MEMORIES IN SCHOOL DAYS



 1984年・秋。
 理科準備室は煙に包まれていた。
 既に逃げる術を失った美神令子は準備室の隅で小さくなっていた。今日ほど自分が日直
だったことを恨めしく思ったことは無かった。先生に言われて理科準備室に次の授業の道
具を取りにいったら、突然煙がたちこめて来たのだ。火事だ、と気付いた時には既に遅く、
廊下は煙が立ち込め、逃げ場を失っていたのだ。
「あたし、このまま死んじゃうの?」
 絶対にそれだけは嫌だ。自分は世界一のゴーストスイーパーになる夢があるのだ。それ
を実現させないうちは死んでも死に切れない。
「助けて、パパ…ママ…」
     *
 気が付くと美神は病院のベッドの上に横になっていた。
「令子、気が付いたのね」
 母親の美智恵が顔を覗きこんでいた。
「ママ…」
「大丈夫よ。火傷はしたけど、大したことはないって。まあしばらく病院に通うことには
なるけど、心配することはないって」
「あたし、どうして助かったの?」
「誰か女の人が助けてくれたらしいわ」
「女の人?」
「私も病院の先生から聞いただけだけど…。なんでもあなたを助けると、名前も告げずに
どこかへ行ったらしいわ。私もお礼をしたいけど、その人が誰かわからないんじゃ…」
「…また会えるかな? その女の人に…」
「…あなたが会いたいと思えばきっとまた会えるわ」
     *
 1995年・春。
「GS美神」事務所では、美神令子、横島忠夫、おキヌの3人が朝から事務所の大掃除を
していた。年末に大掃除をしたばかりだというのに、あっという間に除霊グッズやらなん
やらで事務所はいっぱいになっていた。こうして3ヶ月に一度は大掃除をしないと事務所
は崩壊してしまうのである。
 あらかた片付いた時、
「わあ…、なつかしいわあ…」
 美神がタンスの奥から古いアルバムを見つけた。
「何ですか? 美神さんの小さいときの写真っスか?」
「わあ、見せてください」
 横島とおキヌも興味をそそられたか、美神のところへ集まる。ページをめくると「令子・
生後3日」とか「令子・幼稚園年長組」と書かれた見出しと写真があった。
「筆跡から見てママが書いたものみたいね…」
美神がつぶやく。
「横島さん。これこれ」
おキヌが指さす。
「み…美神さん、かわいい…」
「令子・小学校入学 6歳」と6歳の美神がランドセルをしょってすましている写真があ
った。
「ああ、これね。…そう言えば小学校の頃からよく友達の除霊してたっけ…」
「美神さん、小学生の頃からゴーストスイーパーの素質があったんですね」
おキヌが聞く。
「今にして思うとたわいもないものばかりだったけどね。…三年生の時だったかな…、学
校が火事になって校舎建て替えたから、その頃のこと、よく覚えてるのよ」
「建て替えた? …火事になって?」
 横島が信じられない、という表情で聞く。美神が三年生の頃、といったらほんの10年
位前じゃないか。
「かなり傷んでたらしくってね。…なんでも、原因は漏電だったらしいの」
「漏電ねえ…」
「それで美神さん、どうしたんですか?」
おキヌが聞く。と、美神は黙ってしまった。果たして、『あの事』を話していいのか…。
誰だって知られたくない過去がひとつやふたつあるものなんだから。
「…そんなことはどうでもいいじゃない。さ、ふたりとも、仕事よ。…おキヌちゃん。今
日の予定は?」
「あ、はい…」
 この頃、まだ美神の身にとんでもないことが起ころうとは、彼女自身気が付いていなか
った。
     *
「この世で迷うのは勝手だけど、ちょっと悪さが過ぎたみたいね。このゴーストスイーパ
ー、美神令子が、極楽へ、いかせてあげるわ!」
 美神が神通棍を構えて叫ぶ。
「悪霊、退散ー!!」
 そして神通棍を上段に構え振り下ろす。しかし、美神は悪霊の様子がいつもと違うのに
気が付いた。
「…やば、パワーが違いすぎるわ!」
 美神は精霊石のペンダントをひきちぎると悪霊に投げ付ける。
 悪霊が一声、咆哮をあげる。と、次の瞬間、目も眩むばかりの閃光が美神を襲った。

