2004 河原シュタイナー教室 ドラマ

学ぶ力



 とうとう最後の数学の授業だ。問題を解いている子達の横顔を見てみる。
 リョウは10年以上前から知っているが、さすがに大人びた顔になっている。
 リュウタローの人なつっこい笑顔は9年前と同じ。
 7年前、よくしゃべり、とても小さかったツネは、がっちりとし、坊主頭で、まるで野武士のようだ。
 中1の頃、どこか弱々しくて小さかったソウイチは、すでに私よりも相当大きくなっている。
 高1から来ているヒサヨは、さすがに当時のままだ。
 トモヤは、入試が論文だけなので、今日は休んでそちらに没頭している。
 マリコは英語のみにがんばっており、マユコは、もう大学を決めてしまった。
 もうこの子達に「授業」をすることはなくなってしまった・・・

1 小学生の頃 (リョウ・リュウタロー・ツネ)

 まだ小学校の1年くらいだろうか。母親の横に立っているチビが玄関のすだれを見上げていて、さっと両手を伸ばした・・・とどかない・・・「この子も4年になったらお願いしますね」
坊主頭のかわいらしい子ども、それがリョウだった。

 小4となったリョウは、同じ宿舎のリュウタローと共に通ってきた。1リットルの升作り、面積の約束、単位あたり量、整数の不思議・・・
当時の小学校の部は、そんなことの工作ばかりをやっていたが、リュウタローなどは大きく口を開けて笑い、とても楽しそうだった。
しかし私は、「小学生の部は、この学年が最後」と決めていた。

 この教室の小学生の部は、リョウの母親が作ったようなものだ。リョウの兄ケンイチロウ(現京都大学)が小1の頃、全然勉強がわからず、母は危機感を感じていて、指導者を捜していたのだ。
「小学生など、そこらで遊ばせておけばいいんじゃあないですか」
そういう私を説き伏せ、まず姉のケイを送り込み、ケンイチロウを入れ、最後にリョウがやって来た。13、4年も前の、実績も何もない私のどこを評価して下さったのか謎だが、この子達と共に学びを進めて行くうち、私の方が育てられていったような気がする。リョウのお母さんには感謝している・・・

 小学生の指導は地味なものだ。ゆっくりと「算数の根本」を目で見られるようにして行く。不思議なことにたったそれだけのことで、中学以降、数学で困る子はほとんどおらず、むしろそれを得意教科にする子ばかりになる。それだけなら楽しいのだが、リョウのお母さんのような「理解者」ばかりではない。どうしても「中学のお受験」に引きずり込まれることがあった・・・それに我慢が出来ない。
この学年を最後に、小学生の部は無くしていった。

「もっと勉強らしいことをやってくれないのかな?」
リョウはどんどん問題をやりたがったが、断固必要なことしかやらない。リュウタローは、初めの頃算数が得意でもなく、そんな「ゆっくり」が気に入っていたのだが、小5の頃からずいぶん解けるようになり、自信がついたのか、小学生のうちから塾に通うのがしんどくなったのか、小5の半ばでやめてしまった。

 小6になるとツネが通ってきた。今からは考えられないほどチビでやせていた。・・・その頃一度ツネを泣かせたことがある。
「宿題、やってきてんけどお、ノート忘れてん」
ちょっと笑いながら、授業始めにツネが言う。本当かどうかは、その日の授業ですぐわかる。
「ツネ!なんでその問題が解けない?宿題を見てきたなら必ず出来るぞ。やって来てないなら、やってないと、忘れたなら忘れたと、なぜ正直に言わない?!本当にやってきたのか?」
とたんにツネは泣き出した。嗚咽しながら、
「・・・やって・・・やって来てない・・・」

そう言う嘘は、私は許さなかった。時間が無くて出来なかったのなら、忘れていたなら、そう言えばいいのだ。私は怒らない。
「そんな嘘は通用しない」
ツネは骨身にしみたようだった。以後、正直に言ったし、そもそも宿題の手抜きなどしなくなった。

2 中学生の頃

@ ソウイチとの出会い

 3人だけだった小6のクラスも、中学1年になると仲間が増えた。
その中にソウイチもいた。笑顔の優しい、おとなしくて目立たない子だった。
数学をやらせてみても、理解のスピードは遅い方だった。しかし一週間後、それらはみごとに理解されている・・・これは・・・優香の再来ではないか・・・私は緊張した。
 このタイプの子に知識を「暗記」させようとすると、「限界を超えて」暗記してしまう。高校受験までは超優等生だ。しかし限界を超えるが故に、ややもすると「理解」がないがしろにされる。理解などしなくても、高校受験までは点数に困らないのだ。それで高校入学以後、何もわからなくなる生徒を、今でもたくさん見る。

