従妹のプレッシャー (カナコの場合)2020ドラマ


1 誕生から

 カナコが生まれてすぐにその顔を見て、「これは間違いない!」と思わず吹き出してしまった。父親のリョウちゃんと同じ顔をしていたから。生き写しとか「ハンコ」とは、まさにこのことだろう。
 カナコの母は私の妻の妹で、すなわちカナコは康太・真子の従妹になる。妻の実家には4人の子供がいるが、孫はその3人でおしまい。これも「少子化」かもしれない。
 よく家にも遊びに来たが、物心がつく頃、カナコは私の顔を見るたびに泣いた。私だけが眼鏡をかけておりそれが恐かったのかもしれないが、成長してからも「恐さ」は無意識の中にあり続けていたかもしれない。ただし話せるようになってからはそんなことは忘れて「おじさん」として楽しく接しており、康太や真子には特に可愛がられていた。一人っ子のせいか何不自由なく無邪気に育てられ、勉強を強いられることもなく、あまりできなかったらしい。


2 塾生として

 そんあカナコも中1になると伏見から教室に通ってくることになった。初めての授業では度肝を抜かれたという。
私にすればいつも通りの授業だが、カナコからは
「いいか、数というものは・・・」
考えたこともない、ものすごく重い世界の始まりだったようだ。
確かに・・・算数・数学は、その時点では基本ができてはいなかったが、それは珍しくもないことだ。今まで意識したこともない数学の世界に戸惑ったが、一つ一つ理論を積み重ね始めて行った。
 塾仲間も学校の友達も楽しいらしく、数学にはあまり踏み込めないようで、ちょっとした理論・計算にも他の子の倍ほど時間がかかった。黒板でよくわからず、困る姿ばかりを見続けた。そんなカナコが変わっていったのは中2の半ば頃だったろうか。
「これではいけない」と思ったのか、真剣にその構造をわかろうとし始めた。どう考えるかの一つ一つを黒板に書いて確認するため、黒板は文字だらけになり、余計に訳がわからなくなりそうだし、数学の「整理」ということからもよくもないことだったが、それがカナコの学びならばと自由にさせておいた。もちろん塾生には私の数学を押し付けるのだが、それはその子の「学び方」を創り上げるための道具であり、そのとっかかりの過程は様々であり、よほどの方向性のずれがない限り放っておいた方がいいからだ。
「これは・・・?」
そのとらえ方にまとまりを見せ始めたのは中3からだった。
少しずつだが黒板に書く文字数が減ってゆき、解く時間も短縮されていった。数学の構造が整理され始めていたのだろう。喜ばしいことだがしかし、それはまだ学びの入り口に過ぎない。ようやくその入り口にたどり着いたにすぎず、高校受験も利用して、その後に始まる本当の学びに備えて、今の姿勢をさらに鍛えねばならない。
それは私から見れば「どの高校へ進むか」よりも重要なことで、その姿勢を固めれば、どの高校へ進もうともしっかり学び続けることができる。
しかし・・・私のそういう育て方は、なかなか理解されない。
それも、わからなくはない。
受験だから、過程よりも結果を。少しでもいい高校へ。とにかく目先の得点を・・・それでクラスの上位半数が辞めていった。
わからなくはない・・・5教科全部見てもらいたい。
それで入試で1点でも多くをと思うのだろうが、それで本当に1点でも多くなる子を、私はほとんど見たことはない。
少しでもいい高校へ・・・それはそうだ、いい高校へ行けばいい。
しかし「具体的に何がどういいのか」を言える子も親もいない。
同じ教師が入れ替わる府立高校において、偏差値が2点違うだけの中堅高校に、何の違いがあるのか、私にはわからない。
成績は悪くないし塾へは行ってやってるんだから、気分が乗らなければ休む。塾以外はプライベートだから口を出すな。
ズボンのベルトを首に巻いただけの小学生や中学生が「君のファッションセンスは素晴らしい」と騒がれる時代だから、それは正しいのだろう。しかし私は高校生までの子に、基本的にはプライベートなど認めていない。
今ひと時ちやほやされている子供が突然世の中に放り出されたら
その子は一人で生き抜くことはできないではないか。だからこそ手元に置いて教育することはその子を大人にするためにも、大人の義務だと思っている。
そういう私の考え、育て方は、時代遅れなのか、そういう理由で
できる子ほど辞めてしまい、いわゆる「鈍くさい子」だけが残った。
そのこと自体に私は何も思わなかった。賢くて、私の手など必要ない子は辞めればいい。塾とは本来そういうもののはずだ。
しかしその子たちのその後を時々聞けば、高校進学後に方向を見失い、勉強がわからなくなったり、自分のやりたいことのために高校を辞めたりしている。まだ17歳やそこらで・・・
「やりたいことをやってんだから、それでいいんじゃないの」
とは・・・私にはとても言えない。私の力がもっとあれば、もっと上手に伝えられればと、自分の非力を悲しく思う。
 それでもカナコ達残った子らはきちんと学び方を深め、できる子たちと同じ高校へ進学を決めていった。
カナコは父と同じように社会学に興味があったが、そこにも数学や自然科学の力も必要だろうと、自宅から一番近い桃山高校自然科学科を受験し、無事合格していった。
なぜ文系の方向へ進まなかったのかは、カナコにしかわからないプレッシャーがあったようだが、、、。


