蘭丸少年の事件簿



〈プロローグ〉
 ようこそ御神楽探偵事務所へ。鹿瀬 巴です。
 今日は先生に代わって、蘭丸君が大活躍するお話です。
 えっ? どんな話か、って? まあ聞いてください。

〈事件編〉
「ふう…」
 コップに入ったサイダーを一口飲んで、久御山滋乃は回りを見回した。
 父親である久御山多聞に言われ、久御山家とは古くからの付き合いである中村浩二郎伯
爵家のホームパーティに出席したのだが…。
(…こんなにパーティって退屈なものでしたかしら?)
 最近、彼女は退屈な「大人の無駄話」にもいちいち相槌を打たなければならないのが苦
痛になってきたのだ。以前はそんな事は全然といっていいほど無かったし、それが当然と
思っていたはずなのだが…。
(…もしかしたら…)
 滋乃は思い当たることがあった。
(…もしかしたら、時人様の所にお勤めするようになってから、わたくし自身の心の中で
何かが変わったのでは…?)
 新聞で時人の活躍を知り、半ば押しかけみたいな形で御神楽探偵事務所に勤めるように
なって大分経ち、さまざまな事件に関わっているうちに、今まで解りもしなったし、解ろ
うともしなかった一般庶民の気持ちや彼らの住んでいる世界、というものが解るようにな
ったからかもしれない。そしてその世界というものは自分が今まで住んでいた世界のよう
なきらびやかなものではない、ということも…。
 相変わらず彼女の中には久御山家の令嬢という自分と、御神楽探偵事務所で庶民を観察
してきた自分の二人がいて、そのギャップは簡単には埋まりそうに無いようだ。

「これはこれは。お久しぶりです、滋乃お嬢様」
 当主の中村浩二郎伯爵が滋乃に話しかけてきた。
「あ、これは中村様」
「お変わりありませんか?」
「ええ、わたくしは。そういう中村様は?」
「私も別に変わりはありませんよ」
 しばらく二人はそこで談笑を交わしていた。と、父親の多聞が自分と同じくらいの年齢
の男性と一人の若者とを連れて滋乃の元に来た。
「あ、氷室さん」
 多聞と同じくらいの年齢の男性は多聞の友人でもある氷室隆幸だったのだ。
「滋乃お嬢様、お久しぶりです」
「わたくしの方こそ、御無沙汰しておりましたわ。…ところでそちらの方は?」
 滋乃はもう一人の若者について聞いた。それに気付いた氷室は、
「あ、紹介しましょう。鹿鳥君、こちらは久御山子爵のお嬢様で滋乃さんだ。滋乃さん、
こちらは私の友人の息子さんで鹿鳥慶介さんです」
「鹿鳥です、初めまして」
「こちらこそ」
「鹿鳥君はお父さんの仕事の都合で小学校から倫敦に住んでいて、最近帰国したそうなん
だよ」
 多聞が付け加える。
「まあ、そうですの…」
 しばらく滋乃はその青年と世間話をしていた。と、
「そういえば氷室君。何やら滋乃に相談したいことがあったんじゃないのか?」
 多聞がいきなり話題を変えてきた。
「ええ、滋乃お嬢様が帝都でも有名な御神楽時人探偵の助手をなさっている、とお聞きし
ましたのでお聞きしたいことがあるんですよ」
「わたくしにご相談したいこと?」
「ええ。実は最近、中村伯爵の所に差出人不明のこのような手紙が来まして…」
 そういうと氷室は滋乃に一枚の紙片を差し出した。
「一寸失礼致しますわ」
 そう言うと滋乃は紙片を広げた。そこには殴り書きのような文字でこう書いてあったの
だ。

「Kill you」

「…Kill you…英語ですわね。訳せば『あなたを殺す』…」
 多少は英語の話せる滋乃だからその手紙がかなり物騒なものであることは容易に察しが
付いた。
「ここ数日、同じ内容の文書が投函されている、って伯爵が私に相談されまして…。丁度
久御山子爵のお嬢様が探偵事務所に勤められている、と聞いたのでご相談しようと思った
のですが…」
   *
 翌朝。
「おはようございます」
 滋乃が「御神楽探偵事務所」のドアを開けると既に巴と千鶴が来ていた。
「おはよう、久御山さん」
「おはようございます」
 滋乃がソファに座ると蘭丸が茶を持ってきた。
「どうでした? 中村伯爵のパーティは?」
 千鶴が聞く。
「ああ、アレですの。…まあ、いつも通り、って所でしたわね。…そう言えば」
「なんですか?」
「皆さんにご相談したいことがございますのよ」

