2000 ドラマ B

ちょっと変?  (チヒロの場合)

1 出会い

二人の姉はすでに教室へ通っていた。ある日電話を入れると、ガチャリと出てきた。

「お姉ちゃんか、お母さんいる?」

とても甲高い声で、困ったように、

「い〜ひん!」

私が初めて聞いた、小学5年のチヒロの声であった。

しかし私がこの子の顔を見るのは、2年後となる。この頃チヒロは塾へ行きたがっていたのだが、どうも遊園地へ行くかのように思っている「ふし」があり、特に勉強に困っているようでもなく、

「必要ない。我慢させた方がいい」

と止めていたのだ。

2年後、ついにやってきたチヒロの顔は、

「どんなおもしろいことが始まるんやろ」

とでも思っているのか、目も鼻も大きく開かれ、ニコニコマークが全身から出ていた。
隣で緊張のあまり「石」になっている優香とは対照的だ。

初めからこれほど数学と遊べた子もいない。絵や図を描くのもおもしろい。式を作るのもおもしろい。計算なら、速さ競争をして遊ぶ・・・
最初から最後までチヒロにとっての数学は、勉強ではなく遊びであった。その方向性は理想的ではあったが、後にそれがどれほど大きく育つかなど私には知る由もなく、幼児体型でチビでポッチャリしたチヒロが数学と遊ぶ姿に、

「なんて可愛い子どもだろう」

と思う程度であった。

あまり勉強量は多くないチヒロだが、要領がとても良く、数学で頭角を現してきたのは中2の半ば頃だった。他の子より知識が少し深く入って行き、ミスがない。中間・期末テストで3回連続100点などもやったが、何しろまだ中2.それがチヒロの「才」の始まりであることなど、私は気づいていなかった。

その才に注目し始めたのは、中3の半ば。徹底して「考え方とその構造」しか教えない私の指導のせいか、時にチヒロは解法を横道へはずすことがあった。並の中学生ならそこで止まる。しかしチヒロは仮の文字をあちこちに設定し、それを道しるべにグイグイ進み、どんなに遠回りしても正解へ行ってしまうのだ。高校のテクニックなど何も知らないのに、内容的には高校上位級の迫力を持っていたと言えよう。

勉強時間が増えたわけではなかった。やはり、チヒロにとっての数学は、あくまで遊びの一つであった。よって、受験期にあっても特に「がんばる」ことはなかった。有名進学高校を受けさせれば、ぎりぎりではあっても、たぶん合格しただろう。がんばれば「確実」だ。しかしチヒロは、まったく気にもせず日々を楽しく生きており、その受験生らしくない態度が母の怒りを買い、受験などさせてもらえず、地元公立高校へと進んでいった。

2 高校にて

高校生となり、チヒロの「教科の勉強量」は少し減った。他にやりたいことが増えたのだ。まず、服を自分で作るようになった。しかしそちらの才能は数学ほどには評価できず、特に真っ赤・真っ黄色のズボンには我慢できず、

「俺はお前のポッチャリした足を見るのが好きなんだが、その変なズボンより、可愛いミニスカートを作ってはどうだ?」

ところがチヒロはそのズボンが気に入っており、

「この良さは『おじさん』には分からないでしょう!」

ボーイフレンドもほしい。ガールフレンドとあちこちへ遊びに行く。明日がテストでも、テレビドラマの悲しいシーンにボロボロ泣いている・・・

「勉強もせずに、次に何を始めるのか予測できない」

と母親はよく怒っていたが、私はおもしろがっていた。この子は我々の常識の外にいる。

「労働や勉強は、日々こつこつと額に汗してやるもの。勉強なら、部屋でじっと一人書を読み・・・」

チヒロは高3まで、参考書のただの一冊も持っていなかった。ただ話を聞くのがこの子の勉強だった。

「それ、ど〜なってんの?・・・ふ〜ん、なるほど・・難しいな〜。どれどれ・・・ほんまや解けるわ〜」

これで終わり!

「それで出来たら、誰も苦労せんわい!」

と言いたくなるが、この子の数学力は高い水準を保っていた。校内でこの子に勝てる子など誰もいなかった。
しかしいつか壁は来るだろう。じっと読まなくては先へ進めなくなる日がきっと来る。その日まで好きにさせておこうと思っていた。今の「遊び」が、後の「肥やし」になることだって多くある。・・・・しかしついに、チヒロがその壁を意識することは、高校の3年間では無かったのである。

まったく変な娘だ。学校が休みになると、手の爪は十色に染まる。髪はあちこちを縛り、とても似合うとは思えない方向へねじ曲がる。元々美人顔だが、化粧のノウハウを知り、ますますきれいになっていった・・・普通、比例して数学など出来なくなるのに・・・

これはチヒロの長所であり、弱点でもあった。点取りどころか、大学も、自分の将来のことすらあまり考えず、自由に数学とも接する。それはこの子の理数力の底辺を、どれほど広げたことだろう。しかし、高度な大学への戦いになれば、その「高さ」を知る自覚や「意志」を持たなくては負けてしまう。 「楽」だけでは「意志」はなかなか育たない。「高い」ところは誰でも恐い。苦しいし、孤独だ。そんな怖さを知ればこそ、「楽」は「楽しみ」ともなり、子は大人へと育っていくのだろう。 しかしそうやって大人になることは、「楽」が少ししかなかった私たち以前の時代より、「楽」にあふれた今の時代の方が遙かに難しい。怖さも苦しさも感じる暇がないくらい「楽」があり、それ故なかなか大人になれない。その意味では、今の子どもの方がかわいそうだ。

