2006 河原シュタイナー教室 ドラマ

成長するとは (マコトの場合)



「おいマコト、いつまで勉強してる?」
高3の夏の授業。掃除を終えた夕方6時に、空き教室で残って勉強しているマコトに声をかけた。
家では集中できないからと、教室で勉強しているのだ。
「10時半くらいまで、いいですか?」
『こいつ・・・今朝の8時半からいるぜ・・・』
3週間ほど、連日14時間も教室で勉強している。私はあきれていた。
「俺は先に帰るから、クーラーだけ切って帰れよ」
 それまでもマコトは真面目ではあったが、言われたものをこなすだけで、これほど勉強する子ではなかった。
卓球に熱中していたし、パソコンでホームページを作るのもおもしろかった。勉強は・・・するにはするのだが、明確なビジョンがなかった。本音を言えば、好きでもなかった。勉強など「かったるい」ものでしかなかったのだ。

 何がこれほどまでにマコトを変えたのだろう?
その時のマコトには、はっきりとビジョンがあった・・・・


1 出会い 



 「やる気がないんなら、今すぐ帰れ!」
中3になろうとする3月、母親に連れられてやって来たマコトは、その面接の場で私に怒鳴られた。

 気になっていた。母親に教室のあらましを説明しているときから、マコトは一言も話さず、つまらなさそうに横を向いていたのだ。
たぶん・・・本当に塾などには来たくはなかったのだろう。
また、ものすごくシャイな男で、「人見知り」するところもあった。

 しかし!初対面の私は、そんなことはまだ知らないし、そもそも中3からとることに抵抗もあった。最初の電話では、私は断っていたはずだ。
 そんなこともあったから、マコトの様子に私はぶち切れたのだ。
「お母さん、すぐに連れて帰ってください!見ません!」

 その後、どのような会話があったのかは、全然憶えていない。
気がついたら、毎週休まず、数学にだけ通ってきていた・・・


2 ケンイチローとの出会い



数学、英語、国語は5になっていたが、平均すればオール4。
数学は数字ほどの力はなかった。まだまだ非力だし、ずいぶん不器用だ。その真面目さで「形だけ」受け入れるのだが、おもしろがってはいないし、それ故奥深くへも入ってゆけない。

『このままではこの子は潰れてしまうな・・・』
そう考えていた夏の終わり頃だろうか、毎週日曜の午後、三室戸小でやっている卓球の練習に出かけた。マコトも毎週来ていた。
『相変わらずへたくそだな。身体も筋肉も硬い・・・あいつそっくりだなあ』

 その「あいつ」、ケンイチローが練習にやってきた。京大2年生だ。
私はひらめいた!マコトを呼び、試合させた。
「マコト、こいつはケンイチローと言って、塾の先輩だ。身体が硬くて卓球が下手なところはそっくりだ。アドバイスしてもらえ!」

 試合も、その後のアドバイスも、マコトはうれしそうだった。
『はて?マコトって普段は無愛想だけど、自分への自信のなさがそうさせてるのかな?ものすごくシャイなだけで、本当は人恋しくて、人なつっこいやつなのかな?』

「マコト、ケンイチローみたいに、莵道の理数科へ行ってみないか?
高校ではやつもへたくそだったけど、一生懸命やって、勉強もして、大学で卓球も強くなった。お前もその方向で行かないか?」

 マコトはビックリしていた。
「僕なんかが・・・莵道に行けますか?」
やはり・・・・・
「今のままじゃあ危ないけど、がんばれば十分可能性はあるぞ」

 マコトの顔に、みるみる笑みが広がっていった。マコトが前進し始める第一歩であり、その後の方向を決めるような、貴重な出会いであった・・・・・


3 高校にて



 ケンイチローとの出会い後、確かにマコトの集中力は増し、何とか莵道高校の理数科には入学できた。
 
マコトは楽しげだった。何より卓球が思い切り出来るし、勉強は、ま、河原先生に言われることだけやっていればいいのだろう。少し暇が出来ればパソコンで遊ぶことも出来るし・・・
 マコトもやはり今時の子だ。特に自分のどこにも自信はなく、将来のビジョンを持つわけでもなく、毎日はけっこう楽しくて・・・

