2010 ドラマ
キャッチボール (21期生の場合)

1 出会いの頃

「こ、この・・・おむすび!」
「うるさ〜い!」
10人ほどいる中1のクラスにキョウスケとシンイチローもいた。
初めて丸刈りにしたシンイチローの頭は、まさにおむすびのようだ。
それを見てキョウスケがからかったのだ。

 キョウスケは剣道部、シンイチローはバスケ部で、教室で初めて顔を合わせたころから仲が良かった。共に勉強は不器用だが正面から真面目に取り組めるところがそっくりであった。
2人のやり取りを隣で「ニコニコ」と眺めているのが、大柄でぽっちゃりとしたタクヤ。体型や性格、人の良さも、6年間そのままだ。
その隣にはヒトミがいた。この子は20年来の友人の娘。ちいちゃなガキの頃から知っている。マンガを書くことが好きで、勉強には興味がなさ気であった。合計4人の兄や弟の中のただ一人の娘で、どうやら溺愛されて育っており、世の中をどこか"ハス"に見ている。はて、どうしたものか?
隅っこで黙々と問題を解いているチハル。人と話すことが極端に苦手で、ひとり内にこもるところがある。これを数学でどう直していけばいいのだろう?見当もつかないが、どうにか係わっていかなくてはならない。
 騒がしいほどに元気な二人、のんびりとした"坊ちゃん"、寡黙な子、冷めた娘。成績は"ごく普通"な5人。そんな中1の頃であった。


2 ある"事件"

「うぎゃ!」
中2の初めの頃、授業前の教室の中から悲鳴が聞こえると、ドタドタと誰かが出て行った。
「どうしたんだ?」
ひとりの子がからかうでもなくチハルに声をかけると、何が気に入らなかったのか叫び声をあげ、飛び出していったのだという。
「探して、連れておいで」
「僕が?」
「お前がやったんだろう?」

 この頃からチハルはますます扱いが難しくなって行き、孤立を深めていく。私もまだ強くはチハルに当たれなかった。それほど強くは育っておらず、触るだけで「パリン」と壊れてしまいそうだった。
強く当たって育てるべきだったかもしれない。次第にチハルは学校の教師の言うことを聞かなくなり、親の言うことを聞かなくなり、私以外の誰の言うことも聞かなくなり、数学以外の勉強をしなくなっていった。
『こんなことでいいはずもない。もっとたくさんの人の話を聞くべきだ』
 そうは思うが、うまくいかなかった。チハルは劣等感にうずもれていた。人とうまく関われないのも自分でも嫌だったが、どうしてもうまく話せない。どの教科の勉強もよくわからない・・・
しかし、数学だけは「少しだけ」わかる・・・自分の頭で考えることが出来る・・・この頃から中学を卒業する時まで、数学だけがチハルの支えであった。・・・決していい状態でないのはわかる。時々
「数学だけじゃだめだ!」と叱るけれど、それ以上強く言うことは出来なかった。

 まだガキで「世の中をなめて」いたヒトミ。少し「大人」にしてやらなくてはならないが、数学でもその「きっかけ」をつかむことができず、私も少々焦り始めたこの頃、思いがけない事件が起こる。
 数人の友達とデパートで「悪ふざけ」をしていると店の人にとっ捕まり、「警察のおじさん」も出てきて、こっぴどく叱られた。ヒトミにとっては「人生初の、とても怖い」出来事であった。
ところが・・・それ以後ヒトミは自分の足元や周りを見られるようになっていった。チャンスだ!
「だからな。もうガキのままじゃいけないんだ。数学や他の教科も勉強してみろ。もっと周りが見えるようになるから」
はっきりとヒトミの目の焦点が合い、少しずつ勉強に身が入るようになっていった。


