2000 ドラマ A

点取りとの距離 (ユウキの場合)

1 出会い(小学生の頃)

いつの間にか小5のクラスにおり、数学での工作などとても楽しそうにやっていた。それは良く憶えているのだが、どういう経緯で、どうやって入塾してきたのかは、不思議と憶えていない。気がつくとそこにいた。

同級生のケンイチロウやケイほどシャカシャカと問題を解くことはなかったが、じっとその意味を考え、問うていく方向性は、とても良いものがあった。ただ、一つ一つの知識はまだこの子の頭の中にだけ留まっており、いくつかが絡み合って身体の中へ溶けていくほどの「理解」までには至っていなかった。すなわち「力が弱い」のだが、小学生の場合「方向性はよいが、半分眠っている」ような、ぼんやりした状態がベストだと私は思っている。

けっして「自由・個性などと名付けられた甘やかし」は良くない。霧が晴れていくように、手足の隅々まで自分だと自覚する「目覚め」は、好き勝手では起きにくい。しかし、かといって、何でもかんでも大量に配慮もなく与え、形だけ目覚めさせるのはもっと良くない。そうされた子ほど、先へ進むほどに自分を見失い、まわりすら見えなくなってしまうことが多いように、私には思えてならない。

「ゆっくり、正しく目覚めさせてやろう。自分の頭で考え、自分の足で進めるように・・・3〜4年して、そう、中学2年くらいで目を覚ますだろう・・・」 しかし私は、ユウキをきちんと目覚めさせるのに、7年もかかってしまうのである・・・

2 中学の頃

ユウキは有名私立をお受験している。これは、この子を育てる上で、大きな事件であった。母は言った。

「私自身がず〜っと私立の下から上まで入れてもらった。大学まで受験はなく、楽でした。親にしてもらったことを、自分の子にもしてやりたいのです」

これも一つの考え方であり、愛であろう。母の心は尊重する。しかし、もう2年も見ているユウキの育成という点で、私は反対した。

「この2年ユウキは、算数や理科と、とても良い接し方をしてきた。教科そのものを見、楽しんでいる。ただ、その力はまだ小さく、受験などさせると、点数でしか教科を見なくなるおそれがある。また、ユウキの方向性の良さを、その私立が伸ばしてくれるとも思えない」

「公立の中・高校でゆっくり育てて、国立大へ入れてやればいい。安上がりだし・・・」

「それは理想ですが、まさかうちの子が国立大なんて・・・」

ごく普通の親の不安だ。立命館中学にでも入れてしまえば、お金はかかっても、大学まで道はつくのだろう。早く安心したいのだ。それが本当の安心かどうかは別にして・・・

結局、私が何も動かないこともあり、ユウキは受験に失敗し、地元の公立中学へと進んだ。そしてそれは、この子の心の中に、自分でも気づかない爪痕を残してしまっていた。 あれほど「教科そのもの」を楽しんでいたのに、点を気にし始めた。確かに、点も取らなくてはならない時期はある。それは、今の世の中が言うほど悪いことではない。ただ、その時までに、教科に深く入り、その味も楽しさも苦しさも、身体で理解しておく必要がある。ユウキの心は、点を取りたいと思うほどに、実はその教科からは離れていった。 それは成績に出ていた。中学の数学は、1学期に計算の練習をやり、2学期以降、図形やグラフへと発展させる。ユウキは1学期の成績は良く、2・3学期へ進むほど悪くなる・・・ということを3年間繰り返した。

「ちょっと点から離れて、ゆっくりと数学や英語に触れてみろ・・・」

ユウキにも半分、そのことはわかっていた。しかし残り半分は、点取りを焦ってしまう。それはしかし、無理無いことかもしれない。「時期」に関係なく「いつでも」点がほしい・・・それもまた本当だろう。
高校受験でも私立に失敗したユウキは、やはり公立高校へ進んだ。もちろんユウキはがっかりしていたがしかし、私はこれでよいと思っていた・・・

3 高校にて

高校でのユウキの思いは様々だった。「ゆっくり勉強してみよう」「どうせ俺なんか・・・」「公立の中では、他のやつに負けたくない」
バラバラな思いだが、高校生なら普通のことだ。ただ一つだけ

「弟は僕より勉強せず、高校は私立へ行くだろうから、僕は国立大学へ進み、弟にお金を残しておいてやろうと思う」

これだけは一貫していた。しかしまだ本気で勉強していたわけではない。変わらずファミコンゲームにはこっていた。ゆっくり勉強したが、じっくりではなかった。どこか甘く、浮ついている。地に足をつける「きっかけ」が必要だったが、それが何か私にもわからぬまま2年が過ぎ、ユウキの内申は平均3を切ってしまった。
それ自体はどうということはない。しかし絵を提出しなかったらしく、美術で1をくらい、3年へは仮進級であった。そして、それがこの子の「きっかけ」になったのだから、私なんぞには予想すら出来なかった・・・