「…ということなんですの」
 巴と千鶴は、滋乃から昨日の手紙についての経緯を聞いた。
「それって殺人予告じゃない!」
「私もそう思いましたわ。ただ、これだけではなんとも言えないのも確実でしょう?」
「…こんな時、先生がいるといいんですけど…」
 しかし、残念なことに今、時人は別の仕事の依頼を受け、昨日から静岡の方に行ってい
るのだった。その間探偵事務所の留守はもう一人の助手である蘭丸ことランドルフ丸山が
引き受けていた。蘭丸自身12歳という年齢の割にはしっかりとしている少年だし、時人
の留守の間はこの事務所が入っているビルディングのオーナーであり、この下の階で美術
商を営んでいる守山美和が時々顔を出しているから、それほど心配することもなかった。
「…とにかく、今からその中村伯爵の家に行って聞いてみようよ」
 その時だった。不意に事務所の電話が鳴り響いた。
「はい。御神楽探偵事務所です」
 蘭丸が電話を取る。
「はい、はい。…ええ、いますよ。一寸待ってください」
 そういうと蘭丸は送話口を手で塞ぎ、
「久御山さん、お父さんからです」
「お父様から?」
 そういうと滋乃は受話器を受け取り、
「お電話変わりました、滋乃ですわ。…ええっ! …はい。…はい、承知いたしました。
これより鹿瀬さんたちと共にそちらに伺いますわ」
「…どうしたの、久御山さん?」
「…先ほど、御自宅の方で中村様の死体が発見されたそうですわ」
  *
 中村伯爵家に駆けつける巴達3人。
 既に警察の車がそこに駆けつけていた。

「滋乃、待ってたぞ!」
 巴達を多聞が出迎えた。
「お父様、中村様の死体が発見されたって本当ですの?」
「ああ、今朝諸星警部から電話があってね。さっき現場を見てきたんだ」
「それで、中村様は…?」
「まあ、詳しい事は現場を見てもらえば解るだろう」
「…それは構いませんけど、諸星警部が何と仰るか…」
「…心配するな。この事件は私がお前達に依頼したことにする」
「依頼…ですか?」
 巴が聞く。
「ああ、この事件の捜査を私が君達に依頼しよう。勿論報酬は支払うし、現場についても
諸星警部に私の方から話しておくよ」

 現場は中村伯爵の自室だった。
 テエブルの上には酒の瓶やグラス、灰皿が置いてあり、来客があった事を窺わせる。
 中村伯爵はその部屋で窓に向かってうつぶせに倒れていた。

「…どうやら犯人は中村伯爵が後ろを向いた時に後頭部を鈍器で殴ったようだ。それによ
る頭蓋骨陥没が死因だろう」
 栗山刑事が巴達に現場の状況を説明する。
「…それで凶器は?」
「まだ見つかってないが、犯人が持ち去ったかなんかしたんだろうな」
「…おい、栗山。一寸来い!」
 諸星警部が栗山刑事を呼んだ。
「何ですか?」
 巴達も栗山刑事に付いていく。
「…どうやらダイイング・メッセージのようだぞ」
 諸星警部が指をさす方向を見ると、中村伯爵が最後の力を振り絞って書いたのであろう、
血で書いた文字が残っていた。
「鹿鳥」と書いてある。
「『シカトリ』…でしょうか?」
 栗山がその文字をメモしながら聞く。
「もしかして…それ、『カトリ』と読むんじゃありませんこと?」
 滋乃が言う。
「カトリ…?」
「実は昨日、中村伯爵のパアティにお父様と一緒に呼ばれたのですが、その時にカトリさ
んという方がおられたのですが、もしかしたらその人ではないかと…。いえ、わたくし『カ
トリ』とはどういう字を書くのか解らなかったのですが…」
「…本当ですか、久御山子爵?」
「ええ、私も昨日、氷室君の紹介で知り合ったばかりでして…。ただあの場にいたとなる
と彼しか考えられないし、鹿鳥という苗字自体が珍しいし…」
「栗山。至急、その鹿鳥というヤツを呼べ」
「はい」
   *
 その夜の御神楽探偵事務所。
「…そんなことがあったんですか…」
 巴達3人が腰掛けた来客用のソファに蘭丸が茶の入った湯飲みと茶菓子を置きながら言
った。
「…その鹿鳥さん、って人警察に呼ばれたんだけど『昨日初めて会った人物を何で殺さな
ければいけないんだ』って完全に容疑を否認しているそうよ」
「でも、現場には『鹿鳥』ってダイイング・メッセージがあったんですよね…」
 蘭丸は巴たち3人の話を聞きながら、自分の手帳に要点を書いていく。
「…あの、一寸いいですか?」
 蘭丸が言った。
「どうしたの?」
「いえ、その中村伯爵、って後頭部を殴られて殺されたんですよね」
「それがどうしたの?」
「…何でこれから殺されるかもしれない、って人がそう易々と相手に背中を向けたんです
か?」
「背中を向ける?」
「だって、伯爵はその手紙を毎日のように受け取ってたんですよね?」
「そうか…。だとするといつ自分が殺されるかもしれない、って不安になるから必要以上
に慎重になるはずだよね」
「そうなると、まだ鹿鳥さんかどうかは解りませんけど、伯爵が自分を殺した相手を自分
の部屋に入れて背中まで向けた理由の説明がつきませんわね」
たから…」
 その夜、巴達は色々な考えを話し合ったが、結局は決め手となる意見は出ずじまいだっ
た。
   *
 巴達がそれぞれの家へ帰った後、蘭丸は時人のいる静岡の旅館に電話を掛けた。