3 高校受験

3年生となり、土曜日の部活を終えて「時間に間に合うよう」
懸命に駆けてくるキョウスケ。ハアハアしながら
「先生、この時間は無理!」
受験を意識し始め、皆勉強量を少しずつ増やし始めた。
 夏が過ぎ、秋も超えた2学期の終わり。それぞれが進路を決定しなくてはならない。タクヤだけは私立の高校へ上がるが、他が皆
大変であった。
 シンイチローとキョウスケは桃山・自然科学。共に「ギリギリ」
ヒトミが菟道のT類、チハルが東宇治のT類、が共に「怪しい」・・
「もっと勉強しないといけないけど、家では出来ないなあ」
そんな12月に「新教室」が完成した。
 とっても寒い冬休みの朝8時前。私が教室へ行くと、いつもヒトミが待ち構えていた。当時はまだ教室のカギを締めていたからだ。
朝から夜遅くまで、ただ一人で勉強する。家へ帰ればご飯を食べて、風呂に入って寝るだけ。あまりに毎日なので、教室のカギは締めないことにした。
「いつでも来て、好きに勉強するがいいさ」
そのうちシンイチローやキョウスケも毎日やって来るようになった。フリースペースを「自在に」利用し始めた最初の世代である。
 チハルには私が英語の個人レッスンを始めた。理科や社会など、どの教師をつけてもすぐにやめてしまう。
「お前なあ!いつまでも俺が面倒は見れないぞ。他の人にも教われないとダメだ!」
 そうは言っても、もう余裕もなく、全部私が見るしかなかった。息を詰めるような、最後の2ヶ月間の仕上げ。
シンイチローは希望通り桃山へ、キョウスケは莵道理数科へ、ヒトミはT類を飛び越えて理数科へ合格した。その年は東宇治に生徒が集中し、チハルは城陽へはじき出されてしまった。

喜びも悔しさも、すべてを抱えて高校へと上がっていった。


4 新人

ほんわかとした笑顔のアキミネが高1から入ってきた。中学時代は空の雲ばかりを眺めていたという。珍しく「方向性」の出来た少年であった。「速さ」こそまだないが、「奥底を見る」という姿勢はすでに持っていたのだ。私の数学観と相性が良かったのであろう、伸び伸びと学び始め、後に、
「先生の授業は常に、驚きと発見に満ちていました」
と言ってくれた。
 下上がりの皆ともすぐに打ち解け、夏を過ぎるころにキョウスケと京大のオープンキャンパスを見学に行くという。
しかしその日は授業があった。
「見学に行くから授業を休む?ほとんど行けもしない京大に?まだ1年なのに?ダメだ、ダメだ、別の日にしろ。そうだ、タカヒロに案内してもらえばいい」
当時まだ院にいたタカヒロに案内させることにした。

 そうは言ったものの、まだ先のある1年生の二人に「行けもしない大学」と言ってしまったことを私は気にしていた。
2人が出かけていく前日タカヒロを呼び寄せ、3千円を持たせる。
「ちょっと2人を傷つけちまったから、俺からとは言わないで、2人に"総長カレー"を食わせてやってくれ」
 まだ京大が「総長カレー」を売り出す1年前のことであり、私もまだ食べたことはなかった。キョウスケもアキミネも
「あれほどおいしいカレーは、初めて食べた」
といまだに言う。そしてその時にいろいろ話を聞かせてくれたタカヒロの人柄の良さにあこがれ、ますます京都大学へのあこがれも膨らませて行ったようだ。

 高校へ入って、さらに人と距離を置くチハル。
『これではダメだ』
私にしがみつこうとするチハルを、私は強烈に引きはがしに行った。
「チハル、お前には数学なんざ、少しもわかっていない。俺の言うことしか聴けないなら、どこまで行ってもわからない。もう俺に質問するな。まず、仲間に聞いて相談しろ。それが出来ないと、お前はダメになる」
 チハルはこの2年、私が指し示す数学だけを支えに生きていた。
『こんな僕でも数学だけは、ほんの少しだけど・・わかるんだ』
そう思ってこの少年は生きていた。けれど、私にしがみつくだけでは"その先"へ進むことは不可能だ。私は数学の「理論の奥深さ」をチハルにも遠慮なくぶつけ始めた。
 当時のチハルの「数学理論」は底の浅いものだった。多くの判例を示し「形」を暗記していたにすぎず、複雑なものを簡単なものへと整理する「理論」までは身に付けさせられなかった。
「僕は数学が出来る」という"錯覚"を利用し、この子を「生き延びさせる」ことで精いっぱいで、そこまで踏み込めなかった。
「数学の基本操作」を徹底させることしか出来なかったのだ。
私はチハルをごまかしてでも、中学時代のこの子に「数学の痛み」を感じさせることは出来なかった・・・・

「チハル!その計算はなんだ!?見当はずれにもほどがある。何を聞いてたんだ?理論をきちんと追いかけて、もう一度やり直せ!」
高校からは遠慮なしだった。授業が終わっても、
「今日も全然だめだったな、チハル。理論がなっていない。シンイチローかアキミネにでも聞いておくんだな!」

