2009 ドラマ
父の願い、子の想い  (23期生 クンペイの場合)

1 出会う前

夏の終り頃だったろうか、ウネがやって来た。相談らしい。
「僕の高校時代からの友人の息子で、今中2なんですけど、先生のとこで見てやってもらえませんか?」
「中2?康太のクラスだな。ヤダね。もう満員だぜ」
「そうですかあ〜、何とかなりませんか?友人も僕も、困り果ててるんですよ」
「どういうことだ?」
ウネはまだ、クンペイの父のことは、あまり話さなかった。
「友人は苦労人で、最近家を買ったりして息子を塾にやる余裕もなくて・・・いや、忙しく働く合間を見ては自分で勉強を見てやったりもしていたんですが、このままではどうやら公立高校へは行けそうもない。かといって私立へ行かせる金はない。
相談を受けて、僕がしばらく2日に一度ほど見てやったんですけど、どうにもうまくいかない・・・」

 ウネは三室戸に古家を買い、そこを自分の設計事務所としながら、毎日自分でリフォームを進めていた。そこへクンペイを呼んで、勉強を見てやっていたらしい。

「塾へ行かせられないんじゃあ、うちも無理じゃないか」
「いやそれが、僕から話を聞いて友人も、先生のとこやったら無理しても金を出すと・・・」
「しかし満員だしなあ〜。それに今から取っても、何もしてやれないことの方が多いぜ。どういう状態なんだ?数学"だけ"ダメなんだったら何とかなるけど」
「5教科全部弱いです。言われたことは一応やってくるんですけど、数学もよくわからんみたいで、漢字も・・・この前の数学のテストも"角"の真ん中の縦線を下まで突き出して全部ペケにされてたし」

 どういう指導をしているのか聞いてみると、間違った指導をしているわけではなかった。むしろいいくらいだ。
全然取る気のない私は、深く考えていなかった。
「それでダメだったら、俺がやってもダメだよ。金ももったいないし、そのままお前が見てやれよ。それが一番いい」
「そうですか・・・」

 プロと素人の違いは歴然としているのだが、私は自分をプロとは感じておらず、見ず知らずの親子に興味もなく、何もしようとは思わなかった。ウネはそのまま帰って行った。


2 友達への想い

冬になって、ウネは再び現れた。
「あかん!先生、どうにもならん。何とか手を貸してください」
最近は事務所にもやって来なくなったらしい。
「ヤダね。3年にもなるし、そんないい加減なガキ、俺は嫌いだ」
ますます私は取る気などなくなっている。
「・・・僕も息子のことは、本当はどうでもいいんですけどね。
その父親・・・友人のために、何とかしてやりたくて・・・
クンペイは結婚した奥さんの連れ子なんですよ」
「・・・別に、今どき珍しくもないけど・・・」

ウネは初めて友人のことを語り始めた。
「彼は高2を3回やって中退してるんですね。その2回目で僕が同級生になって。だから彼は1つ年上です。けれど、俺やコウヤとはウマが合ってよく一緒に遊んだ。
 中退するくらいだから、高校時代はいい加減な奴だったんですが、その分、社会へ出てから彼が苦労する姿を、僕はずっと見て来た。
仕事がなかなかなくて『また、面接にもいけなんだ』って、よく電話してきたなあ。
 そのうち魚屋へ下働きに出て、すごく頑張ったんですね。社員になって・・・今は店長ですよ。奴はものすごく変わった・・・
そこで知り合ったのが今の奥さんで、クンペイがいて・・・
『そんな"息子"だからこそ、せめて俺が行った高校くらい入れてやるのが俺の務めだと思う。ウネ、なんとかしてくれ』って。
僕の結婚式にも出てくれた奴に、何かしてやりたい。けど、僕では何もしてやれないんです。先生、お願いしますよ」

 ウネは私への攻め方をよく知っている。そういう話に私は弱い。
しかしやはり、私には自信がなかった。5教科全部苦手な子って、そんな子を1年で何とか出来るのだろうか?
理屈はわかっている。点取りの最短距離を走ればいい。
しかし在校生を含め、「その子自身を鍛える」のが、私のやり方だ。
取れない理由はもう一つあった。2クラスあるクラスを一つにするかどうか、私はずっと迷っていたのだ。一つにすれば超満員となり、そしてそれはたぶん・・・・
「悪いウネ、やっぱり取れないわ・・・」


