河原シュタイナー教室 2019 ドラマ

幸せな時間

1 出会い

 眼鏡をかけた顔だけが卓球台の上に出ている。身体には全く肉はついておらず、足は雀の足のよう。それが小学3年のカンナだった。
すごくチビで、運動神経は悪くないようだが、かなり不器用。
 最初のフォア打ちを覚えるのにも時間はかかったのだが、ボールを前に強く弾き飛ばす才だけは最初から持っていた。時間はかかっても、愚直なほどに繰り返し練習することに飽きもせず、いつまでも面白がるその性格は、今から振り返れば、この子の武器になるものだった。
 なかなか試合でも勝てず、1回戦で負けては大泣きすることを繰り返し、少しずつ勝てるようになっていった。5年生の頃から滋賀県の小さな大会で3位には入り、時には優勝もあった。
 小6では京都でも個人戦でベスト8に入るほどになり、名前を覚えられるようにはなっていただろうか。
 卓球の鈍くささとは全く違い、勉強は要領よく済ませていたようだ。これもこの子の特徴で、真面目に提出物も出すので成績もそこそこいいのだが、成績ほどには力はなかった。女の子によくあるパターンは、高校まで変わらなかった。
 ダンスにも興味があり、どちらを続けるか迷っていたが、中学を機に卓球にしぼることを決めた。
 中学で卓球をすると決めてからは仲間にも声をかけ、バレーボールをしようとしていたジュンを強引に卓球部に引きずり込み、ジュンも土曜の練習に来るようになった。
 小学校ではいつも先頭に並ぶほどのチビで、カンナ以上に不器用だったが、教わった基本を頑なまでに守ろうとする性格が印象的であった。カンナとは相性が合うようで、よくしゃべり、よく大笑いをし、チームを引っ張る存在になっていった。
 マミは少し遅れて土曜に来るようになった。当時はひょろりとした少女で、とてもおとなしい。運動神経はよくもなかったが、左利きなので、将来的にはダブルスに使えそうな予感があった。
 フォアは斜め上にボールをこすり上げるスイングができず、横殴りにしか打てなかった。直そうとしても直らないので、これを極端な個性として育てようと思っていた。


