《家族及び過去設定》
・両親は会社員で香港にて海外勤務していたが暴漢に襲われて殺害されている。ただ一人その場に生存していたのは3歳になる彼らの一人息子だけだった。それが後の葉佩九龍である。
両親の死には理由があるのだがその理由は現在は不明。
両親共々身寄りが無く、天涯孤独となりかけた彼は、両親救出の為に組織されたチームの中に居た葉佩総一郎という男に引き取られる。九龍の名付け親は彼である。ちなみに【九龍】という命名は彼の
「なんとなく、格好いいだろう」
ということであった。
たまたま九龍が救出されたのが九龍城の傍だったからか、九龍半島の近くだったのかは不明だったが、葉佩という男はそういう物の名づけ方をする男だった。
(それは今でも葉佩九龍に受け継がれているらしく、九龍のネーミングセンスも惨憺たるものである)
・葉佩総一郎は職業は自分は何でも屋だと言っていたが、この世界では有名な傭兵の一人であり色々なところから声が掛かっていた。それ故に命も狙われることも何度かあったらしいが、本人は結構あっけらかんとしたところもあった。
その職業故に、まだ子供である九龍を連れて歩くわけにもいかず本人の将来をこの段階で決めてしまってはいけないと考えていた彼は考えた末に国津という親友に九龍を預けることとしたのである。国津は葉佩とは学生時代からの親友で、学生時代は動の葉佩と静の国津と言う名で呼ばれる程対照的な存在であった。しかし、何かしらの契機があり相対する存在でありながらも何かしら互いに共鳴するものがあったらしい。
「国津、しばらくこいつ預かってくれ」
現在は考古学者としてその世界では名前が出始めてきた国津は、半ば強引とも言える葉佩の押しに九龍を引き受けることとなった。だが、葉佩も国津も独身で子供の扱いなど知らぬ上に男一人のやもめ暮らし。九龍も明るい楽しい葉佩とは対照的で物静かな国津にはなかなか懐かない。困り果てた国津はマリーというイギリス人の老婆を家政婦として雇い九龍の面倒を見てもらうこととなった。
マリーという老婆は九龍のことを時には厳しく、それでも辛抱強く。母親として育ててくれた存在である。男やもめの葉佩や国津に説教を溢しつつ、肝っ玉母さんというイメージが彼女を表すのに適していたのである。そんな彼女を九龍は勿論のこと、国津も葉佩も頼もしく思い好きだったのである。葉佩は時々国津の元に寄って九龍に会いにきていた。ちなみに葉佩と国津の関係についてはここにおいては記載を控えておく。(脳内妄想は色々あるが)
国津と生活するうちに、葉佩とは違った意味で九龍も国津という男に懐いていくことになっていた。葉佩の持つ明るさは九龍を元気づけてくれるような存在であり、国津は九龍を穏やかにさせてくれる存在だと、その頃の九龍は認識していたらしい。国津は日本在住でないため義務教育の代わりに九龍は国津と、その友人達が九龍に勉強を教えていた。国津は人付き合いは苦手ではあったが、その雰囲気に集まってくる人間は少ないものの実力を兼ね備えた人材ばかりだったのである。その中でもやはり九龍の興味を引いたのは考古学の、しかも超古代文明の話である。九龍は夜中に怖い夢を見て眠れなくなった時、国津は九龍を眠らせる為に寝物語として自分の専門領域である考古学の話をし始めたのであった。
一応、九龍の希望にて学校には通わせていたが周囲の人間が優秀な人材ばかりだったので既に九龍の学力は8歳の段階で高校卒業レベルにはなっていたらしい。(天香學園での授業に関しては遺跡探索の為に殆どテスト中寝ていることが多かったので余り良い成績とは言えない代物であったが) 学校は遊ぶ場所だというのが九龍の認識に既にあったのである。最初は、東洋人の子供だということで周囲からは余り快く思われていなかったが、生来のものなのか段々と友人も出来ていた。思えば、周囲の人間を引き付ける素質はこの時から発揮されていたのではないかと考えられる。この時の九龍は、少し頭が良いだけの全くもって普通の子供と変わりなく育てられていたのだった。
・8歳の冬、九龍の母代わりであったマリーが突然倒れる。
その後、呆気なく彼女は天寿を全うしたのである。死因は老衰。その死に顔は何よりも穏やかで、それが九龍が体験した親しい人間(犬や猫など以外)との“別れ”であり“死”あった。(両親が死んだことは知らされているが、実際に経験したという意味である)
・9歳の誕生日を迎えてからすぐのこと。