3 ウネの作戦

年が明けてすぐ、ウネが新年会をやろうと言い出した。
「コウヤも帰ってるし、友達も呼びます。夕方、飲み屋に来てください」
 飲み屋に行ってみると、ウネとコウヤが見知らぬ男と飲んでいた。クンペイの父であった。その時は気にもしなかったが、後から考えてみると、これは明らかにウネの作戦であった。
ウネは私と言う男をよく知っている。私の教育観もよく知っている。
「入れてください」だけでは無理だと悟ったウネは、クンペイの父親を私の目の前に差し出したのだ。それがだらしない親なら逆効果であることもよく知っている。
『こういう奴なんですよ。ずいぶん立派になったんですよ。話だけでも聞いてやってください・・・』

 ウネの作戦は、半分は成功していた。まだその息子には興味はなかったが、高校中退から店長にまで上って行った男には興味があった。
「ほお〜、君か!?高2を3回もやったという奴は!」
父は「ふふふ」と小さくはにかんだ。細身で、さわやかな印象であった。
「はじめまして。でも、僕は先生のこと知ってるんですよ。ウネの結婚式での先生のスピーチ「よく飛ぶ紙飛行機」は最高でした」
 魚屋の裏話をいくつも聞いた。そういう話は大好きだ。
「高級料亭も、下町のメシ屋も、買っていく魚は同じもの。客に出されるときは、何倍も値段は違うけれど」
そ、そうだろうなあ〜。だから我々庶民は、料亭に行かなくていいよな。
「店で売る魚の値段は、そうは変えられない。10円、20円値上げするだけですぐに文句を言われるし、売れなくもなる。だから売値は変えられない。けれど、仕入れ値は毎日違うんですよ。
仕入れが高くても値段は上げられないからつらいけど、ものすごく安く仕入れられることもある。品物はすごくいいのに。そういう時はたくさん仕入れて、"脂のってるよ!おいしいよ!"って、バンバン売る。儲かりますよ。それで売れ残ったら、魚は最高だから、ウネのところへ持って行ってやるんです」
「わかるなあ〜、それ。サンマって、安ければ安いときほどうまいものなあ」

 そんな話で盛り上がる中、私は「本題」をぶつけた。
「どうして君は魚屋へ行こうと思ったんだ?素人だったろう?」
「そこしか・・・雇ってくれなかった。他は面接もしてくれなくて」
「相当頑張ったんだな?」
「いいえ、頑張り方もわかりませんでした・・・初めて考えました。学歴も学力もなく、能力もない僕に、何が出来るのかなって。
『店に最初にきて、最後までいよう』そう決めて、今でも続けています。それしか僕に出来ることはなかった・・・残念なのは、今の若い奴で、それをやる奴が一人もいないことです」

ウネの作戦は、完全に成功した。私はこの男が好きになった。
「・・・君には学歴はないのだろうが、学力は、十分にあったんだよ。で、"息子"だけど、君がそうだったように、行けないのなら、高校なんて行かなくてもいいんじゃあないのか?君は立派に生きているじゃあないか」
「僕は中退したけども、入学は出来た。クンペイにも、同じスタートラインに立たせてやりたい。そこまでは"親"の責任かなと・・でも、そこから先は奴の責任です。卒業するも、しないも・・・・しかし、今のままでは公立高校には入学できない・・・僕ら夫婦が働いている時、幼い弟や妹の子守はクンペイの仕事です。それもクンペイの勉強時間を削ったかもしれない。奴に申し訳ないという気持ちもあるんです」
「・・・俺の教育って、その子の"学ぶ力"そのものを太くしようとするところがある。それは難しくて、時間もかかるんだ。
 今からでは何もしてやれないかもしれない。お金も無駄になる・・・
そうなったら本当につらい。俺も自信はないぜ。それでもいいのか?」
「ぜひ!よろしくお願いします」
2月半ば、中3への切り替わりからクンペイはやってくることになった。


4 出会い

『たぶん・・・文字式の扱いもあやふやだろうな。とすると、整式の乗法は、どこから始めるべきだろう?・・・いっそ、根本からやり直そう』

 定刻前にクンペイはやって来た。おとなしそうで、自信なさ気な目をしている。私は皆に話しかけた。
「今日から中3の単元だ。数学って、うまく作られている。今日から"式の展開"だけど、中1から始めた文字式の復習とまとめになっている。お前達はどういうことを勉強してきたんだろう?もう一度はじめから復習し、まとめていこう。そのつもりで勉強するように」

 文字式の約束を復習し、3年生の問題を黒板でやらせる。結構、こちらが思いもしない所を忘れていたりする。クンペイもそうだ。
「クンペイ、そこの約束はこうだったぞ・・・それはこうやるんだった、忘れてはいけないことだな」

