殺人証拠の方程式
〈プロローグ〉
ようこそ、御神楽探偵事務所へ。久御山滋乃ですわ。
今回は一寸趣を変えて、わたくしと時人様が出会ったある不思議な事件をお話ししたい
と思いますわ。
そう、あれはわたくしと時人様がある事件の調査報告をしに依頼人の方の家に行った時
のことでしたわ…。
〈事件編〉
「…だから何度言ったらわかるんだ? 金なら貸せん!」
「しかし加茂川さん…」
「…お前の会社の経営が苦しいのはわかっとる。だからといって何でワシまでお前の尻拭
いをしなければならないんだ?」
「ですが、どうしても今はお金が必要なんです!」
「…それは全てお前の責任だろう? とにかく今は貸せん。ワシにも都合というのがある
んだ」
「…そこを何とか…」
「…話は終わりだ。ワシはこれから人と会う約束があるのでな」
老人が背中を向けた。
それを見た青年は傍らに置いてあった壷を取ると、老人の後頭部を思い切り殴り付けた。
二発、三発、と殴っている内、老人はぴくりともしなくなった。
それを見た青年はふと我に帰る。
そして、自分がした行為に気が付き、茫然と立ちすくんだ。
「あ、あんたが…あんたが悪いんだからな…」
目の前には物言わぬ死体が転がっている。
「…と、取り敢えず、死体をどこかに隠さなきゃ…」
男は辺りを見回す。
「そ、そうだ、この中に隠そう。そして夜になって、川にでも投げ捨てりゃ、証拠は消え
るだろう…」
然るべき処置を施し、一息ついたその時だった。
「加茂川さ〜ん!」
玄関の方で男の声がした。
「加茂川さん、いないんですか?」
「ど…、どうしよう…」
男は回りを見回す。と、畳に眼鏡が落ちていた。
「そ、そうだ!」
男は咄嗟に眼鏡を掛けた。
そして玄関へと向かった。
*
そこには一組の男女が立っていた。
男の方は三十歳前後だろうか、小さな丸眼鏡を掛け、髪に櫛も入れず、蝶ネクタイも曲
がっていてどことなく大雑把な印象を受ける。
女の方は十七、八歳だろうか、水色の洋服を身に着け、長髪にリボンをしていた。どこ
となく上流階級の出身の令嬢、という印象を受ける。
どっちにしろ、不釣り合いな組合せである。
「あ、あなたがたは?」
「わたくし達、御神楽探偵事務所の者ですわ。本日は加茂川さんから依頼を受けた事件に
ついて、途中経過の報告に参りましたの」
令嬢らしき少女が答えた。
「あ、そ、そうでしたね。じゃ、こちらへどうぞ」
男は二人を招き入れた。
「どうなさいましたの?」
「い、いえ、まだここに来て、日が浅いもので…。あ、申し遅れました。私、ここで加茂川先生
の家で書生をやっている臼井、といいます」
「へーえ。加茂川さん、書生を雇ってたんですか…」
そう言いつつ二人は玄関を上がる。
「…?」
玄関を上がろうとしたその時、滋乃には一瞬時人の視線が下に落ちたように見えた。
彼の案内で茶の間に入った。
「…?」
何かに気付いたか、時人は畳をじっと見る。
「これは…?」
「…時人様?」
滋乃が聞くが、
「あ、いえ。何でもありません。…それより臼井さん、といいましたっけ?」
「はあ」
「今日は天気もいいですし、あの窓側の応接セットで調査報告をしましょうよ」
「え…?」
「? 何か都合が悪いことでも?」
「い、いえ…。そうですね。ではこちらへどうぞ」
時人が部屋を横切ろうとしたとき、
「あ、こちらです」
臼井と名乗った男は、わざわざ部屋の隅の方から二人を通した。
そして、二人を窓際の来客用のソファに座らせた。
「じゃ、お茶でも入れてきますので」
臼井は今度も部屋の隅の方から何故か玄関の方に向かった。
「…臼井さん、そちらは玄関ですわよ」
滋乃が言う。
「あ、そ、そうでしたね」
そういうと臼井は今度は台所に向かった。
「久御山くん、いいですか?」
「あ、構いませんわよ」
それを聞いた時人は煙草を取り出した。
それを一本引き抜くが、口にはくわえず、辺りを見回す。
