2017 河原シュタイナー教室 ドラマ
覚醒 (201 ドラマ)
1 出会い
アキトの存在は生まれる前から知っていた。古い友人の息子だ。
兄3人、姉一人の末っ子。姿を初めて見たのは小学校の運動会。
昼ご飯を食べに体育館に入ると、両親に挟まれてお昼を食べるアキトの背中があった。まだ低学年のはずだが、大柄で、ぽっちゃりと太っていた。
『なんだか、鈍そうな子だなあ』
それがその時の印象だが、実際には何も知らなかった。
兄2人と姉はうちに通っていて、それぞれ京都大学、神戸大学、
京都教育大学へと進んだ。
「この子は・・大学は無理かなあと思っていた。」
母が私に言ったのはその10年もあとのことだった。
時々「小学校までの記憶がほとんどない」という子に出くわすことがあるが、アキトもそれに近いようだ。
ただ漂うように生きており、脳は眠ったような状態で、まだ覚醒はしていなかったのかもしれない。
記録によればケイジは小6の時からうちに来ているが、私にはその時の記憶がない。意識にのぼったのはアキトと一緒に中1のクラスに来た頃だった。すごくチビで、私の前ではおとなしかったが、
「いやらしい言葉3連発」など、それ以外では活発だったようだ。
アキトもケイジも勉強はできない・・というより、しなかった。
勉強とはどういうことかも知らなかったし、基礎力も足りてはいないので、勉強しようとしても頭も身体も動かない。
何もそれは特別なことではない。ありふれた、どこにでもいる、ごく普通の中学1年生だった。そういう子たちに「○○対策」という詰め込みの勉強をさせてもほとんど効果のないことは経験で知っている。速く走るためには身体を効率的に使う基本フォームと、何より、身体そのものを強くしなくてはならない。トレーニングもさせず理論ばかりを詰め込んでも、速く走ることはできない。この時期の教育に、それを忘れては意味がなくなる。
2 中学時代
アキトは3人の兄たち同様卓球をやっていたが、兄たちのようには強くはなれなかった。それほどのめりこむこともなかったし、ただ言われるがままになんとなく素直にやっているだけのようだった。
特に反発するわけでもなく、与えられたものの中で遊んでいるだけのような・・・・。
これを「末っ子の典型」というのだろうか。逆らうことはない、自分で進んでやるわけでもない。自分のやっていることがよくわからず、やはり漂うようにその日を生きていた。
勉強も全くそのままで、言われたことはこなすがそれ以上をすることもなく、意味を考えることもなく、できるわけでもない。
困ったやつだ・・・どこかでスイッチを入れてやらねばならなかったが、どうにもそのありかはわからなかった。
自分を変えるということがそう簡単でないことは知っている。それには思考力も一定レベルを越えなければ、そのスイッチは入らない。
数学と国語を道具に、叱ったり、おだてたり。あらゆる手段を使ってみたが、中学時代に覚醒させることはできなかった。
ケイジはただのガキだったが、中2になるころから中学生活にも慣れ、次第に「悪ガキ」へと成長していった。当時の私は何も知らされてなかったが、家庭での親やその友人たちにもなんらかの「指導」をケイジに与えられる人はいなかったようだ。
ちょいと「外れた」ことばかりを聞くだけで、高校進学にはまだ時間もあり、まあ、どこかの高校へは行くのだろうが、大学へ行くなどとはケイジも両親も考えていなかったようだ。経済的にも、能力的にも無理だろうと。ただ・・ひとり母だけはそういう息子の状況に漠然とした不安を覚えていた。自分の人生はいいとしても、息子は同じでいいのだろうか?それは変えられないのだろうか?
