POISON



 放課後。
「さ、メグ、帰ろう」
 私・藤崎詩織がメグ・美樹原愛に話し掛けた。
「うん」
 そして私とメグは校舎を出た。

「ねえ、詩織ちゃん」
「どうしたの、メグ?」
「あれ、見てよ」
 メグが指差した方向。そこはテニス部が練習しているコートだった。金網の外には男子
生徒が大勢たむろしている。
「まったく、下品ね」
「本当よね。どうして男子、ってそんなに女子テニスが好きなのかしら?」
 私は半ば呆れつつ、その様子を見ていた。と、見覚えのある後ろ姿がいた。
「あれ? 公人くんと好雄くんじゃない?」
「そうみたいね」
 私はメグと一緒に公人くんと好雄くんに近付き、公人くんの肩を叩いた。
「なんだよー。いま、いいところなんだよー」
 妙に声が裏返っている。
「ちょっと、あなたたち、いったい何やってるの?」
「だから、何もやってない、……って……」
 公人くんが振り向いた。
「し、詩織……、それに美樹原さん……」
「え?」
 好雄くんも振り返った。
「まったく。そんなにテニスが好きなら、テニス部に入部すればよかったのよ!」
「いや……、その……、テニス、っちゅうのはな、やるより見るほうが、精神的にも健全
なスポーツで……」
「なにわけの判らないこと言ってるのよ!」
「まあ、何をもめていらっしゃるんですか?」
 金網の中から声がした。いつのまにか古式ゆかりさんが立っていた。
「あ、古式さん」
「高見さんも早乙女さんもよっぽどテニスがお好きなご様子ですね。昨日も一昨日もお見
掛けいたしましたよ」
「え? それは、その……」
「まあ、最近部活に顔出さないと思ってたら、こんなところにいたの?」
「だから、それは……」
 と、急にメグが、
「そ、そういえば、来週テニス部の練習試合があるんですよね」
「はい。よかったら、わたくしどもの応援にお越し頂けないでしょうか?」
「はい、よろこんで!」
 公人くんと好雄くんの声がハモった。
    *
 日曜日、きらめき高校のテニスコート。私とメグ、公人くん、好雄くんの四人は金網の
外に立って、試合が始まるのを待っていた。
「……ったく。何だっておまえたちがここにいるわけ?」
 公人くんが聞く。
「あら、いいじゃない。きら高応援しに来てどこが悪いの?」
 本当のことをいうと、あの二人が何をやるのかわからないので、私はメグを誘って、二
人の見張りのためにやってきたのだ。
「ところで、何か飲むか?」
 好雄くんがコンビニの袋を取り出した。中には紙パックの牛乳や乳飲料が入っていた。
「じゃ、バナナ・オ・レくれや」
「私はイチゴ頂戴。メグもそれでいいわね?」
「うん」
    *
 そして試合が始まった。古式さんは二番目の登場だった。
 第一セット、古式さんはもつれにもつれたゲームをなんとか取って、ベンチに戻ってき
た。そしてベンチに座ると傍らに置いてあったドリンク入りのボトルを取り、ドリンクを
飲んだ。
「……へえ、なかなか古式さんやるじゃないか」
 公人くんが感心したように言う。
「何でも、小学生の頃からテニスをやってたらしいわよ」
 私が言うと好雄くんが、
「へえ。あの古式さんがねえ。なんか意外だな」
 そうこうしているうち第二セットが始まった。

「……ん?」
 公人くんが何かに気付いたかのように言った。
「どうしたの?」
「何か、古式さんの様子、変じゃないか?」
「変、って?」
「第一セットと比べると何か動きがにぶいし、どうってことのないミスを連発しているじ
ゃないか。それに、何か息をするのが苦しそうだし……」
 そういえばどうってことのないサーブを見逃したり、見当違いの方向へボールを打ち返
したりしているのだ。私もなにか変だ、と思っていたのだが。
 次の瞬間、信じられないことが起きた。
 古式さんが口を押さえ、ひざまづいてしまった。見ると指の隙間から血がにじみ出てい
る。
「……まさか、血を吐いたのか?」
 公人くんが叫んだ。と、古式さんは倒れてしまった。
「古式!」
「古式さん!」
 テニス部のみんなが古式さんに駆け寄る。
「とにかく、救急車を呼ぶんだ!」
「はい!」
 ひとりの女子部員が金網を開け、外へ出ていった。それを見た公人くんはその金網から
コートのなかへ入った。
「公人くん!」
 私とメグ、好雄くんもあとに続いた。

