強いあの人
「やっぱり遊戯は強いわよね!」
事の発端は杏子のこの一言からだった。
「そうかー?」
本人を目の前にして言うのもなんだとは思ったが、俺はそう切り返した。
正直、杏子の意見には賛同出来なかったからだ。
杏子がどういう意味で強いと言ったのか判らなかったが、俺の目には遊戯――この場合は千年パズルによって宿ったもう一人の人格、数千年前のファラオの魂であり闇の番人としての遊戯を指している――は脆く弱い面も持ち合わせた、ただの一人の人間にしか見えなかった。
「だってそうじゃない。遊戯はどんな過酷な状況でも、決して諦める事無く常に先を、常に前を見てきたわ。そういった強さがあったからこそ遊戯はどんな戦いでも勝ってきたのよ。弱ければその重圧につぶされて負けてしまうもの。」
ね?と言って、杏子はすぐ隣を歩く遊戯の顔を覗き込む。
その顔には僅かに朱がさし、期待で瞳は輝いている。
まるで自分の事のように拳を握り締めて力説するそんな杏子に、遊戯は小さくため息をついてみせた。
「杏子は俺を買いかぶりすぎだ。」
「そんな事ないよ!遊戯は強いって。もっと自信持っていいよ!」
そう言って杏子は己の両手をぎゅっと握り締める。
なるほど、杏子は遊戯の存在そのものが、強い人間だ――と言いたいらしい。
戦い――デュエルの事を持ち出してはいるけれど、杏子が言いたいのは遊戯がいかに真に強く立派な人間なのか……という事なんだろう。
そんな杏子の姿に、俺も遊戯同様小さくため息をつくしかなかった。
恐るべきは恋の力。
今の杏子には、きっと何を言っても無駄だろう。
全ての出来事が、遊戯への恋心というフィルター越しに見えてしまっているとしか思えない。
真剣な表情の杏子には悪いとは思ったが、やはり俺は杏子の言葉に素直に頷く事は出来なかった。
自信を持っていい――その言葉、もう一人の遊戯に向けたものだったなら良かったんだろうけれど。
闇の番人としての遊戯にかけるべき言葉ではなかったと思う。
だって、そうじゃないか?
闇の番人であり失われたファラオの魂を持つ遊戯は、自分の『デュエリストとしての強さ』にはそれなりの自信を持っているし、その確固たる自信の元に戦いをしている。
そんな遊戯に『強いんだから自信を持て』と言うのは、金持ちの人間に『あなたはお金をたくさん持っているから心配せず使っていいのよ』と言っているのと同じじゃないだろうか?
今更言う事でもない、当たり前の事――。
けれど、それと今回の話とは根本が違っていると俺は思った。
この際問題なのは『一人の人としての強さ』だ。
戦いに勝つ事と、己に勝つ事とは、全くの別ものではないだろうか?
俺はどうしても精神的な強さと、戦いに勝ち抜く強さとが同じものに起因するとは思えなかった。
「俺はそうは思えねぇけどな――。」
「何よ?は遊戯が弱いって言うの?!」
キッと視線をきつくして杏子が俺を軽く睨みつける。
自分の愛しい人が弱いなんてありえない……といった顔だ。
「杏子………。」
「だって………。」
たしなめるように苦笑する遊戯に、杏子は微かにうつむく。
その姿に『あばたもえくぼ』、『恋は盲目』とはよく言ったものだと、俺は内心で最大のため息をついた。
「あ!じゃあ俺こっちだから。又明日な遊戯、杏子。」
杏子の勢いにいいかげんうんざりしていた俺は、ちょうど二人との別れ道に差し掛かった事に気付いて、慌てて二人に向かって手を上げた。
遊戯と杏子、それに俺の3人は幼馴染で、本田や城之内達よりも比較的近い所に住んでいる。
いつもこの場所で二人と別れるのが常だった。
「じゃあな!」
俺はこれ以上杏子につつかれるのを恐れて、そそくさとその場を離れた。
「あっ!待ってくれ!!」
「んあ?」
数歩だけ歩いた所で、不意に遊戯に呼び止められる。
その声に俺は歩いていた足を止めて、その場で振り返った。
「俺も今日はそっちから帰る。」
「え?何で?!遊戯、遠回りになっちゃうじゃない!」
予想外の遊戯の言葉に、遊戯と二人きりになれると思っていたのであろう杏子が、不満そうに驚きの声をあげる。
その姿に俺はやれやれと肩をすくめたい気分になった。
もう一人の遊戯と一緒の時は、あっさりと別れるのに、こちらの遊戯とではこうも態度が違うものだろうか?
