Cendrillon

 
 
 
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「今、戻った」

 厳十郎が何よりも安堵の表情を乗せる。二度と見ることなどないと思っていたものに、再び会えることが出来たことがこんなにも喜ばしいと以前の俺なら思わなかっただろう。

「九龍さんは、どうなりましたか?」
「心配する必要は無い」
「では・・・」

 一瞬だけ、表情を曇らせた千貫に向かって阿門がその次の言葉を続けた。

「≪転校生≫は、いや葉佩は今頃寮の自室で眠っている」
「さようでございましたか」

 厳十郎は、何が起こったか尋ねない。ただ、坊ちゃまは夢の続きを見られたようですね、と一言告げるとこれから食事の準備をしますと食堂の方へ向かった。そういえば、腹が減ったことにようやく気がついて一旦、自室に戻る。

 いつも腰掛けている椅子に座り、先ほどの出来事を思い出す。
 長きに渡り、この學園の地下に封じられた≪秘宝≫は解放され長きに眠る≪墓守≫たちは解放された。たった一人の≪転校生≫によって。正しくは、≪転校生≫と言う名の≪宝探し屋≫によってだった。
 最初は、単なる転校生に過ぎなかった。
 禁じられた≪墓≫に入り、永久の眠りを妨げる異物に過ぎなかった。興味本位で≪墓≫を荒らす者など直ぐに自滅するだろうと予測していた。高みから見下ろす存在だった。しかし、≪執行委員≫を、≪生徒会役員≫を、倒しあまつさえ≪黒き砂≫から解放し遺跡の奥に進んでいく。
 そして、その姿に興味を覚えた。見た目は通常の天香學園の学生と何ら変わりないというのだが、≪生徒会≫の≪会長≫としての忠告など何処吹く風で右から左に流していた。その何処までも前を見ている瞳。清濁併せ持つ、通常とはかけ離れたその雰囲気に時に圧倒されそに感じていたこともあった。
 ふと、先ほどの厳十郎の言葉が思い出される。夢の続き・・・そうか、以前そのような話を厳十郎にした覚えがあった。自分が何者で、これから何処にいくのかという夢を。あの夢ではその答えは出なかった。しかし≪転校生≫いや、葉佩九龍という存在がもたらした新しい何かは、その夢の続きに近いものではないかと我ながら都合のよいことを考える。何者かは、分からない。けれどもこれから何処に向かおうか、その答えがおぼろげながら浮かんだような気がするのだ。
 

 ほんの僅かの肌寒さに目を開けると外には既に日が差し始めていた。ふと、一瞬の気の緩みを睡魔が襲っていたのだろうと思い、再び瞼を閉じようとしたその瞬間、風と共に声が聞こえた。

「よ、阿門」
「・・・葉佩」

 薄明かりを背に姿を現したのは、≪転校生≫いや、≪葉佩九龍≫だった。

「流石≪宝探し屋≫と言うべきか?」
「お褒めに預かり恐悦至極」

 その多少ふざけた物言いも、仕草も普段から知っている葉佩に相違ない。昨日はお互い本気同士で戦った間柄だと言うのに、何もかも無かったようなその表情に躊躇いすら覚える。それでも、昨日のことは夢でも幻でもなく、現実として実際に起こったものである。葉佩は流石に体のあちこちが痛むと言っていたが、その姿はそうとは取れなかった。

「用件は何だ?」
「うーん、夜は過ぎたから『夜這い』も無いしな」
「痴れたことを」

 本当は、もう少し早く来る予定だったんだけどなーとか言いつつ葉佩は何かを言いたそうにして、唇を噛み締める。そして何かを決めたらしく、口を開いた。続いた言葉は、予想にありながら予想したくなかったものだった。


「俺、明日で転校するから」

 葉佩曰く、≪協会≫から連絡が届いたらしい。この學園の≪秘宝≫は回収されたのだ、と。だからこれ以上この學園に居る必要は無い為、撤収しろとのことだった。だから、これから葉佩は転校届けを出して學園を去ると言うのだった。

「何か、新人なんだけど色んなところから依頼が指名で入ったらしくて急げってことでさ」

 何か以外なところで有名人になってしまったらしいと、陽気な声で笑う葉佩の姿に動揺を抑えるだけで精一杯である。ようやく、自分の≪宿敵≫とも呼べる存在が現れたのだ。それに葉佩には大きな借りもできた。それを返す余裕もなく、葉佩は目の前から去っていこうとするのだ。突然目の前に現れたあの日のように、突然目の前から去っていく。