「古式、しっかりしろ!」
 テニス部の顧問の先生が古式さんに呼び掛ける。彼女のテニスウェアの胸元が血で真っ
赤に染まっていた。
 が、それにも目をくれず、公人くんはおかしな事に古式さんが飲んだドリンク入りのボ
トルを開け、中の匂いを嗅いでいた。
「……やっぱり。思ったとおりだ!」
 そして公人くんは古式さんのところに駆け寄ると、
「好雄! おまえ確か牛乳持っていたな」
「あ、ああ」
「じゃ、それをよこせ!」
「え?」
「いいからよこせ!」
 好雄くんは袋の中から牛乳をとりだして、公人くんに手渡した。
 公人くんはパックを開けると古式さんの口の中に牛乳を流し込んだ。古式さんが牛乳を
吐き出す。その牛乳も血が混ざってピンク色に染まっている。
「高見、いったいどういうことだ?」
「なにか毒物を飲まされたようです。あのドリンクに入ってたんですよ」
「なんだって?」
 やがて救急車が到着し、古式さんがストレッチャーに乗せられ、病院へと走り去ってい
った。
「……どうなるのかしら?」
 私が公人くんに聞くと、
「さあな。取りあえず応急処置はしといたけど」

 やがて警察の車が到着し、現場検証が始まった。私たちも警察の人から事情聴取を受け
た。こういうのに慣れていないのか、メグと好雄くんは何やらオドオドしていた様子だっ
たが、公人くんは実に堂々としていて、逆に警官に質問をする程だった。
「……なるほど、被害者の名前は古式ゆかり、と……」
「古式、ってあの古式不動産のか?」
「だと思います」

「……どうしたのかしら? 何だかお巡りさんたちがひそひそ話してるわよ」
 メグが言う。好雄くんが、
「あの親父のこと言ってんだぜ、多分」
 本当かどうかは知らないが、古式さんのお父さんはもともと「その筋」の人で、これま
でにも何度か警察の厄介になっている、という噂があるのだ。「その筋」アレルギー、と言
っている公人くんは、古式さんのお父さんをみて、絶対「その筋」だ、と思った、と言う。
そのうえバブル景気の頃、古式不動産は地上げや土地転がし、といった方法でかなりお金
儲けをした、という噂もある。さすがにバブル崩壊後はおとなしくなった、という話だが、
今でも市内ではかなりの影響力をもつ不動産会社である。

「警部、たった今連絡が入りました」
「それで?」
「毒物はおそらく苛性ソーダだと思われます。ガイシャの容態ですが、胃の中を洗浄した
のと、応急処置のおかげでなんとか一命はとりとめたそうであります」
「そうか。それはよかった。……となると、彼女が飲んだというドリンクに入っていた可
能性があるな。それは調べたのか?」
「先程鑑識に回しました」
「そうか」

「よかった……。一時はどうなるかと思ったわ」
「まあな」
 と、刑事さんは顧問の先生に、
「ところで、彼女の飲んだドリンク、というのは?」
「はい、市販のスポーツドリンクの粉末に水を入れたものですが」
「成程。それで、ボトルのほうは?」
「それは、以前ウチの部でまとめて買ったものですが……。向井くん」
 と先生はジャージ姿の女子生徒を呼ぶと、
「部室にあるボトルをここに持ってきなさい」
「はい」
 程なく、彼女がボトルを持って戻ってきた。
「これと同じものなんですけどね……」
 確かに市販のボトルである。マジックで「きらめき高校テニス部」と書いてある。
「それで、ガイシャはいつもあのボトルを使ってるんですか?」
「いえ、どれも同じボトルですから、誰がどれを使うかわからないんはずですけどね」
「成程。それじゃ、ドリンクを作ったのは?」
「一年の相沢くんだった、と思いますが」
 そして刑事さんはその男子生徒に話を聞いた。
「いえ、ボクはただ先生に言われて、ドリンクを作っただけですよ。大体、古式先輩がど
れを飲むかわからないんですよ。ただ向井さんに言われてドリンク入りのボトルを渡した
だけなんですけどね」
「何本くらい作ったんだ?」
「確か全部で五試合の予定ですから、五本作る予定だったんですよ。試合と試合の間の休
憩時間に向井さんが取りにくるから、その時に渡すことになってたんです」

