Nachtmusik



 星が殆ど見えない夜の帳の中に、青みを帯びた銀のひかりが仄かに、しかし眩く周囲を照らす。気がつけば、皆が墓地の真ん中に立ち尽くしている。そこは、葉佩が最初に見つけた亀裂のあった場所の近くであり、よく皆がそこから《墓》に出入りしていた場所でもあった。葉佩も、皆守もそして阿門も白岐もその光をじっと見ている。

「戻ってきたのか…」
 何ともなしに呟けば、その光を道しるべに集まってきた者たちがそれぞれに向かっていく。それは見覚えのある顔ばかりで、それぞれがそれぞれの無事を喜び普段は立ち入り禁止のこの区画が賑わいを見せていた。
 その中で、その様子を見ていた葉佩が一瞬皆守と阿門の姿を見つけるとその表情を一変させる。何か言いたげにしているものの、戸惑う言葉の代わりに視線を投げつける。それに対して皆守も阿門も何も言わない。葉佩が、何かを考えてその場から足を1歩踏み出そうとした瞬間に葉佩の仲間である者達が一斉に彼めがけて押し寄せ結局のところその決意は宙に浮いたままになってしまっていた。
 ふと、その葉佩の姿を見てその場に居たもう一人の《転校生》である緋勇は、5年前を思い出す。5年前、自分が《黄龍の<器>》として仲間と共に新宿を、東京を守る為に戦っていたあの時のことを。そうして1歩離れてその光景を眺めてみれば、自分が年月を重ねてきたことを実感してしまう。彼らは、今、どうしているのだろうか。

「緋勇

 声のする方に振り向けば、そこには見覚えのある二人の少女。いや、少女の姿をしているものとでも言えばいいのだろうか。その姿に緋勇と呼ばれた男は人好きのする笑みを浮かべてその姿を確認する。
「小夜子ちゃんに真夕子ちゃん」
「貴方にもお礼を言わなくてはなりません」
「こちらこそ、葉佩たちを助けてもらってありがとうな」
 緋勇は思う。自分を含め葉佩達を最後の力で地上に引き上げてきた彼女たちには、最早地上に姿を留める時間が無い筈である。ならば何故未だに地上に残っているのか、そして何故緋勇にも礼を言うのか。そして、思い当たる理由はただ一つ。
「俺を、この天香学園に、《墓》に呼んだのは君達だろう?」




 緋勇が、3ヶ月前に世界各地を放浪に近い形で回っていた頃に時々夢の中で誰かが呼んでいることに気がついた。その声はか細く、注意しなければ聞こえない程の小ささだったが悲痛ささえ感じる声だった。同時にそれをかき消すほどの雑音に近い轟音が巡る。そのような夢の中で時々聞こえたのだ。

『新宿へ…』

と言う語句が。その時は、真神学園に何かが起こっているのではないかと言う疑問が湧き上がりつつあり日本に戻ろうとしたその時に、カイロで《宝探し屋》に間違われ何の因果か24にして再び高校生活をやり直すという羽目に陥ってしまったのである。
 その後、葉佩九龍という《宝探し屋》に出会った。彼は何処か放っては置けない感覚が緋勇の中に湧き上がる。そしてここに留まり続けた理由はもう一つ。緋勇を呼ぶあのか細い声が、ここではっきりと聞こえたのであった。下校途中で、葉佩が誰かと話をしているのを見かける。しかし、そこに居たのは同級生ではなく小さな少女二人。その少女はシンメトリーに近い瓜二つの少女で、葉佩に何かを訴えていた。少なくともこの学園では見ない類の少女だったので、誰なのか葉佩に聞こうとして声をかけようとした。
 そして緋勇は気づく。その少女たちこそ緋勇の夢の中で呼ぶ小さな声なのだと。現にこの学園に来て以来、あの呼び声は聞こえなくなっていたのだから。



「私たちの声が聞こえるとは…」
「多分、俺を意識しては呼んではいない。けれども俺は君たちの助けが聞こえた。だからここに来たんだ、それだけさ」
 小夜子と真夕子。4つの瞳が全て今は緋勇に注がれる。そして何かに気がついたかのように目を見開く。多分、二人の気がついた事は間違いではないだろうというのは態度だけでも感じられる。
「私たちは、実体を持ちません。この永き間私たちは祈るしかできませんでした。いつか長髄彦さまをこの《眠り》から解放し、荒波吐神としての《呪い》から解放してくれるものが現れることを」
「葉佩の奴はそれをやってのけた」
「ええ」
 改めて考えればもの凄いことを、向こうで朱堂に押し倒されそうになっているあの少年はやってのけたのである。葉佩は自分のしたことがそこまでのことだと思っていないだろう。彼はいつでも友の為に駆けずり回るような男だったのだから。


「最初は、長髄彦さまの眠りを覚ます侵入者を排除する必要がありました。ですから私たちは葉佩の前に現れたのです。しかし、彼がこの《墓》の奥に到達していくにつれ期待が沸きあがりました。1700年に渡るこの永き封印を彼が解き放ってくれるのではないかと」
「そして、葉佩は解き放ったな。この《呪縛》に近い封印を」
「はい。けれど私たちは葉佩よりももっと大きな《何か》を感じていたのです。それは長髄彦さまよりももっと大きな…。最初は葉佩がそうかとも思いましたが、荒波吐神との戦い、そして今の貴方を見てようやく得心しました」
 二人の表情が、少し固くなる。
「貴方はこの東京の…いえ、この世界の中心となられる方だったのですね」
「俺はただの似非高校生にして、ただの緋勇龍麻さ」
 そう言い切った緋勇は、何者にも屈することの無い意思を込めた瞳のまま、不敵に笑う。緋勇にとってはそれだけなのだ。5年前のあの時は自分が特別だと思い込んでしまいそうになったが今なら分かる。それに囚われることは宿星自身に囚われてしまうことを。だからこそ己が己であり続ける為に全てを受け入れながらも、人として生きていくことを緋勇は選んだのだから。緋勇の姿を見て二人の少女は微笑んだ。
「ええ、そうですね。貴方も葉佩もそういう人だからこそ…」
 小夜子と真夕子の身体が透け始める。今度こそ、最後なのだろう。
「緋勇、ありがとうございました」
「葉佩にも感謝をしていたと伝えてください」
「ああ」
 二人は緋勇に向かって頭を下げると、ゆっくりとその姿を霞ませていく。最後の最後まで、その献身的な姿に健気さすら感じていた。
「小夜子ちゃん、真夕子ちゃん。
 もう、邪魔する者はいない。だから、ゆっくりと休め……」
 眩き銀の光も消えうせ、辺りに漂うは喧騒と夜の闇。それでもその闇は何処までも優しく感じられる。全てが終わった今となっては、自分がここに居る理由は無い。
 もう、あの悲痛を帯びた悲しい呼び声は聞こえない。



 久しぶりに、あの頃の仲間の顔を思い出して皆に逢いたくなった。






今回は「○龍妖魔學園紀」より、緋勇と葉佩が同時期に同じ場所で存在したらと言うパラレルネタです。
緋勇と葉佩を同時期に同場所に出すとしたらこういう設定になるかなあという想像で。
何故緋勇のところに小夜真由の声が聞こえたかと言うと龍脈を通して何かあるのかなーとか。
まあ、新宿も《墓》があって龍命の塔があって色々大変だよなあと。
ちなみにタイトルの『Nachtmusik』とはドイツ語で『夜想曲』という意味。

05/03/30 tarasuji