葉佩が傭兵稼業を引退し、九龍を引き取ることを国津に告げる。それは余りにも突然の出来事であった。国津が大規模な発掘作業に関わることとなりしばらく、九龍を面倒を見る人間がいないと葉佩に話したのがことの始まりである。
施設に預けておくには忍びない、かと言って他に頼れる人などいない。それは彼が葉佩総一郎の養子とは言え、息子だからであるが故に滅多な人間に預けるわけにはいかないのである。本当なら国津も九龍を連れて行くことを望んでいたのだがそれは適わないとのこと。その発掘は国津が実現させる為に何度も駆けずり回り、ようやく実現までこぎつけたものであった。しかし、九龍と発掘どちらを取るかで国津も悩みながら九龍を取ろうと考えていたその時の葉佩の傭兵稼業引退。国津との6年間はそこで終了したのであった。
「俺も父親って奴になってみたくなったんだ」
葉佩の最大限の温情に感謝をし、国津は九龍を葉佩の手に委ねることとなった。しかし、葉佩も傭兵稼業は引退したとは言え、働かなくては意味が無い。(既にこれから親子2人で暮らせる資金はある) とりあえず、父親というものは働くものだと思っており、今まで平穏でない世界にいた葉佩が普通の世界で生活していくというのはかなり無理があった。
そして葉佩は何でも屋ということで世界を駆け回る仕事を選択する。昔のコネやら人脈らをフルに活用しながら、九龍を引き連れて世界を回る。旅の最中、葉佩の元傭兵仲間や色々な人種に出会い、今までとは違う新しい世界に九龍は触れていった。その中でも国津たちに叩き込まれた知識は様々な場所で応用が利いていた。他には葉佩は実戦でのサバイバル術を始め銃火器の扱い方から、爆薬の扱い方、果ては喧嘩の仕方や女性の扱い方まで叩き込まれる。子供ながら既に葉佩のサポートが出来るまでの腕前に成長していた。
そんな旅生活の最中ではあったが、やがて九龍は《宝探し屋》になりたいと考えるようになっていた。国津から寝物語に聞かされていた、考古学の中でもロックフォードという《宝探し屋》に憧れていたのである。葉佩のサバイバル術と国津の考古学、九龍は2人の父から得た知識や技術を生かすにはこの職業が一番いいと幼いなりに考えていたらしい。それを葉佩に告げると彼はこう言った。
「いいんじゃねえか、面白そうだし」
反対はしなかった。ただ、面白そうだなと笑って告げた彼の表情に九龍は肯定の意味を汲み取る。いつかは葉佩をバディにして自分もロックフォードのようなタフな男になって、タニスみたいな美人を好きになるんだと決めていたのであった。それが葉佩との6年間であった。
・15歳になった頃だった。
葉佩総一郎は行方不明となった。九龍は行方を捜すものの詳細は掴めずに1週間たったある日のこと。ある場所で葉佩総一郎の遺体が発見されたと連絡が入る。駆けつけた九龍の目の前には何かをやりとげたかの如く穏やかな葉佩の遺体があった。
殺されたのか、病死なのか、その死因は不明なままに葉佩の葬儀は執り行われた。その後も九龍はその理由を探ろうとしたが、結局何も掴めず残されたのは“死”という現実のみ。突然の消失に九龍はこのこと以来誰かに置いてけぼりにされるのを恐れるようになった。誰かに置いていかれるぐらいなら、一人で居る方がいい。自分が置いていく方がいい、それが九龍に深く刻み込まれることとなる。
その後、一人で生きていく決意を秘めた九龍の前に国津が現れる。国津は成人するまで九龍の後見人を引き受けてくれると同時に、九龍の夢であった《宝探し屋》への道筋を示す。
「総一郎に、以前聞かれたことがある。《宝探し屋》になるにはどうすればいいと」
国津は九龍に《ロゼッタ協会》を紹介した。国津も何度か関わった組織だが世界中に広がるネットワークと実績ではここの《宝探し屋》になるのがいいと。それにロックフォードもここの所属だったのだからと告げた。
九龍は二つ返事でそれを受け入れた。その後、九龍は15の若さでロゼッタ協会の門を叩くこととなる。難関とも言える入会試験をクリアし2年に渡る見習い期間を終えることとなる。ちなみにそこでの成績は優秀であり、特に危機に陥った時程その実力を発揮するタイプだという評価が協会内でされていたのは当時の担当の評価であり彼はそれを知らない。
・そして18歳になって数日。
エジプトでの初任務を終えた葉佩九龍は天香学園に潜入することとなるのであった。
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