1999 ドラマ @
大地の才 (ユカの場合)
1 出会い
下唇の端っこを噛み、こめかみの血管が浮き出るほどに緊張し、コチンコチンになって座っている。黒板に立てば、ロボットのように動きがぎこちない。初めて塾へ来たという以上の緊張だが、その理由は、私はまだ知らなかった。6年前、中学一年になろうとするユカの、1回目の数学の授業であった。
2〜3回目には、シュタイナー教室は「考える場」であり、ビシビシやらされる恐いところではないことを肌で感じたようだ。それはユカの性質には合っていたらしく、すっかりリラックスし、楽しげに考え、解くようになり、時には騒がしくなるほどだった。
そんな頃、黒板に図を描き、「う〜ん、う〜ん」と考えている。背中から少しアドバイスすると、パン!と手をたたき、
「分かった、分かった!分かるって楽しいな!」
何ともうれしそうな、花のような笑顔は忘れられない。その様子に私は感動しており、
「もっと分からせてやろう。この子達をもっと育てよう」
と、強く感じていた。
勤勉な子であり、「理解」へ向けて良く歩き、誰からも「良くできる子」と思われて当然であった。しかしユカの本質が「鈍」であることを、中2の半ばには私だけが知っていた。
この子の上に知識を落としても、吸収の速さを言えば、並以下であった。水たまりとなって表面に浮く。しかしその水たまりは決して蒸発はせず、翌週にはすべて体内に吸収された。
これは語る以上にやっかいな作業だ。一つ一つを確認し、吸収する・・・これはユカの持っていた唯一の、しかし、とても大きな才能であった。
ユカのような子を潰してしまうのは、実は簡単だ。一つ一つの問題の解き方だけを教えるか、この子の吸収力以上のスピードで、公式や単語を頭へ詰め込んでやればいい。中学時代の内は最高得点を取り、有名私立校へ入学するだろう。・・・何がいけないのか?すべての進学塾がやり、たいていの親が望むことではないか。
この子をそのように育てれば、高校以後どんどん理解力は落ちてゆき、何も分からなくなるだろう。要領よく量を質に変える才など、ユカにはなかった。一つ一つをどれほど丁寧にやっても、それがバラバラである限り、この子の「内面」には何も起こらない。それらがどのようにつながり関係しているのか、「底を流れるもの」を示してやらねば、この子は育たない。情緒が子どものままで、知性のみ早熟にしてしまうことはまったく良くない。たいてい後にダメージを受け、最悪その子は崩壊するだろう。私は最大の注意を払わねばならなかった。
「公式」や「単語」的なものは徹底して与えず、「体系」の中でそれらが引き出される作業だけを与えた。ゆっくりであり、量も多くなかったとはいえ、ある面それは、詰め込み教育より面倒でしんどい作業だ。教師にとっても、生徒にとっても・・・
しかしユカの才はその方向性と良く合い、見えてくる「理解」をとても喜んだ。
もう一つ私が注意したのが、「教科のバランス」と「やりすぎ」であった。バランスは申し分なかったが、中3の時、3冊もやっていると言う社会の問題集を少なくさせようとして失敗した。
「疲れてしまうぞ。せめて2冊にしろ」
ユカは首を振る。
「これくらいやらんと、分からんようになるのが恐い・・・」
この恐怖心の原因を私は、中1のユカの弟から聞いて知っていた。
「お姉ちゃん、京都教育大付属の中学、落ちよってん」
「ユカが?それはくじ引きで落ちたのでは・・・」
「ちがう。『ちゃんと』試験で落ちた」
受験失敗。それをきっかけに、非行へ走る子も少なくない。ユカも無意識の中で、そのダメージを心の中にもっていた。
しかし中学の3年間、この子は自分の内なる心の大地を本当に良く耕してきた。このような子を進ませる高校には、同じく大地のような教育内容をもったところがよい。それは・・・莵道高校ではない・・・有名私立でもない、やはり京教がぴったりであった。
一度落ちたところをまた受ける。気の小さいユカなら恐怖心は最大となり、受験などさせるべきでなかったかもしれない。また落ちたら・・・しかし私はそんなことはまったく考えておらず、過去問をやっても、
「これは高校過程の問題だから、解かなくていい。・・・これもいらない・・・」
と、2割りほど削ってしまった。受験には不利・・・と言うより、無謀であろう。しかしその時点でユカに高校の公式を与えることは、この子の唯一の、大地のような才を汚すようで、私には出来ず、中学のことしか知らないままユカは試験を受けた。
試験当日、帰ってきたユカは、
「全然出来なかった・・・」
と言うや、自分の部屋へ走っていき、ふとんに潜り込んで寝てしまったらしい。電話でおろおろする母に、
「ユカに出来なかったら、他の子はマイナスの点を取ってますよ。ま、発表まで待ちましょ・・・」
今思えば私の、何て脳天気なことだろう。恐ろしい受験をやらせたものだ。
一週間後、外で声がするので出てみると、コートを着たユカがニッコリと立っている。どうやら3年前の敵は取れたようだ・・・
2 高校にて
高校入学後すぐ、母が進路相談にやってきた。
「ユカは化学の実験が好きで、薬学系へ進みたいようです。でも・・・国公立で薬学があるのは、近畿では京大と阪大だけなんですね」
『ゲ!そ、そうだったっけ?』
「あの子に、そんなとこ行けるでしょうか・・・」
