彼女が水着に着替えたら



 夏休みも後半に差し掛った八月中旬の週末。
 私・藤崎詩織と高見公人くんは上野駅八時三十分発の「フレッシュひたち9号」に乗っ
て水戸へと向かった。
 公人くんが商店街の福引きで「ペアで行く大洗海岸一泊二日旅行」というのを当てたか
ら一緒に行かないか、と私を誘ったのだ。公人くんのせっかくの誘いだから、ということ
で私は彼に同行することにしたのだが……。

「……公人くん、どうしたの?」
 さっきから公人くんは不機嫌そうな顔で外を見ている。
「ねえ、公人くんったら。いったいどうしたの?」
「どうしたもこうしたも……なんでおまえらがここにいるんだよ!」
 私たちの座席と向かい合わせにして早乙女好雄くんと優美ちゃんの兄妹が座っているの
だ。二人とは上野駅で合って、結局一緒に行くことにしたのだ。
「いーじゃねーかよ、別に。オレたちはオレたちで旅館に予約入れたんだからさ。な、優
美」
「うん。夏休みどこにも行ってないから、二人でどっか行こう、って決めたんだもんね」
「だから、ってなんで行先がオレたちと同じ大洗なんだよ!」
「別にどこ行こうとオレたちの勝手だろ」
 私は思わず吹き出してしまった。多分、好雄くんは私たちがふたりで旅行に行く、とい
うのをどこかで聞きつけたのだろう。それで自分たちもついていこう、と思ったのではな
いだろうか。別に私と公人くんは単に幼なじみというだけで、そんな疑惑を持たれるよう
な付き合いはしていないつもりだが。と、優美ちゃんが、
「そーだ。せっかくみんないるんだからUNOやりません?」
と、リュックの中からUNOのケースを取り出した。

「はい、ドローフォーで次のカードはレッドね」
 優美ちゃんが「ドローフォーカード」を出した。と公人くんが
「チャレンジ!」
 と叫んだ。
「よしなさいよ、公人くん。これで四回目よ」
「おまえ何回失敗すりゃ気が済むんだ?」
「うるせえ! チャレンジっつったらチャレンジだ!」
「いいんですね、先輩」
「もちろんだ!」
 UNOというのは「ページワン」と「ダウト」というトランプゲームを一緒にしたみた
いなもので、出せるカードがないとき「ドローフォー」とか「ワイルド」というカードを
出すことができる。但し、「ドローフォー」は出せるカードがあるときでも出すことがで
き、もし、出した本人がカードを持っていたら、その人が四枚、出せるカードがなかった
ら「チャレンジ」と宣言した人が六枚とるペナルティがあるのだが……。
「へへーん、残念でした。六枚取ってください」
「あー、もう何枚でも取ってやるよ!」
 公人くんの不機嫌は治っていないようだ。

 水戸で電車を乗り換え、私たちが大洗に着いたのはお昼すぎのことだった。その足で旅
館に向かい、私は優美ちゃんと一緒に部屋に通された。電車の中で話し合って、私と優美
ちゃん、公人くんと好雄くんが一緒の部屋になったのだ。
 お昼ご飯を済ませると、私は水着と着替え、家から持ってきたカメラや八ミリビデオを
持って海岸へと向かった。
 夏休みということと東京近郊、ということもあってか、さすがに海岸は人が多かった。
よく「芋を洗うような」という形容詞が付くが、まさにその言葉がぴったりはまる光景だ
った。

