1997 ドラマ B

支えるもの  (サヤカ の場合)



チビで痩せたサヤカがやって来たのは、中2になろうとする4月。隣の子がジョークを言っても、にこりともしない。真剣に話を聞き、考えるその顔には「決意」が見えた。そう、決意があったのだ。

中1の終わりの頃、勉強に困り始めたサヤカは母に言った。

「せめて高校へは行きたい。そして、もし私に力があるなら、短大へでも行かせてほしい。それは私一人ではダメみたい・・・塾へ行かせて下さい、勉強します」

母はシュタイナー教室を選び、この話を聞いた私はすでに満員のクラスにも係わらず、即座にこの子の受け入れを決めたのだった。

中2から中3にかけて、乾いた砂にまく水のように、知識はサヤカの身体の中へ染みこんでいった。そして、この子の器は一杯になった。中学生としてはもう十分だ。今後は器そのものを大きくするために、問いかけに対し、もう少し深い思考をさせよう。そうすればこの子の中で、まだ小さくてもキラリと光るものがその輝きを増すだろう・・・

ところが、それが難しい。「暗記」から先へは進めず、サヤカは表面的なものばかり追い始めていた。点取りを焦り、見えていなかった自分の非力さに気がついたのか、ちょっと立ち止まって振り返ればよいものを、先ばかりを気にしてもがき始めていたのだ。

「今のお前に必要なものは、点取りではないぞ!」

何度も言うのだが、高校受験が迫っており、サヤカの耳には届いてはいなかった・・・

文系進学コースへ進路を決めたサヤカは、高校からは数学だけ教室に来ると言い出した。・・・間違っていた。この子の弱点は、知識を丸ごと取り込みすぎることにあった。どんどん取り込むのだが、整理(理解)する力がまだ弱かった。それを正すものは、私の数学よりも、小林の英語であった。

英語も来いと、断固と言ってやるべきだったかもしれない。しかし私はこの子に、心の旅をさせようと思った。他の塾の英語にも触れさせよう。人との出会いの意味が分かるよう、数学では厳しく躾よう・・・

あまりうまくはいかなかった。サヤカはよく勉強したが、それは力が入りすぎており、楽しむ余裕など無かった。それでは整理する力は出てこない。

そのことはサヤカも感じており、辛そうで、高3になる頃には少々やけになっていた。

私はますます厳しくなっており、もう「いじめ」ていたのかもしれない。私の方が辛かったのだ。

『何故、大切なところになると目をそらすのか。あと一歩なのに・・・何故ヘラヘラ笑う?この教室へ来た頃のお前は、そんな笑い方はしなかった。あのころの輝きは、もう戻らないのか。このまま潰れてしまうのか・・・

俺は力になってやれないのかな。ただ見ているだけしかできないのか・・・なんて能なしなのだろう』

私自身の苦しさなのに、ついサヤカに辛く当たる。「しっかりしろ!」と怒鳴り、解けるまで帰れなくて、黒板の前で泣かせてしまったこともあった・・・

夏の終わりの頃、気がつくと、サヤカはヘラヘラ笑わなくなっていた。雑談もせず、まっすぐ黒板を見ている。そんなある日、私に言った。

「この2年、懸命に英語の勉強をしてきました。・・・どうやら私は何か一つ、大切なものが分かっていないようです。でも、それが何なのかが、ついに分かりません。点も取れない。どうすれば・・・」

『大切な何かが見つからない』

それに気がつけば、それはもう「わかった」のだ。サヤカは5年もかけて、ようやくそのことを知った。ここまで来ればもう、この子の探し物は、受験勉強の中にはないだろう。私はこの子を小林の元へ返した・・・

冬が来て、センターテスト対策をやる。サヤカは、たまに高い点も取るようになった。

「まぐれもありますね。カンで書いているところもありますから」

なんとも冷静に分析できるようになっている。たかがテストなど、点を取ればいいのだから、カンでも良い。この子の場合「ヤマカン」ではなく、少しレベルの高いものになっていた。

サヤカが冷静でおれなくなったのは、センターテスト後であった。合計80%という、今まで無かった高得点を取ってしまい、それは・・・サヤカが密かにあこがれていた京都府立大のボーダーだったのだ。

かつては「短大へでも・・・」と言っていたサヤカだ、行けるものなら行きたい。しかし府立大の住居科の入試は英語と美術であり、サヤカにはどちらも自信がなかった。また、これを失敗すると浪人の可能性が大きかった。大学のランクを下げることも考えたが、この子の人間的成長と完成度を振り返り、府立大を薦めた・・・

サヤカはたった2週間ではあるが、絵の先生にもついてもらい、入試へ出かけていった。

英語は・・・半分ほどしか書けず、しかも「その半分ほどがカン」だった。絵は・・・「周りの人のを見たら、さっさと帰りたくなった」らしい・・・自信のカケラも無かったのに、発表は自分の足で見に行った・・・

帰ってきたサヤカを見たクラスメートが言う。

「サヤちゃんは喜びをあまり表に出さない子。あんなにうれしそうなあの子を初めて見た。足が地について無くて・・・」

これがサヤカの5年であった・・・

中2の時に見せた輝きは、一度消え、高3で再び輝いた。今度は消えにくいであろう。まだ不器用で非力ではあっても、サヤカはその輝きを自分で支えることを憶えたからだ。そうし向けることが私の仕事であり、もっとうまく支えられるようにするのは、これからのサヤカの仕事だ。

「支えるもの」それを「観」と言ってもいいだろう。