河原シュタイナー教室

2004 夏 (B級品)

 「まともな品は高くて私には買えないから、B級品ですけど」
と、卒業生のアユミが「辛子明太子」と「切り子」をおみやげに買ってきてくれた。

 明太子は大きな樽につけて、味が付いたら取り出して製品にする。
その間に卵の袋が破けたり、中身が流れ出したりする。それらが樽の底にたまる。
それはまともな商品にはならないが、地元の人は言う。
「それが一番うまいんだ」

 イカを明太子風に味付けしたものを「切り子」という。初めて食べたので詳しくは知らないが、味の付いたイカの胴体やげそをきれいにカットして袋に詰めるのだろう。その切れ端は?・・・それらがB級品になるのだろう。
 もらった「切り子」は切れ端ばかりだったが、かえって食べやすく・・・最高にうまかった・・・

 「明太子」や「切り子」のB級品は形がちがうのでそれとわかるが、「魚の干物」は、まったくわからない。しかもその味までが、焼いてみるまでわからないと言う、やっかいな品物だ。

 白浜からさらに車で1時間半行った、和歌山県串本町の国道沿いに、その干物屋はある。店番をしている老婆は、ムスッとしており、愛想などなにもない。
 同じ魚、同じ大きさなのに、3倍ほど値段がちがう。無愛想な老婆に相談も出来ず、高い方を5枚ばかし手に取り、老婆に渡した。

 紙に包み終える頃、ふと、老婆の手が止まる。
「・・・これは・・贈り物になさるんかい?」
「いいや、持って帰って、家で食べるんだよ」

 老婆は、ゆっくりと包みをほどき始めた。
「なら・・・そっちの安いのを持っておゆき・・・わからないだろうが、それは傷物で、私ら地元のものが喰うものだ・・・味は同じさ・・・家で食べるなら、そっちを持っておゆき・・・」

 無愛想だったばあさんの、何て優しかったことだろう。
味を比べることは出来なかったが、その安物が、最高にうまかったことだけは確かだ・・・

「見た目」は、汚いよりはきれいな方がいいだろう。
しかしそれにとらわれすぎると、どうしても中身がおろそかになってしまう。
「まっすぐなキュウリ」がそうだし、干物もそうだったし・・・
「塾」も・・そうだ。「見た目」に費用がかかりすぎ、台所は火の車となって、教育内容はとてもお粗末・・と言う塾は多い。

 うちの教室は直すお金がなくて、必然的に見た目には、長らく「C級品」のままだった。
19年目で多少の余裕も出来、雨漏りもするようになったので、直すついでに外壁を塗り直した。あまりボロさを隠せもしないが・・

 それでも「中身はおいしい」と、幸いにも、多くの生徒が通ってきてくれた。高い評価をいただけるようにもなったのだが・・・
 それに慢心してしまってはいけない。それがある面私の限界も作っているのかも知れないが、今まで通りガンコに、かたくなに教育と関わって行かなくてはならない。

 無愛想に見えた老婆の、「本質を見据えた」優しさ・・・
私もああいう風になりたい・・・・

それでは今年の教室の様子、少しだけ覗いてみましょう。





数学  (担当 河原・三谷)

中学1年 (21期生)(担当 河原)

 開始30分前には何人かが集まり始める。学校から直接であったり、単にヒマであったり。
「この宿題、わかった?」
がやがやと検討している・・・よく勉強する子達だ。

 まだほとんど小学生のままだった3月から半年たち、むき出しのままだった個性も落ち着きを見せ始め、ずいぶん変わってきた。中学生らしくなってきたと言っていいだろう。
 この子達は自由でなくてはならないが、わがまますぎてはいけない。勉強しなくてはならないが、点数のみに縛られてはならない。その方向性さえ間違わなければ、エネルギーの大きいクラスであり、しっかりと育って行きそうだ。


中学2年 (20期生)(担当 河原)

 いつの間にか8人となり、ほぼ満員となったこのクラス。1年前にはまだ力の弱かったこの子達も、方向性が良くなり、そうとうの力をつけてきた。
「学ぶための基本」は身につけたと言えよう。

 その力をもっと磨こう、もっと大きく育てよう。後半からの「図形」は、そのための宝庫だ。「考え方があって、公式がない」分野で、伸び伸びとその力を発揮しよう。
 子どもから少年へ変わり始める時期。どの子も大きく変わって行く。


中学3年 (19期生) 第1クラス(担当 河原)

