河原シュタイナー教室

2005 夏に (20周年)

 そう言えば今年はこの教室の20周年だった。
10年前の10周年では、それまでの作品集をまとめたり色々したが、今年はそんなこともすっかり忘れていた。

 20年前私は教員採用試験を受けようとする傍ら、小遣い稼ぎに家庭教師を数人やっていた。
各家庭の子ども部屋も広くはなく、いつの間にかこの建物の応接間に生徒を呼び、そこで教えるようになった。
まだ教室でも何でもなかったのだ。
 そのうち一人一人のノートを見るのが面倒になり、東京でアルバイトした塾をまねて黒板を買い、黒板でやらせるようになった。
黒板を増やすだけ生徒も少しずつ増え、ついに応接セットを捨て、会議用テーブルとイスを買い、玄関に小さなカンバンを貼り付けた。
河原シュタイナー教室の始まりである。それが20年前だ。

 黒板とテーブルとイスと・・・それだけしかなかった。
コンクリートを打ちっぱなしにした古家の外観を飾り付ける余裕もなかったし、宣伝するだけの実績もお金もなかった。
いや、そう言うことを私も生徒も考えることすらなかった。
外観はどうあれ、そこへ入って行けば勉強できる教室があり、その空気は優しく心をつつんでくれ、学ぶことに安らぎさえ憶えた。
「何屋さんなの?」「お化け屋敷みたいだねえ」 中で学ぶものは、そう言う声にはまったく無頓着だったのだ。

 静かにたたずみ頑丈だったこの教室も、最近老朽化がひどく進んだ。
雨漏りがし、水道管は破れ、窓枠は崩れそうになっており、電気のヒューズはすぐにとぶ。
 私もいつの間にか50になる。
第一線の教師生命もあと10年ほどだろう。
その間だけであれば毎年修理代はかかっても、このままで終えることも出来る。
どんなにボロでも、そこで喜び、泣き、懸命に学んでいたという郷愁もある。
どの卒業生にもその気持ちはあるだろう。
 しかし、私一代でこの教室をなくすことは出来ないと考え始めた。
私でなければ支えてやれない生徒はまだまだいる。
毎年の読書会は、すでに私のものではなく母親達のものになっている。
この教室の「意志」を伝え残したいという後進も育った。
どうやら私一人の教室ではないほど育ってしまったようだ。

 ならば、あと20年は持つように、いっそ建て替えよう。
来年3月に着工し、7月末に完成させれば、来年の夏の授業から新教室で出来る。
その間は近くに仮教室を借りて我慢しよう。お披露目の読書会は9月にしようか。
 設計や工事の段取りなどは、卒業生の建築士畝(ウネ)がやってくれる。
ほとんど無報酬なのに喜んで引き受けてくれた。
親から託され、使い道に困っていた故天野克哉の「遺産」10万円で玄関には大理石で「河原シュタイナー教室」と入れよう。
そこには小さく「天野克哉寄贈」と記されているだろう。

 考えてみればこれが「節目」と言うことなのだろうか。
気づきもしなかった20周年だが、来年教室そのものが生まれ変わろうとしている。
そのすべてを卒業生や、子どもを通わせてくれた親たちの力で行うことが出来る。
私はなんて幸せ者だろう。
せいぜいきれいな教室にしよう。
そう言うと「あのボロがいいんだ!」と怒る卒業生や親がいる。
安心してもらおう、私に出来る仕事が一つだけ残っている。
卒業生達が感じた喜びや悔しさ、流した涙、どこかに漂っていた安らぎ・・・その空気がこの教室には充満している。
「意志」となっている。
それを卒業生達は懐かしむのだ。
かつて私と卒業生達が共に創り上げたもの、その場にいたものにしかわからない空気・・・それを私は新しい教室に持ち込もうと思っている。
今も現役の生徒達が新たな空気を創り上げている。
少しずつ変化していくのかも知れない。
しかし少なくとも私が一線にいる限り、「あ、空気は同じだ」と感じるだろう。
それならば卒業生達は怒るまい。

この教室では最後になるであろう2005年の夏の授業。
この半年、生徒達はどのように学んできたのでしょうか、少しだけのぞいてみましょう。







算数・数学  (担当 河原・三谷)

小学6年 (23期生)(担当 河原)