「何故、俺に言いにきた」
「・・・・・・」
「皆守には言ったのか」
「いや、言ってない。コウはまだ、知らない」

 葉佩の行動も、意図も読めない。
 何故、皆守よりも先に自分にそれを告げに来たのか。それもこんな朝早くに。



「阿門」
「何だ」
「俺がこの學園に来なかったら、お前はずっとあの墓に囚われていたと思うか?」

 それは愚問だ。
 確かに、葉佩が来なければこの學園は今もずっと≪墓≫を守ったまま、≪墓守≫として使命を果たすだけに存在していたのだろう。いつかくる破綻を待ちながら。葉佩の存在はその破綻を早めたが同時に解放を示したにすぎない。阿門という血の人間は一生墓守として生きていくべきであり、それが自分にもたらされた【力】の源でもあった。しかし、阿門の【力】は遺伝子を書き換えることも可能であれば、それを使うことで何かが変わる可能性もあった。

「俺がずっと囚われたままでも、お前には関係ない話だ」
「関係ない・・・お前はそう言うのか」

 葉佩の語句が荒くなる。それは、あの遺跡の時にも見られた。関係ない、関わるなと言っても何処までも俺に向かってきたその姿が今と重なる。

「俺、前に言ったよな。あんたのことが好きだ、って」
「お前の『好き』はあてにならん。誰にでも同じようなことを言っていただろう」
「それを言われると痛いな」

 葉佩は一人ではない。皆守や白岐を始めとして、葉佩には彼の人柄に惹かれ集まってきた人間が沢山居た。そいつらは、葉佩を大事にし葉佩もまた大事にしているのを知っていた。だからこそ、葉佩が自分自身に関わる理由など見つからなかった。
 けれど葉佩はいつも浮かべる微笑をやめて、敵として向かい合ったあの頃のような眼差しのまま俺を見る。視線を絡め、距離を縮めようとして。

「けど、俺は阿門のことが何よりも好きだよ。だから、今ここに居る」
「俺はお前の思い出にも、一時の感傷にも付き合うつもりはない」
「アンタらしい」

 葉佩は、ちぇ、と軽く舌打ちする。
 思い出として綺麗になって、仕舞われて消えていくよりならば互いを≪好敵手≫として認め合う関係がいい。≪宿敵≫と書いて≪とも≫と呼ぶ。馴れ合いよりも敵対を、慰めよりも憎しみを、怒りを。相手が自分を望むのか、自分が相手を望むのか分からないまま陽光がだんだんと明度と彩度を増して辺りを照らす。互いにそれ以上何も語らず、黙したまま。
 沈黙を破ったのは、葉佩の携帯だろう。そこから流れるメロディだった。葉佩がいつも持ち歩いている端末を開くと、表情を引き締める。

「時間だ」
「そうか」

 何の、とは聞かない。それを言う必要も無かった。

「最後に、頼みがある」
「何だ」
「皆に『すまない』と、それからコウに伝えてくれ。
『俺は死んでいない、生きている。生きているからいつかまた何処かで会える』と」
「了解した、必ず伝えよう」
「サンキュ」

 そう言うと、葉佩は振り返ること無く、入ってきた窓の一つから出て行こうとする。そうだ、葉佩、それでいい。俺は、お前がそんな仮初めにすがって生きるような男ではないと知っている。だから、お前の望む言葉など何一つ言うつもりはない。俺とお前の関係はそんな生ぬるいものではないのだと信じたいのだ。葉佩には安らげる場所も友も居る。だからお前とはこれで【さよなら】だろう。もう二度と会うこともなく、道は分かれていくのだ。






「阿門!!」

 ほんの一瞬だった。
 声に気を取られたその瞬きのような間。葉佩の両腕に引き寄せられて、その顔を近づけて、引き寄せて。ゆっくりと重ねられた唇と唇。触れるだけのそれは、確かな熱量を持って体に伝わる。
 そう感じたのは僅かなれど、既に葉佩の姿を捕まえようにも遥か遠く。そして葉佩は確かに笑ったのだ、いつもと同じく。遺跡に向かう時と同じ顔をして。

「俺は≪宝探し屋≫の葉佩九龍だ。だからいつか・・・・・・またな!」
「葉佩!?」

 最後の声は聞き取れないまま、既に葉佩の姿は無く。
 唇に残る微かな感触だけが全身を支配しそうになるのを抑えるだけで精一杯だった。



 日差しに目が眩む。
 その日差しのような、あの若き≪宝探し屋≫は光の中に消えていった。
 自分の中の≪何か≫を持っていく代わりに≪葉佩九龍≫と言う存在を俺の中に置き去りにしたまま目の前から去っていった。





04/10/31 tarasuji
[Avis Caerulea]の裏話というか何と言うか。阿門視点ってまだ掴みにくい。