通り過ぎる車も極めて少ない住宅地を横切る通りに、僕らの足音が響いている。僕のスニーカーが立てるそれは、全く様にならない。
それでも一言も喋らずに道行く僕ら三人には、その規則正しいリズムが呼吸と同じくらい必要なものに思えた。
十月も半ばの深夜。月もない中天に星が光っている。
思ったよりは暖かいと思っていたけれど、それはどうやら先ほどまで呑み続けた酒の力によるものだったようだ。数えるほどしかグラスを空けなかった彼女は、僕らより先にアルコールが抜けてきたらしい。
僕の隣を一歩分だけ遅れて歩く彼女が、僅かに肩を揺らして首を竦める。目が合うと少しばつが悪そうに苦笑して、さすがに寒くなってきたね、と言った。それから僕らより数歩前を、ジーンズのポケットに両手を引っ掛けて歩く後姿に目を向けた。
深夜の街にひそひそと交わす僕らの声も、彼には届いているはずだった。けれど飄々と進む背中は、僕らにはちっとも関心がないかのように見えた。なのにそこにはひとかけらとして、断絶や拒否などは見えなくて、反対にそいういう気遣いや優しさや温かさが感じられた。
彼が僕らに見せる背中は、いつもそうだった。
冬の宴会、春の花見、夏の花火。そろそろ知り合って季節が一巡りする中で。呑んだ後の帰り道をこうして、僕らは度々一緒に歩いた。
いつでも三人だった。
気がついたらいつでも、僕らは三人だった。
考えれば不思議な話だ。僕らは出会いから三人一緒だった。知り合い、打ち解けていく過程においても、ずっと。
心地のいい関係を築いていく上でそれが必須条件だと、三人それぞれが無意識に察していたようだった。子どもが、いっせーの、と声をかけあったように。
そうやって、僕らはこの関係を作り上げていくことに夢中になった。
三人というルールの意味も、作り上げているパズルが何を描いているのかも、分らないまま。
このバランスを、何と名づければいいのか。
これがトライアングルだったら良かったと、僕は何度思っただろう。彼女を頂点にした、彼と僕の。三角形という、極めて安定的な図形だったなら。
けれど僕らは、決してそうではありえなかった。
僕は、彼女に恋をした。
彼女は、彼に恋をした。
彼は、行き場のない想いを抱えていた。
それは図形にもならず、伸ばす先も失ったただの一本の線でしかなかった。
開くことも閉じることも叶わない、描かれる途中で放棄されてしまった書き損じ。
くしゅん。不意に前を行く背中が、小さくくしゃみをした。
どうやら彼も燃料が切れてきたようだ。鋭角を描く両肘がぶるぶるっと震えて、それは犬の仕草を思わせた。と、彼女も同じような連想をしたのだろうか。クスリと笑って、知らず口の端が上がっていた僕に目ばくせをしてくる。
その横顔があまりに楽しそうだったから、僕はまだ酔いが残っているフリをして声に出してもう一度笑った。
笑いあう僕と彼女の声に、漸く彼が歩みを止めて振り返った。
お前らそうやって後ろで俺を突付いて遊ぶな。まったく。不安定に点滅する街灯が、そうこぼしながら苦い顔を装うのに失敗した彼の笑みを照らした。
プツッ、プツッ。断続的に、夜が僕らの笑顔を細切れにする。
三人とも唐突に。冷たい暗闇に乱暴に放り出された。。
僕の楽しげな声は、彼女と彼に罪悪感を覚えさせ。
彼女の嬉しげな笑みは、僕と彼に痛みを起こし。
彼の穏やかな目は、彼女と僕に孤独を与え。
切れ掛かった白色灯はその瞬間を、僕らにはっきりと見せ付けた。
笑っても、泣いても、怒っても。
どうあがいても傷つけあうだけになってしまった僕らは。黙って夜の底を一緒に歩く以外に、もう、安らぎを分かつ手はないのだろうか。
唐突に「あ…」と呟いた彼女の小さな顔が、クイと上を向いた。
つられた僕の視界にも、それは細く光る尾を描いて、そして消えた。恐らく彼にも見えたはずだった。
けれど、僕らは、何も言わなかった。祈らなかった。
他の誰かの傷と犠牲を引き換えに、自分の願いを唱えることは、もう出来なくなっていた。やはり僕らは間違った図形を組み立ててしまったのだ。
胸の内ですら、祈りを呟けない。赦せない。
そんなのは間違っている。
けれどこれを壊すにも直すにも、手遅れなのだ。それほど僕らは、あまりに一緒に居すぎた。大切にしすぎた。
もっと僕らは傲慢であるべきだった。
僕は夜空を見上げたまま、あれは人工衛星だ、と呟いた。
誰も願いを掛けなくても済むように。
願いを叶えぬことを、祈らなくてもいいように。
そうやって、今の僕に出来る精一杯の嘘を吐いた。僕に出来るのは、もう、それくらいだった。
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