戸棚から取り出した瓶の蓋を開け、そこに一つ、石を落とすと。前から納まっていた小石たちと合わさって、チャリッと囁くような音を立てた。
僕は非常に満足して蓋を閉めなおし、無色透明なガラスに閉じ込められた、大事な小石たちをくふくふと笑いながら眺めた。
あれは3年ほど前のことだったろうか。
今と同じようにニンマリとしながら拾ってきた石をしまう僕に、たまたま遊びに来ていた君は「それ、何?」と聞いてくれた。
あの時。君が聞いたとき。 ハチミツの空き瓶だったこれはそこそこ大振りで、やっと半分溜まったところだった。
僕は君の問いに、秘密、と答えた。それから勿体つけて「…知りたい?」とニヤリと振り返ると君は、いい歳して、と大げさに呆れた顔つきをして見せ「別に?」とそっぽを向いた。それがとても分りやすく実に君らしい反応だったから、僕は大いに満足して「この瓶が一杯になったら、君に教えてあげよう」と笑った。
君はますます苦い顔になり、僕はますます楽しくなった。
何時から始めたのか、自分でもわからなくなっているのだけれど。
一人散歩の帰りに立ち寄った、夕暮れの人気のない公園や。旅行先の冬の砂浜や、夏の川べり。そうそう、君と呑んで騒いで別れた後の帰り道なんかもあった。
そんな風にぽつりぽつりと拾い集めた小さな石は。
長い年月をかけ、瓶の口まであと2センチ。
ソラマメよりひと回りほど小さく、つるんと綺麗に角の取れた滑らかな、けれど何の変哲もない小石たち。掌に載せれば少々ヒヤリとする割に、不思議に肌に馴染む。
この瓶を眺めるたびに、あのときの君の横顔が思い出されてくふくふ笑い。それから君に約束した「教えてあげる」そのときを思って、本当に嬉しくなってくふくふ笑ってしまうのだ。
僕は、想像する。
君は、突然音信不通になった僕を心配して、この部屋へやってくる。
新聞受けに隠してあった合鍵で部屋に入ると。
リビングに倒れている僕。
駆け寄る君。
冷たくなった僕。
息を呑む君。
ああどうか。
君が咄嗟に抱き寄せた僕の口から、小石が二つ、零れますように。
飲み込んだのではなく。
そのときだけでも。
僕の中から零れ出たように、溢れ出たように、見えますように。
両手で頬杖をつきながら、僕は想像する。
部屋の鍵も閉まってた。窓も一つも開いてない。
君はこれは事件かと一瞬思い、それからそれはありえないと思い直す。外傷もない。
なにより、石を飲み込んで死ぬなんて。
強要されても出来っこない。だろう?
けれど動かなくなった僕の死体以外はあまりに普通で。これからも日常が続いていくかのように洗濯物は干されたままだし、コーヒーカップには飲みかけが入ったままだ。
まるで事故にでもあったような。いや、それですらありえないのに。
呆然とした君が部屋を見回すと、テーブルに空のガラス瓶を見つける。そう、そんなことも見えなくなっていたほど、君は驚いていたんだよ。
ほら、昔、一度見たきりだけれど。素晴らしい記憶力を誇る君は、その瓶が何だったかを思い出すよ。
そして、その瞬間に。
君はすべてを悟るんだ。
聡明で、優しくて、厳しくて、冷たい君は。
きっと僕のメッセージを正確に受け取ってくれる。その後で。
君は僕を哀れだと笑うだろうか。馬鹿だと泣くだろうか。
あと2センチになった今でも、それだけが予測できないでいるよ。
押し殺して、隠し通して、飲み込んで。長い時間をかけて化石となった気持ちがあります。そんな想いたちがある日突然、発作のように。
溢れ出し、押しつぶし、呼吸すら奪い去って。
そうして僕は死にました。
こうでもしなければ伝えられない、こうしてまでも伝えたい。
こうするほどまで苦しかったです。こうするほどまで幸せでした。
君を君が君に君はキミさえキミゆえキミだけ、キミだけを。
これが僕から君への、最初で最後のメッセージです。
君だけに向ける、君だけがわかる、メッセージです。
死に逝く僕から。
死ぬほど焦がれた―――――ただ、ただ『コイシイ、コイシイ』君へ。
その日まであと2センチ。
君を想うたび。恋しく淋しく想うたび。僕は小石を拾い、その幸せな瞬間を夢見ている。
※江戸時代の恋人達の言葉遊びだそうで。バカップルは時代を問わず存在するらしいです。恐ろしい(笑) |