少し前からユウキは、さかんに「英語がサッパリわからなくなった」と言い始めていた。「すべての『単語の意味』を調べているのに、結局、何のことか全然わからん・・・」

これは多くの高校生が同じことを言う。中学生の頃から「英語とは単語だ」と思いこんでしまうところに落とし穴があるのだろう。日本人にとっては、文法の力を借り、熟語や言い回しも知り、「英語という『言葉』なのだ」と、理解することが英語であろうに・・・

教室では数学と物理を取っていたユウキは、すぐにでも英語も助けてほしい様子だったが、あまりに弱くなっていた英語力と、美術の1に「頭に来ていた」私は冷たかった。

「安易に人に頼るのは、そろそろやめたらどうだ!自分ではい上がることを憶えてもいい頃だ。まず自分でやれ!1・2年の教科書を徹底的に復習するんだ。春休みの間に一度やって、その後何回も繰り返せ!そして、人並みの平均点くらい取れるようになったら、その時また考えてやろう。それくらいやれる力はもうお前の中に、俺は育てたつもりだ!」

こんな強い言い方は、どの学年のどの子にも・・・という訳にはいかないが、ユウキには良かった。自分で復習を始めた。それはもちろん入試で点を取るためだが、このときのこの子にはそんな余裕など無く、せめて受験できるようにと「英語そのもの」へと向かったと思われる。やっと点から離れたのだ。ユウキの全体的な方向性がグングン良くなっていった。

10月、「やっと英語も人並みになりました」なんて言っていたが、理数教科の理解力、表現力も格段に良くなっていた。
「確実に行ける国公立」をと、ユウキは滋賀県立大の機械科を考えていたが、私は少し不憫に思った。遠いし、学科もあっていると思えない。そして、

「そんな・・・無理ですよ、府立大なんて・・・」

「い〜や、わからんぞ!府立大の前期は、数学・物理・化学の三教科だ。化学さえ格好が付けば勝負になる。ちょっと、化学をまとめておけ」

ユウキは受験に化学は考えていなかった。無茶な話だ。しかしメリットは、府立大を受験できることと、もう一つ・・・
化学にも没頭することで、数学と物理の論理性がさらに進んだ。やや不器用だが、きちんとしていて美しく、誠実な解答・・・これこそ私が8年も待っていた、ユウキ自身の解答であった。

センターテストではひどく緊張したらしい。英語と化学はうまくいったが、逆に得意の数学、物理は失敗した。2次テストへは、府立大はマイナス17点のハンディ。浪人したくないので後期は滋賀県立にした。
どうやらこの時点でユウキは、半分、府立大は諦めていたようだ。滋賀県立のための練習でもするかのように、私立や府立大を受けに行った。・・・これが良かった。ある意味、点取りから離れた受験のせいで、リラックスしていたようだ。
私大は一つ受かり、一つ落ちた。そして府立大はとても良くできた。化学など、得意なものが多かったという。しかしユウキは、

「僕が出来たんやから、他の人は全員100点でしょ。せめてセンターテストのハンデがなかったら、少しは楽しめるけど・・・」

そうして、県立大の練習にと、もう一つの大学へ、府立大の発表日に出て行ってしまった。だから「合格発表」は、伏見のじいちゃんが見に行った。じいちゃんは、こんな風に会場へ行ったらしい。

「・・・・なんでワシやねん・・・・なんでワシが孫の『不合格』の確認に行かんなんねん。ほんま迷惑な話やで。・・・着いてしもたがな。どこや・・・あっ、ここやな。ユウキの番号は○△×○か・・・ほんま、かなんな〜、あるわけが・・・あるで!・・・ふっ、そんなんにだまされるほど、ワシは青くはないで。これは違う学科の発表やね、きっと。ちゃんと見とかな怒られるしな・・・危ない危ない。え〜っと、ここは・・・人間環境?えっ!ユウキは環境やと言うとったで!えっ?えっ?○△×○・・・震えて、番号が見にくいがな・・・ある、ある!・・・あった〜!!」

ユウキは二度もじいちゃんに電話した。

「環境学科やで!○△×○番やで!ほんまかいな。じいちゃん、目はどうもなかったんか?確かにあったんか?」

「ほんまやがな!確かめた!ワシは見たんや〜。環境やった。○△×○番やった〜!」

これは本当の話。

テスト直前に、ケンイチロウとユウキが話していた。

「ユウキ、お前、化学のこんなこと知ってた?」

「それは・・・知ってる。けど、こっちのことはまだ、ようわからんのや・・・」

そこには、何の力みも飾りもないユウキがいる。人間は弱いもので、つい自分を飾り立て、見栄を張りたくなる。私なんか今でもそうだし、中・高校時代のユウキもそうだった。しかし、一番素敵なのは、素直な自分を持ち、前へ進んでいく人だと思う。そんな人は、本当に一番強い。

ユウキは強くなろうと、自分を飾っていた。確かに、ヨロイ・カブトが必要なこともある。しかし心を強くするには、飾りはない方がいい。この子はそんなことを少し知った。だから、「ここまでは知ってる。けど、その先はわからん」と、素直に言えた。
8年も見ていたのに、私がユウキにしてやれたのはそれだけだが、今のこの子を、私は自慢している。