逃亡者・大神一郎
~大神一郎の殺人~

(第1話)



 太正十二年十月、大帝國劇場・帝劇の事務局。
 藤井かすみと榊原由里が帝劇宛に来た手紙の整理をしていた。
「…えーっと…、真宮寺さくら様、神崎すみれ様、マリア・タチバナ様、アイリス様、真
宮寺さくら様、真宮寺さくら様、と…」
「…ファンレタアばっかりだね」
 傍らで手伝っていた大神一郎が言う。
「そうですね、一日平均百通は来ますからね。こうなると整理も大変で…」
 と、由里が、
「これはカンナさん宛てね。で、これは紅蘭、と…。あら? これ大神さん宛だわ」
「本当かい?」
「ええ」
 由里が大神の前に封筒を差し出す。
「大帝國劇場内 帝國華撃團 大神一郎少尉殿」と宛先が書いてある。
「誰からだろ?」
「宛名が『少尉』って書いてありますからね……。海軍の関係の方じゃないですか?」
「だったら、米田支配人やあやめさんを通せば済むことじゃないか。陸軍と海軍の違いは
あってもふたりとも上官なんだから……」
 大神は封筒を開いた。
 中をのぞいた大神は一回頷くと手紙を折りたたんで自分のポケットにしまいこんだ。
「…何だったんですか?」
 由里が聞くが、
「ん? いや、士官学校時代の級友からさ。来週の土曜日に同窓会をやるから来てくれな
いか、って」
「同窓会ですか…」
「丁度いいじゃないですか。花組のほうも丁度休演日だし、大神さんのお仕事は私達が手
分けしてやってあげますから、行ってきたらどうですか?」
 かすみが言う。
「ああ。じゃあ、来週の土曜日は米田支配人に休暇をもらわないとね」

 そして土曜日になった。
「海軍士官學校太正十一年度卒業生同窓會會塲」と看板が立っている料亭がその同窓会の
会場だった。
「…ここか…」
 久し振りに帝国海軍の白の軍服を着た大神は制帽をかぶるとその店の中に入っていった。
    *
 それから程なく同窓会が始まり、場も和やかになってきた頃。
「…おお、大神か!」
 大神に一人の若者が近寄ってきた。大神の同期生であった小野寺俊一であった。
「…小野寺! 久し振りだな!」
「ま、飲めや」
 小野寺が徳利を大神に差し出した。
「頂こう」
 そして小野寺は大神の猪口に酒を注ぐ。
「…どうだ、大神。最近は?」
「相変わらずさ。…そういうお前はどうなんだ?」
「こっちもだよ」
「おお、大神じゃないか!」
 二人が話しているところに3人の若者が近付いてきた。
「千葉、増田、それに広沢!」
 彼らもまた大神の士官学校時代の友人である千葉和也、増田敏光、広沢功治だった。
「久し振りだな」
「ああ、こちらこそ。…ところで大神」
「何だよ?」
「お前、そういえば帝国華撃団に配属してるんだよな」
「ああ、そうだけど」
「どうだい、女の子に囲まれている生活は? ちょっとした王様気分じゃないか?」
「まさか。体のいい雑用係だよ」
   *
 そして同窓会はかなり盛り上がってきた頃のこと。
「悪い。ちょっとごめんな」
 相変わらず大神の傍で大神と話をしていた小野寺が立ち上がると部屋を出て行った。
 どうやら小用に行ったようだ。

「…小野寺のヤツ遅いな」
「随分時間かかってるな」
 そう、小野寺が小用を足しに行ってから既に20分以上経っているのだ。
「ちょっと見てくるよ」
 そういうと大神は立ち上がった。
「悪いな、大神」

 一階の廊下を歩いているときだった。
「…何だ?」
 大神は裏庭に何やら2本の棒のようなものが転がっているのを見つけた。
 大神は庭に降り、それに近付いていった。
「…これは!」
 大神はその転がっているものが棒ではなく、人間の足だ、と言うのに気がついた。
 そしてよく見よう、と近付くと…。
「…うっ!」
 思わず絶句する大神。
 なんと、そこに転がっているのは小野寺俊一だったのだ。
「…小野寺。小野寺!」
 大神が倒れている小野寺に向かって呼びかけるが、小野寺はピクリとも動かない。
 大神はそっと小野寺に近寄る。
「…これは…!」
 見ると小野寺俊一は後頭部からおびただしい量の血を流していたのだ。
 既に事切れているのはあきらかだった。
 見るとその傍らに棍棒のようなものが転がっていた。
 大神はポケットからハンドカチイフを取り出すと、それで棍棒を覆いながら取り上げる。
「…まさか、これで…」