 チハルの心の中の悲鳴、叫び声、泣き声。すべて私には聞こえていた。聞こえていたが、無視していた。チハルは母に訴える。
「高校になってから河原先生、恐いねん。中学時代は優しかったのに、めちゃくちゃ厳しい。なんでや?!」
その話も聞いていた。しかし「その時」しか、チハルを突き放す時はなかった。
と同時に、大人の勉強会「読書会」に初めて高校生として参加させてみたりもした。大人はどう考えているのか、子供に何を願っているのか、少しでも感じ取ってくれればと思った。チハルは静かに話を聞き、それが嬉しそうですらあった。しかしそれを日々の人間関係に生かすのは、まだまだ難しかった。

 高校からは「第2クラス」でやっていたシンイチローとタクヤ。
かなり勉強はしているように見えるが、なぜか成績が落ちていく。
『なぜだろう?』と不思議に思っていたが、あるとき偶然授業風景を見て納得がいった。
シンイチローは椅子を三つほどテーブルと平行にならべ、そこに両足を乗せ、上体だけ紙の方を見て問題を解いている。タクヤはテーブルに顎をつき、問題を目だけで追っている。講師は平然と自分の席に座り、紙に目を落としているだけ・・・
『これでは数学に踏み込んでいけるわけがない・・・』
講師から問題を与えられてはいるが、「面倒を見て」もらってはいなかったのだ。
「襟を正して正面を向く」などと言えば、若者に笑われるかもしれない。しかし「楽に、好きなようにやって」うまくいくのは、限られた「天才」だけだ。シンイチローもタクヤも「普通の子」であり、普通の子に天才の真似をさせても、対抗出来るはずもない。
私はただちに「第2クラス」を解消し、シンイチローとタクヤを私のクラスに移した。この学年とこの教室には、まだ「何か」が欠けているように感じていた。


5 "学び舎"の創生

 ヒトミとチハルには「基礎力」を、キョウスケとアキミネには
「深さ」を、シンイチローとタクヤには「方向性」を、まだまだ足していかねばならなかった。しかし「その方法」など、未だに私にもわからない。ひたすら生徒と共に考え、学び続けるしかなかった。
「学びは、学ぶことでしか学べない」のである。
 いち早く変化を見せたのがチハルだった。黒板でのチョークの動きが3倍速になった。まるで、
「どうせ間違うなら、さっさと間違って、早く先生に直してもらおう。何もせず"はい、時間切れ"はごめんだ」
そう言っているかのようであった。
まだ「とんでもない考え違い」も多かった。間違いを指摘されるとすぐに考え直し、すぐに書き直す。まだ間違っている。またすぐに考え直し、書き直す。ようやく合っていることもあり、まだそれでも間違えれば、また書き直し・・・・・
チハルはそういうことを全く苦にしなくなった。月曜から金曜までは毎日学校から教室に直行し、遅くまで勉強している。その分、土・日は「休息日」と決めて、家でのんびりする。
ところが「のんびりしている」ところしか見ていない母は「もっと勉強しろ」となじる。
「僕はもう、これ以上勉強できないのですが、甘いですか先生?」
いや、十分勉強していると思う。相変わらず人と話は出来ず、ついに修学旅行にも参加せず、数学の理論もさほど深まりもしなかった。しかしチハルの中で、何かが育ち始めていた。
 高校入学以来「ほっこり」としてしまっていたヒトミとタクヤ。
「高校の3年のうち、2年勉強すればいい」
そう"2年になってから"聞かされると「もうダメだあ〜」などと叫んでいたが、徐々にフリースペースに通い詰め始めた。
何不自由なく育った「ぼんぼん」のタクヤだが、次第に出来あがりつつあった「教室の凛とした空気」が心地よいらしく、毎日やって来ては後輩に勉強を教えたりしていた。「皆で学ぶ」ことが大好きだったのだろう。
 「まっすぐに、自然に」学ぶキョウスケやアキミネに触発されたのか、シンイチローも、その方向性を取り戻し始めた。
どこか「点取り」に傾いていた勉強法・・・「これではいけない」
素敵な仲間と共に「学び」そのものを見つめて行ったように思う。
 この子達の「自然に、真摯に学ぶ」姿は後輩たちにも影響を与えた。「真剣やなあ・・けど、楽しそうやなあ。ああやって勉強しよう」
後輩たちもこぞってフリースペースで学び始めるようになり、土・日はいつも朝から満員になるようになった。
『まだこの教室には、何かが足りない』
私の望んでいたものが形をなし始めていたのだが、私を含め、まだ誰もそれには気づいていなかった。ただ「学ぼう」と、皆が懸命なだけであった。