 そこには生徒と教師、双方の錯覚と誤解がある。中学・高校受験までは、考えさせるよりは暗記させた方が、時間的には速い。
「残り3ヶ月」ともなれば、私もそうするだろう。しかしそれは心の中を十分に耕した上でのことだ。それを暗記から入り「考えるのはあとからにしろ」とやると、やはりその後がうまくいかないようだ。
 だが、塾産業としては、「その後」などどうでも良い。「入れたかどうか」だけが問題にされるし、それもまた一つの責任の取り方でもある。だから「100%教え込もう」とする。

 教育という営みがその子に働きかけることが出来るのは2割り、どんなにがんばっても3割だと思う。10割りの働きかけなど、誰にも出来ないし、それはもう「教育」ではない。
 与えられた2割を核に、残り8割を生徒自ら働きかけ、その方向性を教師と共に探って行く。教育とはそう言う営みだ。
教師が100パーセントを教え、生徒は小出しにされる「解答」を暗記する存在・・・今、日本中がそう思っていないだろうか?それは幻想であり、錯覚にすぎない。皆、楽な方向へ向かっているにすぎない。

 私はソウイチにもまた、構造と理解だけを与えていった。
 リョウはこの頃「塾にだれて」おり、勉強などしない。能力的にはかなりのレベルへ到達しているのだが「かったるいなあ」という思いが全身から出ており、成績は「3」ばかり。ツネの方が成績は上だったが、放っておいた。リョウにはリョウの理解の仕方がある。
「まだ誰もリョウの能力の高さに気づいていないだけさ」

 ツネは柔道部へ入ったようだ。坊主頭になり、徐々に身体ががっちりとし始めた。この頃から野武士か、荒修行僧の雰囲気を醸し出す。文武両道と言うやつだ。
 ソウイチの成績は「5」ばっか。やれやれ、そんなところも優香そっくりだった。

A トモヤとリュウタロー

 一年生の時からその父に「入れてやって下さいよ」と言われていたトモヤだが、満員でもあり受け入れていなかった。そして二年生になる頃、同級生を殴ると言う事件を起こしたらしい。
「それは大変だ・・・受け入れましょう、すぐに面接に連れてきて下さい」
 やって来たトモヤの、むっつりとした暗い顔がすべてを物語っていた。この頃トモヤの中学はひどく荒れていたのだ。
 授業を抜け出し、同じところをぐるぐる歩き回る「回遊魚」、頭を黄色や白に染めたグループが廊下に座ってたばこを吹かす。その隣で何もせず、じっと「見張っている」教師・・・
 その甘さ、けだるさ、いい加減さ・・・たぶんトモヤは教師にも、生徒にも、学校そのものにも疑問と不信感を抱いていたのだ。
しかしそのことをうまく表現できず、力もなく、絶望に近いほどのストレスを感じていたのだろう。
 塾になど来たくもなさげであったが、今こそこの子に数学の力を与えなければならないと感じられた。トモヤはゆっくりと学び始めた。

 同じ頃、一本の電話があった。リュウタローの母からであった。
リュウタロー一家は黄檗から宇治へ引っ越していた。小5の半ばで来られなくなったのは、そのせいらしい。
 おかげで小学生のうちは困らなかったけど、中学に入って数学が重荷になり始めたようだ。どこか塾にでも・・・しかしリュウタローは、進学塾などへは行く気がしなかった。
「シュタイナー教室なら・・・」

ちょうどその頃、まったく同じように宇治からの中学生の依頼を私は断っている。家が駅から遠いと言うことが引っかかった。
「自転車で駅まで行く、親が送り迎えもする」と言うが、雨の日も雪の日もある。そんな苦労に、私は報いる自信がない・・・
しかしリュウタローの場合は・・・駅からそれほど遠くなかったし、
元々うちの生徒だし、再びうちに来てくれるのもうれしくて・・・

 やって来たリュウタローは、小学生時のままの人なつっこい笑顔であった。

B 中学での学び

 成績的にはまだ目立たなかったが、中2の半ば頃から、このクラスがものすごい力を持っていることが私にはわかっていた。
学び方、とらえ方の方向性が良く、その枠組みが出来つつあった。
『これはとんでもないクラスに育つぞ』
その方向性を壊さないよう、まるで薄紙を一枚一枚貼り付けるかのように慎重に育てていった。