「…というわけなんですよ」
「成程。さすがの鹿瀬君達でもそこまでしかわかりませんでしたか…」
「先生なら何かわかると思うんですが……」
「……そうですねえ、蘭丸君。鹿瀬君達が何か言ってませんでしたか? 死体を発見した
状況の時のことを」
「死体ですか? そういえば…、ダイイング・メッセージがあったらしいんですよ」
「ダイイング・メッセージですか?」

「…成程ね。蘭丸君、そのカトリさん、ってどういう字を書くんですか?」
「どういう、って…。ボクも巴さんから聞いただけだからよくわかりませんけど、何でも
鹿と鳥、って書くらしいんですよ」
「鹿と鳥で鹿鳥さん、ですか…。変わった名字ですねえ」
「先生の『御神楽』だって結構変わってると思いますよ」
「はっはっは。これは一本取られましたね」
「それでですね、先生…」
 その時、蘭丸の頭の中で閃光が閃いた。
「…!」
 蘭丸は急いで自分の手帳のページをめくると、そこに書いてある「鹿鳥」という文字を
じっと見つめる。
 蘭丸の頭の中で、それまでバラバラだったパズルが組み立てられていった。
「そうか…、それだったら納得がいく。アレはこういうことだったんだ…」
 時人は電話の向こうの蘭丸の様子に気付いたか、
「もしもし、蘭丸君? 蘭丸君!」
「先生、ありがとうございます!」
「え?」
「また後で連絡します!」
 そういうと蘭丸は電話を切った。
    *
 翌朝。
 巴達三人が次々と出勤してきた。
 蘭丸は茶を沸かすと、巴達の前に置く。

 巴達は作戦会議を開いていた。
「巴さん、今日はどうするんですか?」
「うーん、ダイイング・メッセージが残ってはいるけど、あの通り、鹿鳥さんが犯人だと
したら、辻褄が合わないところが出てくるのよねえ…」
「それに、何でああも簡単に犯人に背中を見せたのかもわかりませんよね」
「とにかく、今日は中村様の周りの方を当たってみませんこと? そうすれば何か新しい
情報が得られるかも知れませんわよ」
「そうね。…よし、じゃ行こうか」
 そういうと巴は立ち上がった。
 その時だった。
「待って下さい!」
 蘭丸が巴を引き止めた。
「? どうしたの、蘭丸君」
「その…、ボクも連れてってください」
「え? どうして?」
「ボクわかったんです! 今回の事件の真相が」
「ええ〜っ!」
「本当ですの?」
「はい。ボクの推理が正しかったら、犯人はその鹿鳥さんじゃありません! ボクも一緒
に連れていって下さい! 必ず犯人を指摘してみせます!」
 蘭丸は自身に満ちた目付きをしていた。

〈解決編〉
 中村邸に4人が来た。
 そこには既に諸星警部たちと、彼に呼ばれたであろう多聞と氷室が来ていた。
「わざわざお越しいただいてありがとうございます」
 巴が頭をぺこりと下げる。
「こんなところに呼び出して、一体何のようなんだい?」
 氷室が聞いた。と、諸星警部が
「お嬢ちゃん、さっきの電話で言ってたけど、犯人がわかったって本当か?」
「はい。…詳しくは蘭丸君に聞くとわかると思うんですが…」
「蘭丸が?」
「はい。…すみません。現場はそのままですか?」
 蘭丸が聞く。
「ああ。全然動かしてないさ」
「じゃあ皆さん。こちらに来てください」
 蘭丸は一同を現場に招いた。
   *
「これを見てください」
 蘭丸は現場に残っている「鹿鳥」の文字を指差す。
「この文字がどうかしたの?」
「これが、鹿鳥さんが犯人でないという一番の証拠ですよ」
「…どういうことなの、蘭丸君?」
 千鶴が聞いた。
「巴さん。確か皆さんはこの字を見るまで、名前を知っていても、鹿鳥さんがどういう字
を書くかは知らなかったんですよね?」
「うん、そうよ。だから、珍しい名字だと思ったんだよね」
「そうです。この名字は非常に珍しい名字なんです。普通なら香取、とか同じ鹿を書くに
しろ、鹿取、って書きそうなものですよね。しかも、久御山さんをはじめとする皆さんは、
鹿鳥さんに事件があった日に初めてお目にかかったはずです。しかも鹿鳥さんは名刺も何
も渡さなかった…。だから、鹿鳥さんがどういう字を書くか、なんて誰も知らなかったは
ずです。これは、被害者は別の文字を書こうとしていたのを真犯人が手を加えたものなん
です!」
「…ということは…。蘭丸君、そういうことでしたの?」
 滋乃が言う。
 巴たち三人も蘭丸が言おうとしていることに気が付いたようだ。
「そう、被害者はヒムロ、と書こうとしていたんです。 しかし、ヒ、と書いた所で事切
れてしまった…。犯人はそれに気付くと、咄嗟に鹿鳥さんに罪を着せようと被害者の血で
鹿鳥、と書いたんです。つまり、犯人は氷室さん、あなたということです!」
 蘭丸が氷室を指差した。

