幽霊ビルディング


「だからあ、本当に見たんだってばあ!」
「……さっきから言うとるやろ。きっと何かの見間違いや」
「見間違いじゃないもん! 本当のお化けだもん!」
「この科学の時代に、お化けなんかおるはずないやろ」
 ある日の夜、アイリスが外出の帰りに人魂と幽霊を見た、と言っているのだ。紅蘭はそ
ういうものを信じていない人間だから、きっと何かの見間違いだ、と相手にしない。
 しかし、傍らでそんなアイリスの話を聞いていた大神が不意に、
「……アイリス、そのアイリスがお化けを見た、ってのは四丁目のビルディングか?」
「うん。どうしてお兄ちゃんわかったの?」
「何や? 大神はんはアイリスの言うこと信じとるんか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……。最近、公演を見にきたお客様の間でもその
話をする人がいるんだ」
「つまり、アイリスの他にも目撃者がおる、ゆうことか?」
「そういうことだな。ここ一週間ばかりそういう話をよく聞くな」
「……妙やな。なんでここ一週間に集中しとるんや?」
「うん。オレもそれが気になってな……。よし、アイリス。明日、そのビルディングへ探
険にいこうか?」
「うん!」
「……ひょっとして大神はん、お化けの存在信じとるんか?」
「いや、信じる信じないは別として、こういうのは、はっきりさせないとな」
    *
 翌日の夕暮れ時。
「ここだな? アイリスがお化けを見た、ってビルディングは」
 大神がビルディングを見上げる。
「うん、そうだよ」
「それはええんやけど……何でウチまでアイリスに付き合わなあかんのや?」
 紅蘭が漏らした。
「紅蘭言ったでしょ? お化けなんていない、って。それならお化けがいない、ってこと
ここで証明してよ!」
「……わかった。ウチがお化けなんかおらんこと、証明したるわ。もしホンマにお化けが
おったらウチ、アイリスの言うことを一週間何でも聞いたるわ」
「本当?」
「ウチ嘘は嫌いや、約束したる。その替わり、おらんことが証明されたら、アイリスがウ
チの言うことを一週間何でも聞くんやで」
「わかった。約束する!」
「ホンマやな?」
「まったくもう……。二人ともいい加減にしなさい!」
 マリアが言う。彼女も大神たちに付いてきたのだった。
「しかしな、マリアはん……」
「しかしも何もあったもんじゃないわよ! 二人だけじゃ心配だからと思って、付いてき
たのは正解だったわね」
「すまん、マリア。君にまで手間をとらせて……」
 大神が言う。
「いいんですよ、いつものことですから。それにしてもこのビルは確か……」
「本当だったら来年早々にも完成するはずやったんだけどな。ここの持主が夜逃げしたら
しくて、工事が中止されたんや。未だ取り壊しの目処も立っとらんらしいで」
 紅蘭が言う。
「夜逃げ?」
「何でも莫大な借金を作ったらしいで。で、首が回らなくなった、とこういうわけや」
「じゃその持主が自殺してその魂が……」
「だから、そんなことあるはずない、とゆうとるやろ」
「とにかく、調べてみればわかることだ。それじゃ、行くか」
 大神が懐中電灯を点灯した。

 中に入ると夕方だというのに、少し薄暗かった。
「……これは?」
 大神が床を照らす。複数の足跡があった。
「……何これ? ひょっとして、お化けの足跡?」
 アイリスが聞く。大神は、
「違うよ、アイリス。日本のお化けは足が無いんだ。だから足跡なんか付きようがないん
だよ。これは人間の足跡だよ」
「……へえ。日本のお化けって足が無いんだ……」
「……でも、この足跡、つい最近付いたようですよ」
 マリアが言う。紅蘭も足跡をじっと見て、
「そのようやな。しかも、一度や二度、っちゅうわけやない。何度も出入りしているよう
やな」
「確かにな。でもなんで、こんな無人のビルディングなんかに……」
「とにかく、万全の注意を払ったほうがいいですね」
「そうだな。みんな一緒になって行動したほうがいい。オレやマリアから離れるな。わか
ったか?」
「うん」
「よし、マリア行くぞ!」
「はい」
    *
 いつのまにか日は落ち、すっかりビルディングは暗闇に包まれ、大神とマリアの持つ懐
中電灯のみが頼りとなっていた。
「大神はん、何やこれ?」
 紅蘭の声がした。
 大神は紅蘭の指差す方向に懐中電灯を向ける。
「弁当の空箱じゃないか」
「せやけどこの弁当、食うてからそう日が経ってないように見えるで。おそらく二、三日
前に食うたものやな」
「……ってことはやっぱりこの中に誰かいるのかしら?」
 マリアが言う。

