2007 ドラマ

あきらめないで

 その日の職員室は朝から静まりかえっていただろう。お昼過ぎ、教師達は時計ばかり見ていたはずだ。何しろ合格していれば15年ぶりなのだから。
『しかし、トモキの奴、数学で失敗したと言ってたからなぁ。
 ダメだったかなあ?あ〜〜、どっちにしろ、早く報告に来てくれ〜』
3年間トモキを見守った高校の教師達だ。その想いは痛いほどわかる。
当の本人は兄のバイクの後ろに乗り、発表会場からもどってくる途中だった。

トモキ、サヤカ、エミ、ミヅキ。この4人だけは6年間通い続けてくれた。
あんなに小さかったトモキの背はとうに私を超え、サヤカはすっかり「お姉さん」であり、細かったエミとミヅキの身体も、すっかり大きくなった。


1 出会い

ドアのガラス窓からサヤカの顔だけが見えた。その頃から背が高かった。
ドアが開くと「おっかなびっくり」の顔で、ぞろぞろと男の子が入ってくる。
「ちっちゃ〜い!」その中にトモキはいた。近所の子がそろって来たようだ。
すぐにエミもミヅキもやってきた。とても小さくて、おとなしかった。

 11名でスタートした中1のクラスは、皆とても賢かった。
「ほら!俺の足の小指、爪がないねんぞ」
「え?なんやそれ。変形か?」
「まあ、そうやな。あはは」
トモキはフランクに誰とも話が出来、小学生の頃からサッカーに熱中していた。数学は出来る方だが、ガリ勉は出来ず、その後6年間同じだった。

 少し心配したのはエミ。家の外では誰とも、一言もしゃべらない。
極端に自分に自信がないようで、何とか教科の力で治療する必要があった。
 サヤカは当時からトモキ達の世話役みたいで、しっかりしており、ほとんど手がかからなかった。
 とても聡明なミヅキだったが、神経が過敏なところがあり、身体が細すぎだが、これはどうなることやら?

 黒板でやる数学は子供には楽しいようで、この子達もすぐに馴染み、
無心に数学とたわむれ始めた。滑り出しはすこぶる順調であっただろう。


2 私は立てる!

『みんな賢い!これはすごいクラスになるぞ』
そう思っていた夏過ぎ、ミヅキが休みがちになった。
誰でも経験することだが、家庭内での不満がストレスとなり、しっかり食事が取れなくなり、体調を崩したようだ。学校へも行けなくなった。
『こんなに可愛くて、賢い娘がなぜ?』
心配しても、私にはどうすることも出来なかった。

 教室を1ヶ月ほど休んだ11月、ミヅキから電話がかかってきた。
拒食症となり、布団から出ることもままならないことを、私は親から聞いて知っていた。
「あの・・・体調が悪くて教室には行けてないんですが、私の席は
 まだありますか?行けるようになったらすぐに行きますから、
 私の席は取っておいてもらえませんか?」

 はたして、ミヅキは私のことをどこまで信頼してくれているだろうか?
信頼関係の深さに賭けてみようと思った。
「今は席はあるけど、ずっとではないよ。ちゃんとご飯を食べて
 体調管理することは、お前の努めだ。そんなことも出来ない子は
 教えてやらない。そうだな・・・来年3月から学年が変わる。
 それまでにちゃんと立てるようになってなければ、お前の席は
 他の子に回す」

 どんな形でサポートしようとも、最終的には自分で立ちあがるしかない。
他の子達は順調に進んでいたが、私の中ではじりじりと時が進み、2月になった。まだ立ちあがれないと親から聞いていた。あきらめかけていた。
 期限切れギリギリの2月末、突然教室のブザーが鳴った。ドアを開けてみると、制服を着たミヅキが立っている。私は目を疑った。
少しふらついているようだが、確かに自分の足で歩いて入ってきて、
「ほら、先生!私は立つことも、歩くことも出来ます!
 私の席は、私のものですよね?!」