そういう母の不安をよそに、ケイジは大人や世の中をなめ始め、
「口先だけでうまくすり抜ければいい」と考えたのか、ちょいとした悪さをし、言い逃れているうちにおまわりさんまで呼ばれ、徹底的に問い詰められ、論破され、「口先ではだめ」だと思い知らされた。
ガキのうちにそういうことは経験しておいた方がいい。その出来事はケイジの「小さなスイッチ」には、なったと思っている。
3 愚かさを知る
高校受験では二人ともそれなりに頑張ったのだが、共に第一志望は落ち、第二志望の同じ高校へ通うことになった。
どちらも悔しいには違いないのだが、淡々として見えた。本当の悔しさを味わったわけではない。勉強不足の自覚はあった。環境が変わるので「これからは少しは勉強しよう」と思っているようなふしはうかがえた。
私は二人が不憫でならなかった。かつての私にそっくりだったからだ。勉強はしないが、救いがたいほどのバカではない。何のとりえもないくせに、妙に根拠のないプライドだけはある。暇にまかせて面白そうなことを見つけるのだが、深く入るだけの知識も能力もなくすぐに飽きてしまう。何もかもが中途半端・・・
それは自分の考え方やとらえ方、学びの方向性の悪さが原因なのだが、自分ではそれがわからない。このままでは二人ともかつての私と全く同じに、大学へ行こうが社会へ出ようが、何らかの不満を持ったまま孤独に過ごす時間ばかりになってしまう。誰かに助けられても教わっても、それすら見えず聞こえず、自覚できない。
どのように過ごそうとも、そういう孤独な時期は誰にでも訪れるものだが、問題はその時期を突き破れるかどうかだ。そのために知識の量もあった方がいいに違いないが、質と方向性を間違えれば量は意味をなさなくなる。それに気づかせるのにも膨大な時間が要った。
二人が覚醒するための一つのきっかけになったのは、進んだ高校の現状であった。自分たちも特に勉強しないが、皆全く勉強しない。
補講があってもそれが「任意」なら、自分以外に誰も来ない。テストは簡単な問題ばかりでそれなりの平均点にはなるが、それだといくら100点をとっても意味のないことは二人にもわかった。
『こいつら、何でこんなにバカなんだろう?』
初めはそう思ったが、1年生の終わりころ、『俺も同じか?』ということに気づいた。二人は少しずつ変わり始めた。
4 覚醒
アキトは高2から始まった物理の力学に興味を持った。生まれて初めて自分から勉強しようとして、うまくいかないことに気づいた。
計算しようにも数学力がなさ過ぎて計算できない。問題の意味を読み取ろうとしても、国語力が足りない。そのことを身の回りの出来事に置き換えようとするが・・・なんということだろう、自分はまわりの出来事すら何も知らないではないか!
「俺はこんなにも物事を知らず、わからないんだ。今までの俺はいったい、何をしていたのだろう?ただ食べて、寝ていただけじゃないか。・・・これではいけない。俺みたいなバカがどこまでやれるかわからないけど、今からでもきちんと勉強してみよう。はっきりと意識して、身の回りの出来事を見てみよう・・・」
それはアキトの初めての自意識の目ざめであったろう。私が数学で語ること、数学の時間なのになぜ国語をやるのかなどの意味がほんの少しだがわかり始めた。はっきりと進んで勉強し始めたが、もちろんすぐにうまくいくはずもない。失敗の連続で、まだまだ数学もよくわからない。それでも確かに以前の「目線がぼんやりした」
アキトではなくなりつつあった。
その姿に影響されたのがケイジだ。パンが好きなだけ食べられるパン屋のアルバイトなどで楽しく高校生活を送れればと思っていたが、アキトの姿を見ると、今の自分の生活は少しも楽しくはない。
今まで数学など「自分で考えるもの」などと考えたこともなかったが、ちょっと考えてみよう・・・
授業前にケイジが黒板に書く数学の宿題は、とても鈍くさくへたくそに変わった。数学の解答とは一般の人が思う以上に論文に近い。書き始める前に解法を考え、全体をイメージしないとスマートな
論文・解答にはならない。もちろんそれは知識の量やキャリアが要求され、どの高校生にもうまくできるはずもないが、ケイジには特にそれらが足りなかった。それまでは私の例題の表面的な形だけを真似ていて、それなりに整っていただけだ。
