掲載原稿より    (県教育センター機関紙「松風」掲載 平成16年2月)

百人一首との出会い

 殆ど毎日、公民館や学童保育所で子どもたちや成人を対象に百人一首を指導、すっかり生活のリズムになっている。特に今年は、10月に開催される第17回全国健康福祉祭群馬大会(ねんりんピックぐんま)かるた「百人一首」交流大会の開催準備に、競技主管団体の代表として時間を費やしている。

 私が、百人一首に接したのは、昭和33年1月、中学2年の時だった。友だちの家の炬燵で札を取ったのを記憶している。その時は、無論、歌の一つも知らないでのかるた取りだったし、特におもしろいとも思わなかったが、多少負けずぎらいの性格が、百人一首を覚えるきっかけとなった。高校受験を迎える年であり、歌の暗記は得意だった。父より札を貰い受けるや、連日、百人一首の暗記に没頭した。百首全部を覚えるには、そう時間はかからなかった。おかげで、高校での古典の成績だけは良いほうだった。

 後に、学校の教員(今は廃校になった鬼石町美原小学校)となり、百人一首の指導を試みた。小学校3年生が相手だったし、どんな反応があるか分からなかったが、やってみると、意外に興味を示してくれた。以来、平成6年の退職まで欠かさず、担任した子どもには、百人一首を指導し続けた。いつしか、「かるた先生」となり、ごく自然に、百人一首との付き合いが続いた。

 昭和50年、地元の中学生が百人一首をやりたい、と言って訪ねてきた。それ以来、子ども会で百人一首の指導を始めて28年がたった。

 昭和63年、新聞で群馬県の大会があることを知り、子どもたちを派遣してより、ますます百人一首との付き合いは深まった。教員はやめたが百人一首は手放さかった。各地の大会に選手を派遣引率、子どもたちの真剣な表情での競技を見ていると、それで充実感を覚えた。

群馬県の百人一首

 平成11年、推されて群馬県かるた協会会長となり、中央団体との連絡役を務めている。県かるた協会には、現在三つのかるた会が所属し、各会及び高校で熱心な指導者のもと、特色ある練習が行われ、百人一首の普及指導に励んでいる。その成果が実り、近年、群馬県のかるたの競技力の向上は目覚しく、全国規模の大会に多くの選手を派遣、しかも立派な成績を修め、その存在は、近県のみならず、全国のかるた愛好者に注目されるようになった。

高齢者のスポーツと文化の祭典「ねんりんピックぐんま」

 今年10月に、群馬県でねんりんピックが開催され、百人一首が初の種目として行われる。時同じく、競技かるた百年の記念すべき年であり、全国各地でかるたイベントが企画されている。かるた交流大会が新田町で開催されることに決まって以来、開催について関係機関との連絡調整の一方で、高齢者の指導に微力を注いでいる。始めてわずか2年であるが、ねんりんピック参加を目標に、日一日と練習に熱が入り、力をつけてきている。

 ねんりんピックでの百人一首開催は全国のかるた愛好者の悲願である。全国各地から集まる高齢者の方々に親しまれる有意義な大会となることを念頭に準備に携わっていきたい。

かるたの魅力とすすめ

 百人一首の魅力といえば、私は、歌の詠みの優雅さ、札を取る直前の適度の緊張感、取った瞬間のスピードと迫力にあると思う。

 昔は、お正月に家族揃ってかるた取りをやった、という話をよく聞く。百人一首は、日本にしか見られない貴重な伝統文化であり、競技である。また、集中力、礼儀作法、忍耐力を養うことができ、子どもたちの情操教育の面からも、たいへん有意義である。

 現在、余りあるレジャーと情報に生活を振り回されている社会状況の中、老若男女の区別なく楽しめる素晴らしい百人一首は、もっと多くの方に広められるよう、力を注いでいきたい。