ここまでお読みくださった方。心の底からの、お礼を申し上げます。
この話は、今までの作品とは少々毛色が違います。
勿論、頼久とあかねの物語の中の、一つのエピソードであることは確かです。最後に二人は幸せなエンディングを迎えます。
しかし、そんな結末はまだ見えず。それぞれがもがき、苦しむさなかであり。暗く、暗く、暗く。辛い業を背負って生きる頼久の横顔を語る話です。
また、イノリという少年の存在無しには、語られなかったであろう、話です。
イノリはハルトキ世界・物語の中で、核心部分に極めて近い位置を占め、その意味でも他の八葉とは、趣きの異なる問題を抱えている。
そんな認識もとに、この話は生まれました。
彼の苦悩は、姉の幸せをひたすら願うところから始まりました。
けれどそれは彼、若しくは彼女の個人的問題に留まるものではありませんでした。
彼が、姉の幸せを真剣に捉え、思うとき、それは物語の根幹を成す、鬼と人との関わりを思うときであり、京社会のひずみを背負うときでもあるのです。
ご存知のとおり。
たった十五の少年は、その大きさを本能的に恐れ、鬼への強い憎しみに感情を固定することで、心の均衡を保とうとしているようでした。
けれど、あかねと出会い自分の手の小ささを認め、その悔しさに泣くのです。そして最後には姉の旅立ちを見送る。
しかし、それは挫折した上での、諦めではありませんでした。
自分の力の及ばないものを受け入れ、それでも、幸せを掴み取ろうと前を見据えた、新たな決意と覚悟の、出発でした。
なんという、しなやかな強さ、潔さ。
そんな彼を中心に据えた話を書きたいと、ずっと思っていました。
私が彼から受けた衝撃、感動を少しでも形にしておきたかったのです。
一方、頼久さんは。
彼が傷を負う話をいくつか書いてきて、ふと、思いました。
なら、彼はどれだけ、人に傷を負わせたのか? と。
武家に生まれ、武士として生きてきた以上、それは決して避けて通れない事柄です。
そしてそれを、彼自身はどう捉えて生きてきたのでしょう。
他の武士団の者ならば、それは手柄以外の何物でもないでしょう。彼もそう納得していたかも知れない。
けれど彼は理屈ではないところで、知っています。人ひとりの死の重みを。
相手が罪人だから、盗賊だから。
果たしてそうやって、綺麗に割り切れていたのでしょうか。
恐らく割り切っている。割り切っていて欲しい。けれどそうではなかったら。
たとえ割り切って生きてきたとしても。
あかねと出会い、彼女に相応しくありたいと願った時、自分の手は既に血塗られていた。その事実を、どう受け止め、乗り越えたのか。
そう、考えてしまった時、簡単に「斬る」と言ってしまう、その背後にあるだろう、凄まじい程の覚悟が見えた気がしました。
臣下であると頑なに一線を引こうとする彼を何だか、理解出来たような気がしたのです。
このような、独りよがりな思い込みから生まれた話なので、これはパラレルのうちの一つ、と捉えて頂く方が違和感が少ないのかも知れません。
当初の予定では、最後まで出口は見えず、二人は苦悩の中に居るはずでした。
しかし、健気で、それ以上に強い少年はその場に留まることを拒否し、未来のビジョンを勝ち取ってきました。そしてそこで地位も刀も、穢れも罪も置き去りにして頼久さんは時空を超えて行きました。あかねと共に。
今ではそれで良かった、と、思っています。
私までも、イノリに救われたような気がしています。
またいつもの通り、上記の戯言が作中で感じられないのは全て、私の力量不足の所為です。
そして、それを汲み取っていただけた方々に、違和感、不快感を与えてしまったとしたら。恩を仇で返すようなことをしてしまい、本当に、申し訳なく思います。
けれど、こうして考えれば考えるほど、「遙かなる時空の中で」という世界がとても深く、魅力の尽きないものであると、再認識させられます。
その世界に触れられた幸運に、感謝するほかありません。
そして、拙い文章を読んでいただける喜びは、一瞬たりとて忘れられるものではありません。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
ご意見、ご感想などいただければ、至福の極みと存じます。
2003/3/20 蓮舞 (03/8/1 手直し)
[びたみんリーフェ]の磯野コシカケさまが、蓮舞の脳内映像を丸ごとそのまま(ホントに!)素晴らしいイラストにして下さいました。
ぜひとも、皆さんもご堪能あれ!
コチラからどうぞ!
追記 2003/4/4
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