2000 ドラマ @

卓球がしたくて  (ケンイチロウ の場合)

1 出会い

ドタドタドタ・・・小4の算数の授業だ。早く来たケンイチロウを待たせていたのだが・・・見るとテーブルのまわりをぐるぐる走っている。

「何してんの?」

「暇やし、走ってんねん!」

そんな子だった。何もせず、じっとしていることなど出来ない。何かをしていないと気が済まないのだ。短時間で興味があちらこちらへ移り、まわりのことなどてんで気にしない。学校の授業参観で、父が来ていても関係なし。

「先生の話など、5分と聞いていない。紙で何かを作ったり、机の角でなにやら遊んでみたり・・・」

しかし人に迷惑をかけるわけでもなく、すでに「大物」だったのかもしれない。
工作をしたり、黒板に立ったりと、身体を良く動かすシュタイナー教室は、そんなケンイチロウには合っていたようだ。ノートなど取らなくてすむ。だから筆箱など持ってこない・・・いや、筆箱などとっくに無かったのかもしれない。ケンイチロウが持ってきた大きな布の鞄には、テキスト・スケッチブック・ルーズリーフ・色鉛筆だけが入れっぱなしになっているだけで、「どこで拾った?」と言いたくなるような、チビた鉛筆一本と消しゴムのかけらはポケットから取り出し、たいていテーブルの上に忘れて帰ったから・・・筆箱もどこかに忘れ去られていたのだろう。
だからといって、勉強が出来ない訳ではなかった。一発の集中力と理解度の深さは、当時からかなりのものであり、漢字など驚くほどよく知っていた。習字をやっていたからだろう。後に知ったが、子ども向けの歴史本なども良く読んでいたようだ。
つり・トランプ・ウノ・遊び歩き・・・興味が移り変わると言うより、ケンイチロウにとってはやりたいことだらけであり、一カ所にじっとしておれなかったのだ。そしてさらに、一つ一つに対する集中力が高かった。
私は算数・数学もまた、この子の中で、それらのものと同じ位置に置くことを心がけた。けっして点数で評価されない、ただの興味の対象としての算数。つりやウノと同じ価値の数学。
やがていつか、数学を点取りにも利用しなくてはならない日が来るだろう。それは今の世が言うほど悪いことばかりではない。点取りに利用すること自体は、別に悪いことではない。ただ、その時が来るまでは、なるべく長くウノと同じように遊べる数学にしておきたい。この子の場合、たまたまそれが理想的に進められた。

2 中学へ

昔からケンイチロウを知る人が言う。

「ケンちゃんは小学校の時からずっと一番で、有名私立中・高校へ行くものとばかり思っていた」

これはよくある錯覚の一つで、高3のこの子を見て勝手に過去をイメージしてしまっている。小5、小6と、ケンイチロウの最大の関心事は「池での釣り」であり、点取りや進学になど興味すらなく、そもそも私がそんな指導をしていないのだから、一番などであるはずがない。内申の平均も、おそらく4にすら達しておらず、有名私立など受けても落ちていただろう。そんなことは平気だった。そんなもので測れない「大きなもの」を、私はこの子の中に育てようとしており、ケンイチロウも当然のように公立中へと進んでいった。
中学でも関心が「釣り」から「卓球」へと移っただけで、ほとんど変わらなかった。なにしろ中間・期末テストを楽しみにする。何で?テストの間は午前中で家へ帰ることが出来、昼からずっと卓球が出来るからだ。「明日のテストのための勉強」こそ特にはしなかったが、普段少しは勉強もした。数学でも、

「これ、どうすんの?し〜方がわかったらな〜」

aをbで割って・・・なんてことを聞きたがるが、

「考え方はこうや。し〜方なんかお前が考えることや」

そんなことを繰り返しながらも、その理解と方向性は少しずつ良くなっていった。

どんどん卓球にのめり込んだので勉強量は多くはなく、パッとしない成績も、3年からは高校受験も考えたのか、いくつかは「5」も見られるようになった。それは数学力に良く出ていた。バラバラな知識を自分で拾い、組み立てる能力が大きく育っている。よって「どうすんの」と聞くことはなくなっており、せいぜい「何でこれではあかんの?」くらいだった。少し形は違うが、昨年の福島千尋と同等の数学の才に育っていたが、その時そのことを知っていたのは私だけであり、少なくとも、全体の成績で目立つ生徒ではなかった。そして、近くで卓球部のあるところへと、地元の公立高校へと進んでいった。

3 高校にて

高校への進学を決めた春休み。卓球の練習を終えて帰る私の車の中に、やはり練習に来ていたケンイチロウも乗っていた。
かつて私は日本卓球協会の公認コーチでもあった。中・高校生など、一目で「もの」になるかどうかわかってしまう。ケンイチロウはどうかというと、身体的にはまったく「もの」にはならない。しかしこの子は心から卓球が好きだ・・・私は初めてこの子に勉強しろと言った。卓球の勉強ではない。数学や英語のことだ。

