたことなど露知らず、阿門邸の主、阿門帝等が戻ってきた。応接間に明かりが点いているのを見て、客人が来ているのかと答えると千貫はそうですと答える。誰が来ているのか聞こうとしたが、その瞬間鍋がこぼれそうになったので千貫がキッチンに向かう。阿門は多分両親の客であろうから、挨拶でもしておかねばならぬ、と家長らしい律儀さで応接間に向かえばそこには予想外の客がいた。

「葉佩・・・」

 阿門の言葉など、葉佩には聞こえない程に集中している。葉佩が手にしているものは何処か見覚えがあったが、それよりも何よりも予想外の客に驚くしかない。阿門がそれでも何とか葉佩の名前を呼ぶと、ようやく葉佩が阿門を振り向いた。

「よぉ」
「何故貴様がここに居る、そして何を見ている?」
「質問は一つずつにして欲しいな」

 葉佩は笑いながら、アルバムを閉じる。そして、阿門は葉佩が手にしているものが何なのかを思い出し眉間に皺を寄せる。

「俺は今日、千貫さんに呼ばれて来たんだ、客なんだぞ」
「人んちに来て、見取り図を作ったり、人の部屋に潜り込もうとした経歴のある男を客とは呼ぶつもりはない」

 どれも過去に実施したことがあるだけに、葉佩はぐぅの音も出ない。それでも葉佩には何かあるらしくニヤニヤと笑って手に持っていたものを阿門の目の前にてバン! と広げた。


「なあ、この中からどれか一枚欲しいなあ、≪会長≫?」

 それを見た瞬間、阿門は敏捷99の葉佩よりも素早く、葉佩の手から持っていたアルバムをひったくると葉佩の届かないところにしまう。葉佩は残念そうにしていたが他のアルバムを物色しようとしていたところも全て取り上げる。

「葉佩、今見たものは全部忘れろ」
「えー可愛いのにー」

 可愛いもへったくれもない。あんなもの他人の目に触れようなら身の破滅だと阿門は思う。葉佩はそれでなくても色々な意味で≪要注意≫な男なのだから。多分同い年だろうというのに、頬を膨らませて真剣に見るその素顔に、どう扱っていいのかと困惑する。

「帰れ」
「やだー、千貫さんの御飯食べて帰るー」

 結局、葉佩は千貫の夕食を御代わりまでした挙句、風呂まで入って阿門邸を出て行った。阿門の部屋に泊まりたいという希望は、流石に却下されたものの葉佩は阿門に固く口止めされて寮へと戻っていった。阿門は葉佩が居る間血管が浮き出っぱなしであったとか。流石に阿門も千貫を咎めることは出来ないのであった。





 しかし、阿門も千貫も知らない。
 葉佩のポケットにはアルバムの中から抜き取った一枚の写真があったことを。

「やっぱ、この幼稚園の時の阿門って可愛いなあ」

 流石、≪宝探し屋≫。
 転んでも只でも起きない男であった。




04/11/07 tarasuji
千貫は絶対アルバムとかビデオとか成長記録を取っていたと思う。