2001年 第3回 出会い (夏)


「 ろう学校の窓から 」 読書会の報告



 今回は学生も参加をと考え、 土曜日とし、 5月12日〜7月7日までの9回、 出難い曜日にもかかわらず、 10名のもとで読み進めました。

 京都府立ろう学校の教師として40年ほども勤めた 伊東 しゅん祐 さんの著書 「 ろう学校の窓から 」 は4章になっており、 3章まで読みました。

 1章では、 ろう者に対する偏見・差別の多くの事例と、 生まれながらにろうであるとはどういうことかの話。 実際に目の前で見て係わった話は、 我々の想像をはるかに超え、 見落としていた事、 知らなかった事など、 多くを考え、 語り合えました。

 2・3章は 「 ろう学校ぐらし 」 と 「 ろう教育の創造 」 。 音のないろう児にとって、 「 言葉を知ること 」 は大きな壁であり、 早期 ( 2〜3歳 ) に教育を開始しなければ、 例えば小学1年 ( 6〜7歳 ) から始めても、 その全体的な知能は9歳程度で止まってしまうという。 もっと大きな 「 9歳の壁 」 になってしまうのです。 言葉の持つ意味の大きさを考えさせられます。 その壁を打ち破らんと、 手話・口話 ( くちびる読み ) 教育に向かう教師。 しかしそれは同時に、 幼児にかなりの無理を強いることでもあり、 教師が耐えていた心の痛みはいかほどであったでしょうか・・・・。

 しかし、 その痛みはまだ、 ほんの始まりにすぎません。 一般にろう児は、 10歳で自分の耳の不自由に気づき、 中学3年の頃精神的に動揺し、 決定的な打撃を受けるのは就職後の対社会的・対人的な関係においてであるという。 親からも、 先生からも、 社会からも、 「 拒絶されているのだ 」 という漠然とした不安を抱え、 その思考や行動は、 耳の聞こえるものらにはまったく無理解のまま、 どこかに閉じ込められてしまうという。

 そんな教え子の姿を見続けた教師は、 何の希望を持って、 次の生徒に向かったのでしょうか。 しかしやがて、 教師たちは気づくのです。 その方向性の誤りに。 この子達には 「 生きること 」 こそ教えねばならない。 「 生きる力 」 こそ与えねばならない。 そしてそれを、 社会に訴え続けねばならないと・・・・。 それがあった上での言葉であり、 教育なのです。 その後ろう教育は、 まだ多くの問題を抱えてはいても、 大きく発展してゆきました。

 私にはこれらのことが、 「 ろう児に限る 」 とは、 どうしても思えないのです。 「 9歳の壁 」 に象徴される事は、 今の 小・中・高校生、 いや、 大人の中にも、 いたるところに見られます。

 希望・絶望・喜び・怒り・楽しさ・苦しみ、 それらは 「 いのちのゆらめき 」 です。 それらを受け止めるだけの 「 強い いのち 」 を、 生徒に与えねばなりません。 そんな 「 いのちの素 ( もと ) 」 は、 自然科学や語学の中にもあると信じ、 それに光を当てようとし続けています。 それが私の教育観なのです。

 そんな重たいものを、 楽しく・明るく・時にはあっけらかんと、 私と共に考えてくださった、 松尾さん・安居さん・西村さん・村上さん・小川さん・近藤さん、 そして矢部・三谷・清水・上野 の皆さん・・・・ 本当にありがとうございました