「…流石ですね、蘭丸君。よくそこまで推理できました」
 蘭丸の背中で声がした。
「え?」
 蘭丸が後を振り向く。
「せ、先生…」
 そこにはいつの間にか御神楽時人が立っていたのだ。
「と、時人様。いつの間に来られたんですの?」
 滋乃が聞く。
「ついさっきです。昨夜の蘭丸君の電話が気になりましてねえ…。ちょうど、向こうの方
の事件も一段落ついたんで、今朝の始発で東京に戻ってきたんですよ」
「それじゃ先生…」
「ええ。おそらく、蘭丸君の推理どおり、この事件の犯人は氷室さんです。でも僕は、蘭
丸君とは違った角度から、氷室さんが犯人だという確信を得ましたよ」
「違った角度?」
「ええ。蘭丸君の話を聞いてどうしても腑に落ちない点があったんですよ」
「腑に落ちない点、ですか?」
 千鶴だった。
「ええ。鹿瀬君、君の話だと被害者は自室で後頭部、しかも真ん中あたりを何か鈍器のよ
うな物で殴られて殺されていたそうですね」
 時人は自分の後頭部を手刀で軽く叩きながら言う。
「はい」
「おかしいと思いませんか? 何故、殺害を予告する手紙を受け取った人物が簡単に他人
を自室に入れ、しかも殺してください、とばかりに相手に背中を向けたんでしょうか? 普
通だったら、疑心暗鬼になってしまい、相手に隙を見せないようにするものじゃないでし
ょうか?」
「確かにそうですねえ…」
「それで僕はひとつの仮説を立てたんです」
「仮説?」
「実は昨夜、蘭丸君からの電話があった後に僕は東京に電話を入れ、諸星警部に話を聞い
たんですよ。すると中村伯爵には借金をしている人がいて、その中に氷室さんもいたそう
です」
「氷室さんが?」
「はい。中には返す当てがない方も何人かいたそうですが…。その中の誰かが殺意を持っ
たとしても不思議ではないでしょう?」
「確かにそうですね…。じゃあ、手紙も?」
「勿論、手紙は氷室さんが伯爵に送りつけたものです。しかし、氷室さんはそういうこと
はおくびに出さずに伯爵に接近した…。時には親身になって相談にも乗ったりした。そう
やって親身になって相談すれば相手だってまさか自分を殺そうとは思わないでしょう? 
相手の心理を巧妙に付いたトリックだった、というわけですよ」
「じゃあ、わたくしに相談した、というのは…?」
「それも計算の上ですよ。氷室さんはそうすることで、真っ先に自分が容疑から外れるよ
うにひと芝居打ったんだと思います。ただ、氷室さんにとって計算違いだったのはその『ヒ
ムロ』と書きかけたダイイング・メッセージだった…。あれを他人の仕業に見せかけようと
して『鹿鳥』と書いてしまったのを蘭丸君に気付かれてしまった、とこういうわけですよ」

〈エピローグ〉
 翌日、御神楽探偵事務所。
「というと…」
「はい。動機は昨日言ったように借金の返済の当てが無くなってあのようなことをやって
しまったようですね」
「でも、よく蘭丸君、あのダイイング・メッセージで気付いたね」
「いえ。死にかけてる人がとっさに『鹿鳥』なんて字が書けるのかな、って思ったから事
件の真相に気が付いただけですよ」
「でも、嬉しいですよ、僕は」
「どうしてですか?」
「君のような後継者が出来た、ということは」
「いえ、ボクなんか先生に比べればまだまだですよ」
 とはいえ、蘭丸はまんざらでもないようだった。
「これからも精進して立派な探偵を目指してくださいよ、いいですね」
「はい!」

(おわり)



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