手作り弁当






「……何でこんな事してんだ俺は………?」

動かしている手を止める事なくそう言って、俺は盛大なため息をついた。
俺が今何をしているか?
それは右手に握った包丁と、左手の下にあるアスパラガスとまな板の存在が全てを物語っている。
そう…何のことは無い、ただいま俺は料理の為に、目の前の食材相手に孤軍奮闘中なのだ。
料理自体は決して嫌いじゃなかったけれど、だがしかし、俺が料理をする羽目になってしまったそもそものきっかけ…それ自体が問題だった。
せっかくの休日で料理や弁当など作る必要も無い俺が、何が悲しくてキッチンなんぞに立っているのかといえば…。



、俺あと40分で出ないといけないんだけど、終わりそうかな?」



そうなのだ。
それは、人の後ろでのんびりとコーヒーをすすりながら、自前のデータノートを開いているこいつ!!乾貞治に全ての原因があった。

「お前なあ!自分は何もしないでコーヒーなんか飲んでるくせに、そういう事言うか?!」

「だって誕生日プレゼントなんだから、俺が手伝ったら意味無いからね。」

しれっと言って、乾はニヤリと口の端を持ち上げる。


そう、俺がこうしてぶつぶつ文句を言いながらも料理をしているのは、乾の為に『手作り弁当』を作る約束をしてしまったからだ。
それも、誕生日プレゼントという名目付きで。

「まったく……。」

俺は切り分けたアスパラガスを沸騰した湯の中に放り込みながら、再びため息をつく。
こんなんだったら、少しくらい値段のはるプレゼントを要求された方がマシだったかもしれない。
誕生日プレゼントにする位だから、弁当の中身は冷凍食品を使って「はい終わり」というわけにはいかなくて。
そんなこんなで結局朝も早いうちから叩き起こされる羽目になったのだ。
削られた睡眠時間を思えば、多少の出費の方がマシだと思えてくるから、泣けてくる。
それに、何が嬉しくて乾は俺なんかの手作り弁当を欲しがるのか、俺にはさっぱり理解できなかった。



「あ~~も~~何でこんな事しないといけないんだよ~~。」

文句を言いながらも、やはり手だけは止めないあたり、俺もどうかと思うよ、本当に。
変なところで律儀な自分がうらめしい。
内心で葛藤している、そんな俺の姿を見て乾は一瞬思案顔になった。


「嫌だったらやめてもいいよ?そのかわり………。」
「却下!!」
「……まだ何も言ってないんだが。」
「言わんでも判る!」
「へえ?言葉にしなくても俺のことを理解してくれてるって事か?」
「…………寝言は寝てから言え。」


今右手に包丁を握ってなくて良かったと思う。
手にしていたらきっと、青学テニス部のブレーンと呼ばれる奴の頭脳を、白日の元にさらしてしまったかもしれない。
俺のこめかみには、これでもかと言わんばかりの立派な青筋が浮かび上がっているであろうことは間違いなかった。
今だったら手塚の眉間のシワにだって勝てる自信があるぞ、俺は。


「……お前の言う事だ、どうせろくでもないことに決まってる。」
「酷い言われようだな。」
「それだけの事を今までしてきたという自覚が無いのかお前は?!」


片手で卵を割りながら、反対の手でフライパンを手にしていたら、説得力も無ければ迫力も無い。
そんな事、充分過ぎるほど分かっていても、言わずにはいられなかった。

だってそうだろう?!
俺が今回のような目にあったのは、何も初めての事じゃない。
一緒に添い寝して欲しいだの、一日俺を自由にする権利が欲しいだの(乾いわく「一日デート権」らしい。聞いた瞬間頭をはたいてやった)、過去何度となく乾はふざけた事をぬかしてきたんだ。