本当は、まだ立てなかったらしい。布団の中から母親に、制服を着せてくれるように頼んだ。母親にもミヅキが何をしようとしているのかわからなかったらしい。
「教室に、連れていって・・・」
抱きかかえて車に乗せ、教室の玄関まで運ばれた。そこでおろすと、
不思議なことに、自分で立ったという。
後からそのいきさつを聞いたとき、私は涙してしまった。
ミヅキは3ヶ月もずっと、布団の中で、もがいていたのだ。
「2月までに立とう」 必死だったのだ。
その想いが、まだ立たないはずの足を立たせたのだろう。
私は、それほどの想いを、どう受け止めればいいのだろうか?
 それからは毎回きちんと通ってきた。学校へももどることが出来たようだ。
教室では黒板に立つことはさすがに無理で、1年ほどはテーブルに座って問題を解いていた。
『ずっと座ったままかな?』
そう思っていたが、1年後、3年生になるとすぐ、自分から黒板に立った。


3 俺、やめる!

全員がそろい、順調に進んでいた中2の半ば、トモキともめた。
内容は忘れてしまったが、たぶん、日曜日がサッカーの試合で、練習があるから木曜日の授業を休ませてくれと言ったのだろう。
「土曜日ならまだしも、木曜日が休めるか!
ワガママ言うならやめちまえ!」
いつもの私の調子だが、トモキにはショックで、頭に来たらしい。
「おれもう、塾やめる!」
そう言って、大いに母親を悩ませた。
「やめたがっているなら、やめさせていいですよ」
私も、一歩も引かない。やめさせたくない母は、どう言いくるめたのだろう?
結局教室を優先することになり、トモキは木曜日にやってきた。
その少し哀しげな顔を見たときは『グラリ』としたが、心を鬼にした。
クラブをするか、勉強をするか?そんな選択はこれから幾度も起こる。
これもトモキの試練だ。

 この事件以後はさしたることもなく、コツコツと学びを深めていった。
私の中で大きな事件と言えば、中3になった頃エミが小さな声で
「今晩は」「さようなら」
を言うようになったことだ。うれしかった。
これを機にもっと話が出来るようにと願ったが、エミの性格もあり、それはうまくはいかなかった。サヤカはまったく手がかからず、ミヅキは黒板で問題を解くまでに回復しており、高校受験を迎えた。


4 高校受験

私が高校受験で気にするのは、その子の家からの距離と、どういうクラブがしたいかの2点だけだ。公立高校でも2極化が進んでおり、
「勉強するならクラブはするな、クラブをするなら勉強するな」
と言う方向に進んでいた。その事が私や生徒を悩ませた。
ましてこの4人は将来国立大学へ進むのであろう。
そうすると、どの高校がいいのか・・・

 学校見学に行ってきたミヅキは、南陽に行くと言い出した。
「遠いぜ、1時間半もかかるだろう?お前の体力が持つか?
 悪いことは言わん、莵道にしておけば?」
そう薦めるのだが、本人が気に入ったなら仕方がない。
今でもミヅキにとっては莵道でよかったと思っているが、強引にそうさせれば、「行きたかった」という想いがいつまでもミヅキの中に残ってしまう。やはり・・・仕方ない。

 エミは当初、莵道の理数科へ進みたがった。将来の展望こそまだないが、教科では数学くらいしかおもしろくないらしい。
それはいいのだが、理数科では数Vや物理などで限界が来るように思えた。
「な、エミ。将来がまだ見えないなら、非常に数学が出来る文化系の生徒にならないか?その方が、展望が広がると思う」
エミは素直にアドバイスにしたがってくれた。

 サヤカは兄も通った東宇治の文理系。家から最も近く、何も言うことがない。兄2人で末っ子の長女のくせに、甘えたところなど全くなく、兄弟の中でも一番しっかりしている。
何となく「理科系へ進むのかな?」と思っていたが、サヤカには秘めたる願いがあった。私はまだその事は知らなかったのだが。