 ソウイチとツネは、その場での理解は、とにかく遅かった。一つ一つの知識をかみしめ、しっかりと味わって行く。一ヶ月単位で見るならただ遅いだけだが、一年、二年で見ると、その「距離」は相当なものになった。この二人はいったい、どれほどの「自分の中の壁」を乗り越えていったことだろうか。

 リュウタローとトモヤも時間はかかったが、次第に「数学の構造」が見え始め、それはまたこの子達の「学ぶ構造」へと発展していった。まだ直接点数に結びつくものではなかったが、確実にその基礎は創り上げていったと言えるだろう。

 リョウは・・・いつもながら、さほど勉強しない。しかし「この子はこれでいいんだ」と、私は考えていた。
リョウにとって勉強とは「理解できるかどうか」だけが問題であって、「無理矢理暗記するもの」では決してなかった。それ故、リョウの中には「理解された知識」しかなく、キャパシティ的にはまだまだ余裕があった。
だがおもしろいもので、余裕のなかでリョウの理解はものすごく深みを見せていった。数学的な能力は、すでに尋常なものではなくなっていたと言えるだろう。
『小学校の頃のように、中学、高校でも、リョウには数学のなかで遊ばせておこう。他の知識も、それに引っ張られて行くことだろう』

そう思ってリョウを育てていたが中3になろうとする頃、リョウの一家は奈良へ引っ越すことになった。父の転勤によるものだ。もう新しいマンションの「手付け」も打ってあるという。
 リョウは喜んでいた。「もうこれで塾などへ通わなくてすむ!」
しかし母は、はなからそう考えていなかった。奈良から、ケイ、ケンイチロウ、リョウの3人を通わせるつもりだった。
「・・・じょ、冗談じゃあないですよ、お母さん!往復3時間以上かけて、たかが塾に通うなんて・・・子ども達もかわいそうだし、そんなプレッシャーを私にかけないで下さい。どうぞ、奈良で私に変わる塾を探して下さいよ・・・」

 リョウのお母さんは急遽、奈良のマンションをキャンセルし、あっという間に伏見に引っ越してしまった。
「これで3人とも、この教室に通えますよね?」

「これで遊べる」と考えていたリョウには失望を、そして私には「もっと大きなプレッシャー」がかかることとなった・・・

 5人とも中学時代ですでに「個性が表れる」学び方を体得しており、ソウイチは総合力で、リョウは数学だけで、リュウタロー、ツネ、トモヤは確実さで、それぞれの高校へ進学していった。

3 高校にて

@ ヒサヨとの出会い

 中学の2年間でトモヤの表情は徐々に和らいでいったのだが、本当に晴れやかになったのは高校へ入学してからだった。
私には楽勝に思えたのだが、トモヤは高校進学を心底不安に思っていたようだ。入学を決め、穏やかな表情となり、数学に取り組む姿勢がさらに変化した。
「なんとしても理解するんだ!」

 戦いに挑むかのように問題に取り組み、理解できるまでその問題から離れなくなった。時間がかかるが、私は放っておいた。これがトモヤの「学びのスタイル」になるのだろう・・・
 その横で同じように頭を抱えている女の子がいる。ヒサヨだ。
優秀な成績で高校進学を決めたヒサヨは、ある人からの推薦で高校からこの教室に通ってきた。
「将来は医療の方向へ進みたい。その頂点は医者ですが・・・」

 身も心もふくよかで、真面目なヒサヨ・・・しかし授業をしてみて、医者の道へはものすごく距離のあることがわかった。
中学時代の塾で点取りの方法は整備されたようだが、理解の深さが足りていなかった。3年後ヒサヨは言う、
「中学時代の塾とは全然違った。私にとってこの教室は、『学び方』を考えさせてくれる、一つの『学校』だった・・・」

 真面目さとねばり強さ、それがヒサヨの武器だった。教室へ通ってくるほどに、ソウイチ、リョウなど他の連中との「根本的な力の違い」が見えてくる。時に自分の力の弱さに涙しながらも、決して休むことなく通い、少しずつ深さを増していった・・・

A マリコとマユコ

 11人のこのクラス、このまま行くと思っていたが2年生になる頃、他府県への引っ越し、海外留学、クラブへの専念などで5人がいなくなることが判明した。残念だけど、事情が事情なだけにどうしようもない。このまま6人で最後までゆくさ・・・
 そう考えていたところへタイミング良く、マリコとマユコが入塾を希望してきた。「鍛えるための時間が足りない」という理由で高2から取るのは気が進まないのだが、この二人は2月に希望してきたので引き受けることにした。

