2003 河原シュタイナー教室 ドラマ

不揃いな若葉達
   (タカコ、トモエ、タカヒロ、フサヨ の場合)



 丸くてでっかい頭と尖ったあごはタカヒロだ。細い顔立ちからは意外なほどむっちりしたタカコの足は六年前と同じ。変わらずぽちゃぽちゃしたトモエだが、目線は以前よりはっきりしている。小生意気だったフサヨの顔は、比べものにならないほど柔らかくなっている・・・そうだ、この四人と初めて会ったのは、もう六年も前なのだ・・・

1 出会いの頃

 何かにつけてよく笑い、よくおしゃべりをするタカコは、うんと小ちゃくて、いすに座るとミニスカートから出たむっちりした足は床につかなかった。良く分からないときに、顔を傾けて前髪を引っ張る癖は今も同じだ。  タカヒロは自分でこの教室を見つけてきて、自分から母に「行きたい!」と言ったらしいが、こんなボロ教室のどこが気に入ったのだろう・・・かなりのチビで、他の元気な男の子の陰に隠れて、どこにいるのか分からないほどだった。  ポッチャリしたトモエは動きも思考もスローで、数学などテンで分からない。そのほんわかした雰囲気はクラスを和ませてはいたが、少しずつ鍛えてやることが必要なようだ。  母親に連れてこられたフサヨは、今からは信じられないほどガリガリで、ソフトボール部に入ったが、三塁から一塁までボールが届かないらしい。いつも「フン!」と言った生意気な顔をしていて、まったくのマイペースだ。人の言うことを聞くようになるまで四年はかかっただろうか。父が高校の数学教師と言うこともあり、初めは英語だけ来ていた。

 この四人を入れて総勢十人。ワイワイと元気で、昔ならどこにでもいたような、しかし今だからこそもういないような素朴なガキ達は、少しずつ数学の勉強もやり始めた。しかし全体的に力は弱く、塾へ来ていると言うより遊びに来ているという雰囲気の強い彼らにどう数学を導入するか、私が次第に悩むことになろうとは、その頃は全然感じていなかった・・・

2 だれ始める中2、中3

 中1の終わり頃、トモエの母がやってきた。父がリストラに遭い、経済的に塾が続けられないと言う。よくある話だ。私は一つ一つを整理してみた。やめさせて良いのかどうか・・・  トモエは続けたがっており、そのほんわかしたキャラクターはクラスにとって良いものであった。ただ、少しずつ良くなってきているとは言え、その思考力はまだ弱く、もう少し「わかる」と言う感覚を身につけさせる必要があった。やがてよその塾へ行くことになっても、このままでは潰されてしまう・・・もう少しの「鍛え」は、お金には換えられないだろう。 「分かりました、一教科千円にしましょう。トモエが続けたいというなら、それで行きましょう。払えるようになったら、また払ってください」

その割引は中3まで続き、父の仕事探しが続く中、トモエは続けてやって来た。 しかし中2というのは、今も昔もだれる時期である。タカヒロの集中力は明らかに鈍っていた。相棒に解き方をよく教えていたタカコは逆に教わるようになるし、生意気度を増したフサヨはますます言うことを聞かなくなっていた。 「ま、毎年のことさ」とは言えない状況に、私は気づき始めていた。

良くも悪くも世の中全体が「子ども」を甘やかし始めている。何でも「早く、安く、簡単に」になり、商品は中・高校生向けのものばかりだ。勉強などしなくても、何もがんばらずに好きなことだけしていて、高校や大学は、親に言うだけで行かせてもらえる・・・  そんな空気に、私は真っ向から戦わなければならなかった。当然中学生にしてはやや厳しく生活態度などを指導するのだが、世の中の空気に対して私一人が戦っているようなもので、さほど耳に届いているようではなかった。

 中3になって受験を意識したのか、フサヨも数学にも来始めたが、クラスの雰囲気は変わらない。 少しは勉強する・・・それなりに真面目でもある・・・しかしその数学に「その子らしさ」が出てこない。言われたことを少し覚えるだけで、皆同じ解を書く。それは決して「分かって」はいないのだ。
「ダメだダメだそんな解答は!」
自分が嫌な人間に思えるくらい小言も言う。だが、10月になっても、7時半に授業を終えてから10時頃まで、タカコやタカヒロ達は外で話をしている・・・ったく、さっさと帰って受験勉強でもしろってんだ!