 数秒後。
「…!」
 異変に最初に気付いたのはおキヌだった。
「み…、美神さん…」
 横島があぜんとした表情で、
「き…、消えちまった。美神さんが消えちまった。」
 慌ててあたりを探しまわる二人だったが、美神の姿形はどこにも見当たらなかった。
「美神さーん!」
「美神さん、どこにいるんですか?」
 しかし、美神のいる様子はない。
「…横島さん…」
「…い、いったい何が起こったんだ…? 美神さんはどこへいっちまったんだよ…」
    *
 1984年・秋。
「美神くん、美神くん!」
 先生が美神を呼ぶ声がした。
「はい。なんですか、先生」
 小学3年生の美神が先生のもとへ行くと、
「休み時間に理科準備室から、ビーカーとフラスコを持って来てくれないか?」
「はい」
 今日は彼女が日直だったのだ。
    *
「…う、ううん…」
 美神が気が付くとそこは広場になっていた。
(…あれ? 確か私は、ビルの中で除霊をしてたはずなんだけど…)
 そしてまわりを見回す。
「…横島クン、おキヌちゃん、どこにいるの?」
 しかし二人は見当たらない。
「二人ともどこ? …え?」
 何気なく美神が見た方向。そこは、新宿のビル街だった。
「と…都庁が…、都庁がないわ…」
 そう。高さ243メートルのビル街の中でもひときわ目立つ都庁があるべき所に建って
ないのだ。
「い…、いったいどういうこと?」
 と、近くにスポーツ新聞が捨てられているのを美神は見つけた。何気なく見ると「阪急
ブレーブス優勝マジック3」との記事が。
「阪急ブレーブス?」
 阪急は昭和から平成へと時代が変わった1989年にオリックスに球団経営権が移り、
今の球団名はオリックス・ブルーウェーブのはずだ。野球のことはあまり知らない彼女で
もそのくらい知っている。それに今プロ野球は始まったばかりだ。マジックがどうのこう
のと言うのは秋ではなかったか? 美神は新聞の上のほうに目をやる。「1984年(昭和
59年)」の日付だった。
「1984年…?」
 どう見てもそのスポーツ新聞は捨てられて間もない新聞だ。
「ま…、まさか…」
 まさか自分はタイムスリップしてしまったのか? 除霊時の自分のパワーと霊のパワー
が相乗効果をおこして自分を11年前にタイムスリップさせるパワーが生じたのか?
「でも、なんで1984年に…?」
    *
 理科準備室。
 美神は実験道具が入っている棚からビーカーやフラスコを取り出していた。
 そのとき、けたたましく非常ベルの音が響いた。
 美神は慌てて準備室の扉を開く。既に廊下は煙で充満していた。
「きゃっ!」
 そして扉を閉じる。火事だ、というのを本能的に悟った。そして美神は窓側にいくと準
備室の隅に縮こまった。扉の隙間から煙が入ってくる。
    *
 消防車がサイレンの音と共に美神の傍を通り過ぎる。走り去った方向を見ると、何処か
らか火の手が挙がっていた。
「火事? 何処かしら?」
 美神は消防車の走り去ったほうへ向かって走りだした。

「火事はどこだーっ?」
「学校らしいぞーっ」
 美神のまわりで声がする。
「学校ですって?」
 なるほど、現場に到着するとそこは学校の校舎だった。
「こ…、ここは…」
 美神は校舎を見て気が付いた。忘れもしない11年前に火事を起こした、自分の通って
いた小学校だった。

「…ってことは…、あの中にあたしがいるんじゃない!」
 もしここで11年前の、9歳の自分が焼死、なんてことになったら、ここにいる20歳
の自分が消滅、なんてことになってしまう。
 美神は意を決すると警備にあたっていた警官の隙を突いて学校のなかに入っていった。
「こら、君、あぶないぞ!」
 警官の声が背中でした。