「……お、お兄ちゃん」
 突然アイリスの声がした。
「アイリス、どうしたんだ?」
「あ……あれ……」
 アイリスが指差す。
 暗闇のなかでボウッ、っと火が浮かんでいたのだ。
「まさか……人魂?」
「で……出た……」
 それを見た紅蘭、
「あ……あは……あはははは……う……ウチ、ウチ用を思い出したから、こ、これで失礼
させていただきます……」
 と立ち去ろうとするが、アイリスが紅蘭のお下げの髪を掴んだ。
「い、痛ッ! な、何するんやアイリス!」
「紅蘭、逃げる気?」
「に、逃げるなんてそんな……」
「だったら一緒にいてよ!」
「……しに来た?」
「え?」
「誰だ!」
 大神が懐中電灯を人魂のほうに向ける。
 光の輪のなかに人影が浮かんだ。
「おまえら……何しに来たんだ……」
 人魂がだんだんと四人の前に近付いてくる。
 マリアがエンフィールドを取り出す。が大神は、
「マリア、待て!」
「隊長……」
「アイリス、紅蘭。下がってろ!」
 とマリアを制止し、アイリスと紅蘭を後に下がらせた。
「マリア、二人を頼む」
「はい」
 そう言うと大神はゆっくりと前に出た。
「……あんたひょっとして夜逃げした、というこのビルディングの持主か?」
「……」
「答えないところを見るとそうだ、って認めたってことか? ここ最近のお化け騒ぎの原
因はあんただろ? 蝋燭かなんかを持って歩いているところをアイリスや他のお客様が人
魂と見間違えた。今も実際、蝋燭を持ってるからな。そして、お化けというのはあんた自
身だ。おそらく借金とりから身を隠すためこのビルディングに逃げてきた、ま、そんな所
だろ。でもな、逃げたって無駄なもんは無駄なんだ。ここらで観念したらどうだ?」
「……てやる……」
「何?」
「殺してやる……おまえら全員殺してやる!」
 いきなり男が角材で大神たちに襲いかかった。
 すんでの所で大神は角材をかわす。
(……やばい。普通じゃねえぜ!)
 自分はとにかく、アイリスや紅蘭の身に何かあったら大変である。と、
「隊長!」
 マリアが何かを投げた。一瞬キラッと光るものを見て大神はマリアがエンフィールドを
投げた、と直感した。
「有難う、マリア!」
 大神はエンフィールドを受け取ると両手で構えた。
 男が角材を降りおろした。
 大神はそれをかわすと台尻で男の後頭部をおもいきり殴り付けた。
 男があっさりと倒れた。
 しばらく倒れている男を見る四人。
「……お兄ちゃん、この人……」
「大丈夫、気絶しているだけだよ」
「にしても、まさかこのビルディングの持ち主だったとはな……なんでこんな所に逃げた
んや」
「借金とりに追われてここしか逃げるところがなかったんだろ」
「でも、なんでアイリスたちに襲いかかったの?」
「人間、極限状態に置かれると何を起こすかわからないものよ。……おそらく私たちを借
金とりとでも思ったんでしょうね」
「……だろうな。誰もいるはずがないんだから、蝋燭の炎を人魂、人影をお化けと思った
んだろ」
 しばらく沈黙が流れる。とマリアが、
「……隊長。警察を呼んできます」
「ああ。ついでに医者も頼むよ」
 そういうとマリアは外に向かった。
    *
「な、ウチの言った通りやろ? お化けなんかおらんかったやないか」
 紅蘭が言う。が、大神たち三人の冷たい視線に気付き、
「……ど、どうしたんやみんな。その目は?」
「紅蘭、その言葉、全然説得力ないわよ」
「そうだよ、真っ先に逃げ出そうとしたじゃない」
「べ、別にええやないか、そんなこと。ま、とにかくお化けがおらんことはこれで証明さ
れたんや。約束通りアイリス、ウチの言うこと一週間聞いてもらうで」
「ぶー、わかったよ」
「……待ちなさい。その約束、私が預かるわ」
 マリアが言った。
「けどな、マリアはん……」
「けども何も、たまたま今日はいなかった、ってことでしょ? 世の中には科学で説明で
きないこと、ってのがまだまだいっぱいあるのよ。科学で説明できないから、って否定す
るのが科学者の悪い癖なんだから……。それとも紅蘭、あなた世界中の不可思議な現象を
全て論理的に説明できる、って自信あるの?」
「そ、そんな無茶な……」
「でしょ? その時が来るまで、私がその約束預かるわ。よろしいですね? 隊長」
「別にオレは構わないけど……」

 帝劇に戻ったのは既に夜の八時を回っていた。
 この後、大神たち四人は支配人室に呼ばれたっぷりと油を絞られ、さらにアイリスと紅
蘭はその後に延々と二時間もあやめの説教を聞いたのであった。

〈おわり〉


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