 さすがにその頃からこの10人は受験を考え始めた。二人は他府県へ引っ越す。一人は私立へ行く。公立高校へ進学する7人の中にこの4人はいた。  理数科の進学コースへ進んで、かろうじて潰されないのはタカヒロだけであった。しかし、ものすごく力が強いわけでもない。何となく数学と理科がましなのでそのコースへ進ませておこう、と言うのが本音であった。 タカコとトモエは学校の教師からT類が危ないと脅されている。私が励ましてやらなくてはならなかった。理科も社会もチェックを入れてお尻をたたき、ギリギリはいるだろう。この二人は公立へいけなければ、心の傷が大きすぎるように感じていた。 フサヨは何を考えているのか分からないが、この時点では「思考力」という点では一番力を持っており、どこかの文系進学コースへ行くものと思っていた。しかしその予想は見事に外れる・・・

3 高校1年

 フサヨが西宇治高校の単位制、しかも理数科という、わざわざ遠いところへ行くとは思わなかったが、その他は私の予想通りになった。もっとも本人達は合格に信じられない様子であったが・・・

 合格を喜ぶこの子達とは逆に、私はものすごく気が重たかった。
「この子達をこれ以上引っ張っていくのは、もうしんどいかな。何も出来ないかもしれな。いっそ全員入れ替わってくれないかな」
そんな中、この4人が上がってきた・・・  高1になってもまだピントの合わないこの子達にいらだつ中、最初に自分の甘さに気づいたのはタカコであった。9月の頃、
「高校の私のクラス、私も含めて皆勉強せ〜へんな・・・これではあかんね。・・・先生、私は看護婦になろうと思うけど、どうやったらなれるやろ?なれるのかな?」

チャンスだった。この子達の意識を持ち上げることが出来るかもしれない。  1年間の学費は、国立大学48万円、国立・日赤の看護学校12万円、その他の専門学校120万円。三つ目のところへは経済的に行けない。しかし、最初の二つへも、相当の気構えで勉強しなくては行けない。
「勉強したって、お前が行けるかどうかは分からないよ。けど、必死にやるなら、先生も最後まで粘るよ・・・」
 タカコの目の色が明らかに変わった。その目線の動き、動作、うなずき方などに手応えが出てきた。そしてそれは、まだ甘ったれている他の三人にも、ほんの少しではあっても伝わっていった。私もまたここで、本当に腹を決めた。
『この子達がどのような進路を取ろうとするのか、それは進められるのか・・・とても不安だけど、見届けよう。たとえ惨めな結果になろうとも、泥だらけになっても、この子達の傍に最後までいよう』

 実際に何人も断ってしまったように、席に余裕があっても新しい子は、ほとんど取らなかった。いや、取れなかった。  この子達に手がかかりきりになることは分かっていた。何とか意識を鍛え、あと二年後には旅立たせなくてはならないのだ。焦る気持ちは、確かに私の中にあった。

 さほど熱心に見るでもなく、ほったらかしていたタカヒロだが、大量に「やらされる」莵道の方針がこの子には良かったようだ。元々真面目ではあるので、言われるままに量をこなすうち、いつのまにか理数への理解力が深まっていた。これは・・・以外と高いレベルへ達するかもしれない・・・  フサヨとトモエは数学の成績だけを見ると校内上位になることで、逆に自分の足元が見えなくなっていた。それは相対評価であり、まわりのレベルが低すぎるのだが、そんなことは本人達には分からない。  フサヨは部員の足りないブラスバンドの応援部員に、生徒会役員として他の生徒の世話にと大忙し。それは理想の高校生活の一つだが、能力の高さの割りに「学力」は、私から見て穴だらけであった。  トモエは初めて見る数学の5に気をよくして学んでいるが、どこか勘違いもあった。やはり穴だらけであり、このままでは専門学校へ進学するのがやっとだ。

 しかし難しい・・・確かに二人とも学校生活を楽しんでおり、少しも苦にならない程度の勉強はしていて、伸びやかな将来を夢見てもいる。まったく「充実」しているのだ。  だが、今のままでは夢のままで終わってしまう。一年後にはただ「高校を卒業」するだけで終わってしまう。もっと無理をさせなければならないのだが、それはその時点では「夢を壊す作業」だ。私は言いようのないジレンマを抱えながら寄り添っていた。

