河原 博
1 出会い
『やけに髪の毛の多い子だな・・・。そんなカットをしているから、ヘルメットをかぶっているように見えるぞ。・・・おや?カッターシャツが透けてるから、ブラジャーに書いてある、でっかい英語が読めるぞ。ウエルカム・・・ってか?』
高校の合格発表直後。まだ4月になっていなかったと思う、ポッチャリとしたアキコが母とやってきたのは。
母子ともに迷っていると言う。高校について行けるのか行けないのか、塾へ行った方がいいのかどうか・・・。
「さて、私は初対面だから、そんなことはさっぱりわかりませんな。ただ、莵道高校理数科のあのスピードは、誰にとっても大変なことは確かです。私もあのスピードにはつきあわない。それより、中学時代のこの子はどうしていたのでしょう?なぜ理数科にしたのですか?」
塾へは行っていなかったらしい。中3の時、一度だけ家庭教師を頼んだが、美術短大の女学生がやってきて、その数学に
「私には解けません・・・ごめんなさい」
と、一ヶ月で逃げて行ってしまったと言う。
(後に、これはこの子らしいエピソードだと、私は思うようになったのだが)
そして中学の三者面談で、大学へ行きたいなら理数科と言われ、決めたらしい。
「へっ・・・そ、それだけ?・・・いったいどんな大学へ行きたいの?・・・わ、わからない?!文系・理系とか・・・決めてない!莵道がどんなところかは・・・き、聞いてない!!」
困った親子だ!のんびりするにもほどがあるぞ。これで私に、いったい何を言えと言うのだ。
「あの〜、莵道って、そんなにすごいところなんですか?」
「・・・ふむ。ま、味わってもらいましょ。とりあえず授業を受けてみて、その上でこの教室が必要と思ったら、そのときまたおいで。一週間ほどでわかるだろう」
4月の半ば、アキコは再びやって来た。
「3日でわかった・・・」
2 高1にて
理数科は男の子が多く、その面ではとても気に入ったようだ(母親談)もてる確率は高いだろう。ただ、中間・期末テストごとに数学の成績で上・下のクラスに分けられ、この子をいかに下のクラスへ留めておくかで、私は悩まされた。
上のクラスではない。下のクラスだ。その方がこの子の性質には合っていた。真面目ではあるが勤勉ではない、という性質には・・・
私は、アキコの学習能力を、初めから高いと考えていた。しかしそれを言うと、当時も今も、他人も親も、本人すらもけげんな顔をする。まったく、どいつもこいつも、いったいどこを見てやがんでい!
おそらく中学時代の独学が良い方向へ出ていたと思われるが、この子の良さは、知識を自分なりにかみ砕き、納得した形で吸収することであった。急所をかぎ分けるカンは良く、そこへ寄っていくスピードも速い。このようなことを、能力が高いと言う。
無論アキコには、そんな自覚など無かったはずだ。高校へ行くためにガツガツ暗記していた・・・くらいに思っていただろう。しかし、そうではない!私にはわかっていた。この子に単純暗記など出来るはずがない。おそらく無意識に、知識を自分の好みの形に変える作業をやっていたはずだ。必要に迫られて・・・・そう、そこにこの子の質的な問題があった。3 高2のバトル
アキコの家系はとんでもなく長寿だ。受験間際に100歳ほどのばあちゃんが亡くなったが、
「『この一月ほど、ばあちゃん朝が遅くなってきたねえ。寝ている時間が長くなってきた。そろそろ、ずっと寝てしまうのかねえ・・・』なんて三重の親戚が言ってたら、本当にそうなった・・・」
と、のほほんと言う。他に90歳など、珍しくもないらしい。
いったい、長寿の条件とはなんだろう。土地、空気、食べ物・・・色々だろうが、性格はどうだろう?気弱で神経質よりは、どこかボ〜っとしててのんきで、少々わがままで、人生など行き当たりばったりで・・・くらいの方が良いのではないだろうか?