6 キャッチボール

高3となりクラブを引退すると、全員自分の問題集やノートをフリースペースに置き「場所取り」を始めた。
「ここで学ぶ。ここは自分の席だ」
そう言っているのだ。
 高校受験の中学3年生、高1、高2も入り混じり、フリースペースだけでは足りず、空いているどの教室にも生徒に溢れた。
話し声一つしない。しかしそこには明るくて透明な、凛とした空気が漂っていた。皆それが、とても心地よさ気であった。
 持ち込まれたのは問題集だけではなかった。グローブとボールも。
じっと座って勉強していると身体も頭も疲れてくるので、シンイチロー・アキミネ・キョウスケ・タクヤ等が表でキャッチボールをするのだ。ただのキャッチボールではなく「実況付き」である。
「ノーアウト2塁。ピンチにピッチャーアキミネ君、すばやく投げた!おっとお!逆玉!キャッチャーミットとは逆のコースにボールが来ました。アキミネ投手、ビビっているようです・・・」

 皆がシンイチローの「実況」に笑い転げる。そのキャッチボールはいつしか単なる「気晴らし」を超え、自分の中で燃え切らずに
「くすぶっている何か」を吐き出し、ぶつけるものへとなっていった。
 キャッチボールはそれだけではなかった。
「お前、この問題わかる?」
「え?これはこう考えるんやろ?・・・ところでお前、化学の勉強はどうやってる?」
盛んに知識や情報のキャッチボールもやり始めていた。そこにいるのは「まだ小さな自分」だから、少しでも大きくなりたい。もう少し賢くなりたい・・・そういう作業をやっているように見えた。
受験が迫る重苦しい日々。しかしこの子達はそれすら楽しむようになった。
「学びの方向は、これでいいはずだ。自分は立ちあがろうとしている。きっといつか、しっかりと立てそうだ」
皆がそういう予感に包まれていた。
「重苦しい日々」なのに、それが永久に続けばいいような気もしていたのだ。この子達ははっきりと、この教室を「学び舎」へと創り上げていった。


7 受験

チハルの得点はなかなか伸びなかった。『やはり、ダメなのだろうか?』あきらめかけた受験間際、チハルの表情が変わった。どこか「つきものが落ちた」かのような、さっぱりとした自然体の表情に変わったのだ。突然・・・一気に得点能力が増した。何がそうさせたのかは、今でもわからない。しかしはっきりと変わったのだ。
チハルは私に報告した。
「先生、僕は国立大学はあきらめます。僕に5教科7科目はとても無理なことがわかりました。数学もまだまだ出来もしませんが、だからこそ、大学でもう少し学んでみようと思います。僕は産業大学数学科の公募推薦を受けてみます。
 一つ心配事があります。妹のことです。妹は明るくて素直ないい奴で、僕や弟のような"変な奴"ではありません。しかし、算数はどうにも苦手なようです。僕は先生にここまで育ててもらえました。どうぞ妹も、僕と同じように育ててやってください。妹は僕みたいに"やりにくくて変な奴"ではありません。僕なんかより、もっと賢くなるよう、育ててやってください。お願いします・・・・」

『・・・バカ野郎・・・俺が、お前に何をしてやれたっていうんだ』
 話すことや説明することも苦手で、いつも寡黙だったチハルがそれだけのことを言う。自分の足元や周りの様子が、いつの間にか見えるようになっていた。
私がチハルにしてやれたことはほんのわずかで、してやれなかったことの方がはるかに多い。そんな「無能教師」の私からでも、チハルは何かをつかみ取り、学んでくれていたのだ。その「方向性」は、少々のことでは崩れないだろう。
「心の羅針盤」は、確かにチハルの中に供えられた。チハルは最難関の一つの数学科に合格していった。

 「金持ちのボンボンが!」いつも冷やかされていたタクヤも、その想いを伝えた。
「確かに親は裕福ですが、それは僕には関係がありません。僕はまだ何も出来ない、ただのガキです。確かに何不自由なく育ててもらって、親には感謝しますが、その分僕には"苦労"が足りません。
僕は勉強も苦手で、出来もしません。どうやって苦労をしていいのかもわからない・・・とりあえず、家を出てみようと思います。
勉強も出来ないから行ける大学も少ないのですが、まだまだ甘いのですが、行ける大学へ進み、建築学を学んでみようと思います」
 いつも明るく、ムードメーカーだったタクヤも毎日教室の空気に触れ、学び、近畿大学の建築科へと進んで行った。

