渋谷ジャンジャン


【1994年から1999年10月12日までレギュラー出演する】
 
10年前プロダクションを辞めて、全くのフリーになってオリジナル曲だけでコンサート活動を続ける為、渋谷ジャンジャンを選択しました。1994年から1999年ジャンジャンがなくなる年までレギュラー出演し、いつもジャンジャンを新作発表の場とし、新しい出会いとともに最も創造的な空間として大きな夢をはせ、アーティストとしての自分を確立してきました。
ジャンジャンのステージは、100人そこそこの小さな劇場でしたが1人のアーティストが作品を発表するには充分な空間であり、私に自信と誇りを与えてくれたのです。
あるコンサートの当日台風が東京を直撃し、大雨で渋谷の町が川のように水が溢れて流れていました。そんなときでも私のファンの人達は、不通になっている交通機関を乗り継ぎ必死の思いでやってきてくれました。これにはジャンジャンのスタッフもビックリ「今日は何時間でも思い切りやってください」と言われたのです。
やる側も聴く側も真剣勝負の舞台でした。だからこそいつもジャンジャンのコンサートの前の晩だけは、眠れなくなるほど気持ちが高揚してしまうのです。プロフェッショナルのアート発信の場として、私の音楽活動の中でジャンジャンの6年間が一番自分らしく輝いていられた時でした。
こんな素晴らしい空間がなくなるなんて…日本の文化の灯がまた一つ消えていく思いです。
ヨーロッパに旅行して、プラハのモーツアルト美術館や小さな劇場のあちこちで毎日のようにミニコンサートが開かれるのを見ました。一日の仕事を終えた市民が劇場にやってくる……大人の大切な時間がそこにはありました。〜その国の文化は、その国の市民で創られている〜ということをつくづく感じました。私のオリジナルアートの原点として”今”を曲にし歌にすると同時にもっと大人の文化をつくっていきたいと思うのです。音楽を聴き絵を見、文化を語れる国でありたい。そんな思いが、今また信州に、渋谷ジャンジャンのような、またヨーロッパで見たような小さな空間でいいから、オリジナルアートの発信できる場をもちたいという夢が広がっています。