3 高校での学び

 入学してすぐに府立高校の全生徒が受ける府立高校模試がある。
カナコの成績は英語・国語は50番ほどにいたが、数学はビリあたり。クラスメートが話す数学の話もわけのわからないことばかりで、覚悟していたとはいえかなりショックを受けていた。そのころ真子と会うたびに勉強のアドバイスを求めていたらしい。
「私なんかでも、神戸大あたりだと行けるようになれるんかなあ?」
私たちは思いもしてなかったが、今聞けばカナコのプレッシャーもよくわかる。なにしろ母方の孫は3人しかいない。そのうち康太も真子もトップ大学の、しかもトップ学科に進んだ。
自分も行けるのかなあ?行かなあかんのかなあ?けどアホやしなあ。
とても兄ちゃん達みたいにはなれそうもないしなあ・・・・
一族の誰もがそんなことを求めたこともないし、そもそも父のリョウちゃんも私も顔を合わすたび「俺らはアホやしなあ」といい、なぜ子供らがそういうコースへ行けるのかわからなかったというのに。
それはカナコでなければわからないプレッシャーだったのだろう。
 塾生のほかの子たちも成績は似たような状況にあり、すんなりと成績が伸びるタイプではなく、「学び方を学ぶ」ことに徹するしかなかった。しかし私は思う。それこそが高校生の学びだと。
 今の教育はすべての現場で「入学資格を取る」ためだけのものになっている。入試だけに焦点を絞り、分析し、入試に出ないものはやらない。いつの間にか生徒も世間も、それこそが勉強だと思い込むようになった。単語や解き方や、答えを暗記すればいいのだと。
しかもそれをやれば成績がグングン伸び、宣伝で言っているように
「いい学校」に必ず入れるのだと思い込まされている。
しかし・・・それをやっている関係者たちのすべてが「そんなことは嘘だらけ」だと知っている。商売だから言わないだけだ。
それを求めてうちを辞めていった子のすべてが、進路だけを見ても、
よくなった子は一人もいない。悲しくなるだけだ。
 カナコは登山部でとてつもない山を登り、ほかの子たちもクラブや自主研究に励みながら、数学で学び方を学び続けた。そういうこと自体がこの子達の未来の扉を開ける唯一の手段だったのだが、この子達はその時には、それは知らなかった。


4 受験

 学びを深めて力をつけることに、受験産業が宣伝するような特効薬はない。ひたすら忍耐強く学び続けるしかなく、それができれば誰だって「本当の賢さ」を身に付けることができる。ただしそれは
「教科書暗記」だけではダメで、日常生活の中で何をどう学ぶかも大きな要素となる。
モエは創作書道に打ち込み主将まで務めたことが大きく、そこで学んだ知恵が苦手な勉強を補い、希望する学科にギリギリでも合格する力となった。
ユウカは普段から楽しみで進めていた学びの内容を論文や面接にすべて出せるという幸運もあり、信じられないほどレベルの高い大学に受け入れられた。この教室でやることも、自分で進めるサークルや勉強も、どれもが必要な学びであることを証明している。
 カナコの地道な学びが伸びないはずもなく、高3半ばには高校でもトップクラスとなり、周りの大人たちにも私にも、うれしい驚きとなっていた。これは・・・康太や真子と同じ大学へ行けるのではないか・・・苦手だった数学もセンター型マーク模試こそ、そこそこだったが、2次型記述模試ではその論理性が生かされ、偏差値70を越えることもあった。
すると・・・逆に大いに悩まされることになる。
私の見立てでは「阪大ならば80%以上で合格する。京大は五分五分となり、受けるならば他の受験生全員と同じに浪人覚悟となる」
やはり京大は特別で、レベルが高すぎて、ほんの「そよ風」みたいなことで合否がわかれる。そんなもの、予測不可能だ。
 センターを受け終えたカナコは、やはりボーダーラインとなり、もう腹は座った。前期京大、後期神戸大。阪大に後期試験はなくこう置いたが、後期神戸は前期京大より難しくなる。
「前期がダメなら浪人する」そう決めたようだ。
永遠に続くかと思われる重苦しい空気の中を進んでゆき、前期は落とされたが、後期には見事に合格した。こうなると浪人の意志も崩れ、思い悩んだ末、神戸大進学を決めた。

 すべての受験を終え、カナコの家で焼き肉パーティーをやることになり、6人全員が集まった。1人は浪人するが、それ以上に合格の喜びがはじけ、笑いに包まれながら6年間を振り返ってくれた。
もう誰もがその6年の意味、私が伝えたかったことを理解してくれているのが、たまらなく嬉しかった。
鍛え上げたその学びの姿勢で、これからも頑張り続ければいい。
苦しいことや迷うことは必ずあるが、いつでも教室に帰っておいで。
私はいつも通り教室にいて、いくらでも相談に乗ろう。
合格おめでとう。この子達の素敵な笑顔が、最高のごちそうだった。