北の亡者
                                ・・・・・・・・ くりすたきじ


 こころの温泉をめぐる詩人たちに出会った頃、私はよくこういう言葉を吐いていたに違いない。「現代詩というのは私にはわからないんですよ」。
 二十歳の頃、詩を読みたいと思って図書館や書店でしきりに詩の雑誌をのぞいて見るものの、それらの詩から拒絶されているような気がしていた。現代詩というものは難しくて、才能のある人たちだけの世界であると思っていた。
 それからずいぶん時がたった。詩とは無縁に暮らしてきた私が、三十年ぶりに、この一冊にめぐりあって、詩の世界にはまった。くりすたきじの詩集「北の亡者」(2003年6月発行)である。

 どこの掲示板で知り合ったのだろうか、彼が「北の亡者」について書いた文章を見たのが最初。それからメールでのやりとりがあって、詩集「北の亡者」が送られてきた。
 これはすごい詩集である。私が思っている世界にぴったりと一致するものがそこにあった。魂が共感するというのはこういうことだ。

 も吉というのは、くりすたきじ氏が飼っていた犬で、1989年から2002年のあいだ、も吉と歩いた四季折々に書かれた40行の連作詩である。

 「コスモス」。北の亡者とは、北の空にいる季節をつかさどる神さまのようなもの。冬は北の亡者の別名なのかもしれない。別の詩に「ぼくは北の亡者が好きだ」と、も吉がささやくフレーズがあるが、北の亡者に向かって冬の晴れた日に一人で歩いていくことが、私もたいそう好きだ、きゅっと胸がしめつけられる気がする。

 「風のかたち」。このように詩を書くことができることを、決してうらやましいとは思わない。それよりこの詩に出会えた自分の幸運を、ただ喜んでいる。この詩が存在するのであれば、現代詩はもっと私にとって身近なものになっただろう。こんな言葉の世界を私は好きでしかたがない。
 
 「生きる」。死期の近いも吉と毎日散歩をする。連れだって歩く道のりの途中、北の亡者へおまえを還す日を思っても、まだ生きて欲しいと願う。この詩を読んだころ、しきりに思っていたのは、「思わぬうちに時は過ぎ去ってしまった。気がつけば残り半分もない。ゴールは間もなく近づいていて、死んでいくのはひとりである」という物思い。だから「もう少し生きていて欲しい」というフレーズがこころに響く。

 「紫陽花」。も吉をとむらう詩。も吉は北の亡者のもとへ帰っていくのだ。だから寂しくなんかない。いつかこのように 誰もが北の空へもどっていくのだ。
 
 「北の亡者」の詩集については、丸ごと一冊紹介してしまいたいと思う。ざんねんながら、個人発行による詩集なので、なかなか手に入らない。詩人本人に頼んで送ってもらうほかに、現在入手方法はないようだ。もっと一般の目の届くところに置かれるとよいと思う。くりすたきじの世界を知りたいならば、ぜひこの詩集を読んで欲しい。

 夏のこころの温泉・パート5、隅田川ライブで、くりすたきじは隅田川に向かって熱唱した。隅田川に日が沈む一番素敵な時間だった。自分の詩に曲をつけて歌うシンガーソングライターとして、地元、和歌山で頻繁にコンサートを行っているそうである。
 そして潮岬では、世話人として、朗読会の進行役として、翌日のツアーの案内人として活躍してくれた。ギターを持てばあんなに元気なのに、マイクの前から離れると、なぜか寡黙な人である。

 潮岬で弾き語りをした詩は、たくさんありすぎて、ここに羅列させていただくことにする。私は「北の亡者」を紹介するだけで、すっかり満足してしまっている。

「四角い窓から」 歌  (作詞 岩城万里子)
きっとね」 歌
朝の日記 2005夏」 朗読
夕陽にいちばん近い海で」 歌
蚯蚓の朝食」 朗読
潮の岬」 歌
 
 
(2005.12.31)




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