 少年期への脱皮はほぼ完了したようだ。目線、表情も、2年前のそれとはまったくちがう。精神面も、目に見えない「学ぶ力」も、とても大きく育ったと言えよう。中学生としてはすでに完成している。

 そして受験期を迎えた。受けさえすれば、ほとんどのところに合格してしまうこの子達・・・だからこそ逆に、進む方向をじっくりと考えよう。
「公立進学校」の実態もほぼわかった。「うわさ」ほどの内容ではない。今は「教育の過渡期」といえよう。
「基本的には自由もヒマも与えよう。しかし、勉強でお尻もたたくし、文句も言いますよ」

そんな高校へ、この子達を進ませたい。


中学3年 (19期生) 第2クラス(担当 三谷)

明るく楽しいクラス。少ししゃべりすぎる男達とたまにちょっかいを出される女の子。
まだ、受験をあまり意識していないせいでのんびりしたところもあるが、そろそろ気を引き締めて受験に向けて勉強していこう。


高校1年 (18期生) 第1クラス(担当 河原)

「ウルトラ進学校」へは誰も進まなかった。それがどれほど「正解」だったかは、私もこの子達も痛感している。ものすごいエネルギーを秘めたこの子達ですら、「速すぎる流れ」の中ではおぼれてしまう。それが「実態」だ。

 どこかに「人と比べて」という意識もあった中学時代・・・今はそこからも抜け出ている。
 勉強にクラブにと、忙しい毎日ではあっても、どこかに「余裕」のある地元の高校。その中で確実に、この子達の学びは本物になってきた。

 3度目に現れた「最強の学年」・・・このまま大きく育てよう。


高校1年 (18期生) 第2クラス(担当 三谷)

まだ中学生のような雰囲気を残しているクラス。
高校では、様々な事を通して論理的に物事を考える訓練をしていく。
具体的には1つの複雑な問題をいくつかのやさしい問題の集合に変えて、問題の本質を見抜き、その問題を解決していくことである。
数学などはその為には格好の教科であって、このクラスでも個々の問題を通して論理的に物事が考えられるように訓練していきたい。


高校2年 (17期生)(担当 河原)

 まだ「本当の力」にはなっておらず、環境が変わって大混乱した1年前・・・
居直りもした、落ち込みもした、勉強もした・・・そして「自分の姿」が見えてきたようだ。
『焦ってもしょうがない。けど、精一杯、学んでみよう』

 この子達の心の声がはっきりと聞こえる。その表情は落ち着きを増し、すでに「青年期」すら、伺える。
 そうだ、この教室で学ぶべきはその姿であり、「自分はどのように生き抜くのか」という姿勢である。今この子達は、はっきりとそれをつかみ始めている。
 さあ、もっと進もう。その力を本物に近づけるために・・・


高校3年 (16期生)(担当 河原)

 長らく「学ぶ方向」を見つけられなかったこのクラス。力が弱いといえばそれまでだが、遊んでいたわけではない。ただ、不器用なだけだった。
 叱られ、脅され、誉められ、おだてられ・・・先の見えぬまま、とにかく歩き続けてきた。「区切り」を目前に控え、それなりに落ち着きを見せ始めたと言えよう。

 この子達の学びは、まだまだ続く。どの方向に進むにせよ、そのことを心に留めて、「少年期」をまとめて行こう。



英語  (担当 大山)

中学1年 (21期生)

 中1の夏休みにやる課題としては、毎年必ず、「be動詞と一般動詞」の区別をつけられるように徹底的な訓練を行なうことにしている。「一般動詞」が導入された途端にわけがわからなくなる生徒が多いからである。
 夏期講座終了時点では、ほぼ全員が目標を達成できた。しかし、安心は禁物。2学期になると、夏にやったことなどすっかり忘れて、平気で " He is not play soccer." (正しくは"He does not play soccer.")などと言い出す生徒が続出する。これも毎年いつも起こること。
2学期以降もしつこく反復練習を続けていくことにする。" He is not play soccer."が教室から完全に姿を消すには、大抵いつも1年以上かかるものなのだ。


中学2年 (20期生)

 普段の塾の授業では、大抵いつも文法問題ばかりやっていて、音声面での訓練が不足がちなのが現状。またある程度長いテキストを読む場合にも一度読んだだけで終りになってしまうことがほとんど。そこで、この夏は、学校の教科書に載っている一つの「物語」を何度も繰り返し読み、CDを利用しながら、聞き取りと朗読の練習をできるかぎり徹底的に行なうことにした。