 美神は校舎の裏に来ていた。
「えーと…、確かこのへんにあったんだけど…」
 記憶を頼りに探していると、水道とバケツがあった。
「あったあった!」
 水道の蛇口をひねると幸い水道はまだ通っていた。美神はバケツに水を入れると頭から
それをかぶった。そして校舎に入ると煙を避けつつ階段を上っていった。
「あの時、あたしは先生に頼まれて理科準備室へ行ったんだわ…。確か、理科準備室は一
番上の階の一番端の部屋のはず…」
 が、すでに最上階は煙が充満していた。これでは下手するとミイラとりがミイラになっ
てしまうかもしれない。除霊とはワケがちがう。敵は燃え盛る炎と煙なのだ。
「ママ…、あたしに力を貸して!」
 美神は死んだ母に祈った。そして煙のなかに飛び込んだ。

 理科準備室は煙に包まれていた。
 既に逃げる術を失った美神令子は準備室の隅で小さくなっていた。今日ほど自分が日直
だったことを恨めしく思ったことは無かった。先生に言われて理科準備室に次の授業の道
具を取りにいったら、突然煙が立ちこめて来たのだ。火事だ、と気付いた時には既に遅く、
廊下は煙が立ちこめ、逃げ場を失っていたのだ。
「あたし、このまま死んじゃうの?…」
 絶対にそれだけは嫌だ。自分は世界一のゴーストスイーパーになる夢があるのだ。それ
を実現させないうちは死んでも死に切れない。
「助けて、パパ…ママ…」
 だんだん気が遠くなっていく。煙が自分にまとわりつきはじめた。
「お願い…、誰か助けて…」

 ガラッ、と扉を開けると、煙で1メートル先すら見えなかった。
「誰かいる? いたら返事して!」
 しかし声は聞こえない。美神は口を手で覆うと煙をかきわけながら部屋の奥へと進んで
いった。
 部屋の奥に「彼女」はいた。気を失っているのか、壁際に倒れこんでいた。
 瞬間、美神はすべてを悟った。母親が言っていた「女の人」とは今ここに立っている2
0歳の自分であること、そして9歳の自分を助けたのは20歳の自分であることを。
 母親の美智恵は結局何も知らないまま死んでしまったので、長いことその謎はわからな
かったが、今、ようやくその回答が得られた。
 美神は9歳の自分を抱き上げると急いで準備室を後にした。

 外では生徒や教師たちが不安そうに校舎を見つめていた。
 ひとり生徒が逃げ遅れ、警官の静止を振り切って、ひとりの女性が中に入ったと聞き、
どうなることかと心配しているのだ。
「…お願い。令子ちゃんを助けて…」
手を合わせて祈っている女生徒もいる。
 と、校舎から人影が見えた。腕に少女を抱きかかえている。
「美神くん!」
 教師や生徒が駆け寄る。その女性はひとこと、
「お願いします」
とだけ言うと、教師に気絶している令子を渡す。
「あ、あの…」
何か言いたげな教師を残して、その女性は彼らのもとを去っていった。

 救急車に9歳の自分が乗せられるのを見た美神は、
「よかった…、もう大丈夫ね。」
 あのあと自分は病院に担ぎ込まれ、連絡を受けたであろう美智恵が病院へ駆け付けるは
ずだった。
 不意に美神は気が遠くなった。
   *
「…さん。美神さん!」
 おキヌの声がする。美神はゆっくりと目を開けると、
「…お、おキヌ…ちゃん?」
「よかった、やっと気が付いたぜ。」
 横島の声もする。
「ど、どうしたの? 二人とも。」
「どうした、って…。そこの物陰に倒れてたんですよ。それから、1時間も気絶したまま
で…」
「気絶していた? ねえ、おキヌちゃん。今、西暦何年? 平成何年なの?」
「何年、って…。美神さん。今は1995年、平成7年ですよ!」
 おキヌの代わりに横島が答える。
 じゃあ、あの出来事は夢だったのか? と、美神は右腕に軽い痛みを覚えた。
「いたっ!」
「どうしたんですか?」
 おキヌが美神の右腕を見る。火傷の痕があった。
「火傷のようですね…」
 横島も不思議そうに、
「変だなあ。火なんか全然使ってないのに…」
 …やっぱり本当に起こった出来事だったのか?
 美神は思わず微笑ってしまった。
「…何笑ってんですか?」
 おキヌが聞く。
「…何でもないわ。さ、二人とも、仕事は終わりよ。帰りましょ。」

THE END

(作者より)この話の固有名詞はこの物語を書いた1995年当時のものです。


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