 身も心も太陽のように晴れやかで丸いマリコ。英語は大好きで、高校では英会話クラブか何かの部長をしているらしい。しかし数学がまったく苦手で、「楽しく、深く理解したい」と、数学だけ入塾してきた。
・・・実は、こういう子が一番やっかいなのだ。まるで私に「魔法」をかけてもらえると思っている人は多い。
・・・ちがう・・・私がやっているのは「楽しめるようになるための基礎作り」を、しつこく、ねばり強くやっているだけだ。高2ともなればその「基礎作り」は完了しており、かなりのハイスピードで進んで行くことになる。中学から来ている子達には何でもないが、マリコ達高2から来る子には少々きつい。
「3ヶ月もつかな?」
そう考えていたのだが、マリコはなかなか音を上げなかった。2年後にマリコは言う、
「あのころは本当にきつかった〜。でも、学ぶ事ってこういう事なんだ、こうやって学ぶんだと言うことがわかって、それまでの自分の甘さがわかった。あの経験がなかったら、私の英語も伸びなかったと思う」

 やって来た亜希子の妹マユコは・・・ケンカをしに来たかのように顔が堅い。その頃数学の記憶が三日と持たず、母親にきつく言われて、仕方なくやってきたようだ。
学校では、やれ「化粧が濃い、スカートが短い」などと毎日のように怒られており、完全に教師不信になっていた。
『やれやれ、そんな怒った顔をしていたら、せっかくの美人が台無しじゃあないか・・・』
 数学をやらせてみると、数字のさわり方は悪くない。基礎演算はいいのだが、理論的なものはまったくなってなかった。これは理論の整理を経験したことがないのと、決定的に練習量の不足によるものだった。状況としては、中2の頃のトモヤに似ている。
マユコもまた難しかった。いっぺんにやるとすぐに潰れてしまう。本人にはわからないように、じわじわと「真綿で首を絞める」ように「治療」を進めていった。その怒った顔が笑顔になるのに3ヶ月かかっただろうか・・・

 これで8人、それぞれの学校生活のなかで悩みや不安を抱えながらも、学びの本質を追い求め、「自分には何が出来るのか」を発見していった。よく勉強もしたと思われる。間違いなく最強の学年に育っていった。

B 受験

 高3の半ばになると、それぞれの方向が具体化していった。
過去問をやっていて、その数学力にすさまじい切れ味を見せ始めたリョウは京大の物理工学。ここには苦手な2次の国語がない。
母親は相変わらず家で勉強するそぶりさえないリョウをみて不安がっていたが、その数学力は歴代ナンバーワンとも思われ、センターテストで不利があっても、2次で跳ね返すと思っていた。
 総合力抜群のソウイチは、2次の数学にやや不安はあるものの、京大地球工学は堅いと思えた。
 ツネは2年生の頃、「国立はちょっと難しいかな?」などと思っていたが、とんでもない!数学、英語、物理、それぞれに自分の壁を何度も乗り越えて理解度を示し、その努力に、何とか府立大か教育大の情報系へ進学させてやりたい。その可能性は十分にある。
 T類にいながら3年間高校のトップクラスを走り続けたトモヤと、U類で真面目にがんばってきたリュウタローは、選択が難しかった。
「教師になろう」とトモヤは教育大学を目指していたが、得点的に伸びすぎ、阪大にまでB判定を出すに至って迷いが出た。
リュウタローは府立大学や京都工繊なら十分可能なのだが、名古屋大学にこだわっている。
 二人ともセンターテストは高得点になるが、阪大や名古屋の2次数学が解けないのではないか・・・それが私の予想であった。
しかし、二人の思いも叶えてやりたいし・・・

 ヒサヨは医学部にはとどかないと思われ、看護系には色々な仕事のあることを説明し、看護系へ変更した。ヒサヨには辛い選択であるが、「医療の現場」には変わりがない。
ただ、看護に変更しても、4年制が高い壁であることにも変わりはなかった。滋賀医科大がギリギリになるだろうか。  一つ、おもしろい情報があった。京大医療短大が来年から4年制になる。京大の性格からして「看護用の問題」など作らないだろう。あの理系の問題を解かなくてはならない・・・これは、皆回避して定員割れが起こるかもしれない。チャンスかも知れない。
「6問中、2問分が解ければいい」
無理矢理ヒサヨにも過去問を解かせていった。