 最後まで悩まされたのがトモキだ。その気になればどの高校でも合格するのだが・・・逆に、行く高校がなかった。
「先生、俺、高校でもサッカーがやりたい。けど、勉強もしたい。どこへ行けばいいのかなあ?」
将来、京大まで進むかも知れない子だ。莵道のサッカー部は科学的なトレーニングも取り入れ、素晴らしい指導をすることは知っていた。
しかし練習に明け暮れて、事実上勉強が出来ないことも知っていた・・・
「先生、東宇治高校ではあかんやろか?」
「ちょ〜っと待てよ。そっちでも勉強がおろそかになるかも知れんぞ。莵道へ進んで、サッカーは学校以外でする、と言うのは?」
「ちがう、ちがうねん先生。学校で、学校の仲間とせんと意味ないねん」
「しかし、東宇治にはサッカー部はあるけど、11人いるのか?事実上活動はしてないみたいやぞ」
「それは俺が何とかする。顧問の先生にもお願いして、練習メニューを決めてもらって、部員は何とか勧誘して・・・勉強が不安やけど、足りない分はこの教室で補えばいいし・・・」
「くっ・・・・」

 全部トモキの方が正論だった。どうしたものか・・・
「・・・・わかった、東宇治にしよう!勉強は・・・何とかする!」
そうはいったが、自信はなかった。なんとかしなきゃあしょうがない・・・そう開き直るしかなかった。
4人はそれぞれの高校へ進んでいった。


5 高校にて

環境が変わるとリフレッシュされる。それぞれ張り切って通い始めたが、月日が経つにつれて、やはりミヅキは体力が続かず、学校を休む日も多くなったようだ。教室には来ていたので私にはわからなかったが。

サヤカは勉強に集中していたが、トモキはきつそうだった。部員を集め、練習メニューも決めて元気にサッカーをやる。家に帰ると風呂とご飯で精一杯。勉強しようとしても、眠気には勝てなかった。
勉強していない自覚があるものだから、ついに私には言わなかったが、1年ほど教室を休むことも考えていたようだ。しかし、ここで手を抜いてはいけないのだ。私はチクチクとトモキを刺激する。
「あ〜あ、勉強してれば、京大もあったのになぁ」
「先生、俺まだ2年やのに、過去形か?」
そんな軽口をたたきながらも、体力の限界ギリギリのところで、何とか歩を進めていった。何のことはない、私はそういうことは慣れっこだ。
そんな様子をトモキは後に、とても良かったと言った。

バリバリ音を立てて伸びたのはエミだ。数学は2年まで理科系をおさえて1番だ。私の予想をはるかに超えて伸びていった。
ただ、それはエミの「独創的な解答」ではなく、残念だがあくまで模倣の域を出なかった。しかし、それは望みすぎだろう。そこまで伸びてきたことを素直に喜んでやるべきだ。
あっという間に高3となり、進路を決めなくてはならなくなった。


6 狙いを定める

ミヅキは考古学をやりたいようだった。しかし、どの学部からアプローチすればいいのだろうか?これという決め手の学部はなく難しかったが、建築学から迫っていくことを決めた。
では、どの大学を?京都府立大学にその学科があることを言うと、見学してきて、とても気に入ったという。私のミヅキに対する学力の信頼は絶大で、楽勝に思えた。ただ、教室で解いている力に比べて、模試では点数につながらないことが気がかりだった。やはり学校をずいぶん休んだことも影響していたのだろうか?
 私の失敗は数Vの取り扱いだった。「2次に数学がないから」と、ミヅキが数Vをやめることを許してしまったのだ。数Vをやる、やらないで、センターの数学に大きな差が出てしまう。
知っているはずなのに・・・私の小さくないミスだった。