「ほほう、成程ね…」
「時人様、どうかなさいまして?」
滋乃が聞いた。
「あ、いえ。何でもありません」
そういうと時人は煙草に火を点ける。
滋乃が大きく背伸びをする。
「それにしても鹿瀬さんも檜垣さんも…。わたくしにこんな調査報告なんて面倒臭い仕事
を押しつけるんですもの」
「仕方ないですよ。鹿瀬君は『山茶花』の方が忙しい、っていうし、檜垣君は広川千景先
生の個展があるとかで、今日はその手伝いに行っているんでしょ?」
「それはそうですけど…。どこまで本当なのかしら?」
*
(よ…、弱ったなあ…。探偵なんかが来るなんて…)
臼井は台所にいた。まさか「人と会う予定」が探偵だったとは…。
(とにかく、急いで帰ってもらわないと…)
そう思いつつ、男は紅茶の入った袋をポットに移す。
ドサッ、と音がして、紅茶の葉がポットに大量に入ってしまった。
(…し、しまった…。…待てよ。このままこれを出しちまえば、あきれて帰ってしまうか
もしれないな)
「お待たせいたしました」
臼井が紅茶の乗った盆を出した。
「……」
それを見て思わず絶句する滋乃。
「こ、これ…、本当にお紅茶ですの?」
普通紅茶といったらその名の通り、透き通った紅色なのだが、目の前に出された紅茶は
にごった、はっきり言ってどす黒い色をしていたのだ。
「…いや、先生はこういう紅茶が好きだったので…」
「…」
滋乃は檸檬の乗っかっている皿に目を移す。
「な…なんですの、この檸檬は?」
滋乃が檸檬を取り出す。ものすごくぶ厚かったのだ。
「これではまるでかまぼこみたいですわ」
「すみません、先生は厚い檸檬が好きだったので」
「はあ…」
滋乃はそのぶ厚い檸檬を紅茶のなかに浮かべ、一口飲んだ。
「……!」
滋乃の顔が引きつった。
苦い、とか渋い、とそういった生易しい味ではなかったのだ。
「と…時人様、こ…このお紅茶…」
「紅茶がどうかしましたか?」
「い…いったいどんな淹れ方をしたらこんな味になるんですの?」
「そうですか? 結構美味しいと思いますよ」
「え…」
滋乃は絶句した。
(時人様、って意外と味覚音痴なんですわね…)
滋乃は普段入れることのない砂糖を紅茶の中に大量に入れる。
とてもじゃないがこうでもしなければ飲めたシロモノではないのだ。
隣の時人は何もなかったかのように紅茶を飲んでいる。
「それにしても…、加茂川さん遅いですね」
「…そうですねえ。先生はは約束の時間には遅れたことの無い人だったのに」
「ふうん…」
そういうと時人はまた考え込む。
「…時人様、どうかなさいまして?」
「いや…。それでは久御山君、そろそろ調査報告をお願いします」
「承知いたしましたわ」
そう言うと滋乃はクラフト封筒から書類を取り出した。
「一寸拝見します」
男は書類を取り出すと目を細めて、それを見た。
(…頼むよ、早く帰ってくれよ…)
当然のことながら彼は調査報告など上の空で聞いていた。
*
「…と言うわけですの。この件に関しては引き続き調査する、ということでよろしいです
わね?」
「あ、はいはい。それで宜しくお願いします」
「…承知いたしましたわ。それでは」
と、滋乃が腰を浮かした時、
「待ちなさい、久御山君」
時人が滋乃を引き止めた。
「時人様、どうかなさいまして?」
「何か忘れ物をしていませんか?」
「忘れ物?」
滋乃は慌てて身の回りのものを確かめる。
「筆記用具はありますし、事務所に持ち帰る資料も貴重品もちゃんとありますわよ」
「いや、そんなものよりもっと大事なものですよ」
「大事なもの?」
「ええ。この人…、臼井さんが加茂川さんを殺した、という証拠ですよ」
〈幕間〉
さて、皆さん。
今回の事件、僕の推理では九分九厘、加茂川さんを臼井さんが殺害しています。
何故ならば、この部屋には臼井さんが加茂川さんを殺した、という証拠が数多く残って
いるからです。
皆さんはその証拠を見付けだすことが出来ましたか?
