夢の桟
空はどこまでも高く、飛行機の軌跡が真っ青なキャンバスに白のコントラストを残す。
吹き抜ける風は穏やかで、木々に微かな波紋を広げていく。
季節は夏――
蝉の声とアスファルトの照り返しで眩暈がしそうだ。
『青学ーっ、ファイっ、オー!!』
コートに掛け声が響きわたる。
青春学園中等部男子テニス部は全国大会出場を決め、今まで以上に練習に気合が入っていた。
手塚部長が試合で負傷した肩の治療の為に発ち、残った部員一同一丸となって戻るまでの部を支えようとしている。
もちろん自分もその一片を担いたいと思う。
それなのになぜだろう
思いとは反して
一声出すごとに体力が削れて行く感覚――
『あと10週っ!』
頭に酸素がまわっていないのか、どれだけ走ったのかわからない。
硬いはずのコンクリートに足が沈む。
夏の陽射しに眩しいはずのコートが、暗い・・・?
「・・・っ、おい?!」
身体が鉛のように重い・・・
「まだ・・・・・・は戻らないか?」
声、が聞こえる・・・
「また無理したんだね。焦らなくっても・・・・・・なのに」
何を、言っているのだろう・・・
額に冷たいものが触れる。
「ホント、こいつ馬鹿だよな」
ため息をつくような、それでいて優しい声音。
「まったく、そういう事言わない☆桃がからかうからが無茶したんじゃないの?」
「濡れ衣っスよ~」
泣きそうな桃城の声。
「・・・阿呆が・・・」
海堂の声まで聞こえる。
なんだ――?
ホントは動かしたくない気がしたけど、重い瞼を開けてみる。
目に映るのは見慣れた天井。
部室に自分が横になっている事に気付いた。
「・・・・・・っ」
焦って起き上がろうとしたら吐き気と頭痛が襲ってきた。
口元を手で押さえてそのまま固まる。
「おい、いきなり起きる馬鹿がいるか」
声のした方に視線を動かすと大石先輩が呆れたような、でもほっとしたような表情で俺の背中をさすってくれていた。
「お前、ランニング中に倒れたんだぞ。憶えてるか?」
声を出すと吐きそうだったので黙って頷く。
「貧血と熱射病だと思うけど、しばらく休んで気分が治らなかったら保健室に行った方が良いよ」
乾先輩が水を注いだコップを渡してくれる。
何とか受け取るが、腕が自分のものとは思えないほどに重い。
しかしこれ以上迷惑をかけるのも憚られる。周りを見ればレギュラーの数人が部室の中にいるのだ。
ゆっくり息を吸って声を出す。
「ご心配おかけしました。少し休ませてもらったら自分も練習に戻ります。すいませんでした」
かろうじて口元に笑みを浮かべる事には成功した。
皆頑張っているんだから自分がこんなとこで立ち止まってはいられない。同じ2年でありながらレギュラーに入っている桃城と海堂との差は開くばかりだ。
「ごめん、大石。僕もちょっと気分悪いんで休んでから行くね」
そう言って不二先輩が上着を脱ぎながらイスに座る。
「そうか。それじゃ二人とも休んでから戻ってきてくれ。無理はしないでくれよ」
大石先輩がそう言うと、皆次々に部室からコートへ出て行く。
俺の背中や頭を軽く叩いて――
皆のこういう時の押し付けない優しさが
どうしようもなく羨ましくなる。
自分はいつまでも追いつけないで、その背中を眺めてばかりだ。
部室に残った不二先輩は窓からコートの方を眺めていた。
居心地が悪いというわけではないが、何となく落ち着かない。
不二先輩はいつも穏やかで、人当たりの良い先輩だと思う。
ただ、苦手というわけではないが何を話したら良いのか見えない先輩ではあった。
「それぞれの個性ってあるよね。桃なら跳躍力とか、海堂なら持久力とか・・・」
不二先輩はそこで言葉を区切った。俺はかけられた声に一瞬戸惑う。
一体何が言いたいのだろう?