2 中学時代

 カンナ達は黄檗中の2期生。卓球部の先輩は数はいたけれど、強い先輩が二人しかおらず、カンナはすぐにレギュラーになった。
 最初の見せ場はその冬の全国大会団体戦京都府予選。優勝チームだけが全国へ行ける。順調に勝ち進み、初めて決勝へ進んだ。
 オーダーは先輩が前半にでて、カンナはラストの5番。ところが相手チームも捨て身のオーダーに出て、前半をあきらめ、ラストには夏の大会で近畿大会まで進んだエースを置いてきた。はたして試合はもつれ、2−2のラスト勝負となった。
 「あんたにかかってるで!」
 同じ観覧席から相手エースの母が激励し、エースは深くうなづく。
 それに対して、出てきたカンナの小さいこと!しかも緊張のせいか、第1セットは取られてしまう。しかしここから頑張り2セットを取り、3セット目も10−9でマッチポイントを握り、カンナのサーブ。相手のレシーブがエンドラインを越えた瞬間カンナは万歳をし、チームメイトも叫びながら飛び上がっていた。
 ジュンのデビューは翌夏の山城大会団体戦。ライバルの男山二中との決勝戦に2番に出て、相手エースを倒し、優勝に貢献した。まだカットはそれほどうまくなかったが、粘りに粘って相手を根負けさせるスタイルであった。3年間団体戦はすべて京都大会に進み、優勝2回、準優勝1回、黄金期を創り上げている。
 先輩が引退した冬がチームとしては一番苦しかった。メンバーも足りず、試合にも勝てない。そんな2月の試合中、ジュンの母が私に話しかけてきた。
 「3月から教室に通わせてほしい」
 今まで2年間大学生に個人レッスンを受けていたのだが、次第に成績が落ちてきており、このままではカンナと一緒の高校へ進むことが難しく、卓球が続けられなくなるという。
 さて、困った。私は子供を大人に育てることを目標にしており、受験年度に新たな生徒を取ってはいなかった。このまま大学生に任せられないのだろうか?話を聞き進めると、典型的なパターンだとわかった。
 大学生は頑張って教えているのだが、それはその問題の「解き方」だけであり、その問題の構造を分析はできず、どこを直せばジュンが同じ問題を解けるようになるのかは考えられなかったのだろう。
 その大学生を責めることはできない。塾や家庭教師がやっているのは、すべてがそういうことだからだ。根本であるその構造から鍛えようとしているのはもう、私しかいない。
 卓球を見ていることもあり、断れず、ジュンは教室に通ってくることになった。
 4月になり後輩が入ってきて、部員は団体戦の6人を確保できたが、試合ができるのは5人しかいなかった。カンナと後輩の一人が強く2点は取れても、あと1点を取れるか?ジュンが負けるとあやしくなる。マミのダブルスに期待したいが、夏の大会直前の練習試合などでもよく負けていた。
 「ボールをさわりに行くな、打ちに行け、振り切れ!」
 ギリギリまで鍛えて宇治市を勝ち抜き山城大会まで勝ち進むが、マミにはまだ自信がなかった。迎た決勝は男山二中。カギを握るダブルスはセットオールの激戦となる。震える手足を懸命に支え、最後の一本を取ると、マミは感激のあまり泣きながらベンチに帰ってきた。それでマミは完全に吹っ切れた。ラケットは振り切れて、京都大会、近畿大会でも歴史に残る強さを見せ、負けたのは近畿大会で3勝1敗の1敗のみ。ベスト8の立役者となった。京都ライバルチームの監督たちも皆が言ってくれた。
 「黄檗中のシングルス2人が強いのは覚悟のうえで、なんとか勝てると思っていた。予想外だったのはダブルス。壮絶に強かった」
 勝ち進めば泊りがけの試合もあり、皆が自分の身体よりも大きい旅行鞄をもって旅館から試合会場へ行く。夏の日差しを浴びて準備するこの子たちは、その太陽よりも輝いていた。
 その強さを認めたのは中学の指導者だけでなく、視察に来ている高校の監督たちもだった。カンナはラスト5番が指定席だったが、京都大会決勝でもきちんと締めくくる戦いぶりを見て、指導者たちはうなった。
 「あの子がラストに控えてくれるので、他の選手は安心して、伸び伸びと戦える。・・・うちに、こういう選手がほしい。ぜひ、うちに来てもらえませんか?」
 いくつもの高校から誘われたが、カンナは自分をよくわかっていた。シングルスでは、自分はベスト16か、せいぜいベスト8止まりの選手。高校でも続けるが、勉強をメインにしたいとすべて断った。
 卓球を楽しみながらも、それに溺れることもなく、自分をしっかり見つめられるようになっていた。そういう意味でも強く印象に残り、忘れられない、輝ける中3の夏だった。
 勉強ではカンナもジュンも、卓球ほど頑張りはしないとはいえ、真面目に、きちんとこなしていた。
 カンナは比較的理解は浅いが中間・期末試験程度の期間では問題なく、内申はとてもよかった。菟道高校は問題なかったが、どうせならと上位校を受けるもとどかず、中期試験で順当に合格した。
 ジュンは中期試験では合格するかと思っていたが、「ダメもと」で前期試験を受けさせてみると、思わぬ合格。カンナほど勤勉ではなかったが、一つ一つの理解が少しずつ深いという特徴を持っていた。高校という新たな扉を開き、二人の良さをどう伸ばすかを考えていた。そういう二人を見て、ぎりぎりで同じ高校へ来たマミも、高校からはこの教室に来ることになった。