「卓球のことなど考えなくても、肉体と感覚の才能だけで勝っているやつはたくさんいる。ただ練習するだけでは、お前は奴らに絶対勝てない。しかしスポーツとは、肉体を借りて頭脳を競うもの。・・・お前は頭で勝つしかない。勉強しろ。その勉強が、ただの点取りのためのものなら、それは、お前の卓球には何もしてくれない。その奥に流れるものを見に行くような勉強が出来れば、卓球も強くなるし、感覚のみでやっているやつより、『卓球そのもの』にお前は、より迫れるだろう・・・卓球の練習を3時間したなら、勉強も3時間しろ。勉強したくないなら、卓球もするな。『観』を創り上げられるような卓球を、お前はやらなくてはならない・・・」

およそ「教育的」なことを、私がケンイチロウに「言葉」で伝えたのは、9年間でこの時だけであった。

卓球と勉強を同じだけやる。ケンイチロウは忠実にそれを守った。なかなか出来ることではない。教室へは週2度、数学だけやって来るのが精一杯。他の教科は自分でやるから、学校の授業に集中し、教科書を徹底的にやるしかない。それだけしか時間が取れなかった。だからこの子は、学校以外の参考書や問題集など一つも持たなかった・・・
時間だって簡単に取れたわけではない。どうしても疲れたときには先に寝てしまい、朝4時に起きて、学校へ行くまでに勉強することもあったようだ。
卓球と勉強だけ・・・「ゆとり」を持って様々な体験など一つもない。この子はそんな中で、なんと多くの「生きていく知恵」を学び、「生きていく土台」を固めていったことだろう。おそらくまだこの子自身は実感していないだろうが、私にはそれがこの子の内に見えていた。
シングルこそそれほど勝てなかったが、団体は京都でベスト4。ダブルスは近畿大会まで進んだ。この成績は、この子の卓球の才能・能力を超えており、明らかに努力と学びの成果だ。
数学もものすごく伸びた。企画・構成・類推・スピード・バランス・パワー・・・シュタイナー教室の15年の歴史の中でも、総合的な数学力はトップクラスである。高3になろうとする春休み、私は言った。

「来年は京大で卓球するか?」

「え!・・・まだ大学なんて考えたこと無かったし・・・そんなとこ行けるとも思えんし・・・」

「い〜や!俺は十分行けると思う。国・公立大学大会ならお前の卓球でも対抗できるし、い・い・ぞ〜」

卓球が終了した8月からは、物理も英語も教室へ来させた。そして11月の京大模試で「A」判定を出し、ケンイチロウも腹を決めた。が、しかし・・・なんとセンターテストの国語でマーク箇所をずらす!と言うミスをしてしまい、かなりの点数を失ってしまった。
その大学が100人取るとすると、100番目の子の得点をボーダー得点という。ケンイチロウはボーダーから、前期で−10点、後期−40点となった。後期はかなり厳しい。しかし腹は決まっている。

「はい、前・後期共受けます!」

私も前期で決まると思っていた。事実、私大などほいほい合格してきて、プレッシャーなど無いかのように見えた・・・だが、やはりプレッシャーはあったようだ。
前期は数学・物理が「誰も出来ない」レベルの難しさであり、いつものように点を稼ぐことが出来なかった。そのせいか、出来たと思った化学も、後で見直すと計算ミスばかりだったようだ。思いもしなかった失敗・・・発表日、ケンイチロウは悔しくて眠れなかった。

「悠貴は逆転したぞ。お前もがんばれ!」

そんな声をかけるくらいしか、私にはもう何もしてやれない。・・・後期もまた、数学に苦しめられた。

「もう・・・来年にしようか・・・嫌だ、今年で決めるんだ・・・」

数学の二時間半、頭の中はぐるぐる回っていたという。化学の計算ミスは無かったらしい。

後期発表日。12時発表なのに、1時半になっても電話は鳴らない・・・会社で待つケンイチロウの父も、教室で待つ私も、生きた心地がしていない・・・電話が鳴った!

「あった!ありました!うひゃはは〜」

ケンイチロウがこんなに伸びた原因の一つに、小・中学時代、疲れるような勉強をさせなかったことがあると思われる。無論すべての子がそうだとは言わないが、基本的には「大切なことを少しずつ」でよいと思う。そんな中で、時にはガ〜っと練習することも必要なんだと理解させてゆく。この子の場合そんなことが、たまたまうまくいった。
必要なものだけを与え、後はその子の中で発酵するのをじっと待つ・・・やがてその子が自分の足で歩いていくのを期待しながら、じっと待つ。ちょっとくらいの失敗は大目に見てやろう。しかし「これ以上はダメ!」という枠は持っていてやろう・・・教育とは、教師とはそんなもの。一般に期待されるような、ものすごいことなど、出来ない。
ケンイチロウは、そんな私の教育観の申し子といえる。一般の進学校・進学塾のテストづけ、大量のテキストを見事に否定している。何でもかんでも自由に、好きなように・・・も、見事に否定している。
「家庭環境が良かったんだろう」って? 16才、8才、4才、1才の弟や妹が、ギターやベースを弾いている、ドタドタ走っている、泣いている・・・

今あるものの中で考え、出来ることをやる。夢も希望も持っているが、妄想は持たない。この子は私の教育観の申し子。

「こうしなければ、こんな中学・高校へ行かなければ、これくらいお金をかけなければ・・・」

そんな世間の「常識」を、小気味いいくらいに、否定している・・・