4 告げる苦さ

 高2を終えようとする頃、タカヒロだけでなく他の3人も数Vを取りたいと言ってきた。フサヨは環境学を学び、その改善のため人々を教育したいらしい。トモエは高校の数学教師になりたいという。タカコは数Vをやることで、数Uまでである看護学科の入試に強くなれると思っている・・・タイムリミットが来ていた。  すべて実現不可能であることが私には分かっていた。他の母親から「そんなことがあんたに分かるのか!」と言われたこともある。しかし・・・分かる!「私が自分で」5年も育ててきたのだ!  この3人は自分で思うほどには数学が分かっていなかった。数T・数Uを徹底して復習しないと、ほとんど「入試の点」にはならない。しかもセンターテストを越えてゆくには英・国・理・社すべてが力不足だ。相当に時間をかけなければならない。そんなこの子達に、数Vは混乱を招くばかりだ・・・やはりある母親は言う
「やりたいことをやらせるべきだ。それで失敗したら、苦労はその子が責任を持てばいい」
それで大げんかになったことがある。そのまま進ませれば潰れることが分かっているのだ。しかも浪人しても修復不可能だろう。それを見殺しにするなら、私の仕事は何なのだ! その都度変化してゆく状況の中にあって、「最善」を共に探してゆくのが私の仕事ではないか。何も考えずただ数学を教えてほしいだけなら、よそにいくらでもそんな塾はある。
「フサヨ、大学へ行きたいならその量は無理だ。数Vの分、他教科の復習とまとめをしろ。トモエ、お前に高校数学教師は無理だ。どうしても教員になりたいのなら、お前のキャラを生かせて小学校教師なら可能性はあるだろう。タカコ、数Vはお前の全体的な得点を下げてしまう。入試科目に集中するんだ」

模試を大量に受けて、夏が終わる頃にはこの子達にも点を取れないことが分かるだろうが、その時では後戻りが出来なくなってしまう・・・しかしこの時点ではこの子達は納得せず、あくまで数Vをやると言い張り、私との押し合いはしばらく続いていた。 ちょうどその頃、タカヒロの母も教室にやって来た。
「タカヒロは大阪大の理学を目指すようですが、行けるのでしょうか?」
「がんばれば、十分可能性はありますよ」
母はうれしそうな顔すらしなかった。
「でも阪大では通えませんよね・・・離したくないのですが・・」

男の子は一度くらい家から出した方が良いと言ったが、どうしても嫌らしい。  む、難しい・・・他と言えば、京大ではないか・・・
『数学は俺が、物理は三谷がマンツーマンでやるとして・・・英語も力不足・・・化学も川戸に鍛えさせたいが、その時間はないだろう・・・全体的な可能性は・・・無くはない・・か』
「・・・・分かりました、京大を目指した最善策を考えましょう。ただし、それをやるとしても保証などありませんよ」
母は納得して帰ってくれたが、何とも不揃いな課題を、私は抱えてしまった。

 しばらくの説得の末、トモエは数Vをあきらめた。タカヒロはセンターテスト兼文系二次対策でもある「センター数学」を「英語」に変え、数V・物理の3教科を取らせ、化学・国語・社会は自分でやらせることにした。あまりに教え込みすぎるのは良くない。  タカコとフサヨはあくまで数Vにこだわるので、ついに私の方がおれた。
「分かった、数Vをやりなさい。ただしお前たちのレベルにはあわせない。一年後、理系二次テストで合格点(60点)を取れるレベルで行く。たぶん数Vしかやれなくなるだろうが、他の教科のことなど知らないからな。タカヒロも一緒にやるのだから」
そう言うと事態の深刻さが分かったのか、二人とも数Vはあきらめた。やれやれ・・・だった。

5 受験へ向けて

 タカヒロは数Vと物理がマンツーマンでもあり、ものすごいスピードで進むことが出来、驚くほどの上達とまとまりを見せた。
「ここまで伸びてくるとは・・・これなら京大で戦えるかもしれない」
私と三谷は顔を合わせるたび、そんなことを話し合っていた。

 娘三人は、残念ながら、こちらも予想通りであった。大量に受け始めた模試・・・どれもが、どの教科もが、大学レベルに届かない。  タカコ、トモエをはじめ、特にフサヨはその実態に愕然とする。 
「まさか・・・まさかこれほど出来ないなんて・・・」
せめて理科二教科をとやり始めていた化学だが、生物にしか手が回らなくなった。国語は得意だと思っていたのに・・・英語などサッパリ分からない。学校では上位にいた数学なのに・・・夏になる頃弱音を吐いた。
「先生、私、大学へ行けるかな・・・」
「お前は自分では知らないようだが、基本的理解能力は高い。ただ、今まで五年間、一度も本気で勉強したことがない。そんなことは本気で勉強したあとで言ってみろ」