3 高校にて

 中学までと違い高校からの勉強は、その理論に深く入り、それまでとは質が変わる。それが生徒や親にはわかりにくく、中学までと同じ暗記に頼っていると、懸命に頑張っているのに何もわからなくなることが多い。それは頭の良し悪しでなく、方向性と取り組み方の問題だ。
 マミには中学時代の不足分を修正し、その方向性を正す指導から入った。カンナとジュンは方向性はよくなっていたので、無邪気なほどに素直に、その質の違いになじませていった。3人そろうという安心感もあり、授業前に雑談する内容は、まるで漫才でも聞いているかのような面白さがあった。
 中学までは車で送ってもらうか、歩きで教室に来ていたのだが、高校からは自転車でやって来ることもとても新鮮そうだった。
 夏にベランダでタバコを吸っていると、カンナが自転車でやってきて、私を見つけて、嬉しそうに、どこか恥ずかしげにほほ笑んだ。
 特に美人でもないのに、なんて幸せそうに微笑むのだろうと、改めて驚いた。カンナは人を束ねるのが上手だったが、その笑顔に人が引き寄せられていたのかもしれない。
 卓球の試合はほとんど見に行き、躍動する姿がほほえましかった。
 団体戦は京都府ベスト4だが、シングルスはベスト16ほど。負けたくはないので練習も頑張るのだが、そのあたりが壁であった。
 負けて悔しいからと、帰りに京都駅ビルのラーメンを食べに行ったりすると、すぐに悔しさなど忘れた。特にカンナとジュンはラーメン大好き人間で、あるラーメン屋では、注文したチャーシューメンが目の前で出来上がっていくのを見たジュンは「うふ、うふ、うふふん」と笑った。人がこれほどうれしそうに笑うのはあまり聴いたことがない。マミこそ感情の起伏があまりないクールビューティーだが、カンナは最も幸せそうに笑い、ジュンは最もうれしそうに笑う、あけっぴろげな性格が、私もうれしくさせてくれていた。
 卓球で泣き笑いを繰り返す中で、勉強もきちんとやっていた。
 マミは校内順位200番ほどから50番ほどになり、ジュンは30番くらいにいて、カンナは一桁の順位を維持して3年生になった。


4 受験

 3人とも特に勉強が好きなわけでもなかったし、がり勉もできなかったが、真面目な高校生ではあった。何しろ卓球に頑張り、遊びにも興じる中で、少しずつ勉強も重ねたのだから。
 カンナとジュンは家計を助けようと国立大を目指したため、2年生になるころから理科と社会も頑張らせた。偏差値もよかったのだが、3年生で内容が深まり始めると、点数が伸びずにかなり悩まされた。マミはその大変さから3教科の私立大に目標を絞り始めていた。
 そんな中の5月は卓球最後のシーズン。団体戦は順当にベスト4に入り、3人ともメンバーとして近畿大会出場の権利を得た。
 カンナはシングルス・ダブルスも勝ち進み、すべて近畿大会の京都代表となっている。しかしその頃には、気持ちはすでに受験に傾き始めていた。
 3人ともきちんと勉強するので高校の試験には比較的強く、特にカンナは内申平均が4.5を越え、高校でただ一人、神戸大学推薦入試の権利をもらった。ただしそれはセンターテストの得点で競うため、2次試験がないだけで、一般入試と条件は同じだった。
 高校の試験はこなすのだが、それらの知識をつなげ、深める力はそれほど強くなかった。簡単に言えばオタク度が足りないということだ。それゆえ模試の成績はなかなか思うような点数にはならなかった。
 本当のところは「オタク度」とは生涯をかけて深めてゆくもので、その深め方、学びの方向性さえ身に付ければ、18歳での得点能力はほとんど関係はない。3人ともその点に関しては問題はなかったのだが、大学入試という特別なものには、その目安としての得点が要求される。それは仕方がない。
 7月の近畿大会を終え猛勉強を開始したが、それも競争であり、皆が勉強するため、点数を上げてゆくのは並大抵ではない。時にはうんざりしてため息をつきながらも頑張り続けた。
 果たしてセンター試験の結果はジュンがギリギリで合格圏内に踏みとどまったが、ジュンより得点能力の高かったカンナは、国語と英語で大敗してしまった。卓球では何度もそういう試合を勝ち抜いてきたのだが、この時だけは金縛りにあったかのようだった。
 もう、大学進学は諦めないといけないのだろうか。
 「1回だけでもいいから、立命館を受けておかないか?」
 5教科7科目のセンターを越えるのは至難の業だが、私立は3教科入試のため、逆に偏差値は上がる。まして立命館の経済学部は大学も力を入れて、学費も他学部より安く、難易度としては神戸大とそれほど変わらない。それでもセンターの失敗だけで消えるのは悔しすぎ、あえて受けさせることにした。
 私立は何回かの試験があるが、カンナは数学の得点が1.5倍の中期試験を受けた。数学の2番は経済学の数学で、何をすればいいのかがわかりづらく、3000人ほどの受験生はほとんどが白紙になっただろう。カンナもパニックになったが今回は糸口を見つけ、自信はなくても解き進めた。持ち帰ってきた問題を確認のため私も解いてみると、8割を正解している。特に2番は完答だ。これは力が出せた、これなら合格するだろう。
 マミは奈良県にある大学を受けた。そこは母の実家に近く、今でもおばあちゃんが一人で住んでいるからだ。孫娘が毎日顔を見せるようになれば、おばあちゃんはどれほど喜ぶだろうか。
試験は数学もしっかりと解け、上位30人以内で合格できた。その特典として学費が半額免除され、国立大よりも安くなった。おばあちゃん孝行も含めて、マミはそれを狙っていたようだ。