高1から高2にかけて、私が考えていたのは勉強と卓球のバランスをとらせることだけだった。本当は英語や物理もやらせたかったが、卓球の時間が削られてしまう。
将来へ向けた「燃えるような何か」がほしいところだが、そこそこきちんと勉強もしてるし、ま、いいか。他に手のかかる生徒もいたし、けっこう放ったらかしにしていたと言えるだろう・・・

 高3になろうとする頃、さすがにマコトの将来が気になり始めた。
マコト本人は、どうやら何も考えてなさそうだが・・・
ちょっと聞いてみると、5月に卓球の団体戦があり、うまくすると近畿大会にも行けるかも知れないと言う。乗りに乗っているわけだが、さて、進学はどうしようか?このまま放っておくと、近くの私立大学あたりに行ってしまいそうだ。しかし・・・

 マコトの器がかなり大きくなっていることは、私には見えていた。
後は「中味」を入れればいいのだが、それは自分がやらなくてはならない。ところがマコトにはビジョンもなければ、特に必死になる気もない。言われることはやるが、どちらかと言えば勉強など好きでもないのだ。
 なんだか私ばかりが焦り始めていた。物理と英語をきちんとやらせれば京都工芸繊維大か府立大あたりなら行けそうだし、何かきっかけがあれば・・・そうか!かつてケンイチローに使った手、あれをやろう!


4 決断



 まだ卓球の試合が続く3月、私は行動に出た。
「マコト、大学でも卓球をやりたいよな?・・・京大でやらないか?」
「ま・さ・か?!僕なんかが京大なんて・・・」
「そうだな、今のままじゃ受からないよなあ。けど、お前の基本はしっかり育ってきた。ひとつ思いっきり勉強して、ねらってみないか?」
「ねらえるようになんて、なれますか?」
「たぶんボーダーラインくらいには行くと思う。後は・・・運だ」

それは本音だった。しかし正直に言えば私は、ギリギリのところまで行って、最終的には安全のため、他の国立大学に変更するだろうと思っていた。

「どうすればいいですか?」
「まだ卓球はあるけど、今すぐ物理にやってこい。卓球が終わったら、英語もだ」

私の言うことは聞くので、とりあえず物理にやってきて、5月から英語にもやってきた・・・のだが・・・

三谷は言った。
「あいつに物理がわかるようになるかなあ?」
大山は言った。
「彼、どこを受けるんですか?京大?・・明日受けたら落ちますね」
「わかってるって〜。でも、あいつは伸びるから〜!頼むよ〜、しっかり面倒見てやってくれ〜!」

 マコトはまんまと私の作戦に乗り、とりあえず勉強量を増やした。
そして模試で試しに京大を書いてみると、C判定。
「ほう!一発目でCを出したやつは初めてだな」
「え?他の人はどうだったんですか?」
「DとかEばっかしだぞ。だいたい、受験直前にやっとCになって、ようやく京大を受けるんだよ」

 それは本当の話なのだが、マコトの目の色が変わった。
『まさか・・・え?え?本当に受験できる?』

 これぞ「河原マジック」 マコトに初めてビジョンが出来たのだ。すると、すさまじく勉強するようになった。
『やれやれ、これで府立大くらいは行けるだろう』
それが私の予想であった。しかし、そのパワーは、私の予想を遙かに超えて行くのだが、その時の私には知るよしもなかった。
時は8月になろうとしていた。


5 受験



 8月の夏の授業、マコトは一日中勉強するようになり、母は喜んでいた。
「けど、本当に京大を受けられるようになるかどうかは、わかりませんよ」
「結果はいいんです。あの子が生まれて初めて、本気になって勉強している。それだけで良いんですよ」
どうやら母も本気にはしていないようだ。ところが・・・

