河原シュタイナー教室
2005 ある日の読書会 〜読書会の報告にかえて〜
ある月曜日、朝8時半に家を出て途中の自販機でグレープフルーツジュースを買い、45分に教室に到着する。
その頃にはすでに準備を終えた河原先生が下の部屋でテレビを見ている。
挨拶をして2階に上がると部屋には冷房がかけられており暑い陽射しの中を歩いてきた後の身にはまるで楽園のようだ。
中に入って汗を拭き、扇子で扇いでいるとお母さんが2人登場。
扉のガラス窓の向こうに見えた表情は楽しそうでいて少し悔しそうだ。
扉を開けて入って来られるなり僕に向かって一言「いや〜、残念。私が1番やと思ったのにぃ〜。」
へへん、僕だって早く来ますよーだ。
そうこうしている内に続々集まり、10時には7、8人集まっている。
そして河原先生の「そろそろ始めましょうか。」の一言で読書会は始まる。
はじめはいつもの本である、「教育困難校の可能性」を少し読む。
来られていない方のためにこの読書会での「読む」というスタイルについて少し説明をすると、基本的に音読をするのは河原先生だけで、他の方は本のその個所を眼で追っていく。
段落の終わりで河原先生が少し説明を入れたり意見を言ったりすると、ただ読むだけではわかりにくい著者の真意が少し理解できたりする。
その上で、疑問があればその疑問を河原先生に向かって言うのであるが、もちろんその質問はその他の全員が聞いているわけで、人によっては河原先生の発言の前に意見を言う人もいる。
もちろん皆さんそういう場だと納得して来ている方なので、そこからいろいろな発言が始まる事も多い。
十数人なのでちょっとした議論でも皆さん参加されてすごくいい雰囲気になる。
そのときの皆さんの顔は真剣で、とてもいい顔をしておられる。
その後には大抵軽い話にスライドしていくので、皆さんに笑顔が戻り井戸端会議のようだ。
それが一段落すると、また読書に戻る。
これが基本スタイルである。
この日は、本を少し読んだ後、この本の著者である脇浜義明を世に紹介した本である「リターンマッチ」の最終章の途中から最後までを読んだ。
この日は河原先生の「この会は読書会なんだから、今日はじっくり読書をしよう。」というコンセプトに基づき、ほとんどずっと読書のまま11時半を迎えた。
この日は小学校の教育実習を終えたばかりの「彼」も来ており、今の学校や塾の教師の現状の話に移った。
彼が、「自分は実習に行っていただけなので子供たちと遊ぶ時間もあったが、担任の先生は事務的な仕事に追われて子供と遊んでいる時間などない。」
河原先生が自分の子供の授業参観に行ったときの授業を思い出して、
「あの様子ではろくに予習もしてないだろうし、そもそも使う問題を間違えている。」と言うと、あるお母さんが、
「今の学校の教師たちは雑用が多く、いろいろな規則に縛られるために本当に子供たちのためになるような授業ができない状況にある。」と言われた。
すると他のお母さんが「うちの娘の前の担任は、3者面談のときなどはまともに話もできない人やけど、国語の授業だけはすごくて、娘も国語の授業だけは覚えてる。
だから教師は自分の得意な教科ひとつでいいから、その教科の面白さを全身で生徒たちにアピールし、生徒たちの心に残る授業を展開しなければならないと思う。」と言われ、皆さんが納得していた。
この日はこれで終わりだったが、別の日には、お母さん方だけでの昼食会もあったりしたようで、一度僕も呼んでいただいた。
昼食会でも同じような雰囲気が続いており、とても充実している。
年に1度の読書会だが、本当に皆さんが思いを包み隠さず話され、皆さんで思いを共有できるとてもいい会になっている。