 何をやっていいかよくわからないエミは「何でも出来る経済学部」
それはすぐ決まったが、「家から出たくない」という条件付きで、どこを狙えばいいのだろう?
神戸大を目標にしておいて、でも神戸は遠くて通えないから、ま、滋賀大がいいのかな?そう思っていたら夏の3者面談で担任から「上を狙うように」と言われて舞い上がってしまった。
「その上・・・ったって、無理だよ〜」
エミのがんばりとその成長は認めるが、そこまでは届かない。滋賀大に進めれば、それでも充分すごいことなのに・・・

 サヤカの狙いがわかった。薬学・・・厳しい!サヤカはものすごく優秀な娘に成長していたが、薬学は国立では京大と阪大にしかない。しかもその大学の中でも難易度はトップクラスだ。私立の薬学ならどこでも受かるだろうが(それはそれですごい!)、経済的に私立は行かせてもらえない。
何とかしてやりたいが、学部の変更を考えるしかなかった。

 勉強時間の足りないトモキだが、その数学力は確実に伸びていた。その独創力は、2次へ進めば、どこが相手でも負けないだろう。でも、どこへ行く?
京大を狙うなら、問題が2つあった。
1つはセンターの社会。京大はB教科(難しい方)を指定するが、東宇治高校ではA教科しかやっていなかった。自分でやらなくてはならない。
これはものすごいハンデだ。例えば莵道高校から現役の京大文系は出ていないが、これは日本史がカリキュラムに無いせいだと言われている。京大の文系は世界史と日本史の2つを指定する。
ほとんど居眠りをして授業を聴かなくても、テストになればそれなりに勉強する。学校の授業は、とても大きいのだ。
 しかし、愚痴っている暇はない。学校の先生に事情を話し、アドバイスを求めさせた。先生は快く聞いてくれた。
「ほれ、地理Bの教科書をやろう。問題集は・・・これなんかどうだ?がんばれ、何でも質問に来ていいぞ」

 もう一つの問題は、センターの国語だ。トモキは国語が苦手だ。一生懸命考えて答えるのだが、たいてい間違っている。
一般に知られていないが、京大の工学部の場合、センターの国語の配点割合が一番高い。ここで大失敗すれば2次でも挽回不能になる。
もちろん学校の先生にも目をかけてもらったが、通信添削の国語もやらせた。
社会を自力でやらねばならず、国語は苦手、通った高校は東宇治・・・
普通それを「不可能」という。しかしトモキの理数の能力は充分に京大級にあるから、私もあきらめられなかった。10月頃には
「トモキ!もう数学と物理はやらなくていい。国語と社会だけやれ!」
トモキも私も死にものぐるいだった。


7 あきらめないで

センターを終えて、トモキは84%、サヤカは80%、エミは70%、
ミヅキは60%の得点率だった。
サヤカは府立大では充分な貯金となり楽勝。トモキとエミが京大と滋賀大のボーダーライン。よくやった!もうこっちのものだ、そう思っていた。
ただ、ミヅキは信じられない大失敗。たまに模試で失敗があったが、それが本番に出てしまった。行くところがない。
『やはり強引に数Vをやらせるべきだった・・・』
後悔が私の中にうずまき、他の3人のことは考えられなくなってしまった。
京大の過去問はトモキと10年分ほどやっていたが、あと4年分解いてやらなくてはならない。
「トモキ、俺、疲れた。あとは自分でやっておけ」
結局は模範解答を作ったが、本音だった。
そのために鍛えてきたんだ、トモキもエミも自分で何とかするだろう。
「ミヅキ、府大の前期だけは受けような。それでダメだったら・・・仕方ない、浪人しよう」
ミヅキも、私より覚悟は決めていたようだった。

 楽勝予想でも、表情が今ひとつなサヤカ。最後の望みをかけて名古屋市立薬学科の推薦入試を受けたのだが、合格しなかったのだ。
「・・・サヤカ、府大受かっても、京都薬科大へ行こうか?学費の援助を申請すれば、うまくすれば月に5万円ほどは助けてくれるし・・・」
「薬学は6年だし、やっぱりうちでは無理みたい・・・」
「ふふふ」と無理に笑った顔が不憫でならないが、どうしようもない。
それぞれの思いを胸に、2次試験へと向かっていった。