 かつては小5でやった分数のかけ算・わり算が、今では小6の最後におかれている。
「計算のやり方」を教わるだけで卒業してしまうので、中学生の計算力不足、ひいては学力低下の一因にもなっている。
このクラスは初めにその計算を済ませ、以後の単元の中で積極的にその計算を必要とするような問題を作成してきた。
そうやって反復しないと計算力は身に付かない。
まだまだゆっくりではあるが、あと半年、総復習の中で小学生が身につけておくべきものを定着させておこう。
その取り組み方、学ぶ態度、方向性など、すでに大山が見て、驚くほどのクラスに成長している。


中学1年 (22期生)(担当 河原)

 上のような理由で、計算力が劣っていたり、基本的なことが身に付いていなかったりもしたが、徐々に修正し、文字式の約束、方程式の解き方などを学んできた。
知識の不安定はこの子達のせいではない。
みな真面目で、とても賢い。数学を好きにもなりつつある。

学ぶことは楽しく、理解することはとてもおもしろい。
今では忘れられつつあるそんなことを、どんどん深めてゆけそうだ。


中学2年 (21期生)第1クラス(担当 河原)

 あらゆる個性が集まった最大人数のクラス。
今一時的に3クラスに分かれている。
初めからいる生徒達のほとんどが、数学の学び方を身体で理解し、楽しさを憶え、生きて行く力の一つにさえしようとしている。

そう、数学は決して点取りの道具ではない。
その力をこれからも、もっと大きく発展させて行こう。


中学2年 (21期生)第2クラス(担当 三谷)

 少しずつ人数が増えて5人になったこのクラス。
5人の理解力に大きなひらきがあるために9月からは2クラスに分けて授業を進めていくことになった。
それぞれの能力に合わせてそれぞれの頂点を目指して進んでいきたい。


中学3年 (20期生)(担当 河原)

 中2以降から来た子が半数のこのクラス。
どの子も中1の文字式と方程式の単元で文字をさわることにつまずいており、
「初めにつまずいていると、こんな転び方をするのか!」
と、私の方が驚いてしまう。
本来は十分な能力を持つこの子達。
知らなかった基本、足りない技術は修正し、最も大切な「学ぶ意味」を自ずから見つけられるまでに学びを深めよう。
まだまだ私に叱られてばかりだが、間もなく叱られることもほとんどなくなるだろう。


高校1年 (19期生)第1クラス(担当 河原)

 誰でも高校入学にホットする。気がゆるむし、クラブにいそしむこともある。
しかし教科のレベルは容赦なく上がる。
中学時代に一度は見つけたはずの「学ぶ意味」。
実は、その意味は自分の成長と共に変化して行く。今一度気を引き締め、深い学びに入ろう。
聡明なこの子達は、かなりの高さに到達するだろう。


高校1年 (19期生)第2クラス(担当 三谷)

 新しく入ってきた2人と共に4人で慌てることなくじっくりと進めているクラス。
数学を通して自分の現状を把握し、さらなる理解力を身につけ、自分がどのように生きていくのかをこれから模索していかなければならない。
それは厳しい作業ではあるかもしれないが、共に歩んでいきたい。


高校2年 (18期生)(担当 河原)

 まだその「爪」は隠されてはいるが、能力の高さ、学びの方向性の良さ、ひたむきさに非常にすぐれたクラス。
ややこしい加法定理、指数・対数則もそつなくこなした。
しかしだからこそ、さらに高みを目指そう。
能力の高さ故に、髪の毛を振り乱すことなどなかった。
今後1年間は、焦り、必死になるような学びに方向を変えて行くつもりでいる。


高校3年 (17期生)(担当 河原)

 受験が迫っており私は焦りも憶えるが、一人一人を見れば、なんて大きく伸びてくれたことだろう。
学ぶとはどういうことなのか、分かるとはどういう感覚なのか、努力するとはどういうことなのか、この子達は深く理解している。
私の説明にうなずくこの子達を見て、私のする仕事は終わっているのかも知れないと思う。
受験終了まで寄り添うが、この子達は一人で歩いてゆけるだけのものを、その身体の中にすでに備えていると言えよう。
私はこの子達に満足している。



英語  (担当 大山)

中学1年 (22期生)

