小金井 太 々 神 楽

          (平成9年3月 新田町指定重要無形民族文化財)
                小金井太々神楽保存会

松尾神社に伝わる郷土芸能太々神楽は、江戸時代享保12年に松尾大明神が正一位の位を戴いたお祝いに、村の青年が習って奉納したのが始まりとされている。それからは、毎年、春・秋の祭典に奉納されてきたが、天保年間に神楽師が減り、一時途絶えてしまった。神楽が奉納されなくなると、飢饉・悪病・火災等が続発し、村人の生活は困窮した。天保8年、再び神楽が奉納されるようになると、豊作続きで、伝染病や火災もなくなり、豊かな生活が行われるようになった、といわれている。以来休むことなく奉納されている。
かつては、神楽は、各地の神社のお祭に行われており、村人の楽しむ年中行事として定着していたが、社会情勢の変貌のなか、東毛地域で定期的に行われているところは数少ない。玉村町火雷神社、上中稲荷神社、太田菅原神社には、何度か招かれ神楽を奉納した。
小金井の太々神楽も、戦時中、数名の神楽師でおこなわれてきた、と聞いている。それでも、長年に亙り先人の伝えきてくれた貴重な郷土芸能を後世に伝えようとする努力がなされ、昭和38年には、神楽保存会が発足、住民組織による保存継承が行われている。
神楽の演目は、全部で14座。昭和20年代は、夜遅くまで神楽が行われ、多くのひとが楽しんでいた様子を思い出す。中でも、オカメ・ヒョットコの舞う「天の岩戸開き」は人気があった。
平成9年、文化財指定を機に、「お神楽を描こう」子どもの集いを、地元子ども会育成会の協力を得て企画、親子づれでみえる人が多くなり、賑わっている。また、遠方からの写真愛好家も多く訪れるようになった。
現在神楽師は、12名。舞によっては、なかなかの体力が必要とされる。平成19年4月からは、新たな後継者育成を目指し毎週練習に取り組んでいる。神楽には、お囃子の楽譜がない。舞の振り付けも基本的なもの以外はなく、人から人への伝承によるところが多い。今はビデオや写真で記録を残すことができるものの、日々の練習で、身のこなし等を身につけるようにしている。
郷土芸能は、その地域に根ざし、地域住民によって受け継がれ親しまれてきている。まさに、地域独特のものである。神楽保存会は、地域住民とともに、貴重な伝統文化を後世に伝えるよう、努力を続けている。
                         連絡問い合わせ  松尾神社 宮司  高 橋 茂 信
                         電話 0276−57−0403