 家でも毎日20回ずつその日に学習した分を「朗読」してくるように指示したのだが、その指示を忠実に守った生徒があまりいなかったのは残念だった。しかし、教室内では、ほとんどの生徒が熱心に課題に取り組み、少なくとも30回は一つのテキストを繰り返し読んだり書いたりした。英語を体に定着させる効果は確かにあがったはずである。


中学3年 (19期生)

 例年中3のこの時期には、「to不定詞、動名詞、分詞」を総合的に概括するような授業を行なってきたのだが、今年は趣向を変えて、英語を音として捉える訓練に重点をおき、文法に関しては2学期からの本格的な学習に備えて、「to不定詞」をごく概括的に扱うにとどめることにした。
 学校の教科書に載っている物語り文を教材にし、CDを利用してこのたった一つのテキストを何度も繰り返して聞き、書き取るという訓練を行なった。そのしつこさに、いいかげんうんざりした生徒も多かったようだが、「うんざりするほど繰り返す」という作業こそ、英語習得のためには欠かせないものであり、効果があがるものであることを、実際に体験してもらいたかったのである。


高校1年 (18期生)

 普段から行なっている文法中心の基本文暗誦に加え、平均100語程度の短いテキストを3つ教材に用い(『速読英単語 入門編』)、CDを利用して、聞き取り、書き取りの訓練を徹底的に行なった。
 「テキストを何度も読むことで単語を覚えるようにする」、「頭だけではなく体で覚える」という、いつも言い聞かせてはいるがなかなか実践できないでいる勉強法を実際に体験してもらいたかった。
 高校レベルになると、この程度の分量では即効性は期待できないが、今後も各自同様の方法で学習を続けることができるように、学習法の見本を示すことはできたはずである。


高校2年 (17期生)

 「音声の重視」と「反復」をテーマに訓練を行なった。主旨と目標は高1と同じ。教材は1ランク上の『速読英単語 必修編』を使用。
更に、普段の授業でも継続して行なっている文法中心の例文暗記も、「分詞」の範囲を、CDを利用して聞き取り練習を行なった。
 普段利用している参考書にはCDが付録についているのだが、この夏初めて開封したという生徒が多かった。この学年から、センター試験でリスニング問題が課せられることになるので、その意味でも、音声面での学習は今後も継続して行なって行く必要があると考えている。


高校3年 (16期生)

 仮定法をマスターすることを目標とし、基本英文700選の仮定法の例文をすべて覚えた上で、文法の応用練習問題に取り組んだ。
 700選の暗誦は普段から継続的に行なっていて、文法上のポイントをプリントにまとめて配布するようにしているのだが、あまり活用されていないのが現状。理解せずに丸暗記しようとする生徒が少なくない。今回は、基本から応用まで懇切丁寧に解説を行ない、まず理屈を充分理解することを徹底した上で。例文を、CDを利用して、しつこいくらい何度も聞いて書き取るという訓練を行なった。成果は充分にあがったと思う。



物理  (担当 三谷)

高校2年 (17期生)(担当 三谷)

二人だけのはずなのに、なぜか明るいクラス。
この学年から始まった新学習指導要領のもとでは、もはや物理はただの暗記教科に成り下がってしまった。そのため、授業では力学から始まる一般的な順番で進めているが、その分彼らには負担が大きくなっている。
だが、本当に物理に触れる為にはこれが必要だという私の信念の下、共に頑張ってもらいたい。


高校3年 (16期生)(担当 三谷)

昨年は物理の授業をとっていなかった者が集まったクラス。
そのため、本来1年半かかるはずの課程をわずか8ヶ月でこなすという驚異的なことをやっているが、その割には頑張っていると言える。
もうすぐセンター試験や大学の二次試験の問題をやるが、そこで、十分に復習をして少しでも物理的な素養を身に付けよう。



理科  (担当 木下)

中学3年 (19期生)(担当 木下)

全体的に落ち着いていて積極的に授業に参加しています。3年生という事もありやる気があるのがわかります。しかし、1学期はクラブの都合などで遅刻・欠席も目立ち、全員の足並みがまだ揃いきれていません。後半は、クラブも引退し全員揃った授業が行えると思うので、もう少し踏み込んだ内容に入っていきます。理科を学ぶ上で大切な、「なぜ?」をしっかり考える事がだんだんできてきたので、ここからは自分で「なぜ?」を見つけ、解決していくことができるようにしていきましょう。