「詩織、なんか飲むか?」
 公人くんが聞いた。
「うーん、そうねえ。なにか甘くないのない?」
「ウーロン茶でいいか?」
「うん、それでいいわ」
「……ってことはオレンジジュースがひとつにコーラがふたつ、それからウーロン茶がひ
とつ、と。じゃ、買ってくるわ」
 公人くんは財布を持つと近くの売店に走っていった。
 優美ちゃんと好雄くんの兄妹はあっちの方で貝殻を拾っている。私はその様子をビデオ
に収めていた。と、
「あ、藤崎さん」
「こんなところで逢うなんて珍しいね」
 聞き慣れた声がした。私が液晶ディスプレイを見るとそこに虹野沙希さんと清川望さん
がそこにいた。
「……あれ? 虹野さんに清川さん、どーしたの?」
 いつの間にかジュースの缶を持った公人くんが戻ってきていた。
「高見くんも来てたのか?」
「まあね。好雄たちと一緒だけど。清川さんたちも福引きに当たったの?」
「……そういえば商店街で福引きやってたわね」
 虹野さんが言う。が清川さんは、
「違うよ。私の親戚が大洗に住んでいるから毎年ここに遊びに来るんだ。で、沙希を誘っ
て今年も遊びに来たんだ」
 清川さんは超高校級スイマーとして一年の時から有名だったが、彼女の水泳の腕の秘密
は意外とこんな所にあるのかもしれない。
「ふーん。あ、詩織。ほらウーロン茶」
「あ、ありがと」
 私は公人くんからウーロン茶の缶を受け取る。
「……私たちも何か飲もうか?」
 清川さんが虹野さんに聞いた。
「私、どっちかって言うとかき氷のほうがいいな」
「別にいいよ。じゃ、買いにいこうか」
 そして虹野さんたちは売店の方に向かった。

 数分後。上に緑色のメロンのシロップがかかった氷の入った紙コップを持って虹野さん
たちが戻ってきた。
 この炎天下の中、みるみるうちに氷は溶けていき、二人はあっという間に全部飲み干し
てしまった。
 そのうち虹野さんは好雄くんたちと一緒に貝殻拾いをはじめた。とその時、
「キャーッ!」
 悲鳴が聞こえた。
「……どうした!」
 公人くんが立ち上がった。私たちも悲鳴のした方向を見た。既に何人かが集まってきて
いた。
「オレたちも行こう!」
「うん!」
 そして、私と清川さんも公人くんの後を着いていった。その後から好雄くんたちも着い
てきている。

 女性が一人倒れていた。傍らに紙コップが転がっている。
「一体どうしたんですか?」
 公人くんが聞く。
「よくわからないけど……何か急に苦しみだして」
 やがて救急車が到着し、その女性は連れていかれた。
    *
 残念ながらその女性は病院に到着する前に息を引き取ったらしい。
 警察が現場検証を始めた。
「検死の結果が出ました!」
 一人の警官が上司らしい男の人に駆け寄る。
「それで、なんて言ってるんだ?」
「はい。どうやら死因はストリキニーネによる毒死と思われます。被害者の食べたかき氷
の入った紙コップから反応が出ました」