5 幸せな時間

 センターを何とか通過できたがゆえに、逆にジュンには他の二人より重苦しい時間が長く続いた。
 2次試験は国語と面接だが、国語は全教科の中でも苦手な方だし、仲間内ではおしゃべりだが、大人相手にどう話していいかはわからなかった。どちらも高校で試験直前まで個人指導してくれるので助かってはいた。高校は生徒を卒業させるまでが役割であり、大学入試は生徒が勝手にやるものなのだが、今の教師は大変だ。
 2次の国語は論文を書くのに時間を使い切り、古文・漢文は手が回らなかった。面接ではジュンの想定外のことばかりを聞かれ、
 「最近あった楽しかったことを教えてください」では、
 『毎日面白いことばっかりやけどなあ〜、昨日犬の足踏んづけまし
 た・・・なんてアホ言うと、落とされそうやし・・・』
 などと考えてるうちに質問を切り上げられ、ジュンは絶望に沈んだ。
 その日から合格発表までは2週間ほどある。国立大中期も後期も出願はしてあるが、経験上ほとんどの生徒は勉強などしない。
 センター試験から始まる一ヶ月の極度の緊張から解き放たれた精神は、ほとんど修正不可能までに痛めつけられているからだ。
 そうかといって外で思い切り遊べる状態でもないし、勉強もできないしで、1日中パジャマのままで家に引きこもり、ごろごろして時間が過ぎるのを待つしかない。
 「勉強してればいいのに」とどの親も言うが、受験生の、それが現実だろう。
 カンナはやはり合格していた。「京産でもええやんか」と言っていた京都のおばあちゃんは「ひええ〜〜立命かいな」と大喜びしてくれた。カンナもセンターの失敗で神戸大の推薦入試に落ちたことなどすっかり忘れて、入学式に着るスーツを買いに行くことを楽しみにしている。
 「先生〜〜〜、合格してましたあ〜〜〜!」
 ジュンは泣き出しそうな声で電話をかけてきた。合格はもちろんだが、不安と重圧に押しつぶされていた2週間が終わったことの方がうれしかっただろう。家から通える国立大は何よりだ。
 カンナもジュンも家の学費負担を助けるためにアルバイトも始めなくてはならないが、その時間は十分とれる。私の子供も学生時代、自分の小遣いは自分で稼いでいたし、それは普通のことだ。
 3人ともに土曜の卓球練習に復帰した。ただし立場は選手としてではなく、選手のトレーナーとしてだ。半年間ラケットを持っていなかったとはいえ、まだまだ中学生には負けない。おかげで小・中学生にはこの上ない、贅沢な練習場となった。勉強に、アルバイトに忙しい日々が待つだろうが、いつでも後輩たちと卓球を楽しむことはできる。

 こうして少し振り返るだけで、3人はなんて幸せな時期(とき)を過ごしていたんだろうと思う。
 辛いことや悲しいことは多かったが、深刻なことはなかった。
 重苦しい大学受験は乗り切ったし、何より、卓球では楽しい思い出ばかりだ。しかもそれはこれからいつでも、いつまでも続けることができる。その幸せそうな笑顔は私の記憶から消えることはないし、そういう姿を見せ続けてもらった私こそが、3人以上に幸せな時間を過ごさせてもらった。
 新たな人生の扉は、今開かれた。
 合格おめでとう、そして・・・ありがとう。


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