返事に詰まってしまった。それならば数Vと物理まで必要になる。負担が大きすぎないか・・・また、ユカの持つ「大地の才」とは、理解・吸収する才(一般に才能とも思われないもの)であり、例えば京大の数学など、理解の上に立って、さらに新しいものを創る才(一般に思われている才)を求められる。それはユカとは異質の才だ・・・
「大変だけど・・・どうなるか私にも分からないけど・・・その方向へユカと歩いてみますよ・・・」
高校生活は私の理想通りにスタートした。必要で深い知識を、比較的ゆっくりとユカに与えてくれる。私はタイミングと質・量に注意し、不足分を足してやるだけで良かった。
英語など、中3時のユカの話をヒントにした。
「ユカのお母さんは英語が出来るし、教えてもらえるやろ?」
「この頃教えてくれへん。質問しても、奥から古〜い参考書をもってきて、『読んどき〜』で終わり・・・」
私は真似をした。英作文問題集の2冊を持たせ、
「やっとき〜。添削は高校の先生にしてもらい〜」
笑ってしまうが、この子の才をさらに伸ばすにはこの方法がベストであった。やれることは自分でやる。ユカの才は、もうそれが出来るレベルにまで育っていた。また、他の教科もどんどん高校の教師に質問させ、利用させた。これはかつて私もやったことだが、相手は専門家であり、目をかけて育ててくれるし、何よりタダである。こんなに良いことを、なぜ一般の生徒はしないのだろう・・・
私がこの頃ユカにしてやれたことは、理数の要点のチェックと、全体的な方向性の修正くらいであり、後は「ほったらかし」であった。その中でこの子は自ら情報を集め、整理し、文字通りすくすくと育っていった。どれほど充実していたかは、その言葉で分かる。
「いつの間にか・・・あっという間に、高3になってしまった・・・」
3 受験騒動
高3になれば受験も考えてやらねばならない。ユカの良さは、なんと言ってもバランスの良さだ。センターテストレベルならば、どの教科も高得点となるだろう。それは何の心配もいらない。しかし2次テストを考えれば、高度な読解力・表現力・創造性を要求され、逆に、突出して決め手となる教科もなかった。
ならば方向はわかりやすい。この子の良さを分かってもらうには、なるべく2次教科数の多い大学がよい。それは・・・やはり京大であった。前期は京大。後期は、ほとんどセンターテストで決まってしまう阪大、きっとその方向がベストの選択となるだろう。
最大の不安が・・・数学であった。京大は日本一高度な創造性を求められる。
ところで創造性とは、言葉を換えれば、遊び心・不良性である。それは下手をすれば崩壊の危険も含まれており、ユカは本能的にそれには近づかない。
最近の塾はどこも「創造性を身につけさせる」「創造性を教える」と、いとも簡単に言うが、いったい何をどう教えるのだろう。不良をいっぱい作るとでも言うのだろうか?
創造性はその子の内から「発生」するものであり、そのあり方は様々で、とても教えて出来るものではない。
「才」の方向性が異なるユカに対し、数学的な創造性すら「理解」させる方法を私はとった。京大だけでなく、多くの過去問に問われたテクニックや思想に触れさせ、パターン的に整理・理解させようとしたのだ。
タダの物真似ではないかと言われれば、その通りだ。しかし、そのあり方すら「理解」するのはユカの「大地の才」あってこそのものであり、不良性など一つも持たぬこの子には、他の方法など無かった。
初めからそんなことがやれたわけではなかった。春から秋までは、他の子と同じ様に基本の確認であった。そのせいか、夏の京大模試では一問も手がつかなくて、ユカはかなり焦った。
「心配ない。どうせ難問・奇問ばかり集めているはずだから・・・そんなもの解けなくても、お前の良さは大学へ伝わるから・・・」
秋から過去問の研究を始めた。まず自分で考えさせ、後で私の解答と問題集の解説を与え、比較・検討させた。3通りの見方をさせ、問いかけへの迫り方を「理解」させていったのである。
全教科にその様な進め方をしたので、ものすごい勉強量になったが、ユカはしっかりこなしてゆき、確実に厚みを増していった。数学・物理の表現力も上達を見せ、私は今更ながらにユカの才の大きさに驚き、冬の初めには合格を確信していた。
センターテストの判定は「B」で、まずまずだった。しかし京大の場合ほとんど2次一発で決まってしまうため、まったく気は抜けなかった。最後の調整に入る・・・ユカは極限状態にあったが、私もまた肩で息をしていた。
すべてのテストを終え、当初は手応えを感じたようだったが、思い出すほどに不安が募り、発表前にはやつれた顔をして、
「発表会場まで、たどり着けんかも知れん・・・」
と言う。よっぽどついて行ってやろうかと思ったが、高校入試の時を思い出した。あの時も放っておいたっけ。
発表は12時から・・・12時1分に電話が鳴った。
「先生!あった・・・ありました。・・ありがとう・・・」
後の方は涙声であった。
テスト前、ユカはよく言っていた。
「こんなところまで、私なんかが良く来れたものやわ・・・」
6年間、その一歩一歩を見せてくれた。
「分かるってたのしい!」
あの、花のような笑顔を見てからずっと、私はこの子のファンだったのかもしれない。
これまでもこれからも、様々な「個性」と「才」に私は出会う。しかし、これほど大きな「大地の才」に私はこの次、いったいいつ出会えるのだろう・・・おめでとう、ユカ。