 緊張のセンターテストを終える。シンイチローとアキミネは京都大学のボーダーラインに到達していた。奈良女大か京教大を狙うヒトミは「やや苦しい」で、キョウスケは数学と理科でトップだったが、国語と英語でひどい失敗をしていた。元々語学が苦手ではあったが、最近では安定していたのに、思わぬ失敗である。
『もう、さすがに京大は・・無理か・・・』
私は「日本一あきらめの悪い男」であるが、今度ばかりはかなりきつかった。しかもキョウスケの力なら、それ以外の大学を「前期」に置けばたいてい合格する。
『前期で決めて、さっさと受験を終えさせてやりたい』
そういう気持ちになっていた。
しかし、ストレスと過度の緊張で「ニキビだらけ」になったキョウスケの顔を見て腹が据わった。ずっとあこがれ続けた大学・・・
『仮に前期を他の大学にして合格しても、キョウスケはきっと生涯後悔する。後期に回るとさらに苦しくなるが、前期は京大だ』

 シンイチローは期待と不安が半々、アキミネとヒトミは「こんなに小さな自分が、受けてもいいのかな?」
それぞれの思いを胸に、前期試験を受けに行った。


8 最後の"合格"

前期試験を終えた日、シンイチロー・アキミネ・キョウスケの3人は公園に集まり、ボールが見えなくなってもキャッチボールを続けた。翌日には全員筋肉痛で動けなくなるほど投げ続けたという。
 3人とも数学はほとんど解けた。しかし周りの反応を見ると、皆できた様子だったらしい。不運にも、それは本当だった。今年の数学は例年になく易しかった。いつもなら得点を「稼ぐ」ところだが、他と差がつけられなかった。
不運はもう一つ。化学がとても難しかった。問題が難しくなると「徐々に」得点が取れなくなるのではない。自分の「臨界点」を超えると「がっくり」と取れなくなる。化学の「臨界点」は、3人を超えてしまっていたのだ。
「4人とも後期に回る」という事態に、その夜、私と英語講師の
サワは、居酒屋で酔いつぶれるほど酒を飲んでいた・・・・
 私は「この子に受けさせよう」と思って、失敗させることがほとんどなかった。それだけにとても堪えていた。
「ちくしょう〜!」「みんなに申し訳ないなあ」「大丈夫だ、この子達ならどこへ進もうと、しっかり学べるはずだ」「ちくしょう〜!」
想いがぐるぐると回り、夜も眠れなくなった。
 後輩たちにも衝撃が走っていた。「あの人たちが落とされた!」
その学びの姿勢を見続けた後輩たちにも信じられなかったのだ。

「俺たちが国立大学に合格できるのだろうか?」
4人は、今度はそんな不安を抱えたまま後期試験に臨んでいった。
息をとめたままで待つような、「発表」までの長い日々・・・
ヒトミから真っ先に連絡がきた。
「受かってました♪アハハ!」
大笑いしていた。
シンイチローからも連絡が来る。
「あった!番号がありましたよ!合格しました・・うれしいです・・」
シンイチローは泣いていた。受験番号はシンイチローが「1番」で、アキミネが「2番」。どちらも合格だった。

 キョウスケは・・・発表に自分の番号がなかった。ひどく落ち込んでいたのに、私には平静を装った。
「仕方ありません。同志社へ行きます」
もう私は訳が分からなくなっていた。
『力いっぱい育ててきたぞ!自慢の生徒達だい。何が足りないんだ?何が悪かったんだ?やはり・・・前期に確実なとこを置いておくべきだったのか・・・?』

 虚脱状態の日々を過ごし、キョウスケの進学欄に涙ながらに同志社と書き込んでいた日曜の朝、電話がなった。
「キョウスケです!繰越合格しました♪安く大学へ行けるので、親も大喜びです」
ようやく・・・ようやく、春風が吹いた・・・・


「ピーチク・パーチク」と、訳も分からずこの教室にやって来て6年。アキミネで3年。皆、立派な青年に成長してくれた。
こんな私でも、こんな教室からでも、「学ぶべきもの」を見つけてくれて、とても感謝している。この教室を元々の「学び舎」へと押し上げてくれたのは、お前たちだ。
授業もないのに今日も、生徒達がフリースペースにやって来ている。まぎれもなく後輩たちはお前たちの「背中」を追いかけようとしているのだ。
お前たちの手には「羅針盤」が握られている。それは、お前たちが自分で創り上げた羅針盤だ。この先に困ること、迷うことは多いのだけど、きっとそれは「方向」を指示してくれることだろう。

至らぬ教師であったのは申し訳なかった。私がもう少ししっかりしていれば、お前たちも楽だったろうに・・・
しかし私はお前たちのことを、誇りに思っている。
羅針盤が示す方向へ、しっかりと歩いて行くことを願って、今年のドラマを終えよう。

素晴らしい日々を、ありがとう。
                ( 塾長  河原 博)