そして思う。
俺には・・・俺にも何か『これ』と言えるものがあるだろうか。
桃城は2年だけでなく、3年生と比べてもひけをとらない跳躍力を持ち、身体バランスも秀でている。
最近はダブルスの経験を積んで、時にはゲームメイクをする事すらあった。
海堂は日々培ってきた持久力と、どんな状況でも諦めない精神力を持っている。
そして自分の特徴を生かしたテニスをし、勝利の女神を努力で振り向かせる事のできる、まさに『努力の天才』だと思う。
俺に、あいつらみたいに胸を張れる何かがあるだろうか?
「はね、テニスセンスがすごいと思うよ」
不二先輩はそう言って俺をみた。
一瞬、その言葉をどうとったら良いのか迷う。
『すごい』という言葉は程度が普通と違う事を意味するが・・・
「言っておくけど悪い意味じゃないからね。『良い』って事だよ?」
苦笑しながら説明してくれた。
俺って考えてる事がそんなに顔に出るんだろうか?
複雑な気持ちで、不二先輩の言葉を受け取る。
しかし、素直にその言葉を信じる気にはなれなかった。
テニスセンスが『良い』なら、今自分が感じている焦りは何だというのだろう。
2月頃の俺なら、少しは信じてみようと思えたかもしれない。
しかし、ここ数ヶ月はいくら練習しても上達しているとは言えなかった。
努力すればするほど、泥沼にはまって行く感覚。
今は基本のフォームすら自信が持てない。
「は今学期に入ってから調子悪いと感じてない?」
先輩の言葉で、周りに気づかれる程ひどい状況だったという事に気付く。
今さら落ち込むのも馬鹿っぽいと感じながら、確かにそう思っていたので頷いた。
「あのさ、は4月の身体測定で身長いくつだった?」
「へ?」
もう俺は不二先輩の話について行けなくなっていた。
話の流れが全然見えない。
もとから不思議な人だとは思っていたが・・・
「だからね、身長いくつって聞いてるんだけど?」
「えっと・・・158cmだったと思うっス・・・」
不二先輩は、『やっぱりね』と頷いている。
すいません、ごめんなさい、俺には何が何だかさっぱりです・・・
「は、今年に入ってからかなり身長が伸びているんだよ。最近僕とほとんど目線が変わらないの気がついてた?」
言われてみればそんな気が・・・
黙ったまま表情だけで伝える。
「乾が一時そうだったんだけどね、急激に身長が伸びすぎて、感覚の方が追いついて来れないんだ。だから、自分の感じているものと、実際のギャップがわずかにあるんだよ。」
今は部内で一番身長の高い乾先輩だが、入学した頃はかなり身長が低かったと聞いた事を思い出した。
「テニスってほんのわずかな違いでも大きく響くよね。それで一時乾が苦労してた。最近の君を見て、乾と同じだなって思った」
不二先輩の言葉を”そうなのかもしれない”と素直に納得している自分がいて、でも別の所でどうしても納得できない、したくない自分がいた。
不二先輩はきっと自分を慰めて、励まそうとしてくれているんだと思う。
俺がいくら練習しても上達しなくって、煮詰まっていたから。
先輩の気持ちは嬉しい。
こんな自分のために隣に座って言葉を費やしてくれるなんて、身に余る。
それなのに、優しい上級生の言葉を有難いと思いながらも、『でも』と思わずにはいられない。
「でも、俺は今強くなりたい。皆と肩を並べて共に闘える力が欲しいんです」
我侭と言われても、これが自分の本音で。
隠したりなんかできなかった。
呆れられると思ったのに、先輩は穏やかな目で自分を見ている。
「はレギュラーになれなかったのが悔しいの?」
不二先輩の言葉を自分なりに考える。
――違う
俺はレギュラーになれなかった事が悔しいんじゃない。
もちろんレギュラーを目指してはいるし、テニスも上手くなりたい。
同じ2年の、桃城や海堂に遅れをとってもたついているのも悔しい。
でもそれ以上に
いくら頑張っても、何が良くって何が悪いのかわからなくって
そうやっているうちに自分のテニスに対する想いが見えなくなってきて
それがつらかった。
めざすテニスが見えなくって、わけがわからないいまま自分に負けそうで
それが悔しい――
「僕は知ってる。君がどんなにテニスを好きなのか」
不二先輩は俺が黙り込んでも、答えを求めなかった。
もしかすると表情で伝わったのかもしれない。
「君は誰よりも楽しそうに練習していた。躓いた時、君のその笑顔に救われた人もきっといたと思う」
そうだっただろうか?
