『永久落下』





 天気予報は、夕方からの降雪を声高に主張し繰り返していた。
 一日中昏かった空は、時間を経るごとに雲の厚さを増していき、気温は急速に下降ラインを辿る。
 これはかなり酷そうだ、と誰もが気付き、早々に仕事を切り上げそそくさと家路に着く。閉じ込められるならば、暖かい自分の巣のほうがマシに決まっている。
 人気がなくなった建物の一室、俺も限界を察して書類を置き、帰り支度を始めた。
 机の上を誤魔化し程度に整え、ストーブを消す。
 それから、まだ降りはじめちゃいねぇだろうな、と小さな窓に手を伸ばした。結露で曇ったガラスを指で拭う。
 日没をとうにむかえ、外は黒一色。乱雑な部屋の様子が映りこむ。目をこらす。まだ白いものはないようだ。
 どうやらセーフらしい。
 晩飯は何にするかと思考が逸れかけた瞬間、窓の下、中庭に人影を見つけた。
 指標のように立つ姿は、背を向けてはいるが、確かによく見知った人物のそれだ。見間違えようもない。
 舌打ちしつつ、車のキーとコートをすり抜けざまに掴み、部屋を出た。部屋の明かりと戸締りのため、三歩ほど戻る破目になった。

 昇降口から出ると、中庭のほぼ中央あたりに、まだ突っ立っているのが見えた。ここからだとちょうど真横だ。
 近づく俺に気がつかないはずはない。出てきたところから知っているはずだ。
 お互い、悟り悟られしているのを、冷たい大気が伝達する。

 「…よぉ」
 声をかけても、横顔はピクリとも動かない。
 年甲斐も無いダッフルに両手を突っ込み、首をカクンとほぼ90度後ろに倒し、空を見上げたままだ。
 「何しているか聞いたら、後悔しそうだな」
 出した煙草を咥えた口元は、白い靄に覆われた。
 「うん? 祈って…。ちゃうな」
 まだ一度も俺を見ない目は、重苦しい夜空に固定されたまま。祈る? あ、願う。…うーん、離れてっとる。ブツブツ呟く。
 軽い溜息を落としただけで、とりあえずはライターだと手探りで探すのだがない。どこだったかとコートやスーツのポケットを探ってる間に「そうや!」と回答者が答えを思いつたらしい。
 空の一点を見つめたまま、横顔は満足気にニンマリと目を細めた。

 「呪ってんねん」

 「・・・・・・そりゃ、ご苦労だな。ちなみに如何呪ってるのか、聞いても?」
 首は疲れないのか、と頭の片隅で気になった。
 「オチテコイ。オチテコイ」
 呪文めかした言葉は、白い色を与えられ宙を漂う。
 現代の呪術者は呟きながら、ポケットから出した腕を大仰に空へ伸ばした。
 「お前が望もうが望むまいが、降ってくんのは関係ない。それに時間の問題だろ」
 つられて仰いだ空は、黒く昏い。
 指が内ポケットの硬い感触を探り当てる。
 
 「フッテコイ、やなくて。――――― オチテコイ」

 最後の一言が凍てつく空気を震わせ、灯したライターの炎を揺さぶった。
 止まった手は、一瞬。
 火をつければ、あとは考えなくても動ける。煙を胸に、押し込めたものを外に。

 「落ちてこなかったら、如何する?」
 赤い火は煙草の先で、熱を忘れる。
 
「苦しみ焦がれて、死んでまう…かな」
 そう言って空に伸ばした手のまま、つま先だってみせた。

 「…落ちてきたら、如何する」

 言葉と共に吐いた煙が昇っていき、上げられた腕はゆっくりと再びダッフルコートに収められ。固定されていた視線は、一度、地面と向かいそれから。

 「絶望して、死んでまうやろ」

 漸く俺に向けられた表情は、――――― 笑っていた。



 だから俺は、永遠に堕ち続け。
 だから永遠に、お前に届きはしない。