 クンペイはどこか楽しげであった。すぐに修正しては、思ったより良く、計算を進めていく。
この時は、私はまだ気づいていない。何気なく私が修正してやることが、たぶんウネには触ってやれなかったのだ。
「なぜそれが出来ないのか?」
その原因は、たいていが「些細な」ことである。些細なことではあるが「根本的で、非常に重要なこと」なのだが、素人には、
「まさか!そんなことが原因なの?」
と言うくらいに「見えにくいこと」なのだ。たぶんクンペイは私に指摘されることが、ことごとく手ごたえを感じたのだろう。嬉しそうに解いていく。自覚したことはないが、それが私の仕事か。

 もちろんクンペイを強く意識した授業構成ではあったが、「根本を復習していく」授業は、他の生徒にもいいものであった。
「これはこうだったな、思い出した。あ?これはこうだったっけ?」
そういう作業は確実にこの子達の力を伸ばしていく。
 しかし合併吸収した生徒の中には、そういう「考える授業」を嫌がる子もいた。
「前の先生は30分遅刻しても怒らなかったし、私は考えなくても、それでも丁寧に教えてくれた。そんな楽な授業がいい」
と、やがてはやめていく生徒もいたのだ。
全然成長もなく、「勉強した気になる」授業・・・・
それは教育なのか?何を求めて学ぶ?親は金を払っているんだ!
何人がやめようとも、私には妥協は出来なかった。

 私はクンペイがそのような生徒であることを恐れていたのだ。そうであれば、ウネがどう言おうと、父親がどれほど願おうと、私はクンペイを放り出してしまう。そうなることを恐れた。
クンペイは、そういう子ではなかった。楽しそうに黒板で考えている。いい意味で私は「拍子ぬけ」したことも本当だ。
『思ったよりちゃんと考えるぞ。忘れていることもあるけど、指摘すればすぐに修正するじゃないか。これは楽な生徒だ!
・・・ったく、何でウネは、この子を教えられないんだ?』

クンペイは満足気に帰って行った。


5 晴れていく霧

 さて、数学は私が何とかするしかないが、英語はどうだろう?この学年、英語のレベルだって低くはない。私は新任の英語講師横山と相談を繰り返した。
「たぶん、相当1・2年の復習を入れないと駄目なはず。中3の授業だけでは駄目でしょうね。一度クンペイを見て、必要ならほかに時間を取ってもらえますか?」
 この教室にやって来たばかりの横山だが、快く了承してくれた。
少しばかり条件付きでだが。
「見たところ、この子とこの子も補講がいりますね。一緒にやらせてください」

 横山も私と同じ「教科を通して、いかに生徒と関わるのか」と言う教育観を持っていた。しかしその教育観は実践するには途方もなく難しく、
「そのことにチャレンジしているとこですら、ここ以外ではない」
と言う。すぐに教師の方がはじかれてしまうからだ。
事実その英語の補講もクンペイ以外は続かなかった。横山も初めての「教育観の実践の場」に慣れてはおらず、手探りで授業方法を求め始めたばかりであった。
「なんでこんな面倒なことやるの?理由がわからない」
我々が戦うのは、一般に漂う、そういう意識だ。
「勉強でも何でも、面倒なものなんだ。1分間では出来ないんだ。そして、勉強はしなくてはならない。それには何の理由もない」
そう言い続けて、それで生徒が去っていくなら、それは仕方がない。
それ以上の「サービス」など、我々はしないのだ。クンペイにも我々は「サービス」など与えなかった。われわれの与えた物は「学びの場」だけであった。その「場」を、クンペイはとても喜んだ。

 皆が申し込んだ「模擬テスト」を、クンペイだけは申し込まなかった。5回で1万円ほど。私も横山も、すぐにわかった。クンペイは両親に遠慮しているのだ。
『こんな塾に通わせてもらうだけで十分だ。模試は我慢しよう』
我々は何も言わなかった。授業で応えてやるしかない。

 初めはゆっくりだが、クンペイは確実に良くなっていった。目線もはっきりとして行った。3か月が過ぎる頃、理科の講師に話した。
「河原先生に一つ注意されると、一つ見えてくるんや。今まで何も見えへんし、何もわからへん・・・それは嫌やったけど、どうしていいかもわからへん。それが今・・・ちょっとずつ見えてくるねん。
少しやけど、わかんねん・・・先生、わかるって、わかるって・・・楽しいなあ・・・」
 これほど教師を勇気づけてくれる言葉はない。どのような苦労も吹っ飛ばしてくれる。
『まだ、こういう子がいるんだ?』
私には新鮮であった。