確かに中学に入ってテニスに出会って
生活がテニスを中心に回り始めて。
先輩の言葉にその頃を思う出そうとするが、上手くいかない。
「はきっと自分が信じられないんだよね」
そうなのかもしれない。
「どういしたら良いのかわからない、こうありたいっていう自分がわからない。違う?」
「そう・・・っス」
うな垂れるように頷く。
「それじゃ、どっちに進めば良いのかもわからなくって当たり前だよね。」
不二先輩に言われて、本当にその通りだと思った。
そんな事にも気がつけない程、混乱していた自分に驚く。
まずは今の自分を見て、それからどうありたいか考える
そして自分がそうなれる事を信じなくっちゃいけない
未来を信じる事。そうでありたい自分をイメージする事。
こんなあたり前で、大切な事を忘れて。
この数ヶ月間何をしていたんだろうと呆れてしまう
「苦しい時は、周りどころか自分も見えなくなりやすい」
不二先輩にもそんな時があったのだろうか。
普段の冷静な姿からは想像ができなかった。
「今は迷っているかもしれない。」
「でも君はどんなに苦しくっても答えを求めるのをやめなかった。だから必ず君のテニスを思い出せる」
努力は実る・・・のだろうか
不二先輩の声音は淡々としていて、本当にあたり前の事を話しているような印象を受ける。
「僕の言葉が信じられない?」
「信じたいけど・・・自分に自信がないから難しいっス・・・」
本音で答えた。
きっとこの先輩には言葉だけの虚勢は意味がない。
思っている事が顔に出るなら嘘をつくだけ失礼だろう。
「そっか。今は難しいか」
そう言って一つ頷く。
「それじゃ・・・そうだね・・・」
先輩は頬に手をやり、考えている。
そして人差し指を立てて、何かを思いついた表情で言う。
「11月に、もし僕の言った事が納得できなかったら、何でも一つだけのいう事聞くよ」
「でも・・・」
「だっては今は僕が何言っても納得できないでしょ?でも、僕がそれだけ本気で思ってる事だけは信じて欲しいから」
「・・・そんな約束しても、不二先輩には良い事何もないじゃないっスか」
「大丈夫。絶対なるよ。は僕が何て言われてるか知ってる?」
何て呼ばれてるか・・・?
「天才・・・不二周助・・・」
「その通り。その僕が言ってるんだよ。信じてみない?」
そこまで言ってもらって、これ以上弱音は吐けないと思った。
自分のためにここまで先輩が心を砕いてくれているのだから、自分はそれに応えて行きたい――
「それじゃ不二先輩、もし納得できなかったら・・・」
こんな自分を見守ってくれている先輩に応えられるように
「・・・わさび寿司おごって下さい。もちろん、一緒に食うんスよ?」
自分への戒めであり、誓いとなるように・・・・・・
不二先輩は驚いたように一度俺を見て。
「良いよ。吐くまで食べさせてあげるよ」
悪戯っぽく、楽しそうに言ってくれた。
「ま、君が僕の言った事を納得するのは間違いないからね。残念ながらその希望は叶わないだろうけど」
片目を瞑ってご愁傷様、と不二先輩は微笑む。
それは信頼であり、励ましであるのだろう。
「あ、そうだ。不二先輩が勝ったらどうします?」
賭けとは言われていないが、一方的な約束はどうかと思う。
それならば、賭けとしてしまえば自分も気分的にありがたい。
「賭けにする必要はないよ。最初から答えのわかりきってる賭けは賭けにならないからね」
そうだろうか?