アキコを見ていると、まったくそう思える。その遺伝子の中に、そんな性質をなみなみと受け継いでいるように見える。
「アハハ、今日は英語のテストやったから、昨日は徹夜やったあ、アハハああしんど・・・えっ?古文の課題あさってまでやった?うわ〜忘れてた・・・また徹夜やわ、アハハハ」
一夜づけしかできない体質・・・それがこの子の質的な問題点であった。これでは普通、本質に迫ることも伸びることもなく、つぶれてしまう。これは直してやった方がよい。しかしこの子の場合、そんな体質のおかげで、さっさと済ませたくて、その能力が磨かれたようなふしがあった。む、難しい・・・
「なんで一日でやろうとする?しんどいだけやし、理解もでけへんやんけ。一週間でやるようにしろ!」
「う〜ん、身体が動かへん・・・」
結局、根本的には直してやれなかった。おかげで、面倒な語学や社会などは、センスの良さの割りにはあまり伸びなかった。
しかしこれには、もう一つの理由があると思う。課題の全体的なスピードが、この子には速すぎた。その意味をかみ砕く前に次の課題が来る。
私がアキコを中学から知っていれば、ためらわずT類(普通コース)へ入れていただろう。その方がこの子は伸びた。しかし、出会ったときにはU類(進学コース)だった。・・・ならば、せめて下のクラスで学ばせよう。担任のところへお願いにも行かせた。しかし、数学でそこそこ点を取ってしまうので、それも出来なかった・・・・
「あ〜!学校は速いわ、勉強はせんわ・・・」
そんな私をよそに、勉強以外では実に学校が楽しそうであり、ポッチャリと元気そうであり、行き当たりばったりではあっても、先へ先へと進んでいったのであった。4 受験
「シュタイナー教室には『元から出来る子』ばかりいる」と言う世間のうわさは、嘘である。アキコみたいな子は珍しくもない・・・と言うより、そんなのばっかりだ。だから慣れているし、工夫もする。
大学入試を、英・数・理の3教科で受けるとする。平均60点でだいたい合格だ。アキコの場合、理科は60点ほどだろう。苦手な英語は40点くらいだが、そこはお尻をたたいて50点にする。すると数学で70点なら合格だ。
「では、国・社はやらなくてもいいレすか?」
これも毎年受験生は言うが、受験にすら遠回りだと私は思う。数学一つ理解しようとしても、そこには国語も歴史も、英語の文法すらある。あまりに早くから受験教科だけをやって、幸せになったやつなど私は見たことがない。
「ギリギリまで、せめて学校の授業には集中しろ!」
しかしアキコは、かなりの授業を睡眠に当てていたようであり・・・
当初は京大医短の理学療法をねらわせたが、レベルは高すぎ、あきらめた。すると、三重大の海洋学か何かを見つけてきた。そう言えば三重にはばあちゃんがいるらしいが・・・伊勢エビでも育てるのかな?
「鯨を見に、船に乗せてくれるらしい・・・」
・・・・大学へ、ホエール・ウオッチングに行くのか・・・か、軽い・・・身体に似ず身のこなしの軽いやつ。しかしそれなら、無理にやらせていた数Vも生きるし、レベル的にも十分だろう。
10月と言えば、大学入試ではもう充分に一夜漬けのあたりだろう。アキコのたくましい、生き残る遺伝子が発動する。
バラバラだった知識と解がまとまりを見せ始めた。その目は、ちゃんと急所を見ている。やはり能力が高い。
成績は余裕でオール3。模試データはE(ダメです)ばかりだが、な〜に、私の目が一番正しい。しかし、そうはいかないのが、母親だ。
「こ、このバカ娘が・・・勉強もせんと」
アキコにも言い分はある。風呂洗いだ、妹のおもりだと・・・
「なんで受験前の女子高生が主婦せんなんねん!」
取っ組み合いになる・・・ドシャーンとテーブルがひっくり返る・・・テレビは映らなくなり、私立大が受けられなくなった。
「お前に私立大のお金は出さんと、国立大がダメなら働けと・・アハハ」
もっとも、この子に合う適当な私立が見あたらなかった、と言うのが本当なのだが。
今年のセンターテストは少し難しく、アキコの高校も壊滅的なダメージを受ける中、やはりこの子は生き残ってきた。初めてC判定(ボーダーライン)が出た。三重大の2次で、数学と物理なら、この子は負けない。私はほっとしていたのだが、突然、奈良女子大に変えたいという。
「・・・バ、バカな!なんの準備もしていない・・・後一ヶ月だぞ・・・な、何とかしてくれ?こ、このバカ娘が〜」
仕方なかった。早く調べておけば良かったのだが、三重大は、ばあちゃんの家からでも二時間半かかり、通えないらしい。奈良女なら自宅から40分だ。・・・それらしい問題を出しては練習させた・・・
試験当日、物理の一問目は、幸運にも三日前に私とやったものと同じものだった。全体で8割りほど書けた。しかし数学は・・・滅茶苦茶難しく、完答は一つもなし。小問の一つだけ・・・が精一杯だったという。
み〜んなが諦めていた。アキコは、一週間後の滋賀大が論文入試なので、高校の教師に書き方を見てもらいに行った。
無茶だ!論文など、一週間でどうなるものでもなく、教師が怒ったのも無理はない。
「こ、このワガママ娘が・・・○×△!!♯!」(聞くに耐えない悪口、雑言)
私は疑っていた。アキコの数学力は、かなり高く仕上げた。そのアキコに手が着かなかったと言うことは、皆が泣いているのではないか・・・とすれば・・・
電話が控えめに鳴った。
「あの・・・電子メールが今届いたけど・・・え〜っと、なんでか私の番号がある・・・」
はん!・・・ったく、・・・別に大学なんか、行っても行かなくても、お前はいいんだ。生き残っちまうんだい!
賢明な後輩諸君は、けっしてこの娘の真似をしてはならない。こんなやつは、この子だけなのだ。・・・なんだって?行き当たりばったりで負けないやつがいる?もうたくさんだ!どうか、よその塾を薦めてやってくれ!!