それでは解決編、じっくり御覧ください。御案内は御神楽時人でした。
〈解決編〉
「臼井さん、あなたはこの家で加茂川さんを殺して、逃げだそうとしたんでしょう。しか
し、運悪く我々が来てしまった。そこで咄嗟に書生に成り済まして誤魔化そうとしたんで
しょう。しかし、この御神楽時人の目は誤魔化せなかった、というわけですよ」
「わ…、私が殺したという証拠があるのか!」
「ええ、呆れるほどありますよ。たとえば、その眼鏡ですね」
「眼鏡? こんな眼鏡なんてどこの店にも売っているでしょう」
「そうですね。加茂川さんもそれと同じ眼鏡を掛けてましたからね。しかし、それはあな
たの眼鏡ではありませんよ」
「どういうことですの?」
滋乃が聞いた。
「確かあなた、久御山君が出した資料をこうやって目を細めて見ませんでしたか?」
と時人は眉間に皺を寄せた。普段から細い目を余計に細くしているようだ。
「…おかしいと思いませんか? 僕も眼鏡を掛けているからよくわかりますけど、普通眼鏡
というのははっきりと見えるように度を合わせるものじゃないですか? それなのに
目を細めて見る、ということはその眼鏡の度が合っていない、ということですよ。すなわ
ちあなたの眼鏡ではない、ということですよ」
「う…」
「それからもう一つ。最近雇われたとはいえ、いくら何でも台所の場所を知らないはずは
ないでしょう?」
「…だから言ったでしょう? 私は雇われてまだ日が浅いんです」
「あくまでもシラを切るんですか…。でもねえ、あなた自分から加茂川さんを殺した、と
言ってるんですよ」
「何だと?」
「僕が『加茂川さん遅いですね』と聞いたとき、あなたこう答えましたよね。『加茂川さん
は約束の時間には遅れたことの無い人だった』って」
「そ、それがどうかしたのか?」
「…おかしいと思いませんか? なんで生きている人を話題に出したときに『だった』と
過去形で答えるんですか?」
「そ、そんなことでわかるのか…? あっ…」
「ボロを出しましたね。あなたがやっぱり加茂川さんを…」
「…ちょ、ちょっと待て! …じゃあ死体はどうなんだ? 死体が無ければあんたの言っ
てる事はただの想像だぞ!」
「死体? …それなら、ここにありますよ」
時人は客間の畳の端を思い切り踏む。
てこの原理でもう一方の端が持ち上がった。
時人はそれを脇に置いた。
そこには大きな穴が開いていて、陶器の欠片と死体が入っていた。
「そういうことでしたの…」
「臼井さんがこの畳を避けて通っているから、何かあるな、と思ったんですよ。迂闊にこ
の畳を通って穴にはまりでもしたら我々に気付かれてしまいますからね。さあ、どうです?
何か言いたい事はありますか?」
と、不意に、
「この野郎!」
臼井が滋乃に襲いかかった。
「久御山君ッ!」
しかし、滋乃は落ち着いていた。
臼井の右腕をはっしと受けとめると、
「ええいっ!」
気合一閃、滋乃の一本背負いが炸裂した。
男は派手に引っ繰り返り、気絶してしまった。
滋乃は両手を払いながら、
「わたくしを女だと思って少々甘く見ていたようですわね」
時人が感心したように、
「いやあ、相変わらずの切れ味ですね、久御山君。見事な一本勝ちですよ」
「こ…、これは時人様にお恥ずかしいところをお見せいたしましたわ。おほほほほ」
必死に取り繕う滋乃だが時人は、
「いえいえ、そんなことはありませんよ。…さて、この人も暫くはこのままでしょうから
久御山君、諸星警部を呼んで来てください」
「承知致しましたわ」
〈エピローグ〉
滋乃が呼んだ諸星警部の車に、臼井が乗せられ去っていった。
それを見送る二人。
「でも、時人様」
「何ですか?」
「いつごろから、あの方が加茂川さんを殺した、と気付いてたんですの?」
「いや、最初からそう思っていましたよ」
「最初から?」
「ええ、以前に加茂川さんが事務所に依頼に来た時の草履が玄関にあったんですよ。それ
なのに加茂川さんはどこにもいない、これは何かあるな、とは思ってたんですが」
「じゃあ玄関から入ろうとした時…」
「…ああ、見てたんですか。いや、僕もこういう仕事していますから、どうも一度周りを見てから
じゃないと、人の家に入れないんですよ。我ながら困った性格だとは思ってるんですが」
「それじゃ動機は…」
「そうですね…。推測するしかないですけど、さしずめ金銭の貸し借りを巡って、言い争いと
なってカッとなって凶行に及んだ…、そんな所だと思いますよ」
「時人様」
「何ですか?」
「とっても素敵ですわ」
(終わり)
この作品の感想を書く
戻る