 大山や三谷が
「いやあ〜、マコトのやつ、ずいぶん伸びてきましたよ。これだと本当に受験できるかも知れない・・・」

そう言い始めた10月の頃、私もマコトの数学力に深みが出てきたのを実感していた。そして模試で次々にBやA判定を出してきたのだ。
それは私の予想をはるかに上回るものだった。
『勉強しろと言っても、これほどはなかなか出来ないなあ。くそまじめで、頑固で・・・たぶん変人だな。こんなやつが、本当に京大へ行くのだろうなあ』

 私は冷静に調整方法を考えていた。今時の生徒にしては珍しく、マコトは国語の点数がいい。世界史は莵道の生徒らしく、トップクラスだ。センターテストは十分にこなすだろう。
問題は2次テストだが、英語と物理は、どうやら合格点に達するだろう。化学では失点するかも知れない。すると、数学でその分を得点しなくてはならないが・・・プ、プレッシャーだぁ〜。

マコトは夢中になってこなしていただけだ。地に足がつかなくなってきたのは・・・家族だろう。母は何かにつけて息子を気遣うようになっている。
その様子がほほえましい。

「以前は受けられるかどうかわからないと言いましたが、たぶんかなりの確率で合格しますね。ま、見守ってやってください」

 そう声をかけてセンターテストに挑むと・・900点満点で822点。
多くの賢い先輩達を押さえ、この教室の歴史上最高得点をはじき出してしまった。
『あきれた〜!こりゃあ、確実に合格するぞ』

 2次テストも予想通りだった。数学は8割。英語、物理が6割5分。化学は3割。化学がひどいが、たぶんみんな出来なかったのだろう。合計としては十分だ。

 合格発表の日、マコトは中期試験を受けに大阪府立大へ行っていた。まったく気もそぞろだったようだ。
発表は親やうちの先輩が見てきてもいいのだが、マコトは嫌がった。
合否通知は5時頃届くのだが、それも開けてはいけないらしい。
自分で私に報告したいのだ。

 タイミングがずれてばっかりだった。
7時半まで教室で待っていた私は、待ちくたびれて自宅へ向かった。
『ま、合格してれば連絡があるだろう・・・落ちたのかな?・・・』
私が道を歩いている5分ほどの間に、マコトは自宅に電話を入れていたようだ。 合格を知った。後でまた連絡するらしい。

 こんな時、走馬燈のようにその子との歩みが思い出される。
初対面で怒鳴ったこと。どうやって力をつけさせるか悩んだこと。
勉強と卓球のバランス・・・・
 マコトを含め今の子のほとんどは「少年よ大志を抱け」的な大きすぎる目標には、ピンと来ないようだ。
「そう言われても、俺なんかが・・・何をやったらいいのかも分からないし・・・」

 世の中が複雑になって、よく見えなくなっている。人の営みなど、本当にはさほど変わっていないはずなのだが、表面だけを飾り立てた宣伝が多すぎるからだ。
 マコトのようなタイプは、そう言うことを身体のどこかで感じているのだが、もちろんまだ明確には分析できない。
数学という飾りを取り払う世界を見せて分析力を育て、近い目標というモチベーション(動機付け)も必要だった。
 うまく育ってくれたと思う。もちろんマコトは、大学を終点などとは思ってもいない。「吉田寮」に入って、多くの先輩達の話を聞くという。そう言うチャンスを得られたことにこそ、喜びを感じているのだ。学びのスタイルも出来上がっている。大学入学時点で私が安心できる、数少ない生徒の一人だ。

 すぐに電話をかけてみた。話し中。その後、連絡がない。家族で合格掲示板を見に行っていたようだ。私が風呂に入っている9時頃電話があった。まだマコトと話が出来ない。ようやく話せたのは11時だった。
「よかったなあ。1年前は、こうなるとは思ってなかったぞ」
「先生!僕は今でも信じられません!」

電話の向こうで「アハハ」と、笑い声がする。母の笑い声だ。
その楽しげな様子に、私の安堵感がますます広がっていった。