 例年通り、「be動詞と一般動詞」をはっきり区別して理解することを目標に、しつこく反復練習を行なった。
 今年の中1は、文法的な理屈を理解する力が大変優れており、単語の暗記などもこちらの支持通りに課題をしっかりこなしてくれるので、授業は大変やりやすかった。
目標は充分達成できたと考えている。


中学2年 (21期生)

 この学年は文法の理解が不充分な生徒が多く、授業態度も良好とは言えない。
現段階では時期尚早という感も無きにしもあらずであったが、中3になって再度取り組むときのための準備あるいは布石として、名詞、形容詞、副詞などの品詞の基本的な働きを確認することから始めてto不定詞の基礎をとりあえず勉強しておくことにした。
完全に理解できたと思われる生徒は1人しかいなかったが、ほぼ予想通りの結果である。
それでも文の構造を考えることの大切さは、参加者全員おぼろげながらも実感してもらえたと思う。


中学3年 (20期生)

 「to不定詞、動名詞、分詞」を総合的に勉強するはずだったが、基本の復習から始めなければならないことがすぐに判明したので、動名詞、分詞は2学期以降に持ち越すことにし、課題をto不定詞だけに絞った。
ここは受験でも頻出の超重要分野であって、理解できるまで徹底的にやらざるを得ない。
成果は十分あがったように思う。
元気な生徒が多いクラスで、授業自体は大変楽しかった。


高校1年 (19期生)

 高1もto不定詞。
結局この夏は中2、中3、高1と3つのクラスでto不定詞を勉強することになって、こちらは不定詞づけになってしまった。
それでも教える内容のレベルが各学年で大きく異なるのが面白い。
中2はほんの導入、中3は基礎固め、高1は基礎の仕上げと応用への橋渡しといったところ。

 高校になってからこの塾にやってきて基本がまったくできていなかった生徒も少数だがいたため、基本の復習に充分時間をかけた。
既に解っているつもりだった生徒にも良い復習になっただろう。


高校2年 (18期生)

 4人から成る少人数のクラスだが、生徒の実力、熱意の程度にはバラツキが大きい。
夏に何を勉強するのが有効か色々考えた末、この際受験という目標を一切忘れて、こちらが最高におもしろいと思っている英文をぶつけてみることにした。

 ガルシア・マルケスの短編「大きな翼のある、ひどく年老いた男」(スペイン語の原作の英訳)を通読した。
高2の段階では明らかに難しすぎる英文ではあったが、何とか一通り読み終えた。
読後感は生徒それぞれに異なるだろう。

 しかしこういう文学作品を読みながら、つい「これは受験でも頻出の構文だぞ」とか指導してしまうのはいささか気恥ずかしい。


高校3年 (17期生)

 京大志望の生徒が1人新たに参加することになった。
まずはお手並み拝見ということで、10段階のレベルに分類した短いテキストを易しいものから順に読んでいった。
他の生徒たちにも読んでもらったのだが、こちらの予想以上によく読めていて、全員がほぼ最高レベルのテキストまで読み進めることができたのは嬉しい驚きだった。

 それではということで、後半は主に京大の過去問を材料にして読解演習を行なうことにした。
京大のテキストといっても全文が難しいわけではない。
同じテキストを用いながら、生徒の実力差に応じてそれぞれ個別に課題を与えた。

 知識を積み上げて行くという授業ではなかったが、難し目のテキストと格闘しながら正確な訳文を作り上げて行くという作業を継続的に行なっていくことが、英語の底力をつけるために非常に有効であると考えている。



物理  (担当 三谷)

高校2年 (18期生)

 順調に力学を進め9月中には力学が全範囲終了する予定でいる。
この夏期講習では等速円運動と単振動をやったが、これまでの分野とは少し趣が異なり、とっつきにくさのようなものがあったようだが、それも少しは克服できてきたように見える。
10月からは波動をやっていくが、新しい分野に触れるたびに物理の考え方を身に付けていってもらいたい。


高校3年 (17期生)

 ついに全範囲を終了した。
後は総復習をして入試に対応できるだけの力を身につけていかなければならないが、まだまだ理解力や思考力が弱い。
これからは、自分が解いた問題を人に説明できるくらいに1問1問にしっかり取り組んで、自分のものにしていかなければならない。