 このあたりからフサヨは、大山も驚くほど素直にアドバイスに耳を傾けるようになっていった。幸いなことにタカコもトモエも「自分のレベルの低さ」に驚きはしたものの、潰されることはなかった。
「仕方ない。残念だけど、今の自分はこんなものか・・・ここから、やれるだけのことをやってみよう」
三人ともそう思えたようで、そうすると不思議なもので、厳しく真剣な中にも表情は軟らかく穏やかになり、すっきりとした目線で、自分と自分のまわりを見られるようになっていった。これこそ私の待ち望んでいた、この子達のあるべき姿であった。

6 受験

 模試を受けるたびに試行錯誤の結果、フサヨは滋賀大か奈良教育大に、トモエは仏教大か文教短大の初等教育にと絞られてきた。まだE判定(まったく無理)ばかりだが、ここはそれに向かって歩を進めるしかなかった。  そんな中の11月、タカコが国立京都看護学校の推薦入試を受けに行った。論文と面接・・・とても合格できるとは思えなかったが、それなりに準備をさせて送り出した。  論文は、とにかく書いたらしい。その後個人面接のはずが、当日に集団面接に切り替えられてパニックに・・・こりゃいかん!と思っていたら、ま・さ・かの合格! 一般には知られていないが、この看護学校、京都の子はほとんど合格しない。
「よっぽど面接の印象が濃かったんやろって、学校の先生に言われたわ!」
などとタカコは大喜びであったが、私は・・ようやく一人の娘を嫁がせた想いがした・・・やれやれ・・・

 息をついている暇はない。最後の模試で初めてフサヨがA判定を出すなど、盛り上がってきたところでセンターテストに突入した。  タカヒロとフサヨはC判定。とにかく最低ラインはクリアした。タカヒロはともかく、フサヨは善戦したと言えるだろう。あの春の状態から、よくぞここまで持ってきた。やはり能力は高い。  しかし逆に、ここまで来ると二人とも私立へ行く気を無くしていた。国立がダメなら今年は浪人・・・まったく息をつかせてくれない・・・

   短大に合格したトモエは、仏教大への準備を進めていた。その教育学部はトモエには荷が重く、数・英・国のうち、数学がフルマークならば、あるいは・・・という望みであった。  懸命に数学と格闘してきた。ずいぶん整理もされた・・・そして入試後に持って帰ってきた問題を見ると、数学は90点取れていた。やれることはやった。結果も出した・・・その判定は、不合格。
「・・・いけるかと思ったけどね、がんばったからな・・」
そう言うと、電話の向こうでトモエは泣き出していた。 仕方ない・・・仕方ない・・・その結果とこの子を、私は受け止めなくてはならない・・・

 タカヒロとフサヨもそれぞれ、京大、滋賀大を受けて帰ってきた。タカヒロは、数学こそ6問中4問解けたが、あとは5割りほど。ビリで受かるか、トップで落ちるか微妙。フサヨは
「出来もしなかったけど、とにかく私のすべては出せた。悔いなく落ちるかも」
とほほ・・・発表までが長い・・・

 7日は滋賀大の発表日。夜になってフサヨから電話が入る。
「今日発表やったけど、アカンかってん」
努めて静かに言う言葉が無念さを凝縮していた。つらいが、後期にもう一度滋賀大がある。この子の論文なら十分戦えるだろう。  9日は京大の発表。12時発表なのに、タカヒロからは連絡がない。1時前になって私はあきらめ、卓球に行こうと立ち上がった。その時電話が鳴った。
「あ、先生、受かった〜!!」

7 6年間を終えて

 後期試験も終わり、フサヨと浪人生二人の結果を待っている。しかし私にはもう、結果など気にならなくなっている。  まだ足元もおぼつかず、何も見えもしなかった中学一年の頃。あのころからすると、フサヨもタカコもトモエもタカヒロも、なんてたくましくなったことか。不揃いだった能力はそれぞれの個性となり、自らの判断力と足で人生を歩いてゆくことだろう。

  お前たちの、小さくこわばっていた手のひらは、まっすぐに伸び、大きくなった。よく見てごらん、そこには小さな羅針盤が乗っている。これからも迷うことは何度もあるだろうが、その羅針盤がきっと助けてくれるだろう。それをお前たちの手のひらに創ることこそ私の願いであり、精一杯の仕事であった。 まだまだ不揃いで不十分な羅針盤だが、私の能力のなさ故、許せ。お前たちの人生に幸多からんことを願う・・・