 7月まで必死に数学についてきたマリコだが、8月からは大山の英語の授業に切り替えるよう指示を出した。
よく頑張ってきた。もう十分だ。センターの数学に対抗できるようにはしてやれなかったけど、その学ぶ姿勢を英、国、社に向けさせ、府立大の文学部を目指そう。そこは知る人ぞ知る学部で、理数こそ出来なかったが、文系教科なら京大にだって負けないと言うレベルの高いところだ。教授陣も非常に優秀だという。
このままの英語力では危ない。しかし今のマリコなら、大山も育てられるはずだ。
 英語へ移ったマリコは水を得た魚のようであり、「これなら・・・」と、大山もOKサインを出した。

 数学に理解を示すようになったマユコだが、特にこれといった武器がなく、少々頭を抱えてしまった。看護系で滋賀医科大をと言っているが、センターテストで崩れてしまう可能性が大きい。
たまに模試で点をそろえることはあったが、どうしても不安定だ。
国立京都の専門学校を考えるのだが、学力的にはとどきそうだが、学校の遅刻が多すぎた。専門学校はそれを極端に嫌う。え〜い、当たって砕けろだ!

 それぞれの期待と不安を抱えたセンターテストが終わった。
数学がとてもややこしく、マユコは潰されてしまったが、他は合計得点としては実力を出し切っていた。ただ、志望大学のレベルも高い。ソウイチだけがプラス20点、リュウタロー、ツネ、マリコはボーダーラインで、リョウは「予想通り」マイナス20点。
 ボーっと鈍感なリョウも、さすがに少しへこんでいる。
『ウヒヒ、へこめ、へこめ、それくらい、お前の2次力なら軽く逆転だ』

 トモヤは、阪大ならばボーダーライン、京教大ならば70点のプラスだった。事実上京教大ならば合格しているが、阪大ならば2次で苦しいだろう。私は前期で阪大を落ちて、後期で京教に合格すればと考えていたが、トモヤは
「さっさと受験を終えたい」
と、前期に京教大をおいた。それもよしだ。

 ヒサヨは滋賀医科大ならばプラス15点だったが、京大ならマイナス50点を出す予備校もあった。絶望点というやつだ。
しかし、その予想は本当だろうか?短大から4年制になって、すぐに、そんなにも合格点が上がるものだろうか?逆に、今年だからこそチャンスなのではないか?
ヒサヨに京大の数学など解けないことはわかっている。しかし、受験者全員が解けないだろうし、あの問題を解く能力と、看護の能力とはまったく別のものだ。入りさえすれば・・・
 ほとんど無謀であったが、ヒサヨもそれを望み、前期だけ京大にしておいた。

C それぞれの学ぶ力

 リョウは2次の数学で6問中5問を完答し、余裕で逆転。結局、数学力を武器とし、高校も大学も突破してしまった。
 絶望かと思われたマユコは、センターテストの教科の組み合わせで京産に拾われた。
 マリコは、やはり太陽のようにその能力を出し切って合格。
 トモヤとツネは余裕の合格だったが、よもやと思われたソウイチとリュウタローは浪人することになった。こちらは辛い・・・
しかしソウイチは愚痴一つこぼさなかった。「僕の力が足りなかったのです」 その潔さが、さらに私の胸を締め付けた・・・
 2次のほとんどにまったく手応えのなかったヒサヨ。
見る人が少なくなるよう、2時間も遅れて見に行った。
『落ちているだろうけど、まだ誰かいたら、掲示板に向かって受かった〜って叫んで帰ろう・・・悔しいから・・・』
ところが、ヒサヨの学びは大学にとどいていた。あわててかけた電話の中で「受かった〜」と、泣きながら私に叫んでいた・・・

 この子達について、まだまだ語り尽くせないことは多いが、ひとまずここで終えることにしよう。浪人させてしまった二人も含めて、それぞれの旅立ちに拍手を贈りたい。

 私だけが知っている、この子達がどれほどの壁を乗り越えていったのかを。そのすべてを見せてくれた。何よりもそれは、私を鍛えてくれることとなった。
 私は職人であって、指導者などではない。出会った頃の小さなこの子達が「自分たちの指導者たるよう」私を育ててくれたのだ。

 この子達の人生のほんのひとときを、共に歩き、共に学び、共に成長してきた。もはや、進む大学など関係がない。お前たちはじっと自分を見つめることが出来るくらいたくましくなった。
これからの人生もまた、しっかりと自分の足で歩いてゆけることだろう。
 困ったことがあったら、いつでも帰っておいで。また、共に考えよう。いつまでも私は、お前たちのことを誇りに思っている。