信じられないといったように遊戯を見つめた視線が、スッと俺に向けられて、俺はその視線の強さにビクッと肩を震わせる。
杏子の、どこか嫉妬の色の混じった瞳。
俺は何度目になるか分らないため息をつきながら、杏子に気付かれないようそっと肩をすくめた。
「と少し話があるんだ。」
「じゃ、じゃあ私もそっちから帰るよ!」
「………悪い、大事な話なんだ………。」
「あ、あたしが居ちゃダメなの?」
「……すまない、杏子。」
食い下がる杏子に静かに答えて、遊戯はすぐ隣に立つ俺を見上げた。
「そう………。」
「じゃあ杏子、ここでな?気を付けて帰れよ?」
何だかその場の雰囲気に居たたまれなくなった俺が先に歩き出したのに気付いて、遊戯が小走りに走りながら振り向きざまにそう声を掛ける。
愛しの遊戯にそこまで言われてしまっては、流石の杏子もそれ以上何も言えないようで、悔しそうに下唇を噛み締めた。
「うん……じゃあ又明日ね、遊戯………。」
そう言って杏子らしくなくトボトボと路地の向こうに消えていく姿は、まるで叱られた子供のようだった。
「……俺の事ですまないな、。杏子も悪気があるわけじゃないんだ……。」
二人きりになって歩き出してから暫くして、それまで無言だった遊戯がポツリと呟くように言葉を漏らす。
その声にすぐ横へ視線を向けると、俯きかげんの遊戯が少し苦しげに眉を寄せている姿が目にとまる。
俺は、その思いもしなかった姿に、思わずその場でピタリと足を止めた。
「あ、いや…別に俺はいいけどさ。でも良かったのかよ?杏子何か落ち込んでたっぽいぜ?」
「ああ…分ってる。でも、どうしてもに聞きたい事があって……。」
更に深く眉を寄せて、遊戯はまっすぐに俺の瞳を見つめてくる。
その強い力を秘めた魔石のような輝きに、俺は小さく息を飲んだ。
「き、聞きたい…事?」
「ああ。……は俺の事を強い人間だとは思わなかったのか?」
ためらいがちではあったが、ハッキリとした声で遊戯がそう問うてくる。
その言葉の意図がいまいちよく解らなくて、俺は首を傾げるしかなかった。
「は?何だよそれ?」
「………そんな事を言ったのはが初めてだから………。」
そこまで言って遊戯は言葉を濁す。
遊戯自身、どう言ったら良いのかつかみかねているといったような、そんな雰囲気に俺はそれ以上かける言葉を失う。
零れた言葉の裏にも更に何かあるような気がして、俺は自分より低い遊戯の強い光を秘めた瞳を静かに見返した。
「さっき……杏子が俺の事を強いと言った時に、はそうは思えないと言っただろう?」
「あ、うん。そうだけど…。」
「俺の事をそう言ったのは…だけだったんだ。だから…聞いてみたくなった……。」
「何を?」
「何故そう思ったのか……かな?」
そこまで言って、遊戯は静かに俺を見上げた。
「皆が俺を強い人間だと言うんだ。本田君も杏子も、そして城之内君も。誰もが強い俺、強い武藤遊戯という風に俺を見るんだ。でも俺は……。」
「自分じゃ強い人間だと思えないって?」
「ああ………。俺は、俺自身が強くは無い事を知っている。俺なんかより相棒の方が何倍も強い。だが、他の皆はそうは思わない……俺は強い俺、強い武藤遊戯でなければ『俺』として認めてもらえないんだろうか……?」