 京大の数学がかなり難化したと伝わってきた。トモキも
「解くべき問題を解き損ねた!もうダメだ〜」
高校の購買部のおばさんにそう言うと
「そうかい、残念だったねえ」
もう落ちたかのように慰められた。
『ちょっと油断したかな?しかし、トモキが解けなかったら、他の生徒は
マイナスの得点になってるぞ』

 今年から京大は前期試験しかないから、失敗すれば後期の京都工芸繊維大学へ行くしかない。子供達のサッカーのコーチを頼まれているから、阪大にも神戸にも願書を出さなかった。どの大学になろうとも、教員免許を取って、将来は教師となり、生徒とサッカーをやろうと、今は思っている。
それだけに、それだけによけい、ミリ単位の精度で鍛えてきた。間違いなど、あってたまるもんか・・・


8 それぞれの旅立ち

エミは前・後期の滋賀大には落ちたが、中期で合格していた。
それを聞いたトモキは、
「信じられん!中期は倍率が高くて、うちの高校からは誰も受かってない」
うれしそうなエミの声が印象的だった。

 サヤカは問題なく府立大に合格したのに、3日ほど何も言ってこない。
突然母親と報告に現れた。2次試験が終わってからずっと家族会議をしていたらしい。母親が言う。
「私には何の資格もなくて、アルバイト1つ探すのも大変でした。サヤカにはせめて手に職をと・・・幸い成績がよくて、学費援助が認められたし、兄2人も出来るだけ援助すると言ってくれて・・・京都薬科へ行かせます」
サヤカのはち切れんばかりの笑顔・・・・末っ子でよかったなあ!

 トモキは兄ソウイチの、バイクの後ろにまたがって発表を見に行った。
教室にいると身もだえてしまうので、私は笠取まで蕎麦を食べに行っていた。
トモキは私がいないので、先に高校へ報告に行ったようだ。
「無事、合格しました」
見たこともない、大騒ぎになった。担任は涙を流したという。
「おい!校長にも報告するぞ、行こう!」
校長室へも引っ張っていかれたが、それだけの理由がある。

「俺は勉強する気がないねん。あんた教師なら、そんな俺にやる気を出させるような授業をしてよ」
今時そんな生徒がものすごく増えた。私のような「手も足も口も出す極悪教師」が6年間も怒鳴り続ければ、多少はましになるかも知れないが、そう言う生徒には普通、教師は何も出来ない。する必要もないと思う。
「自分でここまで来ましたが、あと少しが足りません。教えて下さい」
トモキのような、そんな生徒には「まかせておけ!」と全力が出せる。
教師にとっても焦点が絞れるからだ。暮れも正月もなく学校を開放し、教師全員でバックアップしてくれた。トモキと共に歩んでくれていたのだ。

 その後教室へも報告に来た。
「何度か・・・苦しくなって、教室をやめることを考えたこともあったけど、先生・・・続けてきて、本当によかった・・・」
『バカ野郎、俺は51才の極悪教師だ。そう簡単に小僧の前で泣けるか!』

 「受験のアカ落とし」の鞍馬温泉にミヅキもやってきた。浪人が決まってしまったことに、私は申し訳なくて真っ暗だが、口には出さない。
逆にミヅキの方が、そんな私を気遣い、昼食のざる豆腐に舌鼓を打ち、露天風呂では1時間も笑い声が響いた。
 帰りの電車の中で、ミヅキの顔を見ていた。6年前と同じ可愛い顔立ちだ。
ふと、ミヅキが声をかけてきた。
「大丈夫ですよ、先生。今日のおいしいご飯と露天風呂で、私はあと1年がんばれますからね・・・」
『バカ野郎、俺みたいなおじさんが、小娘の前で泣いてたまるか!』
みんな、それぞれの方向へ飛び立っていった。