そう言ってもらえるのは嬉しいが、どこまでも一方的過ぎて・・・・・・
「もしがそれでも気にすると言うなら・・・」
不二先輩は一度そこで言葉を区切りロッカーを眺める。
「僕がとこうやって話した事で君が何かを感じたなら、次に青学を引き継ぐ人達にそれを伝えて欲しい。そうやって残されてゆくものってあるんじゃないかな」
不二先輩の目にはもしかすると去年の光景が映っているのかもしれない。
ふと、そんな事を思った。
先輩が俺達を見てくれていたように
自分も後輩を見守って行きたいと思うし、そうあれるよう願う。
きっと、こうやって心を繋いで、夢を繋いで行くのだろう。
――抱えきれない程の想いと、夢を掲げて
「さて、そろそろかな」
不二先輩が部室の時計を見て呟く。
「そろそろ?あ、そうっスね。練習戻らなくっちゃいけないっスね」
俺の事なんかで悠長に話している場合じゃない。
夏は始まったばかりなのだから。
今は先輩の言葉を信じて、少しでも前へ進めるように。
「そういう意味じゃないんだけど、ま、行こうか?」
不二先輩の言葉に首を傾げながらも素直に起き上がる。
まだ少しふらつくか
「やっぱり無理みたいだね。素直に連行されておいで?」
意味がわからない。
「おいっ、!保健室行くぞ!!」
病人にかける声とは思えない勢いで桃城が部室に駆け込んでくる。
お前、その勢いは何だよ。
自然と苦笑いが浮かんでくる。
「阿呆、・・・少し静かにできねぇのか」
海堂まで。
一体何があったんだ?
「何だと、マムシ?!」
「・・・フシュゥ~~」
おいおい・・・ほんとに何しに来たんだ、お前ら。
こいつら、ほんと進歩しないな
呆れながらも、わざわざ心配してきてくれた事に気がついて。
そんなこいつらがやっぱり『仲間』ってやつなんだと思って。
何だかあったかい気持ちになれて
気がついたら胸のもやもやしてたのがどこかになくなっていた。
「それじゃ僕は練習に戻るから。桃と海堂も送ったら戻ってくるんだよ?」
俺達の返事を待たないで不二先輩はグラウンドに戻っていった。
先輩には見えないだろうけど、俺は本気で頭を下げる。
――ありがとうございます。
俺は必ず貴方の言う『自分のテニス』を見つけて
そして――
こいつらと、そして貴方とわさび寿司を食べに行こうと思います。
、14歳。真夏の誓い――
不二先輩ドリーム・・・なのでしょうか?
自分的には2年生逆ハーを目指していたのですが、蓋をあけたらこうなっていました☆
コンセプトは『わさび寿司を食べに行こう』(謎)タカさんが困った顔しながらも握ってくれそうです。
★管理人コメント★
西条誉さまより、またまた嬉しい頂き物をしてしまいました。
まさか、まさか…西条さまよりドリーム小説を頂けるなんて…っ(感涙)!
西条様のイラストも、もちろんとても麗しいのですが、今回の小説の内容の素晴らしさには言葉もありません…。ただひたすら浸るのみ!
そして……お相手は何と不二です!あの天才・不二周助ですよ?!
何というかカッコ良すぎです!犯罪的に素敵です~vvそうとしか言えない!
優しくて後輩思いの素晴らしい先輩である不二に、もうクラクラです!
これでするなと言う方が無理な話だ(爆)!
見守り、理解し、導く……そんな感じの、本当の意味でイイ先輩……うっとりvv
本当にこの話はじんわりと心の底から温かくなります!
光流が一番理想とする先輩・後輩の関係……「人」と「人」との関係です。
本当に本当に!素敵としか表現できない作品をありがとうございました!