「…?」
「何だよ?!」
「……ちなみに、あと28分17秒だ。」

「~~~~~~~~~~っっっ?!?!?」


俺はあまりの言葉に、もう、それ以上言葉が出なかった。
分かっていたはずなのに!
乾とはもう10年の付き合いなんだから、こういう男だと分かっていたじゃないか!
これくらいでヘコんでどうする?!
それでも、流石にこう切り返されると、二の句がつげない。
俺は情けなさと空しさとで、半泣き状態だった。

「い~ぬ~い~~……。」

何だか酷く全身が重く感じる。
どっと疲れてしまって、俺はやっとのことでダシ巻き卵を作ると、思わずその場に手をついてしまった。

「とりあえず早いとこ終わらせよ……。」

気を取り直して、さっきまで鍋で煮ていたタケノコの煮物を皿に取り分け、粗熱をとる。
他に出来上がっているものと一緒にテーブルの上に置こうと振り返った所に、スッと大きな手が伸びてきて、俺の手の中の皿から一つタケノコをつまみあげた。

「ああっ!つまみ食いすんなよ!!」
「……ああ、相変わらず料理上手いな、は。」
「おだてたって、これ以上何もしないからな。」

少しも悪びれる様子もなく、俺の右斜め後ろからひょいっと手元を覗き込んでくる乾を、俺は上目遣いに睨んでみせる。
かなり不本意だけど、乾は俺よりも遥かにデカイ。
だから、どうしたって奴を見上げるような状態で話さなくてはならない。
10年近く同じような環境で育ってきたのに、何で俺とこいつはこうも大きな差が出来てしまったんだ?!
少なくとも3年位前は、殆ど目線も変わらない位だったのに。


「う~~ん、やっぱりダメだったか。」
「『やっぱり』って…お前な……。」
「鮭としめじのチーズ焼きも作ってもらおうと思ったんだけど……。」
「そんなおだてに引っかかるか!」


本当に桃じゃあるまいし、いったい何品作らせれば気が済むというんだ、この男は?!
ただの弁当とはいえ、誕生日プレゼントなわけだから、俺としてはかなりの量を作ってやってるつもりだ。
なのに、その上更に追加かい?!
ちなみに今日の献立はこうなっている。


『高菜とじゃこの混ぜご飯
 だし巻き卵
 イワシの梅しそ巻き
 ナスのお浸し
 ほうれん草の胡麻和え
 アスパラベーコン巻き
 から揚げ
 チンゲン菜と海老の炒め物
 タケノコの煮物
 ポテトサラダ
 アメリカンチェリー』


いや、確かに高価なものなんか一つも無いけど、俺としてはかなり手の込んだものを作ってるつもりなんだけど。
だって、俺まだ14歳だぞ?
健全な14歳の少年がこれだけ作れればマシな方じゃないか?
まあ、ともかく…統一性が無いのはこの際置いておくとして、問題は品数だ。
全12品目。これでも不服か乾貞治?!
これだけの量のメニューのせいで、今日何時に起きたと思ってるんだ。


「ふぅ……仕方ないな。じゃあ、その分他のメニューには愛情を込めて作ってくれ。」
「……………………………………………………三枚におろすぞ。」


まな板の上のイワシより先に、乾を三枚におろしてやりたい!
この際、ブツ切りでも可だ。
そんな物騒な事を考えながらも、弁当は着実に出来ていくわけで。
こんな精神的に疲れる弁当作りは初めてだ。
ああ、もう!こうなったら金とってやろうか?!(それじゃ誕生日プレゼントにはならないんだけど)

「もう2度と、こんな誕生日プレゼントはゴメンだ……。」

ブツブツ言う俺を、何故か乾は心底楽しそうに見ている。
うわ!目の表情が見えない分、何考えてんのか分からなくて不気味だ。


「何だよ、気味悪ィな。」
「いや別に?特に何も無いよ。」
「ウソつけ。絶対何かあるだろ?!」
「んーたいした事じゃないんだがな。」
「やっぱあるんじゃねーか。」

「いやね………エプロン姿もソソルな――と。」

「っっっ?!?!?!?」


危うく俺はだし巻き卵と一緒に、自分の指を切り落とす所だった。
いや、それより!!
そこ!何データノート持ち出してるんだ?!
そして何を書き込んでるんだー?!気になる~~!!