「成程、それでわかった!」
 急に公人くんが叫んだ。
「どうしたの、公人くん」
 私が聞くと公人くんは
「古式さんに毒入りドリンクを飲ませた犯人はこの中にいる!」
「な、なんですって?」
 公人くんは回りを見回すと、ゆっくりと話しはじめた。
「まず最初に言っとかなきゃならないのが、飲んだらすぐ死ぬ、といった速効性の毒はな
い、ってことだ。推理小説やドラマの影響でそういう誤った認識があるようだが、あの青
酸カリだって人によっちゃ飲んでから一時間以上経って死ぬこともあるんだ。それに致死
量の問題だってあるしな。古式さんが飲んだ苛性ソーダはどれくらいか知らんが、とにか
く致死量以上の毒物を飲んでも生き残る場合だってあるし、その逆もありうる。おそらく
犯人は古式さんを殺すつもりで苛性ソーダを飲ませたんだろう。しかし、古式さんは一命
をとりとめた。さて、だ。じゃあ一体誰が飲ませたか、という事だが、確かにあのボトル
はテニス部全体で使っているもので、当日古式さんがどれを使って飲むかはわからないだ
ろう。しかし、それを当日飲ませることができるヤツが一人だけいる」
「一人だけ?」
「ドリンクを作ったヤツだよ。あれは市販のスポーツドリンクの粉末に水を足して作った
ヤツだから、前もって毒を入れることは可能だ。犯人はドリンクを作った時に、古式さん
の飲むドリンクに苛性ソーダを入れておき、何らかの形で自分だけわかるようにしておい
た。そしてそれを古式さんが試合をやる、って時に部員に手渡した。そんなことができる
のはただ一人、一年生の相沢、おまえが犯人だ!」
 彼の顔に動揺の色が浮かんだ。が、それもすぐに消え、
「……ふふふ。参りましたよ、高見先輩。『きら高の名探偵』の異名は伊達じゃなかったで
すね。オレは古式先輩を確かに殺そうとしましたよ。でも、彼女が憎くてやったわけじゃ
ない。尊敬してるくらいですよ。でもね、先輩の親父さんが憎かったんですよ」
「なんだと?」
「オレの親父はバブルの頃に古式先輩の親父さんに『絶対高くなる』と言われて全財産は
たいて土地を買わされたんですよ。確かに最初の頃はよかった。でもバブルが崩壊すると
一転借金生活になって、挙げ句の果てに心中を図ったんですよ。オレは両親と妹を失い、
親類の家に引き取られた。高校に入ったとき、古式先輩がいる、と知って正直しめた、と
思いましたけどね」
「だったら、なんで古式さんを殺そうとしたのよ?」
 私が聞くと相沢くんは、
「あの親父に味あわせてやりたかったんですよ、愛するものを失う気持ち、ってヤツを!
入部以来、オレたちの面倒をずっと見てくれた先輩を殺す、なんて勇気がいりましたけど
ね」

「……こ、このお……。さっきから黙って聞いてりゃ言いてえコトばっか言いやがって…
…。この大バカ野郎!」
 公人くんが叫んだ。
「な、なんだって。先輩、もう一度、言ってみてください!」
「ああ。何度でも言ってやるぜ、この大バカ野郎! そういうのを短絡思考、って言うん
だ! 確かに何のアフターケアもしなかった古式さんの親父も、バブル崩壊を読み切れな
かったてめーの親父も悪いかもしれん。しかし、古式さんにゃ何の罪もねえんだぞ! 本
当にそんなことで、てめーの親父や妹が喜ぶと思ってんのか?」
「……」
 私もたまらずに、
「……古式さんね、あなたのこと、すごく気に掛けてたのよ」
「え?」
「『私のお父さまのせいで相沢さんのご家族が死んでしまった』って私に話したことあった
のよ」
「う……嘘だ! そんなの嘘だ!」
「嘘じゃないわ。『相沢さんの恨みが晴れるとは思いませんが、私でよければできる限りの
償いはしてあげたい』って私に言ったのよ」
「……」
「古式さんも辛かったのよ。古式さんはあなたにそんなこと悟られたくなかったのよ。そ
れでもあなたは、古式さんを殺すつもりだったの?」
「こ……古式先輩がそんなことを……」
     *
 一週間後。私と公人くんは古式さんのお見舞いに行った。
 古式さんはすっかり元気になったようだ。
「……そうですか。そんなことがあったんですか」
 私が事件のことを話すと、古式さんはこういった。
「それで、相沢さんはどうなされたんですか?」
「……うん。結局自主退学、ということになったわ」
「でも不思議ですねえ」
「何が?」
「なぜか相沢さんのことが憎くないんですよ。なにか、当然のことをされたような気がし
てならないんです」
 ひょっとしたら、古式さんはこうなることを予想していたのかもしれない。
 私がそう考えていると、
「まあ、とにかくさ。一日も早く退院して、テニス部のみんなに元気な姿見せてやれよ。
みんな寂しがってるぜ」
「そうですね」

THE END


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