百物語 


 流鏑馬−1 


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 「あの神棚の矢をいつか奉納してね」
と母が言い残した。鎌倉時代からの流鏑馬という行事が、地方のほとんど名
もない神社に伝えられているのは驚きであった。正月のお参りのときにもら
う破魔矢しか知らない私には、本物の矢が神棚に祭られているのが不思議だ
ったし、流鏑馬の行事が毎年行われ、そこへ矢を返納するというしきたりに
ひどく興味をそそられた。
 仕事で忙しい父の名代として私は学校を休んで母の郷里へと旅立った。  


 母は病に倒れる前、実家のあるこの市に、祖父の看護のため3カ月ほど滞
在していた。そのとき流鏑馬を見にいったそうだ。
 「狩衣姿の武者をのせて馬が走っていって、矢をつがえて射るのよ。
  びゅん、って的にあたるのは見事だったわ」
 そういって矢を神棚に挙げてポンポンと拝んだ。近年、母は神や仏を熱心
に祭るようになっていた。
 それは、早すぎた死の予感だったのかもしれない。


 「飯盛山のふもとならバスで行ってもその先が大変だ。すぐそこに見える
  ものは案外不便なことが多いよ。あ、そうそう良いものがある」
 祖母が出してきたのは、錆でぼろぼろになった自転車だ。もとの赤い塗装
の名残があり、チェーンは錆びてギィーギィー言っている。それでも何とか
乗れそうなので油を差したら嫌な音は小さくなった。
 「お母さんは、よく自転車でふらりと出かけて行ったよ。此処へ越してき
  たばかりのころは、回りはずーっと田圃ばかりで、コミ焼き場の煙突も
  よく見えた。川沿いに海まで回ってきたのよ、って半日も出かけたっき
  り帰ってこなかったよ。あの子はおてんばだったからねえ」
 遠くに見える山を目印に、私は自転車で出発した。
 「そんなのいいよ」
と断ったのに、祖母は私のためにお握りとお茶を用意してくれた。世話焼き
をしたがる祖母の静止を振り切って、母は外へ外へと飛び出して行ったのだ
ろうか。「おてんば睦子」というのが祖母の口癖である。


 バス道路の終点は一群の団地で、そこからは道が細くなり、山と平行に舗
装道路が続いている。ところどころに山への登り口が別れていて、ハイキン
グコースを示す看板が立っている。
 ついに舗装が切れて砂利道になった。自転車ではのったりのったりとしか
進むことができない。道の両側は色鮮やかな若枝が伸び出しており、緑の匂
いがぷんぷんとしてくる。
  行きどまりに色の禿げた鳥居があり、そこで自転車をのりすてて階段をの
ぼると、広い境内に出た。脇に神社の由来がかかれた看板があり、白い幟が
10本ほど立っている。
 裏に回ると流鏑馬を行う馬場があった。馬場といっても草原の中に白い道
が続いて、その向こうに的が3つ並んでいる。柵のこちらには馬がつながれ
ている。


 ちらほらと観客が集まっている。本殿の方では祝詞があげられ、武者たち
の本日の武運を祈る儀式が行われている。みくじ処へいくと、白い着物に袴
をつけた少年が座っていた。
 「この矢を返納するのは、どうすればよいのでしょう」
と尋ねた。
 「はい、しょうしょう、おまちください」
たどたどしくおじぎをして、少年は矢を持って奥へと消えてしまった。


 しばらく待っても戻ってこないので、私はぼんやりと境内を眺めていた。
狩り衣姿の武者が2人馬場の方へ歩いていく。背の曲がったかなりの年配の
老人と、ちょうど父ぐらいの年代のすらりと背の高い男性である。
 「こっち、こっち、一緒に来て」
さきほどの少年が駆け寄ってにっこりした。手を引っ張られてついていくと、
馬のスタート地点へと連れていかれ
 「ここで、矢を渡してくださいって」
と、預けていた矢を渡してくれた。さきほどの背の高い男が、私の方へ近づ
いてきて一礼する。私が矢を渡すと、受け取った男は一瞬けげんそうな面持
ちになり、それからさっと馬にまたがって、しばらく足踏みをさせた後、馬
場のほうへ走り出した。
 馬はだんだん速度を増し、馬上の男は弓につがえた矢を引き絞る。タイミ
ングをのがしたのか馬の首を戻して引き返してきて、もう一度走り出す。も
ういちど弓を引くとこんどは、ひゅん、とうなりをあげて飛んでいった。
 「やった、やった」
私の左で見ていた少年がパチパチと手をたたいて、嬉しそうに跳ね回った。


 儀式がすべて終わったあと、矢を返納した人々と共に社務所に通され茶菓
をごちそうになった。
 「そうですか、わざわざ遠方からこられましたか。珍しいでしょう、この
  行事は」
と接待の老女が問わず語りに話をしてくれる。


 ここには、はやて姫の伝説というものがございます。
 昔、むかしこの国にはやて姫という美しい姫がおられまして、恋仲だった
青年とわかれて遠い国へ嫁がねばならなくなったとき、姫は青年に一本の矢
を託しました。
「いつか、この矢で私の夫を攻め滅ぼして私を救っておくれ」
と。そうして何年も経ったとき、青年は約束通り姫のすむ国へ攻め上りその
矢で姫の夫を滅ぼしてしまったのです。
 青年は姫のもとへ駈け参じて言います。
「さあ、私と共に国へ戻りましょう」
 すると、姫は答えます。
「夫が死んで私の息子はこの国の領主となりました。私は息子の成人を見届
 けないと国へはもどれません。毎年この時期になったら、必ず私の魂は国
 へ戻ってくるので、私のために弓を引いておくれ」 
そういって、はやて姫は自害してしまいました。青年は一人国へ戻り、毎年
この季節に馬場へ出てはやて姫のために弓を引きました。青年の頭に
白いものが乗り、その背中がまがって馬に乗れなくなる時まで。
 青年の名前は伝えられておりません。


  「はやて姫はいったいどちらが好きだったんでしょうか」
 「さて、どちらでしょうねえ」
老女はにっこりして、茶の道具を片付けて行ってしまった。

   (続く)  

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樹影にて
Arase Haruka (C)1999