それが・・・明らかに鈍くさくなったが、その分自分で考えてきたことを物語っていた。
「なんでそんな面倒なことをする?まあ、間違っちゃあいないけど、ここはこうしたほうが簡単に先へ進めるだろう?」
余計に手間がかかるのだが、数学でのそういう対話こそが、私が求め続ける理想の授業だった。
国語の宿題は全問記述だが、解答欄に書く二人の記述は格段に増えた。それまでは何も書けないか、書いても1行だけで、とても元の文章は読めておらず、それに答えられてもいなかった。
それが解答欄いっぱいに書き、答え始めた。もちろんまだ的外ればかりではあったが、読もう、意味を考えよう、しっかり答えてみようとの意思ははっきりと伝わってきた。
『これは・・・うまく変わってくれるかもしれない』
ずっとガキだった二人が目覚め、覚醒し始めたのが高2の時期であった。
5 受験へ向けて
それまで自分の将来や大学など考えたこともなかった二人だが、
高3になって親と初めて話してみた。
親の信条か、あるいは経済的理由で、どちらも私立大へは行くことはできないようだ。ケイジの場合は浪人も許されず、受験を失敗すれば父の職場で働かねばならない。
進学には国・公立大学しかなかったが、二人の高校は半数ほどが専門学校へ行くかフリーターになるレベルで、特に最近は国立大学へ進む生徒はほとんどいない。
ケイジは土木系、アキトは建築設計へ進みたかったが、近くでそれがあるのは京大や阪大で、とても太刀打ちできない。
少し地方を探すのだが、それでもセンターテストで点数を揃えねばならず、そう簡単ではない。アキトは物理に専念し活路を見出そうとしたが、ケイジは厳しい現実に直面してしまった。
地方と言えど、自分が調子よく考えるほど甘くはない。学校では上位の数学ですらギリギリであり、英・国・理・社すべての点数は足りなかった。ずいぶん成長はしていたが「ガキの部分」も多分に残しており、頭も身体も思うようには動かなかった。成長とはそういうもので、ある日から突然大人になるものではない。ある時は勉強に没頭し、しかしくじけては刹那的なゲームで憂さ晴らしをし、
親に言えず祖父母に金の無心に行っては叱られることもあった。
親はそういう息子にいつもハラハラドキドキだったが、ありふれた、どこにでも普通にいる息子であり、特別なことではない。
ゆっくりではあっても、二人とも数学は確実に進歩していった。
センターの合計得点はピッタリ7割の同点であり、ぎりぎりとはいえ国立大学チャレンジ圏に踏みとどまっていた。
6 新たな成長に
同点とはいえ数学・物理の理論的深さはアキトが数段勝っていた。
それゆえか一緒に受けた前期試験は物理と数学の試験であり、アキトはすんなり合格したが、ケイジは落とされてしまった。
発表の日ケイジは1日中泣き叫び、部屋の壁を打ち付けては暴れていたようだ。
同じ大学を前期で落ちて、後期で受かるはずもない。父は覚悟を決め、翌日には職場体験にと、息子を現場へ連れて行った。
後期の受験は数学1教科で受けやすいが、センターのハンデを逆転するには得点幅がなく苦しくて、見た目の倍率は20倍。
試験当日は父が付き添ってくれ、記念受験のようだった。
諦めていたのだが、問題は受験前にたくさんやった得意ジャンルのものばかりであり、ほとんどが解けた。合格云々ではなく、そのことがうれしくて、すぐに私に電話をくれた。
「よくできました。それでも自己採点ではボーダーラインですが、悔いはありません。ありがとうございました」
ケイジは見事逆転合格しており、学びの扉は開かれた。
「こんな自分が公立大学に合格できた」
その喜びがケイジの全身を駆け巡ったが、現実にはまだ大変だ。
生活費は自分で工面しなくてはならない。
「だらしないケイジに、そんなことができるかどうか・・・」
母は心配が尽きないが、ケイジがさらに大人になるためにも、ここはやらせなくてはならない。アキトがそばにいてくれることも心強い。もう、親のつとめは終わっている。
人生の次の扉を開くことがどれほど大変か、この受験はかけがえのない経験にもなった。間違いなく少し大人になった。
二人の「ドジ」を語ればきりがないほどだが、それは子供時代の話と忘れ、今後を楽しみに見守り続けることにしよう