しぼり出すようにそう言って、遊戯は悲しげに目を細める。
どこか孤独な子供を思わせるその表情に、俺はえもいわれぬ苦しさを感じて、思わずその肩をぎゅっと抱き締めた。
泣いているわけではない。
でも、遊戯の心が涙を流しているように思えてならなかった。
「……?」
「あのさ……遊戯は別に神様じゃないだろ?」
「え?」
俺の言葉に、遊戯が困惑したように眉を寄せる。
「神様でもない、絶対的な存在でもない奴が、強いなんて俺は思えないんだけど?」
「っ?!」
「だって遊戯だって、ただの一人の人間でしかないじゃないか。強さもあれば弱さもある。どっちも持ってると思うんだ。だから、俺は遊戯が『強い人間』だとは思えなかった。どんな人間だってくじける事もあれば、弱音を吐く事だってある。泣きたい時だって、挫折する事だって、泣き言を言いたい時だってあるだろ?でも、それは悪い事だとは思えないんだよ。弱さを知らない人間は、本当に強くはなれないんじゃないか?」
決して遊戯が弱い人間だとは思わない。
けれど、強い人間だとも思う事が出来なかった。
人間に強いも弱いもない。
どちらもあわせ持つから人間だと思った。
だから、遊戯も……たとえファラオの魂を宿すものであっても、人間である以上俺たちと同じだと、そう思った。
「遊戯がデュエリストキングだろうと、何千年も前のファラオだろうと、そんなの関係ない。俺は遊戯という一人の人間が、一つの人格が俺達と同じ、何も変わらない存在だと思うから。」
そう言って笑うと、驚いたように見開かれていた遊戯の瞳が、今まで見た事が無い位優しくほころんだ。
(―――っ?!)
「ありがとう、。」
「な、何で礼なんか言うんだよ?当たり前の事言っただけだろ。」
「は……だけが俺を強い俺として見るんじゃなく、俺をそのままの俺を見てくれた。それが俺は嬉しいんだ。」
「遊戯………。」
「俺は、きっと幸せなんだろうな。この世界で、相棒というもう一人の自分、城之内くんという親友、そして……という、何にも変えがたい大切な存在と出会う事が出来たんだからな。」
静かに微笑んで、遊戯はそっと目を伏せる。
そして一度だけ小さく息を吐いて、静かに俺の背中に腕をまわした。
「これからどんな事があろうと、俺は今のの言葉を忘れない。そして、の言葉があるから俺はこれからも『俺』として歩いていける……そんな気がするんだ。」
耳元で聞こえる遊戯の声。
どこか安心したようなそんな響きの声に、俺はホッと胸をなでおろした。
もう大丈夫だ。
遊戯は負けない。
もう自分に、自分の弱さに負けたりはしないはずだから。
本当に強くなる為の一歩を、遊戯は今、踏み出したんじゃないだろうか――。
「と出会えて良かった……。」
「…………俺もだよ、遊戯。」
背中に回された腕に微かに力がこもったのを感じて、俺は小さく微笑む。
これから君はたくさんの困難に立ち向かっていくだろうけれど。
疲れた時は、辛い時は、くじけそうな時は俺の事を思い出して欲しい。
俺の前では強い遊戯である必要など無いから。
すがるように俺を抱き締める遊戯の、クセのある髪にそっと手を伸ばして、俺は初めて幼馴染としてではなく、一人の人間として愛しい存在を力の限り抱き締めた。