3 受験

チヒロの進路はなかなか決定しなかった。何をやったらいいのか、何が出来るのか、チヒロ本人が良く分からなかったのだ。

「お前みたいにワガママで変なやつが、普通のOLなんぞになれるわけがない。技術屋がいいのだろうが、ヘルメットかぶる迫力ないし、教師の柄じゃない。・・・医者・・かな?」

そんなこんなで医学部になったが、チヒロにはやはり、まだ実感がなかったようだ。今ひとつ本気になれず、人ごとのような顔をしている。苦手な化学・英語にいつまでも腰を上げないので、思い切りお尻をひっぱたいてやったこともあった。
毎日私はチヒロの母と顔を合わせるので、チヒロの日常など全部知っている。するとチヒロは口をとがらせる。

「私にもプライベートが・・・」

「バーカ、お前みたいなガキに、人権もプライベートもあるか」

チヒロ相手に、こっちだって常識人などやってられない。12月に、3時間もかけて年賀状を作ったりした割りには、センターテストもうまくいった。やはり非凡なやつだ。私は「いける!」と思っていたが、冷静に考えて、少し精神力で負けていたのだろう。2次テストで届かず、浪人が決まってしまった。

4月から予備校へも通い始めたチヒロは、同じ医学部コースの中に数人の女の子を見つけた。

「友達になろ〜っと。へへ、ちょっとくらい勉強も教えてあげられるかな?」

そう思っても無理はない。この子と同等の女の子など、高校にはいなかったのだから。ところが、すぐにあった校内テストの結果は・・・なんとチヒロが女子グループのビリだった!さすがのチヒロも、これは相当こたえたようだ。学ぶことに対し、集中力が増した。特に化学など「出来ないクラス」に落とされたこともあり、夏は必死になってやっていたようだ。
と言っても、家で見るチヒロは変わらず、のらりくらりに見えていたらしい。後にチヒロが両親の前で、

「私もこの一年しっかりと勉強を・・・」

両親は左右のスピーカーとなって、同時に

「い〜や、あんたは勉強してなかった!」

チヒロの学び方は、人には見えにくい。どこか脳みその奥の方で考えている感じがする。その分すぐ疲れるから、パラ〜っと休まなくてはならないのだろう。
その成長は、数学の解を見ればすぐ分かる。細かなところまで目を向けているなと思われた夏頃、模試データは

「初B判定やで」

その後高校時代の解が幼稚に思えるくらい深みが出てきた12月、全国の京都府立医科大志望者の中で一番となる、初A判定が出た。どの教科も穴がない。私はそれがチヒロの実力であることをとうに知っていたが、例によって私しか知らなかったようだ。予備校からは

「あ〜、まぐれまぐれ、お前が受かるわけがない」

と言われ、チヒロもそう思いこんでいた。そして確実に合格しようと、奈良県立医科大を考えていた。
これには訳がある。チヒロには事実上、英・数・理で受けられる前期にしかチャンスがなかった。1回だけなのだ。後期はどこも英語と論文。論文などチヒロには出来ない。しかし、私はこの子を京都から出したくなかった。奈良ではすぐ通えなくなる。

「府立にしろって!後期は京大の理学か化学にでもして、前期がダメだったら京大へ行けばいい」

「それは・・・嫌。私は医者になりたい・・・医者になる。京大に興味はない」

なぜそうなのかは分からないが、こんなにはっきりと、チヒロが示したのは初めてだった。
センターテストでもすごい点を取り、予備校の態度がころりと変わる。奈良は100%、京都でも90%の合格予想。

「何の問題がある?京都やんけ!」

と言ったが、本人や親は、だからこそびびる。そりゃあ、6年間家から通える府立医科大へ行きたい。しかし一浪しているから、残りの10%がどうしようもなく恐い。受かれそうだから、よけいに恐い。チヒロが・・・あのチヒロが、生まれて初めてテストにびびっている。
私は、おかしくて笑い出すところだった。何せ、私に言わせれば、京都だって100%だ。ちょっと変なのは、その時はもう私だったかもしれない。

「これで府立を受けないで奈良へ行ったら、ドラマに滅茶苦茶書くからな!」

「そ・・・そんな脅しは・・・」

「二浪したらごめんな」と母に言い、府立医科大へ受けに行った。数学と化学はひどく難しかったようだ。

発表日の4時頃教室へ来て、

「受かったで!や〜い!!」

すっかりいつものチヒロだった・・・

捕らえどころのない、ちょっと変なチヒロ。しかし、大人へと成長する中では、どの子もどこか変なのが普通だ。逆に、そうだからこそ成長すると言ってもいい。そして歳を重ねるごとに、世間や人との折り合いも憶え、大人になっていくのだろう。チヒロだって、6年後卒業する頃には、普通の人になっているかもしれない。
チヒロは知っていなくてはならない。受験などという「枠」があったから、まわりの大人は少しハラハラ、ドキドキしただけで、本当はお前のやることはどれもおもしろく、お前のことが大好きだったと言うことを。
いつまでも今のお前を、ほんの少しでいいから、お前のどこかに残しておいておくれ・・・