 その時だった。
「…大神、何やってんだ、お前?」
 大神の背後で声がした。
 大神は後ろを振り向く。
「…増田…、千葉…」
 見ると増田と千葉の二人が立っていたのだ。
「…大神。お前、何持ってんだ?」
「え…」
 大神は自分がさっきから棍棒を持ったままになっているのに気がついた。
「こ…これは…、その…」
「大神…。お前まさか、小野寺のことを…」
「ち、違う。オレじゃない…オレじゃないんだ!」
「見苦しいぞ、大神! この期に及んで言い逃れするのか!」
「違うんだ、オレじゃないんだ!」
「いいからこっちへ来い!」
 そういうと千葉と増田が大神の両腕を掴んだ。
「…くっ、仕方がない…」
 そういうと大神は左足で増田の右足を掬った。派手な音を立てて増田が素っころんだ。
「増田!」
 そして大神は返す刀で千葉の鳩尾に膝蹴りを叩き込む。
「…うっ…」
 千葉が前のめりに倒れる。
「カンナ…、まさかお前に教わっていた格闘術をこんなところで使うとはな…。増田、千
葉、許せ。オレは今捕まるわけには行かないんだ」
 そういうと大神は壁を飛び越えて行った。
「待て、大神…」
 千葉が鳩尾を押さえながら立ち上がったが、そのとき既に大神は暗闇の中に消え去って
いた。
   *
 大帝國劇場。
 時計の針は既に夜の10時を回っていた。
「…大神くん、遅いですね…」
 藤枝あやめが米田一基に話しかける。
「…久し振りに友達と会ったんだ。今頃二次会でもやってるんじゃねえのか?」
「…でも明日からまた公演がありますし…。大神くんも九時頃には帰って来る、って私に
言って出かけたんですけれど…」

 そのとき、支配人室の電話が鳴った。
「はい、大帝國劇場です」
 あやめが電話を取る。
「…はい、…はい。わかりました。少々お待ちください。…支配人、お電話です」
 そういうとあやめは米田に受話器を渡した。
「大帝國劇場、米田です」
 米田が代わって電話を取った。
「…何ですと!」
 米田の表情が変わった。
「…はい、はい。わかりました。それでは後ほど」
 そして米田が電話を切る。
「…どうしたんですか?」
 あやめが米田に聞いた。
「…警察から連絡が来た」
「警察から…、ってどうかしたんですか?」
「…何だかよくわからんが…、大神が人を殺したらしい」
「大神くんが?」
「…何かの間違いだとは思う。しかし、現に大神は逃亡をしているらしい」
「でも、なぜ大神くんが…」
「だからそれはわからないが…。とにかくあやめくん、至急全員を集めろ。勿論かすみ達
もだ」
「はい!」
   *
「支配人、どうかしたんですか?」
 程なくマリアたち花組の6人が支配人室に集まった。
 それからすぐにかすみたち3人も支配人室にやってきた。
「…今警察から電話があったんだが…、大神が士官学校時代の友人を殺害して逃亡してい
るらしい」
「何ですって?」
 すみれが言う。
「ちょっと待てよ! 隊長がそんなことするわけねーだろ! なんかの間違いじゃねえの
か?」
 カンナだった。
「勿論オレだって何かの間違いだと思ってる。しかしな、その、同窓会に出席していた、
と言う大神の級友の話だと死体の傍らに棍棒を持った大神が立ち尽くしていたそうだ」
「…でも、信じられへんわ。いくらなんでも大神はんがそんなことするなんて…」
 紅蘭が言う。
「だからまだ事実関係ははっきりしてないんだ。とにかくお前らはこのことに関しては余
計なことは考えるな。オレとあやめくんで何とかする」
「…わかりました」

 その時だった。
「すみませーん!」
 正面玄関のほうで声がした。
「ちょっと行ってきます」
 ドアの一番近くにいたさくらが言う。
「ああ」

 程なくさくらが戻ってきた。
「…あの、支配人」
「なんだ?」
「警察の方がお見えになってます」
   *
 米田が机を思い切り叩いた。
 ドカン、という大きな音が支配人室に響く。
「だから、何度も言っとるだろう! 大神が人殺しなんかするはずがないんだ!」
「しかしですね、米田中将。目撃者の証言では現場には被害者と彼しかいなかった、って
言うことですし、彼が凶器を持っていた、と言う証言もあるんですよ」
「馬鹿野郎! 本当に大神が犯人なら、真っ先に自分が疑われるような真似をすると思っ
てるのか!」