「ストリキニーネ?」
 公人くんが言った。
「どうしたの、公人くん?」
「……前に紐緒さんに聞いたんだけど、ストリキニーネっつうのはすごく苦い毒薬だって
言うんだぜ。さっき転がってた紙コップ見たけど、死んだ女の人はかき氷を一口残さず食
ってたぜ。鑑識の言うとおりストリキニーネによる毒死だとしたら、なんでその苦味に気
付かねえんだ?」
「すごく……苦い?」
「そう。最近の毒薬、っつうのは服毒自殺を防ぐために、物凄く苦かったり、飲んでもす
ぐ吐き出すようにする成分が入ってることが多いんだぜ」
 と、その現場検証の警官たちのもとに一人の男性が連れてこられた。
「あれ、あの人……」
 清川さんがつぶやいた。
「どうしたの、清川さん」
「私たちの次にかき氷買った人だよ。な、沙希」
「うん」
 その男性は警官と何か話し合っているようだ。
「……ふーん。となるとこれは売店を調べてみないといかんな……」
「お世辞にも衛生的な環境とは言えませんからね。今から調べてみましょうか?」
 と不意に、
「違う。これは売店の落ち度なんかじゃない!」
 公人くんが叫んだ。
「もしこれが、非衛生的な売店の落ち度だとしたら、被害者の前に氷を買った虹野さんや
清川さんだってストリキニーネの毒にやられてるはずだ! それよりも何よりもストリキ
ニーネの苦みに気付かないはずがない! これは巧妙に仕組まれた殺人だ!」
 周りの人が公人くんに注目した。
「じゃあ、公人くんは……」
「ああ。オレにはこの事件の真犯人がわかった。犯人は……」
 公人くんはある方向を見据える。そして、
「あんただ!」
 公人くんは被害者の恋人だ、という男性を指差した。
「な、なんだと? 証拠があって言ってるのか?」
「証拠が無けりゃこんなことは言わない。この事件はなぜ被害者の女性が物凄く苦い毒薬
のはずのストリキニーネを口に入れたのに何も感じなかったのか、ということが最初のポ
イントだ。ストリキニーネはかき氷のシロップぐらいでは中和できないくらい苦いらしい
が……」
「かき氷のシロップ?」
「ああ。被害者はかき氷を食った後にケイレンを起こして死んだ、となるとその問題のか
き氷にストリキニーネが入っていた、としか思えない。じゃあどうやってストリキニーネ
を飲ませたのか? ちょっと考えればわかることだ。詩織、ファミレスや喫茶店でアイス
クリーム注文するとなぜウェハースが添えられて出てくるか、わかるか?」
「……確か、アイスクリームばっかり食べてると舌の感覚がマヒするからでしょ? それ
でときどきはウェハースを食べて舌の感覚を元に戻す……って、公人くん、ひょっとして
……」
「その通りだ。口のなかにある舌も冷やされて味覚神経がマヒする。冷えすぎて頭が痛く
なるくらいだからな。だからウェハースを一緒に食うんだ。しかし、かき氷を食うときは
ウェハースなんか一緒に食ったりしない。だから口の中が冷えきってしまい、冷たいか冷
たくないか位はわかっても、甘いか苦いかなんてわかりゃしない。あんたはそれを利用し
て、かき氷が入った紙コップの底にストリキニーネをこっそりと入れたんだ。被害者はか
き氷を食っているうちに味覚神経がマヒして、ストリキニーネの苦味にも気が付かず氷を
全部食べてしまい、ストリキニーネの毒にやられてしまったわけだ」
 男性の顔色が見る見る変わった。
「……どうやら、あんたにはもう少し話を聞かなきゃいけないようだな」

 その夜。清川さんが私たちの泊まっている旅館に来て、一緒に花火をやらないか、と誘
ったので、私たちは彼女の誘いに乗り、彼女の親戚の家にいった。
 そこで西瓜をご馳走になり、花火で遊んだ。

 私は8ミリビデオを虹野さんと優美ちゃんの方に向ける。
 それに気付いた二人は私の方にむかってVサインを送った。
 ……が、そんな彼女たちとは別に、向こうの方で公人くんがひとり膝を抱えて、線香花
火をしていた。
 花火が消えると公人くんは傍らにあるバケツに燃えかすを投げ入れ、新しい線香花火を
取り出し、ライターで火を点け、それをじっと眺める……。さっきからそれの繰り返しで
ある。何だか近寄りがたい雰囲気だ。
「……どうしたの、公人くん?」
 私は意を決して公人くんに話し掛けた。
「……何でもねえよ」
「だから、どうしたのよ。いつもの公人くんらしくないわよ」
「だから、何でもねえ、って言ってるだろ! あっち行っててくれよ!」
 この公人くんの不機嫌そうな感じは何なんだろう? 私はよく解らなかった。

 翌日。私と公人くん、好雄くんと優美ちゃん、そして清川さんと虹野さんの六人は水戸発の特
急「フレッシュひたち40号」で上野に向かっていた。
「……ところでよ、公人」
 好雄くんが公人くんに話し掛ける。
「なんだ?」
「おまえさあ、今回藤崎さん誘ったの、別の目的があったんじゃねえの?」
「え? ……そ、そんなこと……」
 急に公人くんが言葉に詰まったようだ。
「……あるだろ? オレ見たんだよ。おまえが薬局のまえでウロウロしてたの」
「そ……、それは、風邪気味だったから風邪薬買いにいったんだよ」
「へえ、最近の風邪薬はピンクの箱に入ってて、自動販売機で売ってるのか。知らんかっ
たなー」
 まさか公人くんは……。そう考えれば好雄くんたちがついてきた時、公人くんが不機嫌
な顔をしていたのも納得がいく。

「ど、どうしたの、詩織? そんな恐い顔して」
 私が公人くんを睨み付けると公人くんは慌てたようだ。優美ちゃんたちは知らん顔をし
ている。

 それから私と公人くんは、三日間口を聞かなかった。

THE END


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