「さてと、貴重なデータも取れた所で、俺は着替えてくるから。ちなみに、あと16分43秒だ……。」


パタンとデータノートを閉じて乾がキッチンを出て行く。
何を書き込まれたのか想像するだに恐ろしいけれど、今はそんな事言ってる場合じゃない。
まずは目の前の敵を撃破しなくては。
俺は改めて気合いを入れなおして目前のおかずの山に向き直った。


















「へえ?残り時間3分52秒……さすがだな。」


差し出した3段重ねの重箱を手にして、乾は感心したように感嘆のため息を漏らした。

「当たり前だろーが………。」

やっと全てが終わった。
あとは乾が家を出たら、後片付けをするだけだ。
俺は達成感と疲労感とで、それこそ潰れたカエルのようにベターっとテーブルの上に突っ伏してしまった。


「お疲れ、。それじゃあ、ありがたくもらっていくよ。」
「おお……。」
「じゃあ、俺は部活行くから。」
「うーっス」
「………………………。」
「あー?何だよ?」


もう出かける時間だというのに動こうとしない乾に、俺は体勢はそのままに視線だけを向ける。
何だか言いたげな様子の乾に、俺は小さく首をかしげた。


「玄関まで見送りしてくれないのか?」
「新婚の新妻か、俺は?!」
「はは…冗談だ……。」

俺のツッコミに笑う乾の表情が、一瞬寂しげにゆがむ。


(――――?!)


冗談に紛れさせてはいたけれど、一瞬だけ目にしたあの表情は……確かに本物だった。
本当に言いたい事を、途中で飲み込んでしまったような、そんな……。

(あ………もしかして?)

乾が欲しがったのは、見送りなんかじゃないんじゃないか?
なぜだか俺はそう思った。



「………………………乾?」
「何だ?」

「………………15歳………おめでとう……。」



照れくささで、かなりぶっきらぼうになってしまった俺の言葉に、乾の肩がピクリと微かに震えた。


「…………ああ、ありがとう。」


ほんの少しだけ乾の声が嬉しそうに弾んでいる。
伊達に10年近く付き合ってきたわけじゃない。
確かに乾は……喜んでくれている。
俺なんかの手作り弁当と、何の飾り気も無い祝福の言葉だけで。
そんな所を見せられると………俺だって嬉しくなってしまうじゃないか。
ほだされてるみたいで、シャクだけど。

「じゃあ、本当に行くよ。」
「あ、ああ………。」

俺はキッチンを出て行く乾の後を追って玄関へと向かった。



「誕生日に部活ってのも大変だけど、頑張ってこいよ?」



シューズを履いている乾の背中に、声を掛けると顔だけで振り返った乾がニッと笑みを浮かべてみせる。


の手作り弁当があるんだから、頑張れないわけ無いよ。」
「ばぁ~か、言ってろ。」

その、あまりにも堂々とした物言いに、思わず俺もつられて笑みを浮かべてしまった。
そんな俺にもう一度笑って、乾は玄関のドアノブに手を掛ける。


「あ!そうだ、忘れ物。」

ふと、伸ばした手を止めて、乾がクルリとこちらを向く。

「?」

不思議そうに首を傾げた俺の肩に手を置くと、乾は思った以上に強い力で俺をグッと引き寄せた。



ありがとう。それと、いってきます。」



囁くような言葉と共に頬に触れた、吐息と暖かく柔らかな感触。
一瞬、俺は頭が真っ白になってしまって、何が起こったのか理解出来なかった。




「いっっ……いぬい~~~~~~~っっ?!?!」




俺が叫び声をあげた時には、既に全ての元凶である、当の乾の姿はその場から完全に消えてしまっていた……。




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