「…すごい剣幕ですね、支配人」
 さくらが言う。
「そうね…。支配人の気持ちもわかるけど…」
 マリアが言う。
 さっきから花組の面々は支配人室前で話を立ち聞きしていた。
 米田の怒鳴り声がここまで聞こえてくる。

「…とにかくですね、米田中将。目撃証言もあったわけだし、我々も大神少尉のことを容
疑者とせざるを得ないんですよ」
「…とにかく、証拠ってのがその証言だけなんだろ? 証言したヤツが、その大神が小野
寺ってヤツを殺すところを見た、って言う証言でもしなけりゃ、オレは信用できねえな。
今日はもう帰ってくれ!」
「…わかりました。今日はこれで」
 そして刑事達は帝劇から出て行った。

 米田が支配人室から出てきた。
「…なんだ、オメーラまだいたのか?」
 米田が花組の一同を見ていった。
「…それで支配人、隊長は…」
「心配するな。あいつも子供じゃねえんだ。もし何か自分の身にあったら自分でカタを付
けられるさ」
「…そうね、今はとにかく大神くんのことを信じるだけよ。…さ、もう寝なさい。かすみ
たちも帰っていいわよ」
 そしてあやめは花組の一同を部屋に帰していった。
    *
 翌朝。
「マリアはん、大変やで!」
 紅蘭がマリアの部屋に駆け込んできた。
「どうしたの、紅蘭?」
「その、衣装部屋の衣装がなくなっとるんや!」
「なんですって?」

 衣装部屋。何者かが侵入したのか、辺りは散らかされていた。
 中でさくらたち四人が衣装の確認をしていた。
「……で、一体何がなくなってるの?」
 衣装を確認していたカンナが、
「それが……絣の着物と袴、それからハンチング帽なんだ」
「……なにそれ?」
「ほら、よく書生はんが着とるようなヤツや。前にカンナはんが着て芝居やったやろ。あ
れや」
 紅蘭が言う。
「何でそんな衣装なんか……」
「……一体どうしたの?」
 騒ぎを聞きつけたか、あやめが衣装部屋にやってきた。
「あ、あやめさん。実は衣装がなくなっているんです」
「衣装が? 管理は厳重にしているはずでしょ?」
「ええ。そうなんですけど…」
 と、その時だった。
「…なんだろう? これ」
 と、さくらが机の上に置いてある封筒に気がついた。
 さくらが封筒を拾い上げた。その周りに集まる一同。
 それには「花組のみんなへ」と書かれてあった。
「…さくら、一寸見せて」
 あやめが言う。さくらがその言葉に応じて封筒を渡すとあやめは中を取り出した。

「花組の皆へ

 皆に迷惑を掛けてすまなひ。
 知つての通り俺は今、殺人事件の容疑者として警察に追われてゐる。こんな事書ゐても
信ぢてはくれなひだらうが、俺は誰かに嵌められてこのやうな目にあつてしまつたのだ。
 自分に降り掛かつた火の粉は自分で拂ひおとさなければならなひ。
 だから暫く俺は皆の前から姿を消す。變装の爲に衣装を借りていく。
 次に俺がみんなの前に現わるゝとき、その時は事件が解決した時だ。
 米田支配人、そしてあやめさん。勝手な行動をとつて申し譯ありません。
 マリア、俺の居なひ間の花組をよろしく頼む。
 まう一度言はむ。この事件、必づ俺の手で解決してみせる。
 だからみんな、心配しなひでくれ。
                                 大神 一郎」

 大神の置き手紙だった。
「大神くん…」
「…もしかしたら、衣装を持ち出したのは隊長…」
 マリアが呟く。とさくらが、
「…そうですね。きっと大神さん、ここに来て衣装を着て出ていったんですね…」
「そうらしいわね。大神くんなら帝劇は自分の庭のようなものだもの。どこに何があるの
かくらいはわかるはずよ」
「でもなんで少尉はこんなことを…」
「おそらく隊長は、自分の手で事件を解決するつもりなのよ」
「…でも、やべえんじゃねえか? 隊長は殺人事件の容疑者なんだぜ」
「でも…、アイリス、お兄ちゃん信じてるよ」
「…そうやな。大神はんが人殺しするような大胆な人には見えんわ」
「…とにかく、今は事態を静観するしかないわね。私達がどうこういったって始まる問題
じゃないもの」
「…そうですね。あやめさんの言う通りかもしれません」


第2話に続く>>


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