 クンペイに限らず、自分が見えていないことや分からないことが自覚できる子がわずかにいるようだ。自覚出来てもしかし、自分ではなかなか動けない。
見えない「原因」が分からないからだ。それを修正する「わずかな知識」が足りないからだ。
 
クンペイが喜んだのは、私が「それだけ」を足したからだろう。無理やり大量にやらせるわけではない。一つ足す。また一つ・・・
そのつど、少しずつ霧が晴れてくる。見えてくる。それによって
「自分で動ける範囲」も少しずつ広がってゆく。そのことがとてもうれしかったのだろう。
 しかしそれは私の力ではない。クンペイ自身の生命力である。本来数学も英語も理科も楽しい。そのことをつかみ取れる力があった。
私がやったことは「わずかに足した」ことだけであった。


6 成長、そして巣立ちの時

 クンペイははっきりと"学び方"をつかんだようだった。数学にとどまらず、どの教科も伸びていった。
父が願った「公立高校T類」はゆうに超え、U類すら望める位置にまで来ていた。そんな秋の日、クンペイが私に言った。
「先生、僕は伏見工業へ進もうかと思います」
「どうして?東宇治のU類だって行けるぜ」
「僕は・・・たぶん大学へは行きません。あと3年だけ勉強させてもらいます。だとすれば、普通の勉強をするよりも、僕は物作りの方が好きなので、その勉強をして3年後に社会へ出ようと思うんです。どうでしょうか?」
今時・・・今時、これほどはっきりと将来の方向を打ち出せる中学生が、どれほどいるのだろうか?そしてそれに対して、私はどう応えてやればいいのだろうか?生徒の成長は、時として教師を悩ませる。
「それでいいと思うぞ。お前はずいぶん力を付けた。高校からはそれほど勉強で苦しむことはないだろう。思いっきり勉強すればいい」
クンペイは、うれしそうに目を輝かせた。
「ただ、3年後、お前の考えも変わっているかもしれない。もし進学が必要になったら、またその時考えればいいな。それまではひたすら、この1年のように勉強するんだ。将来どういう方向へ行ってもいいようにな」

 余計なことは考えず、ひたすら学べ・・・それしか言ってやれない。成長しようとする少年へのアドバイスはとても難しい。
"技術系"の職業なら、腕さえあれば"学歴"は無用だろうか?
いいや、私の経験では、大卒の方が圧倒的に有利だ。高卒だとどんなに頑張っても、なかなか給料は上がらない。"国家検定資格"を受けようとしても、大卒より年数が必要になる。
「とにかく大学へ行け!」
たいていの親がそう言うのも、無理はないのだ。
しかし、それでも・・・レールの上を"大学へ運ばれる"のが正しいのだろうか?私はそうは考えない。
 そこには本人の「意志」がなければならない。しかもそれは単なる「好み」であってはならない。最近はその境がぼやけている。
その違いは何かと言うと、勉強量の差だと思う。いくつかの基礎知識を身につけ、学びに没頭してゆく。次第に霧が晴れて、視野が広がっていく。友達と語らい、さらに広げてゆく。そこで決定されるのが「意志」だ。クンペイの意志は、そのように決定された。

 合格発表からすぐ、焼酎を持ったクンペイが現れた。
「お世話になりました先生。あの、これ、焼酎は親が買ったので間違いないと思いますが、つまみは僕が選んだので、うまいかどうかは・・・とにかく、お礼です」

たぶん、焼酎だけを持って行くように親に言われたのだろう。
つまみは・・・クンペイ自身の"気持ち"なのだ。
うん、つまみは不味かった。けれども、とてもうれしかったぞ。

 数日後の夜、父がシーズン最後のカニを持ってきてくれた。
「大変お世話になりました。おかげで高校へ行かせられます」
「いいや、お礼を言うのは、俺の方だよ」

 とても"いい仕事"をさせてもらった。クンペイの頭や心から、どんどん霧が晴れていく様を、私も実感させてもらった。とても充実した1年だったと思う。
基礎知識と基礎学力を、クンペイにはきちんと備えさせられた。
勉強ではもう、以前の様な"霧の中"には入らずに済むだろう。
いつまでも"その学び"を期待している。
 
 今時珍しいほどの素敵な親子であった。この二人と出会わせてくれた、ウネにも感謝している。